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2005年01月27日

指揮者のいない演奏会~都響第601回定期演奏会~

 今日(=昨日)は、仕事が終わるのが押してしまったため、オフィスを出て、大通りまで歩き、 そこからタクシーで赤坂に向かった。車を降りて、サントリーホールの前に到着すると、大きな張り紙が掲示してあり、 人だかりがある。ピン!と悪い予感がした。人垣の隙間から文字を読むと、そこにはこう書いてあった。

1月26日当楽団第601回定期演奏会(サントリーホール)に出演を予定しておりました指揮者ジャン・フルネは、 過労による高血圧のため、25日夕刻、医師より安静を要するとの診断を受け、出演が不可能となりました。・・・今回の定期演奏会では、 演奏機会の稀少なデュカス『交響曲』の練習を通して、 当団がフルネ氏から受けとった音楽の真髄をそのままお伝えしたいという思いが止みがたく、極めて異例なことではございますが、 あえて代理の指揮者を立てず、下記の曲目を指揮者なしで演奏することといたしました。・・・《変更後のプログラム》モーツァルト: ピアノ協奏曲第23番イ長調 (ピアノ:伊藤恵)、デュカス:交響曲ハ長調」。

 私も数多くのコンサートに出かけて、いろいろなハプニングに立ち会ってきたけど、 結果として指揮者なしのコンサートの場に立ち会ったのは初めてである。しかし、本番前日の夕刻に倒れたとあれば、 代役をたてることは事実上無理だろう。ましてや、珍しいデュカスの交響曲となれば尚更である。ホールに入ると、観客は8割強の入り。 開演のベルが鳴り、場内にアナウンスが流れる。ステージに現れた理事長代行がマイクを取り、今回の経過を説明すると、 会場は暖かい拍手で包まれた。そして楽団員がステージに登場すると、一斉に大きな拍手が起こる。「指揮者なし」 という困難な事態に直面するオーケストラを激励する拍手である。

 モーツァルトのピアノ協奏曲は、ゆったりした感じの出だしで、暖かい音色が広がる。ソリストの伊藤恵も、オーケストラとアイ・ コンタクトして、タイミングを確認しながらの演奏である。アンサンブルの上では指揮者不在による不安はまったく感じさせないが、いかにも 「安全運転」という雰囲気を漂わせる。習字で例えるなら、丁寧な「楷書」書きような演奏だ。 それでも楽章が進むにつれて音楽の流れもスムーズになり、モーツァルトらしい流麗な響きが随所に現れるようにもなってきた。これはこれで、 緊張感の感じられる、良い演奏である。

 後半は、珍しいデュカスの交響曲。ふたたび楽団員が登場すると拍手が巻き起こる、 ステージ中央にはいつもどおり指揮台が設置されているのだが、そこに指揮者がいないと二管編成でも、 とても大きな編成のオーケストラに見えるのは不思議だ。コンマスの山本友重が、 オケ全体のタイミングを合わせるように大きなアクションでボウイングして、音楽がスタートする。私自身、 デュカスの交響曲を聴くのは初めてだと思うけど、創造以上に良い曲である。「魔法使いの弟子」のように色彩感豊かで、 面白い曲かと思って聴くと、雰囲気が違うので面食らうかもしれない。たぶん、何も知らないでこの曲を聴いたら、 フランスの作曲家が書いた曲だと当てられる人は少ないかも、・・・と思うほど、ドイツ・ロマン派の雰囲気を携えている。 起伏の大きい両端楽章に加えて、耽美的な雰囲気さえ感じさせる第二楽章も聴き応えがあり、これはもっと演奏されてしかるべき曲ではないか。

 そして演奏のほうは、指揮者不在とはまったく感じさせないほど、堂々としたものだった。 演奏会前日である25日の夕刻まではフルネのもとで練習を積んでいたのだから、 基本的にはデュカスの交響曲はすでにオケの手中に入っていたんだろうと思うけど、それに加えて指揮者なしで演奏するプレッシャーが、 良い意味での緊張感となって音楽に結実したんじゃないだろうか。初めて聴く曲だけに他の演奏と比較することはできないし、 ハプニングゆえの過大評価なのかもしれないが、この演奏は本当に「感動的」だった。最後の余韻がホールに消えると、 一斉に大きな拍手とブラボーの声が巻き起こる。コンマスの山本が、拍手に応えてオケを立たせる。指揮者が出入りしないので、 カーテンコールという感じにならないのが変なのだが、このシーンも感動的で印象深い。オケがステージを去っても拍手が続き、 再び山本がステージに呼び戻される。

 フルネのタクトのもとで聴けなかったのは残念といえば残念だが、結果としてこの演奏に出会えたことは、 フルネによる練習の賜物であろう。そして、一日も早くフルネが健康を取り戻し、再び日本で指揮ができるように祈りたい。

投稿者 kom : 2005年01月27日 00:10

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