2007年12月20日

インバル&都響 「悲劇的」

事実上のインバル披露演奏会(笑)となった12月の都響定期。19日のサントリーホールでは、Aシリーズの交響曲第7番「夜の歌」に引き続き、マーラー交響曲第6番「悲劇的」が演奏された。チケットはもちろん完売となり、会場は満員となった。

インバルと言えば、エポックメーキングとなったデンオンのマーラー交響曲全集が有名だ。おりしのマーラーブームに、高音質の録音とあいまって、インバルの名は一躍有名になった。フランクフルト放送響とのコンビで来日した講演も語り草になっており、私も「復活」などを聞いたけど、その完全主義的な演奏に舌を巻いた記憶がある。しかし、彼の実演のマーラーは、録音のそれとは一味違う。インバルの実演によるマーラーは、アグレッシブであり、実にダイナミックだ。そして、マーラーの分裂的な音楽を、より強調するかのように分裂的に描き出す。

一方、インバルの後に都響でマーラー全曲を振ったベルティーニの場合、マーラーの分裂的な部分がまるで一人の人間の感情を描き出すかのように、説得力をもって、統一的に描かれるのとは対照的だ。インバルは、分裂を分裂としてあぶりだし、それをも強調するのだ。昨日の「悲劇的」を聞いて、その思いを新たにした。インバルのタクトから描き出されるマーラーは、ありのままのマーラーの姿なのかもしれないが、やはり分裂的だ。

都響とのコンビネーションは、「夜の歌」を聞いた時よりも進化していて、ハイテンポなインバルのタクトに喰らいついていく。音場の透明感に欠ける部分があったのはちょっと残念だったけど、都響ならではのハイレベルな演奏を聞けたと思う。インバル&都響の最強の演奏と言えば、あのCDにもなったマーラーの交響曲第5番の演奏だ。まだまだあのレベルには到達していないと思う。あのような演奏を、またこのコンビから聞いてみたいものだ。

投稿者 kom : 14:15 | コメント (0)

2007年12月15日

インバル&都響 「夜の歌」

12月14日の金曜日、来シーズンから都響のプリンシパル・コンダクターに就任するインバルのコンサート。かつては毎年1回の頻度で都響を振っていたインバルも、都響には久しぶりの登場となる。すでに都響のカオになることが発表されているので、なんとなく「事実上の就任披露演奏会」みたいな雰囲気が漂い、東京文化会館にも関わらずチケットはソールドアウト! 5階のサイドまで聴衆でいっぱいになった。

曲目は、インバルの代名詞ともいうべきマーラー、そのレパートリーの中から最もマニアック?とも言える交響曲第7番「夜の歌」をセレクトしてきた。演奏のほうは、全体的にはかなり元気な感じの演奏。ピアニッシモも磨きこむ演奏というよりも、フォルテ方向を拡大してダイナミックな演奏を目指した感じだが、各パートのつながりや音量のバランスの齟齬がチラホラと露呈してしまった感じだ。たぶん、もう一度、同曲の演奏の機会があれば改善されるんだろうけど、この日に限ってはマーラー独自の緊迫感はあまり感じられなかった。

もちろん、熱演だったことには間違いなく、都響の特徴である弦の美しさはもちろん、トランペットをはじめとする金管も良かった。迫力ある5楽章の演奏が派手に終わって、終演後には盛大なブラボーの声が飛んでいたけど、インバル=都響のコンビが、あの黄金期のフランクフルト放送響のような・・・・そこまで高いレベルに到達できるのかは別にして、そういったコンビネーションの成果を現すまでにはもう少しの時間が必要だと思う。

投稿者 kom : 19:32 | コメント (0)

2007年02月25日

ノセダ=東京交響楽団(川崎定期演奏会)

 23日の金曜日、MUZA川崎シンフォニーホールで行われた東響川崎定期を聴いた。出演と曲目は下記のとおり。 人気のヴァイオリニスト=諏訪内晶子の登場と、ドラマの「のだめ」でも演奏されたブラ1が演奏されるとあってチケットは売り切れになり、 会場はほぼ満員になった。

 

・指揮=ジャナンドレア・ノセダ
・ヴァイオリン=諏訪内 晶子
・シューベルト:付随音楽「キプロスの女王ロザムンデ」序曲
・シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47
・ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調 作品68

 

 それにしても諏訪内晶子を聴くのは久しぶり。彼女が18歳くらいの時からその演奏を聴き、ステージでの姿に接しているけど、・・・ そんな彼女もすでに30代、それも半ばくらいにさしかかるんだろうとと思う。一昨年だっけ?すでに結婚していたことも報道されていたけど、 ステージでの姿はやっぱり大人の女性だ。私の席からは遠くてよくは見えないけれど、知性的で凛とした雰囲気は相変わらずである。 淡いブルーノドレス姿も美しい。

 シベリウスのVn協奏曲は、ワタシも大好きな曲。以前の彼女ならジュリアード流に、蒸留水のようにあっさりととした音楽作りで、 いささか物足りない演奏になったのかもしれない。しかし金曜日の彼女の演奏は、音量も充分で、澄んだ音色も美しく、 微妙な感情表現も非常にバランスが取れている。そこから感じ取れるのは、北欧的に抑制された情熱だ。ヴァイオリン協奏曲は、 CDで聴くほうが音のバランスが良いと思うことが多いけど、この日の演奏は実演が上回った。満足。

 休憩後、後半はブラームス。これも良かった。ノセダはイタリア人指揮者らしく、旋律を歌わせるのが巧い。 テンポは微妙に速めなのだが、音楽の流れが自然でスムーズ。アンサンブル的にはもう少し向上の余地はあると思うけど、 これも満足度が高い演奏だった。ノセダという指揮者、これまで印象が薄かったけど、かなりの実力者である。

投稿者 kom : 23:02

2006年02月07日

トゥルトリエ&東京都交響楽団

 今日はサントリーホールで行われたトゥルトリエ&都響の定期演奏会に行ってきた。リストのプレリュードとバルトークのVa協奏曲 (独奏:ブルーノ・パスキエ)、オーケストラのための協奏曲というプログラム。客席はちょっと空席が目立って、7割弱といった感じ。

 演奏順とは関係なく書くけど、良かったのはオケコン。ワタシ的に苦手なバルトークの中では、 比較的聞きやすい曲ということもあるんだけど、聞き終えて満足。ダイナミックレンジの広さ、寒色系の音、切れ味の良い弦楽器、 金管ではトランペットとホルンが健闘して、なかなか良い演奏だった。終演後のカーテンコールもおおいに盛り上がった。 トゥルトリエを聞くのは3年ぶりだけど、色彩感豊かなプログラムを演奏させたら、面白い指揮者である。ぜひ、 定期的に都響の指揮台に立ってほしいものだ。

 反面、前半のプレリュードは、ちょっと退屈な演奏。ヴィオラ協奏曲の独奏は、音色はきれいなんだけど、 音程などにちょっと難がありそう。決して悪い演奏じゃないんだけど、欝っぽくて個人的に好きな曲じゃやないんだよね~。

投稿者 kom : 22:32 | コメント (0)

2006年01月07日

大野和士&新日本フィルのショスタコーヴィチ

 今年最初のコンサートは、1月6日にトリフォニーで行われた大野和士&新日本フィルの定期演奏会。 久しぶりに大野和士を聞いてみたかったし、ショスタコの選曲も興味深かったので、異常に冷え込む気温の中を錦糸町まで足を伸ばしてみた。

 最初に江村哲二という人の作曲した「武満徹の追憶に《地平線のクオリア》オーケストラのための」という曲が初演された。 オケのパートを左右に振り分けての編成で、ハープが印象的に使われて響きがとても美しい。武満にも通じる、響きの透明感を感じさせる。

 続いてショスタコのピアノ協奏曲第一番で、ソリストはシモン・トルプチェスキという人。この曲は、ピアノと独奏トランペット (この日はNJP首席のデイヴィット・ヘルツォーク)との掛け合いがスリリングで、個人的にも好きな曲のひとつである。このピアニスト、 透明感のある冷色系の音色が美しく、ショスタコの楽想に良く似合う。テクニック的にも不安を感じさせず、この曲の魅力を存分に引き出した。 終曲のスピード感に、ちょっとトランペットが付いていけていないような感じもあったけど、全体としては満足の演奏を聞かせてくれた。

 休憩後は、メインのショスタコ交響曲第4番。演奏される機会は少ないが、これもとてもスリリングな曲である。 1時間にわたる大作だけに、途中で緊張感が緩んでしまったような箇所もあったけど、個人的にはすごく良かった。 大野和士を久しぶりに聞いたけど、オケをまとめる統率力の確かさ、これはサスガである。弦楽器を冷色系の音色を整え、 破天荒な構造のこの曲を、決してバラバラにならないように描ききったのがひとえに指揮者の力量だろう。時としてNJPは肩に力が入りすぎて、 音が硬くガサついたりすることもあるんだけど、この日のNJPは適度に柔らかさを兼ね備えていて、とても良い出来栄え。 久しぶりに良いオケの演奏を聴けた。

 ところで、この日のNJPのプログラムには、次シーズンのプログラムが掲載されていたんだけど、 その予定を見るとサントリーホールは2007年4月からしばらくの間休館するみたいですね。 他オケの定期演奏会もサントリーに集中しているから、かなり大きな影響がありそう。

投稿者 kom : 13:15 | コメント (0)

2005年09月06日

小澤&サイトウキネン「グレの歌」

 サイトウキネンに通うようになって10年を超える年月が経った。毎年、この時期に松本を中心に安曇野、乗鞍、 上高地を訪れてきたけど、今年はちょっと趣向を変えてバスに乗って岐阜県側に渡り、平湯温泉と高山に足を伸ばしてきた。 9月2日は特急あずさで松本まで行って、バスの乗り換えて1時間半、平湯温泉の「平湯館」という旅館に泊まった。 平湯では大型の宿に属するんだろうと思うけど、細やかな心遣いで快適な宿。食事もそれなりに美味しいし、温泉も加水ながら天然温泉掛け流し。

 9月3日は、平湯からバスに乗って1時間、高山の街並みを見に行った。江戸時代の面影を残す街並みは、 ちょっと観光地化されすぎている気がするけれど、それなりの情緒もある。ただ、午後になってから天候が急変し、ものすごい雷雨に見舞われた。 急いで高山のバスターミナルから平湯温泉に戻った。

 9月4日は宿をチェックアウトして、新穂高温泉に向かい、そこからロープウェイに乗って、 標高2,100メートルほどの西穂高に上った。空は曇っていて見晴らしは良くなかったけど、晴れていればきっと絶景だったに違いない。 それにしてもここ数年、サイトウキネンで訪れたときの天気に恵まれていない。なんでだろ?(^_^;)

 さて、その新穂高温泉から特急バスに乗って松本に戻り、まつもと市民芸術館で行われたサイトウキネン・ フェスティバルのシェーンベルグ「グレの歌」の初日を聴いてきた。会場は日曜日ということもあって満員だが、 他の平日公演は売れ残りもあるらしい。セミステージ形式で上演されたのだが、ピットは客席と同じ高さまで持ち上げられ、 ピットと客席の間の壁も撤去されて、フルフラットな状態である。ピットに入りきらないオーケストラは、舞台の上にも上げられて、 さらにその後方にステージが設けられている。そのステージは、とてもシンプルな舞台装置で、 三分解された合唱団用の黒い雛壇が置かれているだけ。

 まずオケの演奏のほうだけど、初日ということもあって、前半はガサガサとした荒さが目立つ演奏になってしまった。 もっともこの荒さは、公演日程が進むにつれて改善するんだろうけど、それ以上に気になったのは、小澤がこの曲を通じて何を言いたいのか、 イマイチ伝わってこなかったこと。もともと小澤にはこの曲の持つ官能的な雰囲気、音色を期待することは難しいのだろうけど、 それにしても曲作りが機械的で、一本調子という感じがぬぐえない。場面に応じた音楽を構築しきれていないのだ。 機能性では世界でもトップレベルのオケなんだろうけど、決してそれだけではこの曲の面白さは伝えきれないんだじゃないだろうか。

 一方、歌手と合唱は、きわめて高水準。特にトーマス・モーザーの柔らかい歌声は魅力的だったし、ミシェル・デ・ ヤングの山鳩も上品な歌唱が印象的。そしてフランツ・グルントヘーバーなんて、農夫/語り手のような「端役」 で使うのは実にもったいない歌手である。オペラシンガーズも例年通り、その実力の高さを見せ付けた。

 そして演出だが、ステージ上での動きも乏しく、わずかに照明や男声合唱の衣装で工夫した程度。・・・・ これならハッキリ言って演奏会形式の方が遥かに良かったのではないだろうか。財政難で、 当初の予定よりも遥かに縮小した演出になったという話もチラッと小耳に挟んだので、演出家を攻めるのは気が引けるけど、 それにしてもこのような演奏会形式に毛が生えた程度の演出では、松本市民がこのように立派な歌劇場を作った意味はない。そんなわけで、 今年のサイトウキネン、ワタシ的にはトータルとして残念な内容に終わってしまった。今回はチケットの売れ残りも多かったようだし、・・・ 今後の方向性を見直す時期に来ているんじゃないだろうか。

投稿者 kom : 22:16 | コメント (1)

2005年06月10日

スダーン&東響の「トゥーランドット」ベリオ版

 6月10日はミューザ川崎で行われた東京交響楽団川崎定期に行ってきた。プログラムは、 今年の目玉とでも言うべき演奏会形式のプッチーニの「トゥーランドット」で、しかもベリオ補作版による日本初演というオマケつき。 こういう現代的なエッセンスを加えた大規模かつ声楽付き作品を定期に取り入れるのは、東響の毎年のプログラムの傾向だ。 会場は8~9割程度の入りで、かなりの盛況だった。

 プッチーニは、個人的には最も好きなオペラ作曲家のひとりだ。あの甘美な旋律はたまらんと思うわけだが、 このトゥーランドットも例外じゃない。未完のオペラとはいえ、やはりプッチーニの官能的な旋律が散りばめられている。 この日の演奏をした東京交響楽団は、そのプッチーニの音楽をきれいに演奏していたのが実に印象的だった。さすがに新国立劇場や、 サントリーホールの演奏会形式にオペラに登場しているだけあって、このようなオペラ作品にも長けている。くわえてスダーンの統率力も確かで、 音楽のタテの線をそろえるだけではなく、甘美な旋律の表現にも長けていて、歌手との呼吸感もきちんと揃えてくる。 スダーンが登場するときの東京交響楽団は、1ランク実力が上がったような印象である。

 さらに歌手も良かった。トゥーランドット姫を演じたルチア・マッツァリアは、その役柄に似合ったクールで強靭な声の持ち主。 カラフのレンツォ・トゥリアンも、やわらかい美声の持ち主で、声量も十分。リウの砂川涼子は、この二人と比較すると分が悪いのは否めないが、 清純な雰囲気があって好演。その他の歌手陣、合唱団(東響コーラス)も、不満の無い出来栄えだった。

 さて、注目のベリオの補作部分だが、はっきり言って違和感がある(^_^;)。 きっと補作した本人もプッチーニの意図したものを完成させることを目的に補作したわけではないだろう。もちろん、 プッチーニの完成させた部分の音楽を無視したわけではなく、そのモチーフも用いているけど、ベリオというと「シンフォニア」 というマーラーの曲のコラージュのような曲を思い浮かべるが、なんとなくそういう匂いも感じさせる補作である。 プッチーニのモチーフを借りて、自らの音楽を織り込んでいる。まぁ、今後、ベリオ版が主流になることは無いような気がするけど、・・・まぁ、 いいか。そんなワケで、ベリオ版かどうかという話は抜きにして、とても満足度の高い演奏会だった。

 

投稿者 kom : 23:20 | コメント (0)

2005年06月09日

ヘレヴェッヘ&ロイヤル・フランダース・フィル(初日~3日目)

 トリフォニーホールの独自企画のヘレヴェッヘ&ロイヤル・フランダース・フィルのベートーヴェン・チクルスが6月7日から始まった。 今日で3日目の公演が終わって、1,2,3,4,6,7番の演奏が終わった。残すは2日のみ。今日までの感想を簡単に。

 結論から書くと、今のところ満足といえる演奏には出会っていない。日が進むごとに良くはなってきていて、 今日の交響曲4番と7番は3日間の中では悪くなかったと思う。でも、全体を通してみれば、指揮者のアプローチに少々、 疑問の残る演奏が続いているのである。その一番大きそうな原因は何かというと、音楽の呼吸が浅いこと。スピードの速いのは良いとしても、 ヘレヴェッヘのリズム感からはせかせかとした慌しさを感じるのである。客席で聞いていても、どうにも居心地の悪さを感じてしまうのである。 ベートーヴェンの交響曲をきちんと聞かせるには、実はリズム感が一番大事なのかもしれないが、 今回の演奏ではそのあたりが欠けているような気がするのだ。

 一方、オーケストラの能力だけど、決して悪くない。音楽のタテの線はピタリとあわせているし、管楽器のソロだって結構良い。しかし、 弦楽器の中ではヴァイオリンの音が細く、全体の中に埋没してしまうことが多い。音色的には、何だか不思議な統一感・・・ というか不統一感を持っていて、何だか、良いオケなのか、それともイマイチなんだか、評価が下しにくいオケである。

 私は明日のチクルスは都合により行けないので、次は日曜日の「第九」を聴きに行く予定である。

投稿者 kom : 23:33 | コメント (0)

2005年05月20日

デプリースト都響常任指揮者就任

 5月の都響定期は、デプリーストの常任指揮者就任披露演奏会である。ベルティーニが死去し、フルネも引退を発表、 今後の都響の看板を背負って立つのはこのデプリーストの他にない。そのスタートに選曲されたのはマーラーの交響曲第2番。 当日券売り場には列が出来て、客席は満員になった。

 開演時間が近づき、ステージに団員が席に着き、コンマスの山本がチューニングを指示する。 そしてデプリーストが電動車椅子でステージに現れ、スロープから指揮台に上り、客席に挨拶する。そしてオケのほうに振り向くと、 電動車椅子は高く上がる。これは指揮者用の特注の車椅子なのであろうが、よくぞこの小さい車椅子にこれだけの機能を詰め込んだものである。 デプリーストは両手を広げ、音楽が鳴り始めた。

 デプリーストが指揮をするとき、都響の音は大きく変わる。もともと都響の弦楽器は、硬質で透明感のある音が魅力だが、 デプリーストの指揮だと線が太くなり、銃身がやや低くなる傾向がある。この日の都響も、そのデプリーストの特徴が現れていたが、 この音色は都響ファン暦が長ければ長いほど好みが分かれるかもしれない。そしてデプリーストの描き出すマーラーは、まさしく「分裂的」だ。

 いわゆるマーラー指揮者と呼ばれる人、・・・ たとえばバーンスタインやベルティーニが振ったマーラーだと分裂的な楽想を見事に一本の糸で紡ぎあげ、ひとつの音楽像、 というか精神性を描き出す。しかしデプリーストのマーラーは、分裂的な楽想を「分裂」的に描き出す。 楽想が変わるところでひとつのストーリーがピリオドを打ち、また新たな楽想に移るのだ。マーラーの音楽を一本の糸で紡ぐのではなく、 様々な色の糸を使い、結果としてパッチワークのような音楽を描き出す。 都響は日本のオケの中ではもっとも豊富なマーラー演奏の経験値を持っていると思われるけど、 たぶんその40年の歴史の中では経験したことのないマーラーだったと思われる。

 それゆえだろうか、個人的にはやや退屈なマーラーだった。確かに都響は若干の粗はあったとしても懸命な演奏だったと思うし、 ダイナミックレンジの広さも存分に感じさせてもらったのだが、結果的にそれ以上のものはなかった様な気がするのである。 音楽の統一感が乏しく、不連続性が集中力を削いでしまった。カーテンコールは大いに盛り上がり、ブラボーの声も多かったけど、 私は音楽的には満足できなかった。あの奇跡的なベルティーニ&都響のマーラー9番と比較するのは酷かもしれないが、 あの水準には遠く及ばないのである。

 たぶん、デプリーストは私が期待するようなマーラー指揮者ではない。しかし、 今後のスケジュールを見るとショスタコーヴィチなどは大いに期待してよいのではないだろうか。 デプリーストが都響に新たなレパートリーを加えてくれるのを期待したい。

投稿者 kom : 23:48 | コメント (0)

2005年04月23日

飯守泰次郎&東京都交響楽団

 都響の新シーズンは、4月22日のサントリーホールBシリーズ。久しぶりにコストがかかる企画(^_^;)と言う感じで、 ワーグナーの「リング」抜粋。指揮者はシティフィルでの「リング」やワーグナーのオペラで評価の高い飯守泰次郎の登場である。 当日のチケット売り場はソールドアウトになって、キャンセル待ちの列が並んでいた。

 都響はかつて若杉時代にリングの抜粋演奏を定期演奏会で行ったのをはじめ、サントリーホールでのワーグナー全オペラ作品の抜粋演奏、 二期会の「神々の黄昏」、インバルとの「ワルキューレ」全幕演奏などを行っている。その意味で都響は、 ワーグナー演奏には長けているオケである。しかし飯守とのワーグナーは、若杉やインバルのそれとは大きく違う。飯守のワーグナーは、 とても大らかでいて、音楽の流れがとても自然だ。その一方で、音楽に張り詰める緊迫感は若干薄く感じられると同時に、 オケを盛大に煽る一方で、ピアニッシモを使うことが少ないために、意外とダイナミックレンジが狭く感じられる。ただ、ふつーは、 このような飯守のワーグナーのほうがスケール感があって、好まれるだろうと思うし、私も嫌いじゃない。オケは、「ラインの黄金」 冒頭のホルンが不安定だったほかは大健闘。都響特有の硬質な弦楽器を基調に、テンションの高い演奏を聞かせてくれた。

 歌手では、何と言っても緑川まりの存在感がすごかった。声量は申し分なく、オケの音のカーテンを突き抜けて聞こえてくる。 成田勝美も緑川に負けぬレベルだったが、惜しむらくは両者とも絶叫調になってしまったことか。 このあたりは指揮者がオケの音量を上手にコントロールして欲しかった。ヴォータンの長谷川顕は、やや音程的に不安定さを感じたのと、 声そのものがヴォータンと言うよりも巨人族のような感じだ。島村武男は、この役柄では他に追随する歌手はなし。素晴らしかった。 ラインの乙女たちも十二分の出来栄え。

 カーテンコールは大いに盛り上がって、満員のホールはブラボーの声に包まれる。21:15までの長いコンサートだったが、 時間の長さを感じさせない一夜だった。

投稿者 kom : 00:24 | コメント (0)

2005年04月19日

スクロヴァチェフスキ&読響

 2005年度の読響定期のスタートは、4月18日のサントリーホール、指揮者には人気上昇中のスクロヴァチェフスキの登場である。 今年度の定期でスクロヴァが振るのは、この4月だけではない。冠指揮者でもないのに、 12月の定期にも登場するというのはオケの定期としては異例だろうと思う。 曲目はベートーヴェンの交響曲第1番とブルックナーの交響曲第7番というもの。

 さて、ワタシ的には、最初のベートーヴェンが良かった。単に「良かった」というレベルを超えて、 素晴らしかったと言うべきかも知れない。ベートーヴェンの交響曲第1番と言うと、なんとなく「まだ習作」というイメージがあって、 演奏スタイルによってはモーツァルトやハイドン的な響きに聞こえることがある。でも、スクロヴァチェフスキの演奏はぜんぜん違う。 この曲に込められているベートーヴェンの強烈な個性が開花し、強靭な意志を感じさせる演奏である。颯爽としたスピード感、 明確なアーティキュレーション、・・・目からうろこの演奏である。この曲が一夜のコンサートとなると「前座」 みたいな位置づけで演奏されることがほとんどだと思うけど、こんな演奏だったら十分にメイン・ディッシュになりうることを認識させられた。

 しかし、ブルックナーは少々期待はずれに終わってしまった。読響の名誉のために最初に書いておくけど、これはオケの責任ではない。 ベートーヴェンの演奏を含めて、読響は緊張感の高い演奏を聞かせてくれたし、若干のアンサンブルの乱れがあったとしても、 それはライヴであれば避けられないわずかな乱れでしかなかった。しかし、スクロヴァの指揮する演奏スタイルだと、 そのわずかなアンサンブルや音色の不統一が必要以上に強調されて聞こえてしまうのである。音楽も、いささか分析的に過ぎる感じで、 音楽の流れに安心して身を浸すことが出来なかったのも残念。このあたりは演奏の良し悪しと言うよりも好みの問題だろう。 ワタシ的にはブルックナーのようなロマン派よりも、ベートーヴェンやモーツァルトみたいな古典の方を聴いてみたいと思う。

投稿者 kom : 03:04 | コメント (0)

2005年04月16日

M's & 秋山和慶=東京交響楽団 名曲全集 第6回

 ミューザ川崎で始まった東京交響楽団「名曲全集」も、新しいシーズンが始まった。日程はすべて土曜日の午後6時からのソワレか、 日曜日の午後2時からのマチネということで、一番集客しやすそうな日程・時間帯なのだが、ホールの中は空席が多い。 全体的にはだいたい6~7割程度の入りで、S席はそこそこ埋まっているような感じだったけど、 それ以外のA~C席はそれぞれの前のほうだけ客が入っていて、後ろ半分は空席という状態。オープニングのシーズンはほとんど満員だったのに、 これはどうしたことか? 一年目が過ぎて、物珍しさがなくなったせいなのだろうか。

 今日のプログラムは、このホールのアドバイザーを務めるジャズ・ピアニストの佐山雅弘の企画で、 ジャズの要素をふんだんに盛り込んだもの。クラオタ的には食指の動かないプログラムだと思うが(^_^;)、 オーケストラ入門的には好適な内容である。

 ジャズとクラシック、・・・両方とも好き、という人は結構多いに違いない。私はジャズにはぜんぜん詳しくはないけど、 あれにハマる人の気持ちは凄くわかる。実際、サイトウキネン・フェスで、マーカス・ロバーツ・ トリオを聴いたときは背筋がぞくぞくするほどの感動を覚えたし、ジャズを聴きに行くチャンスがあれば何回でも聴きに行きたいくらいである。 しかし、それだけの時間も余裕もないので、 現実にはこのようにクラシックのコンサートの中の企画としてジャズが盛り込まれたときにしか聴くことはない。

 さて、ジャズとクラシックでは、使われる楽器に共通項がある。ピアノやベース、 トランペットやなんかはクラシックの楽器とまったく同じだだ。しかし私はジャズとクラシックは、似て非なるものだと思っている。 あくまでも一般論だが、クラシックの緊張感あふれる精緻なアンサンブルと、ジャズの自由自在なアドリブとスイング感は、 なかなか融合しないものである。この日のプログラムでも「ラブソディ・イン・ブルー」は、マサちゃんズ(M's)との掛け合いで、 途中にジャズの様々な曲を交錯させた演奏となったのだが、これがどうしてもしっくりと来ない。生真面目な管弦楽と、不真面目・・・ じゃなくって(^_^;)スイングするジャズがひとつの曲の中に同居すると、どうも居心地が悪い。ガーシュウィンは、 クラシックの中にジャズの要素を取り入れてはいるものの、その語法はあくまでもクラシックのものである。やっぱり違うのだ。

 とは言っても、別々に聴けば、それぞれのよさが引き立ってくる。後半のピアノ、ベース、ドラムの「マサちゃんズ」 のジャズはとても楽しめたし、オケだけの「パリのアメリカ人」も美しかった。また、前半の「ディズニーのメロディによる管弦楽入門」は、 おなじみのメロディにのせて、オケの各パートの楽器を紹介する趣向だ。とても聴きやすく、楽しめる曲である。たまには、 こういう親しみやすいコンサートも良いものだ。客席は空席が目立ったけど、終演後の拍手はとても盛り上がった。

 

 

 

 

 

投稿者 kom : 23:35 | コメント (0)

2005年03月24日

スティーブン・スローン&都響(A定期)

 都響音楽監督のベルティーニが3月17日に急逝し、 直後の都響の演奏会は19日の作曲家の肖像シリーズだった。その日はチケットを買ってあったものの、 都合により友人に譲ってしまったため行くことは出来なかったが、伝え聞くところによれば、 ショスタコーヴィチの8番は尋常ならざる緊張感に包まれた名演奏だったとのことである。その時の指揮者はスティーブン・スローン。 プログラムに記載されていた経歴によると、ベルティーニに師事した経歴の持ち主だ。 そのスローンが指揮する都響の文化会館定期が25日に開催された。プログラムの一部が追悼のために変更され、 ロビーにはベルティーニの写真も掲示された。

 マーラーの「アダージェット」は、ベルティーニの追悼のために変更となった曲である。ステージ上は緊張感に満ちた演奏だったが、 客席は遅れて入ってきた客が多く、なかなか演奏に集中することが出来ない。こういう静かな曲を最初に演奏することの難しさを感じた。 続くウォルトンのヴィオラ協奏曲は、スローンのパートナーであるタベア・ツィンマーマンの登場。聴きなれない曲ということもあって、 ぼけーっと考え事をしながら聴いてしまったためコメントはパス。でもカーテンコールは盛り上がって、アンコールに2曲もサービスしてくれた。

 さて、問題はベートーヴェンの7番。これは、なかなか難しい曲である。スローンは、 遅い立ち上がりから巨匠的な恰幅の良い演奏を目指していたのだろうと思うけれど、結果的には失敗だったと思う。 たしかに縦の線はぴたりと揃い、オケから醸し出される音の厚みも音色も素晴らしいものだったが、いかんせん音の横の繋がりがない。 特に1~2楽章は、音楽がぜんぜん流れていかないのである。ベト7での典型的な失敗例だ。3楽章以降は、 多少はスピードアップして音楽の流れが改善したけれど、それでも本質的な欠点が解消されたわけではない。

 とは言え、国内随一の弦楽器を誇る都響だけあって、弦の厚みと音色の輝きは申し分ない。 単に厚みだけだったらN響や読響の方が上かもしれないが、多彩な音色も加味した評価だと、私は都響が最強の弦だと思う。 やや残念なコンサートだったけど、オケのアンサンブルは素晴らしかったことは特筆しておきたい。

投稿者 kom : 23:10 | コメント (0)

2005年03月19日

アルブレヒト&読響「神々の黄昏」第3幕

 在京オケの3月の定期演奏会は、なぜか演奏会形式のオペラが多い。先日のNJPの「レオノーレ」、 都響は29日に「青ひげ公の城」を演奏する。そして読響はワーグナーの楽劇「神々の黄昏」から第三幕を演奏会形式で取り上げた。 シーズンの締めくくりを飾るのに相応しい曲目である。会場のサントリーホールは9割程度は入っているものの、 SやA席の中でも条件が悪そうな席に空席が若干ある。一回券の値段が張るためだと思われるけど、ちょっともったいない。

 さて、ワーグナーのオペラの場合、一番の主役はオーケストラだと思う。特に、この「ニーベルングの指輪」の場合、 管弦楽組曲みたいに取りあげられることもあるくらい魅力的な旋律に満ちている。「指輪」の中から抜粋上演する場合は、「ワルキューレ」 第一幕が演奏されることが圧倒的に多く、今回のように「神々の黄昏」第3幕が演奏されるのを聴くのは初めてだが、実際に聴いてみると 「ワルキューレ」に負けず劣らず、素晴らしい音楽に満ちている。そして、この日の読響定期、その音楽を見事に再現してくれた。

 まず特徴的だったのが、音の厚みである。特に弦楽器は、金管楽器の咆哮にも負けない厚みが必要だけど、 在京オケでここまで厚く弦楽器を鳴らせるのはN響と読響だけかもしれない。もちろん、音がデカければイイというわけじゃない。 ライトモチーフを描き分ける音色のパレットも豊かなので、ダイナミックレンジも広い。 アルブレヒトの指揮はオーソドックスなアプローチだったけど、オケがピットではなくステージ上にいると、響きが直接的で鋭角的である。 同じステージ上で歌う歌手は、このオケに伍して歌うのは大変だったに違いない。

 にもかかわらず歌手も良かった。ジークフリートのペール・リンズコーグは、やわらかい美声の持ち主で、 ヘルデンテノールという感じではないものの オケの厚みに負けない声量と若々しい歌声が心地よい。ブリュンヒルデのクリスティーン・ ブリュアは、ドラマチックな歌声で、ラストの「自己犠牲」ではオケの強奏の上を飛び越えてくるような声量を見せつけた。ハーゲンの工藤博、 グンターの青戸知、グートルーネの林正子も申し分なく、この顔合わせで「神々の黄昏」全曲、いや「リング」 全部を聴いてみたい思いに駆られてしまった。

 演出はほとんど伴わない演奏会形式だったが、ワーグナーは音楽そのものがストーリーを語っていることを改めて実感した。 来シーズンの読響のプログラムも楽しみである。

投稿者 kom : 21:55 | コメント (0)

2005年03月17日

アルミンク&NJP「レオノーレ」日本初演

 3月の新日本フィル・トリフォニー定期は、演奏会形式のオペラで、ベートーヴェン「レオノーレ」 の日本初演である。「レオノーレ」は、ベートーヴェン唯一のオペラとして知られている「フィデリオ」の原型となった作品で、 基本的なストーリーは同じものだと思って間違いないけど、 音楽的にはベートーヴェン以前の作曲家の作風もところどころ顔を覗かせる。ただし、私は「フィデリオ」 は2回くらい見たことはあるけれど、残念ながらあまり好きな作品ではないので、聞き込んでいるオペラではない。そんなワケで 「フィデリオ」と「レオノーレ」との相違点については、そんなに気にしていないので、 まったく新しいオペラとして楽しませていただいた。

 最初から余談だが、NJPの音楽監督のクリスティアン・アルミンクは、ビジュアル的に「のだめカンタービレ」に出てくるジャン・ ドナディウのイメージに似ている。「のだめ」を指揮者コンクールのストーリーにジャンが登場したときに、 真っ先に思い浮かんだのはアルミンクだった。漫画の中のジャンはフランス的に軽やかな音楽を得意とするタイプであり、 現実のアルミンクはドイツものを得意とする指揮者なので、対照的なタイプである。そして、この定期演奏会で「レオノーレ」を聴いて、 アルミンクという指揮者の力量を実感した。NJPは本当に良い指揮者を音楽監督に迎えたものである。

 アルミンク&NJPが描き出す「レオノーレ」は、ドイツ的な渋めの音色で描きつつも、オケの音の重なりがクリアーで見通しが良い。 そして何よりも、音楽の流れに変な作為やよどみもなく、とても自然なのだ。もしかしたら、 ベートーヴェン的な重量感が足りないと言う向きもあるかもしれないが、私は鈍牛のような音楽作りだけがベートーヴェンだとは思わない。 アルミンクの指揮だと、繊細な筆致で描く若々しく生命感がある作風に、聴き手は安心して音楽に身を任せられる。この日の演奏は、 セリフを大幅にカットしての上演だったと言うこともあるのだろうけど、以前に見た「フィデリオ」よりも音楽を楽しめた。 演出は少し陳腐な感じはしたけれど、歌手は総じて高水準。中でもドン・ピツァロを歌ったハルトムート・ヴェルカーの表現力を特筆したい。

 新日本フィルと言うと、良くも悪くも小澤のオケというイメージが付きまとっていたけれど、 アルミンクはそのイメージを払底する可能性を持っていると思う。将来性を考えると、 これからが旬の指揮者として今のうちに聴いておきたい音楽家ではないだろうか。

投稿者 kom : 23:32 | コメント (0)

2005年03月11日

チョン・ミョンフン&東京フィル

 今シーズン最後の東フィル・サントリー定期は、チョン・ミョンフンの登場。 会場には多少の空席はあるものの、全体では9割程度の入り。曲目はシューマンのピアノ協奏曲(pf:ラルス・フォークト)と、 マーラーの4番というもの。

 結論から言うと、ちょっとガッカリした演奏会だった。まず、ピアノ協奏曲は、独奏の音色的な変化も少なく、やや平板的な出来栄え。 オケとの絡みにも齟齬があり、消化不良な感じが残った。決して悪い演奏ではないものの、チョン&東フィルというコンビならば、 もっと上質な演奏を期待してしかるべきだろうと思う。

 さらに、チョンが東フィルで一貫して採り上げているマーラーだが、これはシューマン以上に不満足な出来栄えである。まず、 音量のバランスが良くない。いつものように弦楽器を拡大した編成なのだが、 音量を抑えようとするあまり音の密度が低くなって緊張感が乏しいし、 そこに木管が加わるときに音量がでかすぎて雰囲気を壊してしまうことしばしばなのだ。この4番は、室内楽的な透明感が求められる曲なのだが、 これでは聴き手を感動に結びつけることは出来ない。とは言っても、4番はマーラーの中で感動させることが最も難しい曲のような気もするので、 厳しすぎる評価なのかもしれないが。

 チョンのマーラーは、東フィル就任以来、継続して聞いてきたが、彼はマーラーには向いていないというのがワタシ的な結論。 どちらかと言うとラヴェルとかドビュッシー、ビゼーなどの感覚的なフランスものを指揮させたら、 かなり魅力的な演奏を聴かせてくれそうな気がするのだが、哲学的・論理的・ 思索的なドイツものだと曲全体の統一感が失われてしまうような気がしてならない。また、 アンサンブルの精度を二の次にしたオケの編成の拡大志向なども、私の好みとは違うことがハッキリしたので、 私は東フィル定期会員継続は見合わせることにした。20日にオーチャード定期を最後に、少なくとも一年間は東フィル会員からはお別れである。

投稿者 kom : 23:20 | コメント (0)

2005年03月09日

インバル&ベルリン交響楽団

 すみだトリフォニーホールとベルリンのコンチェルトハウスの友好提携事業と、すみだ平和祈念コンサートと兼ねて開催されたのは、 インバル指揮のベルリン交響楽団の演奏会である。チケットの値段はS席10,000円~B席6,000円だったけど、 墨田在住在勤在学とトリフォニーホールの会員はS席のみ半額というスペシャルプライス。私はトリフォニーの会員なので、 もちろんS席を購入して半額、さらにNJP会員の特典を行使してさらに2,500円引き。そして、 こういう機会じゃないと座らないであろう1階席を指定し、いつもの3階席と音比べも楽しもうと目論んだ。

 私が座ったのは1階席やや後方のステージに向かって左側の席。前の席との段差があるので、1階席でも見やすいし、 3階席よりも座席の前後が広い感じなのが良い。でも、オケのコンサートの場合は上から見下ろすほうが全体の見通しが良いので好きである。 それに、音はやっぱり3階席のほうが良いと思う。1階席だと音がナマっぽく、残響音が少ない。そして、オケのパートの音の分離が今ひとつで、 混然一体となって聞こえるのは個人的に好みの傾向じゃぁない。とは言っても、このトリフォニーは、 他のホールの1階席と比べるとかなり良いかも知れない。

 さて、演奏のほうに話を移そう。ベルリン交響楽団は、特別に巧いというオケではない。ベルリン・ フィルと比べると音は渋めで華やかさは乏しいし、テクニック的にもアンサンブル的にも突出したものを聴けるわけではない。しかし、 この渋い音色は魅力ある。日本のオケは器用だから、幻想なんかは結構フランスっぽく演奏も出来るけど、ベルリン響が演奏すると・・・ あたりまえだが、やっぱりベルリン響の響きなのだ。こういう風に、重心が低く、ちょっと渋めで、 色彩感がストイック的に押さえ込まれた幻想も悪くない。逆に、ベートーヴェンのピアノ協奏曲が当たり前すぎる演奏で、 ちょっと退屈なくらいなのである。

 そしてインバルは、80年代後半からデンオン(今はデノン)のマーラー・ツィクルスの録音で一世を風靡した指揮者である。 厳格なオケのトレーニングに裏打ちされた比類なきアンサンブルを構築したフランクフルト放送響との来日公演は、今でも記憶に新しい。 都響の特別客演指揮者を務めていた時期もあって、その録音とライヴの差に驚いた記憶がある。この人、 録音だと緊張感を伴った端正に整った演奏をする人だけど、ライヴだと羽目を外す演奏をよくやる。今日、インバルの演奏を聴いてが、 やっぱりインバルはインバルだ。かつてのフランクフルトのような機能的なオケではないものの、オケを完全にコントロールし、 音楽の中にインバル節を織り込んでいく。特別に変わった演奏ではないものの、アーティキュレーションが面白い。

 でも、インバルの本領を発揮するには、もっと機能的なオケのほうが面白いんだろうし、 それに加えてオケとの長い年月の積み重ねが必要なんだろうと思う。このベルリン響との演奏会はそれなりに面白かったけど、 かつてのフランクフルト放送響との演奏を知っているものからすると食い足りなさが残ったのではないだろうか。(アンコールは、 ブラームスのハンガリー舞曲集から)

投稿者 kom : 23:44 | コメント (0)

2005年02月25日

ブリュッヘン&新日本フィル

 25日の金曜日はブリュッヘン&新日本フィルのサントリーホール定期である。トリフォニー定期では、 モダン楽器を用いながらピリオド楽器の奏法を応用して清新な演奏を聞かせてくれたが、このサントリー定期ではシューベルトの「未完成」と 「グレイト」が演奏された。

 以前にも書いたけど、私はあまり古楽器演奏を聴く機会は少ない。というのは、私の経験の範囲内では、 古楽器による演奏で魅力的な音を聴いた記憶がないからである。古楽器演奏がブームの頃にライヴでの演奏を聴いた経験は何回かあるけど、 今の私は好んで古楽器演奏を聴こうとは思わない。むろん、古楽器にもそれなりの魅力はあると思うけど、 それは古楽器演奏に適したホールで演奏しての話であろうと思っている。古楽器オケを現代の2000人近い収容人員の大ホールで演奏しても、 古楽器の評価を低くする結果しか生まないだろう。

 そんなワケで、もし、作曲された当時の演奏を現代に再現するのであれば、 個人的にはモダン楽器を使ってピリオド奏法で演奏するほうがベターなのではないかと思っている。実際、このブリュッヘン& 新日本フィルの演奏を聴いて、改めてそう思った。シンプルなボウイングから醸し出される清新な弦楽器の響き、 そこに積み重なる木管や金管楽器の音。それは重層的な響きの積み重ねを持ちながら、スケルトン的な透明感すら感じさせる。 贅肉をそぎ落としたシューベルトの世界。ロマン派の手垢にまみれた演奏スタイルから、ブリュッヘンは贅肉を削ぎ落とし、 解放したかのようである。

 ま、もともとシューベルトが好きな曲かというと必ずしもそうではないし、 解釈の好き嫌いもあるのでワタシ的には感動の境地には至らなかったのだが、 新日本フィルの潜在能力を十二分に引き出したブリュッヘンの力量も凄いと思う。今度、来日するときがあったら、 もっとコテコテのロマン派的な曲を聴いてみたいものである。ブリュッヘンによって、曲のイメージがどれだけ変わるのか、興味はつきない。

投稿者 kom : 23:30 | コメント (0)

2005年02月22日

ラザレフ&読売日本交響楽団

 今夜はサントリーホールの読響定期で、このところ常連になりつつあるアレクサンドル・ ラザレフが登場し、R・シュトラウスのプログラムを振った。会場は9割程度の入り。

 選曲の人気の有無はともかく、3曲とも派手な曲で、オケの編成もきわめて大きい。そして、それにも増して派手なのが、 ラザレフの指揮である。もともと大柄な人であるけど、アクションも大きく、まるでクマのダンスだ。指揮台の面積をフルに使っても足りずに、 片足を踏み外してしまうほどである。そこから表現される音楽も派手かというと、意外とそうでもない。

 最初の祝典前奏曲ははじめて聴いた曲だが、オルガンも加わったド派手な祝典音楽である。 最初は指揮者のアクションの大きさに驚かされるが、そこから醸し出される音楽は意外とオーソドックスで、 ffになっても音が崩れることもなく、アンサンブルもきちんと整えられている。超難曲のブルレスケも、 若林顕の安定感のある演奏で見事に仕上がったし、メインの「ツァトゥストラ・・・」は、 むしろppの音が磨きぬかれていたことに印象が残った。

 ハッキリ言ってビジュアル的にはウザイ指揮者だが、その音楽作りは意外とマトモ。この選曲では仕方がないのかもしれないが、R・ シュトラウスらしい官能的な音色がもっと楽しめれば、さらに素晴らしい演奏会になったと思う。

投稿者 kom : 22:25 | コメント (0)

2005年02月20日

大友直人&東京交響楽団

 MUZA川崎主催による名曲全集第4回目は、大友直人の登場である。オケはもちろん、 このホールのフランチャイズである東京交響楽団だ。名曲だし、日曜日のマチネということもあって会場はほぼ満員。 このホールで行われるコンサート、私が立ち会った範囲ではすべて満員なのはうれしいことである。

 このハコで奏でられる最初の音で思うんだけど、このホールの音はホントにシャープだ。この喩えでわかる人は少ないと思うが、 はじめてSHARPの1bitアンプの音を聴いたときの印象に似ている。現代的なスピード感、レスポンスのよさを感じさせる音響で、 音像が明確だ。それでいて音が硬くない。残響はサントリーなどと比べると少なめなのは間違いないが、決して音が硬すぎないのがいい。 現段階で言うのも何だが、・・・このホールの音響は、これまで聴いたホールの中でもベストのひとつに数えて間違いない。

 そんなホールの中で大友の指揮は、いつもながらオーソドックスだ。よく言えば安定感があって安心して聴けるけど、 悪く言えば意外性が乏しく、音楽に面白みを求める人にとっては物足りない演奏と言えるかも知れない。オケは、やや線が細く、贅沢を言えば 「展覧会の絵」ではもう少し音色のパレットが欲しかったけど、会場は大いに沸いて、アンコールにプッチーニの歌劇「マノン・レスコー」 の第三幕の間奏曲を演奏した。

 メンデルスゾーンのソリストをつとめた木嶋を聴くのは初めてかもしれない。技巧的には安心して聴けるけど、 搾り出すような音色にちょっと閉塞感を感じるのが個人的には気になった。やや寂しげなメンデルスゾーンを演出するための音色だとしたら、 私の見当違いなのだが、・・・。

投稿者 kom : 21:56 | コメント (0)

2005年02月18日

ブリュッヘン&新日本フィル

 2月18日は、新日本フィルのトリフォニー定期一日目。このコンサートの注目は、古楽演奏の草分けであり、 日本のオケを始めて指揮するブリュッヘンだ。どうしても「ブリュッヘン=古楽演奏」というイメージが付きまとうけど、 この演奏会はもちろんモダン楽器がメインである。

 最初のラモーだけはナチュラル・トランペットと思われる管楽器を使っていたほかは、すべてモダン楽器による演奏である。正直、 前半の2曲は「ぼけーっ」という感じで聴いてしまったのでノーコメント(^_^;)。しかし、後半のシューマンには感銘を受けた。 シューマンもあまり馴染みのある曲ではないのだが、ブリュッヘンのアプローチは極めて丁寧で、ロマン派的な贅肉をそぎ落とした、 とてもシンプルな演奏である。各楽器のパートがきれいに分離して、混濁のない室内楽的な演奏は好感が持てる。音楽の流れもとても自然で、 こういう空気感を醸し出せる指揮者はなかなかいないように思う。最後の高揚感に至るまで、 ゆったりじっくりとシューマンの交響曲を堪能させていただいた。うん、意外とシューマンの交響曲もいいじゃん! 

 25日はサントリーホールでシューベルトの「未完成」と「グレイト」である。こっちのほうが馴染みの曲なので、個人的には楽しみ!

投稿者 kom : 23:27 | コメント (0)

2005年01月27日

指揮者のいない演奏会~都響第601回定期演奏会~

 今日(=昨日)は、仕事が終わるのが押してしまったため、オフィスを出て、大通りまで歩き、 そこからタクシーで赤坂に向かった。車を降りて、サントリーホールの前に到着すると、大きな張り紙が掲示してあり、 人だかりがある。ピン!と悪い予感がした。人垣の隙間から文字を読むと、そこにはこう書いてあった。

1月26日当楽団第601回定期演奏会(サントリーホール)に出演を予定しておりました指揮者ジャン・フルネは、 過労による高血圧のため、25日夕刻、医師より安静を要するとの診断を受け、出演が不可能となりました。・・・今回の定期演奏会では、 演奏機会の稀少なデュカス『交響曲』の練習を通して、 当団がフルネ氏から受けとった音楽の真髄をそのままお伝えしたいという思いが止みがたく、極めて異例なことではございますが、 あえて代理の指揮者を立てず、下記の曲目を指揮者なしで演奏することといたしました。・・・《変更後のプログラム》モーツァルト: ピアノ協奏曲第23番イ長調 (ピアノ:伊藤恵)、デュカス:交響曲ハ長調」。

 私も数多くのコンサートに出かけて、いろいろなハプニングに立ち会ってきたけど、 結果として指揮者なしのコンサートの場に立ち会ったのは初めてである。しかし、本番前日の夕刻に倒れたとあれば、 代役をたてることは事実上無理だろう。ましてや、珍しいデュカスの交響曲となれば尚更である。ホールに入ると、観客は8割強の入り。 開演のベルが鳴り、場内にアナウンスが流れる。ステージに現れた理事長代行がマイクを取り、今回の経過を説明すると、 会場は暖かい拍手で包まれた。そして楽団員がステージに登場すると、一斉に大きな拍手が起こる。「指揮者なし」 という困難な事態に直面するオーケストラを激励する拍手である。

 モーツァルトのピアノ協奏曲は、ゆったりした感じの出だしで、暖かい音色が広がる。ソリストの伊藤恵も、オーケストラとアイ・ コンタクトして、タイミングを確認しながらの演奏である。アンサンブルの上では指揮者不在による不安はまったく感じさせないが、いかにも 「安全運転」という雰囲気を漂わせる。習字で例えるなら、丁寧な「楷書」書きような演奏だ。 それでも楽章が進むにつれて音楽の流れもスムーズになり、モーツァルトらしい流麗な響きが随所に現れるようにもなってきた。これはこれで、 緊張感の感じられる、良い演奏である。

 後半は、珍しいデュカスの交響曲。ふたたび楽団員が登場すると拍手が巻き起こる、 ステージ中央にはいつもどおり指揮台が設置されているのだが、そこに指揮者がいないと二管編成でも、 とても大きな編成のオーケストラに見えるのは不思議だ。コンマスの山本友重が、 オケ全体のタイミングを合わせるように大きなアクションでボウイングして、音楽がスタートする。私自身、 デュカスの交響曲を聴くのは初めてだと思うけど、創造以上に良い曲である。「魔法使いの弟子」のように色彩感豊かで、 面白い曲かと思って聴くと、雰囲気が違うので面食らうかもしれない。たぶん、何も知らないでこの曲を聴いたら、 フランスの作曲家が書いた曲だと当てられる人は少ないかも、・・・と思うほど、ドイツ・ロマン派の雰囲気を携えている。 起伏の大きい両端楽章に加えて、耽美的な雰囲気さえ感じさせる第二楽章も聴き応えがあり、これはもっと演奏されてしかるべき曲ではないか。

 そして演奏のほうは、指揮者不在とはまったく感じさせないほど、堂々としたものだった。 演奏会前日である25日の夕刻まではフルネのもとで練習を積んでいたのだから、 基本的にはデュカスの交響曲はすでにオケの手中に入っていたんだろうと思うけど、それに加えて指揮者なしで演奏するプレッシャーが、 良い意味での緊張感となって音楽に結実したんじゃないだろうか。初めて聴く曲だけに他の演奏と比較することはできないし、 ハプニングゆえの過大評価なのかもしれないが、この演奏は本当に「感動的」だった。最後の余韻がホールに消えると、 一斉に大きな拍手とブラボーの声が巻き起こる。コンマスの山本が、拍手に応えてオケを立たせる。指揮者が出入りしないので、 カーテンコールという感じにならないのが変なのだが、このシーンも感動的で印象深い。オケがステージを去っても拍手が続き、 再び山本がステージに呼び戻される。

 フルネのタクトのもとで聴けなかったのは残念といえば残念だが、結果としてこの演奏に出会えたことは、 フルネによる練習の賜物であろう。そして、一日も早くフルネが健康を取り戻し、再び日本で指揮ができるように祈りたい。

投稿者 kom : 00:10 | コメント (0)

2005年01月22日

40年の軌跡・・・小泉和裕=ジャン・フルネ&都響

 1965年に始まった都響の軌跡は40年を迎え、 定期演奏会もちょうど600回を1月26日の文化会館定期は、それを記念する特別のプログラムが組まれた。都響の首席指揮者・ 小泉和裕と名誉指揮者ジャン・フルネの両名が登場し、それぞれ得意のプログラムが演奏されたのである。この日の会場は、 座席数の多い文化会館であるにも関わらず、9割以上の座席に客が入る盛況だった。

 まず前半の「家庭交響曲」だが、R・シュトラウスが好きな私でも、実はよくわからない曲である。 私はこれまでに実演で聴いた記憶があるのは、たったの1回だけ。実際、演奏される回数も少ないのは、単に編成が巨大であるという以上に、 それほど人気のある曲ではないというのも理由の一つなのだと思うが、この都響定期で改めて聴いても、どこが面白い曲なのか、 よくわからなかった。確かに、R・シュトラウスらしい美しい宝石のような旋律がちりばめられているが、全体を通してみると、 変化に乏しく単調な音楽に聞こえてしまうのである。演奏した都響のコンディションは悪くなかったと思うが、 この45分に及ぶ大曲を集中して聞かせるには、音の大きさやダイナミックさではなく、 むしろ室内楽的な透明感や豊かな色彩感が必要なのではないだろうか。

 後半は、現役最高齢指揮者ジャン・フルネの登場で、さらに客席の拍手が大きくなる。足取りはさすがに重たいし、 衰えた視力を補うためだと思うが譜面台に置かれた楽譜は特大版である。しかし、そのタクトから醸し出される音楽から、 その年齢を感じさせることはない。むしろ瑞々しく、ふわっと湧き立つフランス的なエッセンス、上品な色彩感で溢れている。 日本のオーケストラで、これだけ香り豊かな「魔法使いの弟子」や「ダフニスとクロエ」が聴けるのは、まさにフルネ& 都響のコンビだけではないだろうか。一夜のコンサートで、二人の指揮者を聴いたのは、実は初めてなのだが、 こういう演奏会だと指揮者の個性が際立ってくる。たまにはこういう演奏会も面白い。そして、26日の都響定期(サントリーホール) も楽しみになった。今度はデュカスの交響曲を、どのように聴かせてくれるのだろうか。

投稿者 kom : 23:20 | コメント (0)

2005年01月15日

新春かくし芸大会~プレトニョフ&東京フィル

 昨日(1/14)はサントリーホールで行われた東京フィル定期演奏会。指揮者のプレトニョフは、 もともとピアニストとして名を馳せた人だけど、その後、ロシア・ナショナル管弦楽団を組織して指揮者としても活動を開始した。 加えて、プレトニョフは曲も書くらしい。プレトニョフは、今回の定期のプログラムに自作のヴィオラ協奏曲を組み込んだ。 これでヴィオラも自分で弾いたら、新春かくし芸大会だが、さすがにそれは無理らしい(^_^;)。ソリストには、ベルリン・ フィル首席で活躍する清水直子を起用した。玄人好みのプログラムのせいか、空席が目立ったのが残念。

 プレトニョフが指揮台に上り、タクトを下ろす。まずポロネーズの第一音からしていつもの東フィルと違う。華やかで色彩感豊かな音だ。 豪華な舞踏会を連想させる音楽に、この先のプログラムへの期待が膨らむ。2曲目は、プレトニョフ自作のヴィオラ協奏曲で、 3楽章45分に及ぶ大作である。1997年の作曲だが、聞きやすい旋律が折り重なる様子は、ロマン派の作品に近い。ただ、 一つひとつの主題は美しいのだが、その発展性が乏しく、統一感・求心力が少ないため、45分がいささか長く感じられたのが残念だ。 もう少しコンパクトにまとめれば随分と印象が変わると思うのだが。

 それにしてもこの曲、ソリストにとっては気を抜けるところがまったくなく、45分弾き通しである。 清水直子は初めて聴くヴィオリストだが、豊かな美しい音色だし、集中力あふれる演奏を聞かせてくれた。また機会があれば、 バルトークあたりを聴いてみたいものである。

 休憩後はショスタコの15番。最近、定期演奏会でも少しずつ演奏される機会が増えてきている曲である。「ポロネーズ」同様、 非常に音色のパレットが豊かな演奏である。アンサンブルの精度は向上の余地はあるものの、 まるで子どもの頃のオモチャ箱を回想しているような音楽・演奏は聴いていてとても面白い。1月の東フィル定期は、 両方とも充実した演奏を聴かせて頂いた。

投稿者 kom : 23:04 | コメント (0)

2005年01月09日

チョン・ミョンフン&東京フィル:マーラー交響曲第3番

 今日は今年最初のコンサートで、東京フィルのBunkamura定期である。チョン・ ミョンフンの登場とあって、オーチャードホールはほぼ満員。曲目は、 チョンがコダワリを持ってとりあげ続けているマーラーの交響曲から、第3番が選ばれた。

 マーラーというと、楽想が分裂的で、それをひとつの曲としてどのようにまとめるのかが指揮者としての力量の見せどころだ。 マーラー指揮者と呼ばれるマエストロは、様々な楽想が混在し、交錯する曲を、つながりよく、自然に聞かせることに長けている。その点、 チョン・ミョンフンは、・・・すでに数回のマーラーの演奏を聞いてきたけど・・・マーラー指揮者と呼ぶにはためらいを感じる。 今日の演奏の第一楽章は音楽の起伏が激しく、緩急の入れ替わりも激しい。そういう意味で指揮者の力量が一番問われる楽章かもしれないが、 楽想が入れ替わるたびに音楽の流れが途切れてしまうような感じになってしまったのが残念だ。

 しかし、そういうマイナス点も考慮しても、今日の演奏はなかなか良かったと思う。チョンの演奏で一番の聞きどころは、 アッチェランド・クレッシェンドしながら音楽の頂点を築き上げるスピード感だと、個人的には思っている。そういう意味では、 今日の曲はチョンの美点を生かしやすい曲だったし、東京フィルもチョンのタクトに敏感に反応して気合の入った演奏を聞かせてくれた。

 そしてこの曲の一番の聞きどころは、やっぱり第6楽章だ。この楽章の始まりは、緩やかで叙情的な音楽から始まり、 主題を繰り返しながらオーケストラは熱くなり、音楽の頂点を目指していく。こういう曲の盛り上げ方、やっぱりチョンは巧い。 なかなか感動的だが、・・・でも、まだ、マーラー指揮者としては物足りない(^_^;)。

 長い曲だけに無傷の演奏ではなかったが、オーケストラは大健闘と言って良いと思うし、ソリストの寺谷千枝子、東京オペラシンガーズ、 東京少年少女合唱隊も含めて、満足度の高い演奏だった。

 ※写真は、東京文化村。

投稿者 kom : 22:21 | コメント (0)