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2005年06月10日
スダーン&東響の「トゥーランドット」ベリオ版
6月10日はミューザ川崎で行われた東京交響楽団川崎定期に行ってきた。プログラムは、 今年の目玉とでも言うべき演奏会形式のプッチーニの「トゥーランドット」で、しかもベリオ補作版による日本初演というオマケつき。 こういう現代的なエッセンスを加えた大規模かつ声楽付き作品を定期に取り入れるのは、東響の毎年のプログラムの傾向だ。 会場は8~9割程度の入りで、かなりの盛況だった。
プッチーニは、個人的には最も好きなオペラ作曲家のひとりだ。あの甘美な旋律はたまらんと思うわけだが、 このトゥーランドットも例外じゃない。未完のオペラとはいえ、やはりプッチーニの官能的な旋律が散りばめられている。 この日の演奏をした東京交響楽団は、そのプッチーニの音楽をきれいに演奏していたのが実に印象的だった。さすがに新国立劇場や、 サントリーホールの演奏会形式にオペラに登場しているだけあって、このようなオペラ作品にも長けている。くわえてスダーンの統率力も確かで、 音楽のタテの線をそろえるだけではなく、甘美な旋律の表現にも長けていて、歌手との呼吸感もきちんと揃えてくる。 スダーンが登場するときの東京交響楽団は、1ランク実力が上がったような印象である。
さらに歌手も良かった。トゥーランドット姫を演じたルチア・マッツァリアは、その役柄に似合ったクールで強靭な声の持ち主。 カラフのレンツォ・トゥリアンも、やわらかい美声の持ち主で、声量も十分。リウの砂川涼子は、この二人と比較すると分が悪いのは否めないが、 清純な雰囲気があって好演。その他の歌手陣、合唱団(東響コーラス)も、不満の無い出来栄えだった。
さて、注目のベリオの補作部分だが、はっきり言って違和感がある(^_^;)。 きっと補作した本人もプッチーニの意図したものを完成させることを目的に補作したわけではないだろう。もちろん、 プッチーニの完成させた部分の音楽を無視したわけではなく、そのモチーフも用いているけど、ベリオというと「シンフォニア」 というマーラーの曲のコラージュのような曲を思い浮かべるが、なんとなくそういう匂いも感じさせる補作である。 プッチーニのモチーフを借りて、自らの音楽を織り込んでいる。まぁ、今後、ベリオ版が主流になることは無いような気がするけど、・・・まぁ、 いいか。そんなワケで、ベリオ版かどうかという話は抜きにして、とても満足度の高い演奏会だった。
2005年06月09日
ヘレヴェッヘ&ロイヤル・フランダース・フィル(初日~3日目)
トリフォニーホールの独自企画のヘレヴェッヘ&ロイヤル・フランダース・フィルのベートーヴェン・チクルスが6月7日から始まった。 今日で3日目の公演が終わって、1,2,3,4,6,7番の演奏が終わった。残すは2日のみ。今日までの感想を簡単に。
結論から書くと、今のところ満足といえる演奏には出会っていない。日が進むごとに良くはなってきていて、 今日の交響曲4番と7番は3日間の中では悪くなかったと思う。でも、全体を通してみれば、指揮者のアプローチに少々、 疑問の残る演奏が続いているのである。その一番大きそうな原因は何かというと、音楽の呼吸が浅いこと。スピードの速いのは良いとしても、 ヘレヴェッヘのリズム感からはせかせかとした慌しさを感じるのである。客席で聞いていても、どうにも居心地の悪さを感じてしまうのである。 ベートーヴェンの交響曲をきちんと聞かせるには、実はリズム感が一番大事なのかもしれないが、 今回の演奏ではそのあたりが欠けているような気がするのだ。
一方、オーケストラの能力だけど、決して悪くない。音楽のタテの線はピタリとあわせているし、管楽器のソロだって結構良い。しかし、 弦楽器の中ではヴァイオリンの音が細く、全体の中に埋没してしまうことが多い。音色的には、何だか不思議な統一感・・・ というか不統一感を持っていて、何だか、良いオケなのか、それともイマイチなんだか、評価が下しにくいオケである。
私は明日のチクルスは都合により行けないので、次は日曜日の「第九」を聴きに行く予定である。