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2005年03月24日
スティーブン・スローン&都響(A定期)
都響音楽監督のベルティーニが3月17日に急逝し、 直後の都響の演奏会は19日の作曲家の肖像シリーズだった。その日はチケットを買ってあったものの、 都合により友人に譲ってしまったため行くことは出来なかったが、伝え聞くところによれば、 ショスタコーヴィチの8番は尋常ならざる緊張感に包まれた名演奏だったとのことである。その時の指揮者はスティーブン・スローン。 プログラムに記載されていた経歴によると、ベルティーニに師事した経歴の持ち主だ。 そのスローンが指揮する都響の文化会館定期が25日に開催された。プログラムの一部が追悼のために変更され、 ロビーにはベルティーニの写真も掲示された。
- マーラー:交響曲第5番から第4楽章アダージェット
- ウォルトン:ヴィオラ協奏曲(Vn:タベア・ツィンマーマン)
- ベートーヴェン」:交響曲第7番
マーラーの「アダージェット」は、ベルティーニの追悼のために変更となった曲である。ステージ上は緊張感に満ちた演奏だったが、 客席は遅れて入ってきた客が多く、なかなか演奏に集中することが出来ない。こういう静かな曲を最初に演奏することの難しさを感じた。 続くウォルトンのヴィオラ協奏曲は、スローンのパートナーであるタベア・ツィンマーマンの登場。聴きなれない曲ということもあって、 ぼけーっと考え事をしながら聴いてしまったためコメントはパス。でもカーテンコールは盛り上がって、アンコールに2曲もサービスしてくれた。
さて、問題はベートーヴェンの7番。これは、なかなか難しい曲である。スローンは、 遅い立ち上がりから巨匠的な恰幅の良い演奏を目指していたのだろうと思うけれど、結果的には失敗だったと思う。 たしかに縦の線はぴたりと揃い、オケから醸し出される音の厚みも音色も素晴らしいものだったが、いかんせん音の横の繋がりがない。 特に1~2楽章は、音楽がぜんぜん流れていかないのである。ベト7での典型的な失敗例だ。3楽章以降は、 多少はスピードアップして音楽の流れが改善したけれど、それでも本質的な欠点が解消されたわけではない。
とは言え、国内随一の弦楽器を誇る都響だけあって、弦の厚みと音色の輝きは申し分ない。 単に厚みだけだったらN響や読響の方が上かもしれないが、多彩な音色も加味した評価だと、私は都響が最強の弦だと思う。 やや残念なコンサートだったけど、オケのアンサンブルは素晴らしかったことは特筆しておきたい。
2005年03月19日
アルブレヒト&読響「神々の黄昏」第3幕
在京オケの3月の定期演奏会は、なぜか演奏会形式のオペラが多い。先日のNJPの「レオノーレ」、 都響は29日に「青ひげ公の城」を演奏する。そして読響はワーグナーの楽劇「神々の黄昏」から第三幕を演奏会形式で取り上げた。 シーズンの締めくくりを飾るのに相応しい曲目である。会場のサントリーホールは9割程度は入っているものの、 SやA席の中でも条件が悪そうな席に空席が若干ある。一回券の値段が張るためだと思われるけど、ちょっともったいない。
さて、ワーグナーのオペラの場合、一番の主役はオーケストラだと思う。特に、この「ニーベルングの指輪」の場合、 管弦楽組曲みたいに取りあげられることもあるくらい魅力的な旋律に満ちている。「指輪」の中から抜粋上演する場合は、「ワルキューレ」 第一幕が演奏されることが圧倒的に多く、今回のように「神々の黄昏」第3幕が演奏されるのを聴くのは初めてだが、実際に聴いてみると 「ワルキューレ」に負けず劣らず、素晴らしい音楽に満ちている。そして、この日の読響定期、その音楽を見事に再現してくれた。
まず特徴的だったのが、音の厚みである。特に弦楽器は、金管楽器の咆哮にも負けない厚みが必要だけど、 在京オケでここまで厚く弦楽器を鳴らせるのはN響と読響だけかもしれない。もちろん、音がデカければイイというわけじゃない。 ライトモチーフを描き分ける音色のパレットも豊かなので、ダイナミックレンジも広い。 アルブレヒトの指揮はオーソドックスなアプローチだったけど、オケがピットではなくステージ上にいると、響きが直接的で鋭角的である。 同じステージ上で歌う歌手は、このオケに伍して歌うのは大変だったに違いない。
にもかかわらず歌手も良かった。ジークフリートのペール・リンズコーグは、やわらかい美声の持ち主で、 ヘルデンテノールという感じではないものの オケの厚みに負けない声量と若々しい歌声が心地よい。ブリュンヒルデのクリスティーン・ ブリュアは、ドラマチックな歌声で、ラストの「自己犠牲」ではオケの強奏の上を飛び越えてくるような声量を見せつけた。ハーゲンの工藤博、 グンターの青戸知、グートルーネの林正子も申し分なく、この顔合わせで「神々の黄昏」全曲、いや「リング」 全部を聴いてみたい思いに駆られてしまった。
演出はほとんど伴わない演奏会形式だったが、ワーグナーは音楽そのものがストーリーを語っていることを改めて実感した。 来シーズンの読響のプログラムも楽しみである。
ガリー・ベルティーニ追悼
昨日は夜遅くまでオフィスの引越しをしていてニュースに気づかなかったのだが、今日、ガリー・ベルティーニが急逝したのを知った。 言うまでもなく、現代最高のマーラー指揮者であり、10年ほど前のケルン放送交響楽団とのチクルス、そして都響とのチクルスは、 日本のマーラー演奏を画する演奏だった。
ベルティーニを最後に聴いたのは、昨年5月の都響プロムナード・コンサート。最後の曲はハイドンの「告別」、 そしてマーラーチクルスの交響曲第8・9番だった。高齢とはいえエネルギッシュな指揮姿、指揮台に向かう足取りの軽やかさ、・・・ 都響の音楽監督を離れるとはいえ、桂冠指揮者として都響に再登場することが予告されたので、まさかあの時の演奏が、 文字通りベルティーニとの別れの曲になるとは思っていなかった。かけがえにない指揮者を失った。
最後に、昨年、5月にマーラーの9番を聞いたときの感想を再掲して、追悼の言葉と代えたいと思います。 素晴らしい演奏を聞かせてくれたことに心から感謝しています。
惜別 ~ ベルティーニ&都響「マーラー 交響曲第9番」
マーラーの交響曲第9番という曲は、たぶん多くのクラシックファンにとって、特別の思い入れがある曲だろうと思う。作曲者自身の死生観が、
ここまで深く音楽化されている例が、他にあるだろうか?実際に、マーラーにとってこの曲は、
完成された最後の交響曲となったのは周知の通りである。この曲を聴いて「言霊」という言葉を思い出した。言葉には魂があって、
発した言葉が事実になるという意味だけれど、もし「音霊」という言葉があるとすれば、この曲ほど魂が込められている音楽は、
他にはないんじゃないだろうか・・・そう思った。
ライヴでの名演奏には、バーンスタインが1985年にイスラエル・フィルと来日した際の9番が伝説的な名演奏とされているけれど、
残念ながらその頃、私はまだクラシック音楽に目覚めていなかった。その後、グラモフォンから発売されたバーンスタイン&アムステルダム・
コンセルトヘボウ(ACO)とのライヴ録音が、私がこの曲を知るきっかけとなり、今なお、それが私の最上の演奏である。もちろん、
いくつものライヴ演奏も聴いてきた。若杉&都響やインバル&都響はもちろん、小澤」&サイトウキネン、井上&NJP、そしてベルティーニ&
ケルン放送響も聴いたけれど、残念ながらこのバーンスタイン&ACOの録音を上回るものはなかった。今日、ベルティーニ&都響のライヴを、
横浜みなとみらいホール聴いた。ベルティーニが都響の音楽監督としてタクトをとる最後の演奏会である。そして、この演奏を聴いて、
マーラーの9番で、初めて録音を超える実演というものに出会った。
チケットはソールドアウト。満員の聴衆を迎えたみなとみらいホールは満員。開演の時間となり、ベルティーニは大きな拍手で迎えられ、
3段重ねの指揮台に登る。ベルティーニは指揮台の上でしばし瞑想にふけり、会場の求心力は指揮台一点に集まる。
静寂の中でベルティーニがタクトを持つ。その動きに伴って音楽が奏でられる。その音が私の耳に届いた瞬間から、
すでに私の目頭は熱くなっていた。そうだ、これがマーラーの9番の音なんだ。これまでライヴ演奏で見つけることのできない音だったんだ・・・
そう思った。滋味深く優しい音色。人生の晩年を迎え、枯淡の域に達し、死を迎えるもののみが達し得る境地・・・・それが、
この優しく美しい音色の乗って奏でられる時をすーっと待っていたのかもしれない。
そして、この先の音楽をいかにして書こうか?正直言って、私自身のボキャブラリの貧困さと、また向き合わなければならない。しかし、
私がコンサートに通うようになって、これほど心動かされる演奏と出会ったのは何回目だろうか。
たぶん私の2,000回近いコンサート体験の中でも、ベストテンに加えるべき演奏だったことは間違いない。この曲は、
やはり第4楽章が山場である。この楽章の出来が、この曲の出来そのものを左右する。そして、今日の演奏は、
私が聴いたすべての曲のアダージョ楽章の中でも、最上のアダージョだった。死を迎え、惜別の情を伴いながら、
これまでの人生を振り返るかのような音楽。その調べから想像するに、充実した幸せな人生だったに違いない。まるで、
ベルティーニと都響のことを謡うかのように。
今日のベルティーニ&都響の演奏を聴いて、音楽の中には「音霊」がある、・・そう思った。「音霊」という言葉の是非はともかくとしても、
この会場にいた人の多くが涙を流し、惜別を惜しんだ。緊張感は全くとぎれることがなく、最後の音がホールの余韻となって消え去り、
静寂がホールを満たす。そして、何秒たっただろうか。大きな拍手がホールを支配する。ベルティーニは何度もカーテンコールに応え、
オーケストラとともに健闘を称え合う。本当に素晴らしい演奏だった。果たしてこの先、マーラーの交響曲第9番で、
これを超える演奏に出会えるだろうか?もし、願いが叶うのであれば、再びベルティーニと都響のコンビで聴きたいものである。
(04/05/30)
2005年03月17日
アルミンク&NJP「レオノーレ」日本初演
3月の新日本フィル・トリフォニー定期は、演奏会形式のオペラで、ベートーヴェン「レオノーレ」 の日本初演である。「レオノーレ」は、ベートーヴェン唯一のオペラとして知られている「フィデリオ」の原型となった作品で、 基本的なストーリーは同じものだと思って間違いないけど、 音楽的にはベートーヴェン以前の作曲家の作風もところどころ顔を覗かせる。ただし、私は「フィデリオ」 は2回くらい見たことはあるけれど、残念ながらあまり好きな作品ではないので、聞き込んでいるオペラではない。そんなワケで 「フィデリオ」と「レオノーレ」との相違点については、そんなに気にしていないので、 まったく新しいオペラとして楽しませていただいた。
最初から余談だが、NJPの音楽監督のクリスティアン・アルミンクは、ビジュアル的に「のだめカンタービレ」に出てくるジャン・ ドナディウのイメージに似ている。「のだめ」を指揮者コンクールのストーリーにジャンが登場したときに、 真っ先に思い浮かんだのはアルミンクだった。漫画の中のジャンはフランス的に軽やかな音楽を得意とするタイプであり、 現実のアルミンクはドイツものを得意とする指揮者なので、対照的なタイプである。そして、この定期演奏会で「レオノーレ」を聴いて、 アルミンクという指揮者の力量を実感した。NJPは本当に良い指揮者を音楽監督に迎えたものである。
アルミンク&NJPが描き出す「レオノーレ」は、ドイツ的な渋めの音色で描きつつも、オケの音の重なりがクリアーで見通しが良い。 そして何よりも、音楽の流れに変な作為やよどみもなく、とても自然なのだ。もしかしたら、 ベートーヴェン的な重量感が足りないと言う向きもあるかもしれないが、私は鈍牛のような音楽作りだけがベートーヴェンだとは思わない。 アルミンクの指揮だと、繊細な筆致で描く若々しく生命感がある作風に、聴き手は安心して音楽に身を任せられる。この日の演奏は、 セリフを大幅にカットしての上演だったと言うこともあるのだろうけど、以前に見た「フィデリオ」よりも音楽を楽しめた。 演出は少し陳腐な感じはしたけれど、歌手は総じて高水準。中でもドン・ピツァロを歌ったハルトムート・ヴェルカーの表現力を特筆したい。
新日本フィルと言うと、良くも悪くも小澤のオケというイメージが付きまとっていたけれど、 アルミンクはそのイメージを払底する可能性を持っていると思う。将来性を考えると、 これからが旬の指揮者として今のうちに聴いておきたい音楽家ではないだろうか。
2005年03月15日
週末の誘惑
先日の日曜日のことである。量販店のカメラ売り場に行くと、 Pentaxのデジタル一眼レフistDsが77,600円で売っていた。さらに壊れたカメラでも5,000円で下取り、 ポイント還元率13%! うっ、気絶しそうになった。あの大きなファインダーに小型ボディ、旅カメラにぴったりじゃないかっ。 それに16-45mmF4のレンズは魅力的。広角側で全長が伸びるのは気に入らないが、このレンジのズームはワタシ的にぴったり。
「でも・・・」と思い直した。Pentaxのレンズは一本も持っていないから、一から揃えないといけないし、 小型といっても単三電池4本を入れるとちょっと重いし、記録メディアがSDカードだし、もちろんダスト・リダクションは付いていない。 メリットとデメリットが頭の中を交錯してぐるぐるぐるぐる・・・・・。 寸前のところで思いとどまった。このところ、こーゆー誘惑が多すぎる。実質5万円台のNikon D70に実質6万台前半のPentax istDs、さらにOLYMPUSのE-300なんかは純正標準+望遠ズームもセットで101,600円で売ってるじゃないか。
この先、物欲は抑えて、カメラを使いこなすことに金を使おうと決意を固めているのだが、今度の週末にもまた誘惑があるんだろうな、 きっと。東京ビッグサイトではPHOTO IMAGING EXPOも開催されるので、時間があったら行ってみようと思っているのだが、 出かけるとしても、この花粉の多さはどうにかならないものかっ。事前の予報に違わず、今年はスゴイ。 医師に診断書を書いてもらって転地療養したい(^_^;)。
2005年03月14日
バイエルン国立歌劇場、チケット発売開始!
3月12日の土曜日、NBSが招聘するバイエルン国立歌劇場のチケットが発売になった。 あまり乗り気ではなかったのだが、友人と共同参戦して「タンホイザー」「マイスタージンガー」「アリオダンテ」の3演目ともE・ F席をゲット。・・・とは言っても、3枚で59,000円かぁ。たけぇぜ!振り込んでから溜息・・・。
2005年03月13日
「のだめカンタービレ」を読む その3
最近はバレンタインの義理チョコの風習も廃れてきたのだが、一部では未だに生き残っている。そんなワケで、何の因果か、 職場代表で義理チョコのお返しを買う担当になってしまった私は、近くのデパートに行ったのである。そこでは、 いろいろな有名店が並んでいて目移りする。クッキーやチョコレート、さらには和菓子屋さんもホワイトデーに便乗しているのだ。 義理返しなんだからテキトーに買ってしまえばいいんだけど、いざ店頭に行くとひとひねりしようと考えてしまう私はデパートで買うのをやめて、 ワインショップで買うことにした。しかし、買ってから後悔した。これは、・・・重いっ。
さて、「のだめカンタービレ」の話である。あれにはSオケとか、R☆Sオケ(ライジング・スター・オーケストラ)などが登場する。 いずれも主人公(?)の千秋真一が常任を務めるオケだ。いずれも音楽大学の学生によって組織されたオケで、 特に後者はオーデションで選抜された音楽祭のマスタークラスの参加者が中心となっているオケである。そのR☆Sオケは、 千秋の厳格なトレーニングによって、音楽評論家やベルリンSQのメンバーを唸らせる演奏をしたことになっている。 なかなか痛快なストーリーだが、しかし、現実にこーゆーことは起こりえるのだろうか?
私はアマオケの演奏を聞くことはマレだけど、それでも何回かは聴いたことがあるし、 音大の学生によって組織されたオケを聞いたことも数回ある。アマオケの場合、 年に1~2回の演奏のために半年くらいの練習時間をとって本番に備える。さすがに半年近い練習を重ねれば、実力のあるアマオケだったら、 かなり良い演奏を聴かせてくれるし、音楽大学の学生だったらそれ以上かもしれない。でも、 やっぱり3日間の練習で本番に挑むプロオケとは比較するのは可哀相だ。
実際、2001年4月に「小澤征爾音楽塾」という名称で組織されたオケの演奏で、「コシ・ファン・トゥッテ」を聴いたことがある。 オーデションで選抜された若手演奏家で組織され、文字通り小澤征爾の指揮で演奏されたオペラだけど、やはりプロオケとの差は歴然としていて、 特に弦楽器の音はガサガサだった。アンサンブルを整えることにかけては定評のある小澤征爾の指揮でもこれである。当時のConcert Diaryにも書いたが、この演奏を聴いて「アンサンブルは一日にして成らず」ということを実感した。
現実には、国際コンクールで上位に入賞しても、ステージできちんとした演奏を聞かせてくれるソリストは少ない。 例外はヴァイオリンくらいで、これは神童と呼ばれるヴァイオリニストが数年に一度は登場して、 びっくりするような演奏を聞かせてくれることがあるけど、それ以外の楽器では難しい。コンクールの優勝記念演奏会なんかに行っても、 やっぱりプロの演奏家としてやっとスタートラインに着いた程度の実力に過ぎないのだ。クラシック音楽の世界は、ホントに奥が深いのである。
でも、実際にR☆Sオケみたいなのがあると良いのになぁ。清良タンの「カルメン幻想曲」を聴いてみたい(^_^;)。
2005年03月11日
チョン・ミョンフン&東京フィル
今シーズン最後の東フィル・サントリー定期は、チョン・ミョンフンの登場。 会場には多少の空席はあるものの、全体では9割程度の入り。曲目はシューマンのピアノ協奏曲(pf:ラルス・フォークト)と、 マーラーの4番というもの。
結論から言うと、ちょっとガッカリした演奏会だった。まず、ピアノ協奏曲は、独奏の音色的な変化も少なく、やや平板的な出来栄え。 オケとの絡みにも齟齬があり、消化不良な感じが残った。決して悪い演奏ではないものの、チョン&東フィルというコンビならば、 もっと上質な演奏を期待してしかるべきだろうと思う。
さらに、チョンが東フィルで一貫して採り上げているマーラーだが、これはシューマン以上に不満足な出来栄えである。まず、 音量のバランスが良くない。いつものように弦楽器を拡大した編成なのだが、 音量を抑えようとするあまり音の密度が低くなって緊張感が乏しいし、 そこに木管が加わるときに音量がでかすぎて雰囲気を壊してしまうことしばしばなのだ。この4番は、室内楽的な透明感が求められる曲なのだが、 これでは聴き手を感動に結びつけることは出来ない。とは言っても、4番はマーラーの中で感動させることが最も難しい曲のような気もするので、 厳しすぎる評価なのかもしれないが。
チョンのマーラーは、東フィル就任以来、継続して聞いてきたが、彼はマーラーには向いていないというのがワタシ的な結論。 どちらかと言うとラヴェルとかドビュッシー、ビゼーなどの感覚的なフランスものを指揮させたら、 かなり魅力的な演奏を聴かせてくれそうな気がするのだが、哲学的・論理的・ 思索的なドイツものだと曲全体の統一感が失われてしまうような気がしてならない。また、 アンサンブルの精度を二の次にしたオケの編成の拡大志向なども、私の好みとは違うことがハッキリしたので、 私は東フィル定期会員継続は見合わせることにした。20日にオーチャード定期を最後に、少なくとも一年間は東フィル会員からはお別れである。
2005年03月09日
インバル&ベルリン交響楽団
すみだトリフォニーホールとベルリンのコンチェルトハウスの友好提携事業と、すみだ平和祈念コンサートと兼ねて開催されたのは、 インバル指揮のベルリン交響楽団の演奏会である。チケットの値段はS席10,000円~B席6,000円だったけど、 墨田在住在勤在学とトリフォニーホールの会員はS席のみ半額というスペシャルプライス。私はトリフォニーの会員なので、 もちろんS席を購入して半額、さらにNJP会員の特典を行使してさらに2,500円引き。そして、 こういう機会じゃないと座らないであろう1階席を指定し、いつもの3階席と音比べも楽しもうと目論んだ。
- 武満徹:弦楽のためのレクイエム
- ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番(pf:横山幸雄)
- ベルリオーズ:幻想交響曲
私が座ったのは1階席やや後方のステージに向かって左側の席。前の席との段差があるので、1階席でも見やすいし、 3階席よりも座席の前後が広い感じなのが良い。でも、オケのコンサートの場合は上から見下ろすほうが全体の見通しが良いので好きである。 それに、音はやっぱり3階席のほうが良いと思う。1階席だと音がナマっぽく、残響音が少ない。そして、オケのパートの音の分離が今ひとつで、 混然一体となって聞こえるのは個人的に好みの傾向じゃぁない。とは言っても、このトリフォニーは、 他のホールの1階席と比べるとかなり良いかも知れない。
さて、演奏のほうに話を移そう。ベルリン交響楽団は、特別に巧いというオケではない。ベルリン・ フィルと比べると音は渋めで華やかさは乏しいし、テクニック的にもアンサンブル的にも突出したものを聴けるわけではない。しかし、 この渋い音色は魅力ある。日本のオケは器用だから、幻想なんかは結構フランスっぽく演奏も出来るけど、ベルリン響が演奏すると・・・ あたりまえだが、やっぱりベルリン響の響きなのだ。こういう風に、重心が低く、ちょっと渋めで、 色彩感がストイック的に押さえ込まれた幻想も悪くない。逆に、ベートーヴェンのピアノ協奏曲が当たり前すぎる演奏で、 ちょっと退屈なくらいなのである。
そしてインバルは、80年代後半からデンオン(今はデノン)のマーラー・ツィクルスの録音で一世を風靡した指揮者である。 厳格なオケのトレーニングに裏打ちされた比類なきアンサンブルを構築したフランクフルト放送響との来日公演は、今でも記憶に新しい。 都響の特別客演指揮者を務めていた時期もあって、その録音とライヴの差に驚いた記憶がある。この人、 録音だと緊張感を伴った端正に整った演奏をする人だけど、ライヴだと羽目を外す演奏をよくやる。今日、インバルの演奏を聴いてが、 やっぱりインバルはインバルだ。かつてのフランクフルトのような機能的なオケではないものの、オケを完全にコントロールし、 音楽の中にインバル節を織り込んでいく。特別に変わった演奏ではないものの、アーティキュレーションが面白い。
でも、インバルの本領を発揮するには、もっと機能的なオケのほうが面白いんだろうし、 それに加えてオケとの長い年月の積み重ねが必要なんだろうと思う。このベルリン響との演奏会はそれなりに面白かったけど、 かつてのフランクフルト放送響との演奏を知っているものからすると食い足りなさが残ったのではないだろうか。(アンコールは、 ブラームスのハンガリー舞曲集から)
2005年03月06日
旅に出たい・・・
冷え込んでいる毎日だけど、3月の声を聞くとスギ花粉が飛び始めて、ワタシの花粉アンテナも反応し始める。 そんなに重症じゃないんだけど、ここ数日は目が痒い。3年位前だと思うけど、3月に瀬戸内に行ったときには花粉症の症状は出なかったので、 ホントならこの季節は花粉が飛ばないところに旅に出たいんだけどなぁ。
そんなワケで(どんなワケだ?)、いま無性に旅に出たい。今月は忙しくて旅に出る余裕がないのだが、 今年のGWはラッキーなことに2日間の有給休暇を使えば10連休!おまけにJALのマイレージ特典航空券の利用制限期間も短くなった関係で、 GWを目一杯使った旅も可能になった。今年中に約35,000マイルを使い切ってしまわないといけないワタシにとって、 このチャンスは見逃せないっ。さて、どこに行こうか。八重山はこの時期は混んでいそうだからパスして、沖縄本島か、 それとも奄美にしようか考えた結果、ここはまだ未開拓の奄美群島を廻って、最後は沖縄本島にたどり着くという旅を計画、 飛行機のチケットを手配した。
その後、徳之島や沖永良部島、与論島の情報をいろいろと集めて、宿の計画を練ろうと思っていたんだけど、・・・少ないっ。 情報があまりにも少ないのである。いや、正確には与論島の情報はたくさんあるんだけど、徳之島と沖永良部島の情報は、 インターネットでサーチエンジンを駆使して探しても情報が少ない。 決して小さい島ではないのでそれなりの情報があると思い込んでいたんだけど、路線バスがどこを走っていて、 一日何本あるのかすらわからないのだ。もっとも地元の人はもちろん、 観光客もレンタカーだろうから路線バスなんて使わないのかもしれないけど、宿の情報も少ないのには参った。
まー、ええわ。この島だったらGWでも混んでいないだろうから、その分、ゆっくり出来るでしょ。徳之島では闘牛を見て、 沖永良部では百合の花を見たいなぁ。いまから楽しみです。
2005年03月01日
のだめカンタービレを読む その2
このところ妙に忙しい。時間的に拘束されるような忙しさというよりも、スケジュールに追われるような慌しさである。 ホントなら一息ついている時期なんだけど、これからさらに忙しくなる予定なのだ。
そんな中、amazonで注文しておいた「のだめカンタービレ」の続巻(4~11巻)を読んだ。これで現在、出版されている 「のだめ」単行本は全部読んだことになるけど、これは掛け値なしに面白い。クラシック音楽ファンだったら間違いなく楽しく読めるはず。 ヒロイン=野田恵(愛称:のだめ)は不思議系の音大生なんだが、 現在の音楽教育では計り知れない天才的なピアノの才能を隠し持っているという設定。さらに風呂にも入らず、部屋の掃除もしないという、 少女漫画では異例のキャラなのだが、こういうキャラがヒロインとして受け入れられるというのも、時代の変化なのだろうと思う。
対する指揮者志望のピアノ科の所属の千秋真一は、オレ様系のキャラで、ピアノはもちろん、ヴァイオリン、 指揮者としての才能も発揮し、女子学生の憧れの的。このようにヒロインが学内では目立たない存在で、その相手役の男子が「憧れの的」 という設定は、少女漫画の王道中の王道なんだろうと思う。それにしてもヒロインの のだめ が福岡県の有明海に近い大川市出身という話にも驚いた。この間、私が行った柳川の近くで、バスで佐賀に行く途中の通過したハズの場所なのだ。 なんか不思議な偶然である。
さて、音楽をテーマにした漫画でいまひとつイメージしにくいのは、紙面から音楽が聴き取れないことである。 もちろん漫画の中では音楽を上手にビジュアル化しているんだけど、たぶん、 漫画の読者の中にはテーマとなっている曲がどんな音楽なのか知らずに読んでいる人も多いはず。だからといってこの漫画を、 実写版映画にしたりアニメにしたらどうなのだろうか?・・・・・・やっぱ、この漫画は、 音のない漫画の世界にとどめておいた方が無難だろうと思う(^_^;)。 読者が頭の中で描いている声や音楽のイメージは人それぞれで、それを超える俳優や音楽を作るのは難しいだろうなぁ。それに、 この漫画の実写版映画を作ったらめちゃくちゃカネがかかりそうだべ。
ま、何はともあれ、誰かに借りてでも読んでみることをオススメします。