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2005年05月20日

デプリースト都響常任指揮者就任

 5月の都響定期は、デプリーストの常任指揮者就任披露演奏会である。ベルティーニが死去し、フルネも引退を発表、 今後の都響の看板を背負って立つのはこのデプリーストの他にない。そのスタートに選曲されたのはマーラーの交響曲第2番。 当日券売り場には列が出来て、客席は満員になった。

 開演時間が近づき、ステージに団員が席に着き、コンマスの山本がチューニングを指示する。 そしてデプリーストが電動車椅子でステージに現れ、スロープから指揮台に上り、客席に挨拶する。そしてオケのほうに振り向くと、 電動車椅子は高く上がる。これは指揮者用の特注の車椅子なのであろうが、よくぞこの小さい車椅子にこれだけの機能を詰め込んだものである。 デプリーストは両手を広げ、音楽が鳴り始めた。

 デプリーストが指揮をするとき、都響の音は大きく変わる。もともと都響の弦楽器は、硬質で透明感のある音が魅力だが、 デプリーストの指揮だと線が太くなり、銃身がやや低くなる傾向がある。この日の都響も、そのデプリーストの特徴が現れていたが、 この音色は都響ファン暦が長ければ長いほど好みが分かれるかもしれない。そしてデプリーストの描き出すマーラーは、まさしく「分裂的」だ。

 いわゆるマーラー指揮者と呼ばれる人、・・・ たとえばバーンスタインやベルティーニが振ったマーラーだと分裂的な楽想を見事に一本の糸で紡ぎあげ、ひとつの音楽像、 というか精神性を描き出す。しかしデプリーストのマーラーは、分裂的な楽想を「分裂」的に描き出す。 楽想が変わるところでひとつのストーリーがピリオドを打ち、また新たな楽想に移るのだ。マーラーの音楽を一本の糸で紡ぐのではなく、 様々な色の糸を使い、結果としてパッチワークのような音楽を描き出す。 都響は日本のオケの中ではもっとも豊富なマーラー演奏の経験値を持っていると思われるけど、 たぶんその40年の歴史の中では経験したことのないマーラーだったと思われる。

 それゆえだろうか、個人的にはやや退屈なマーラーだった。確かに都響は若干の粗はあったとしても懸命な演奏だったと思うし、 ダイナミックレンジの広さも存分に感じさせてもらったのだが、結果的にそれ以上のものはなかった様な気がするのである。 音楽の統一感が乏しく、不連続性が集中力を削いでしまった。カーテンコールは大いに盛り上がり、ブラボーの声も多かったけど、 私は音楽的には満足できなかった。あの奇跡的なベルティーニ&都響のマーラー9番と比較するのは酷かもしれないが、 あの水準には遠く及ばないのである。

 たぶん、デプリーストは私が期待するようなマーラー指揮者ではない。しかし、 今後のスケジュールを見るとショスタコーヴィチなどは大いに期待してよいのではないだろうか。 デプリーストが都響に新たなレパートリーを加えてくれるのを期待したい。

投稿者 kom : 2005年05月20日 23:48

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