Concert Diary in July-August

■文中の敬称は省略しています
■各タイトルの日付は、掲載日を表しています


千人の交響曲〜MUZA KAWASAKIの幕開け〜

 いよいよMUZA Kawasakiがオープニングコンサートを迎えた。その幕開けを飾る曲は、マーラーの交響曲第8番、通称「千人の交響曲」と言われている曲である。初演の時には実際に千人を超える合唱とオケが使われたらしいけど、今日(こんにち)の演奏ではせいぜい500人程度の演奏が多いのではないか。それには様々な理由があるのだろうけど、今日(きょう)の演奏は合唱とオケを合わせて約900人。初演時に迫る超大規模な編成である。視覚的にも実に壮観だ。サントリーホールに例えると、合唱団はPブロックだけでなく、オケを半円状に取り囲むようにRAブロック、LAブロックも一杯になったことを想像して欲しい。これはスゴイと圧倒されること請け合いである。

 そして、その視覚そのままに、圧倒的な音圧で合唱団は迫ってくる。冒頭から度肝を抜かれるような音量とスケール感なのだ。それだけではなく、この人数の割に音楽の縦の線が揃っていて、かなりの練習を積んだことを想像させる。その意味では、聞く価値ありだが、もちろんこれだけの大人数である。決してプラス面だけの評価にはなりにくい。やはり繊細さは失われてしまうし、全体的にインテンポで一本調子になりがち。合唱の大音量でオケの音は埋もれてしまって、バランスの悪さを露呈してしまうのだ。実際に先々月のベルティーニ&都響の「千人の交響曲」と聞き比べてみるとよくわかるけど、合唱の人数はある程度絞った方が音楽的なレベルは高くなるのがよくわかる。

 そして秋山和慶指揮の東京交響楽団は、主役のはずのオケが合唱の伴奏になってしまっているようなところも散見された上に、前述のベルティーニ&都響の神憑り的な名演奏を間もないだけに、いささか分が悪いのは否めない。それでも最後のコーダではパワーを炸裂させて、スケールの大きい盛り上がりを作り上げていたさすがである。ソリストも、それぞれ持ち味を発揮して、全体的に見ればなかなか良い演奏に仕上がったのではないだろうか。

 ちょっと不思議だったのは客層で、オープニングだけに招待客が多かったのは当然としても、なんとなく「地方」ホールの風情が漂う。第一部が終わって拍手が起こったのはご愛敬だが(^_^;)、第二部が大いに盛り上がって曲が終わったから、さぞかし大きなブラボーの声が飛び交うかだろうと思っていたら肩すかし。ごくフツーの拍手で、華々しい曲の終わり方にしては盛り上がりに欠けるカーテンコールになってしまった。デジカメでストロボが発光するのもお構いなしに写真を撮る客も多く、係員も注意しきれない様子。まぁ、これは招待客の多い初日だけの現象だと思いたい。

 音響的には、オープニングの段階にしては高水準で、これからが先のチューニング次第でどんどん良くなるだろうと思う。容積の大きさの割には音が良く通るし、音像も明確に伝わってくる。現時点での音響は、残響が控えめなので、声楽やピアノにぴったり合いそう。弦楽器のはもう少し残響が豊かな方が、きれいに響くだろうと思う。しかしホールは年月に伴って音響は変わる。現時点でこれだけのレベルという事は、数年後には首都圏でもトップクラスの音響になることを期待したとしても、決して裏切られることはないのではないか。(04/07/01)




千人の交響曲(2) 〜2日目の演奏を聴いて〜

 今日、7月3日はMUZA Kawasakiの「千人の交響曲」の追加公演となった二日目の演奏である。「追加公演」ということもあって、スケジュールの都合がつかなかったと思われるソリストが若干入れ替わったが、基本的には初日と同様の演奏内容・・・だったんだろうと思う(^_^;)。そんなワケで、今日はMUZAの座席、音響のことをちょっと書きたいと思う。

 さて、「初日と同様の演奏内容」と書いたが、実は、私が追加公演の演奏を聴いて受けた印象は初日と大きく違う。演奏は同じであっても、まったく違った条件があった。それは座席である。私の初日の座席は6,000円のB席で、最上階である4階正面1列目。この席で聴いたときは、声やオルガンの音はびんびん飛んでくるのだが、オーケストラの音がそれに埋没している箇所が多く、音のバランスが悪く聞こえた。さらに、音楽専用ホールにしては残響は少なめ。東京にあるコンサートホールに例えると、・・・誤解を恐れずに言うならば満員時の東京文化会館なみ・・・といったところか。もちろん、東京文化会館は現在でも屈指の音響を誇るコンサートホールである。決して悪い意味での例えではないのだが、このホールの視覚的なイメージから私が勝手に描いた音響のイメージと、実際に耳に入ってきた音響と、多少のギャップがあったのは事実である。もっと残響が豊かで、柔らかい音だと思っていたのだ。

 そして今日、改めて「千人の交響曲」を聴いた。座席は同じB席で4階だが、正面ではなく「LBブロック」、つまりステージに近い左手の最上階である。視覚的には、ステージの左側1/3程度が見えないけど、不思議とあまり不満は感じなかった。これは手すりの高さが絶妙で、邪魔なものが視界の中に入りにくい設計になっているためだろうと思う。その席で聴いた音は、初日公演のそれとは大きく違っていた。もちろん残響時間が短めという点は変わりないが、オーケストラの音が相対的に大きくなり、と合唱とのバランスが、かなり改善されていたのである。ステージから近くなった分、音程のばらつき必要以上に感じられそうな席だけど、リアルな音をお好みであれば、この4階LBや3階RBあたりの席はオススメかもしれない。

 そんなワケもあって、今日の演奏は満足度の高いものだった。ステージに近い分、巨大編成の合唱の声がパノラマ的に広がって圧巻。よくぞ、これだけ大編成の合唱団を統率し、これだけの水準に引き上げたものだと感心してしまう。第一部の終了後に拍手が起こったりしたのは2日目も同様だったが、カーテンコール時のストロボは初日よりも激減。もしかしたら7月1日はゲネプロだったのかも・・・と思うほど、今日はブラボーの声も飛び交って、新しいホールの開幕に相応しいコンサートになった。(04/07/03)



移転しました

 ホームページ開設してから8年が経過し、これで3回目の移転になります。まえのAIRNETは安定度抜群で、非常に良いブロバイダだったんだけど、現在はホームページを置いているだけで、実際にアクセスしているのは他のブロバイダという状態がずーっと続いていた。そんなワケでずーっと移転は考えていたんだけど、サーバーの移転というのはとても大変で、なにしろ動かしているCGIプログラムの設定も大幅に変えることを思うとうんざりする。しかしこの3連休で思い切ってやることにしたのだ。

 今度のサーバーはサブドメイン型で、容量は巨大な1GB! これだけでかいと500万画素のデジタルカメラの画像でもバシバシ掲載することが可能である。安定度でも定評のあるサーバー運営会社なので、それなりに信頼しているんだけど、実際のところは運用してみないとわからん。AIRNETは近日中に閉鎖する予定ですので、お手数をおかけしますが速やかにURLの登録をお願いいたします。リンクして頂いているホームページのオーナーの方々には、そのうちご連絡・・・できたらいいなっ。

 さて、今月はMUZA KAWASAKIのオープン以来、更新は滞っていたんだけど、チョン・ミョンフン&東フィル定期、小澤&NJP定期(いずれもサントリーホール)に行った。しかし、・・・・うーん、いずれのコンサートもいまひとつ。まずチョン・ミュンフンだけど、どうしても巨大編成志向が気になる。合併当初のテンションの高さも低下傾向で、アンサンブルの精度が落ちているような気がする。ダイナミックな演奏が好きな人にはウケるかもしれないけど、個人的にはどうもなぁ・・・。小澤&NJPの「スコットランド」も、ヴァイオリンの鮮烈な響きはめざましかったが、そのほかの楽器が加わると透明感に乏しくなり、音色も混濁した感じになってしまうのが残念だった。

 先週はMUZA KAWASAKIの見学会にも行ってきた。1時間ほどホールを自主的に見学して、30分ほどオルガンの演奏を楽しんだのだが、見学中はホールのスタッフの人たちと色々な話を聞かせて頂いた。それによると、東京交響楽団の名曲シリーズ(ホール主催)も、川崎定期(東響主催)も、なかなか好調な申込み状況とのことで、すでにS席、A席は残りが少なくなってきているとのことだ。チケットの購入者の住所は、川崎、横浜の人だけでなく、藤沢や茅ヶ崎といった東海道線沿線の人も少なくないとのこと。東海道線で東京に通勤している神奈川「都民」からすると、横浜「みなとみらい」より川崎の方が交通の便は遙かに良いということもあるんだろう。

 まだまだホールの稼働率は高いとは言えないが、これから徐々に人気を高めていってもらいたいものである。(04/07/20)



島旅


 さぁ、夏休みだ!待望の島旅だ! 昨年末に八重山に行って以来、苦節7ヶ月ぶり(^_^;)、仕事も一段落して明日の朝から少し長い旅に出る。行き先は奄美大島。初めての島たちが待っているゾー。何もかも忘れるゾー!(04/07/23)



奄美大島での5日間(奄美諸島の旅 その1)

 7月24日(土) 朝起きると、概ね晴れの天気。羽田空港を朝9時丁度に出発するJAL便は、ちょっと遅れて滑走路を離陸。東京の気温は、あの39.5度を記録した日を頂点に、めちゃくちゃな猛暑が続いていたけれど、奄美地方はここ数日は32〜3度位の気温らしい。たぶんこれが奄美の平年並みの暑さなんだろうが、少なくとも数字の上では東京よりも涼しいわけだ。ただし奄美地方は雷雲が発生していて、場合によっては鹿児島空港か福岡空港に向かう場合もあると言う条件付の離陸だった。

 奄美大島は今回がはじめてだ。奄美大島に行くと友人に話したら「ずいぶんと中途半端なところに行くね」と言われたことがある。確かに沖縄本島と九州の真ん中に位置し、沖縄と屋久島が注目を集めている昨今、奄美大島が注目を集めているとは言いがたい。しかし、私が奄美を選んだ理由はまさにそこなのだ。開発や観光化が進んだ沖縄よりも、まだ手付かずの自然が残されておる「らしい」という話を聞き、次は絶対に奄美に行こう、注目を集める前に行っておこうという気持ちがつのった。

 今回、奄美は初めての旅にしては、その日程を長い。正直言って、行く日が近づくにつれて「行ってみて肌に合わなかったらどうしよう」という変な心配も出てきたのだが、まぁ、どうしてもダメだったら日程を切り上げて早く帰れば良いだけだ。奄美空港にはだいたい定刻の11時10分頃にに到着。預けていた手荷物を受け取って、予約していた11:35発の観光バスに乗る。空港ターミナルの外に出ると、天気は曇り。そして東京よりも明らかに涼しい。あとでバスガイドさんに聞いたら、今朝は奄美は豪雨が降ったらしく、平年よりもかなり気温は低めとのこと。平年並みといっても、大体33度程度だから、ここ数日の東京よりは奄美は涼しいはずである。

 さて、この観光バス、私のほかのお客は空港から予約ナシで乗ってきた3人連れの家族だけ。奄美はあまり観光地化されていないとはいえ、少しさびしい。バスはまず「ばしゃ山村」で昼食休憩をとり、その後奄美パーク、あやまる岬、大島紬村、浜千鳥館を経て、バスターミナルに到着したら、午後5時前。すぐに宿泊先の素泊まり民宿「たつや旅館」にチェックイン。夜はバスガイドさんからオススメのあった「吟亭」で、島料理と奄美の島唄を楽しむ。

 この店のおかみさんが島唄歌手で、CDも発売している。7時半頃に店に入って、黒糖焼酎と料理のコースを注文し、島唄の時間になるまで待つと、8時20分過ぎ、カウンターで隣に座っていたおじぃが、おもむろに三線のケースを開け、おかみさんとともにステージに上がって島唄の時間がスタート。地元のお客さんとともに、最後は輪になって踊って、おおいに盛り上がった。

 島唄の時間が終わって、三線のおじぃと話をすると、・・・凄い。齢八十才を過ぎて、あのバチ捌き、あの左手の指の速さ。びっくり。最近になってヴァイオリンのヴィブラートの技法も取り入れて、常に新しい奏法を工夫しようと言う意欲にも感動。

 使っている三線を持たせてもらったら、凄く重い。聞いたら八重山産の黒檀でを使った最高級の棹らしいのだが、皮は合成皮革とのこと。当人曰く、本皮は音が柔らかくていいけど、破けることが多いので、現在は合成皮革を使っているらしい。なんか、せっかく良い棹を使っているのにもったいないなぁ・・・とも思ったけど、石垣島の野原三線店のおじぃも、10万円くらいまでだったら合成のほうが良いよと言っていたのを思い出した。

 さて、奄美の三線には沖縄の「工工四」に相当する楽譜が存在しない。個々の奏者で独自の楽譜を使っている人もいるらしいけど、奄美全体で共通の楽譜は存在せず、もっぱら口述伝承みたいな形で島唄が伝わってきたらしい。そのため、同じ題名の曲でも集落ごとで演奏が大きく違うとのことで、これも奄美の島唄の面白さなのかもしれない。ただし、島の外の人にとっては、敷居の高い音楽であることは間違いない。

 ちなみに三線そのものは沖縄のものと全く同じで、例えばB-E-Bという3本の弦の音程の関係も沖縄と同じ。しかし、弦が沖縄のものよりも細く、音程も高く調律されている。試しに「安里屋ゆんた」と「十九の春」を弾かせて頂いたけど、ピッチは高くてちょっと違和感があるけど、すごく良い音である。いろんな話しを終えて店を出たら午後11時半。店に入って、あっという間の4時間だった。

 7月25日(日)は、観光ネットワーク奄美の案内で、名瀬市近くに残る原生林・金作原(きんさくばる)探検コースに参加した。天気は曇りだが、昨日よりも少し気温は高い。名瀬市からバスで約40分。国道からわき道にそれ、細い山道になり、やがては未舗装のでこぼこ道になる。そして、うっそうとした金作原の森に到着した。車を降りると、ひんやりと涼しい空気が肌に触れる。金作原は、亜熱帯の森特有のヒカゲヘゴが群生する森で、途中ではキノボリトカゲなどの生き物も見られ、約1時間の散策を楽しんだ。

 午後は名瀬市内に戻り、フルーツのお店「やっちゃば」に寄ったら、以前にメールを頂いたフリーライターの山川サラさんが丁度奄美に到着したところだった。もちろん初対面でお互いの顔は知らなかったのだが、私はなんとなくその風体にぴんときた。それにしても、東京圏に住んでいる人と、こんなところで会うという偶然にはびっくりである。サイン入りの新刊本「ムンユスィ」を買い、長く休みを取った職場には、今が旬の甘酸っぱいパッションフルーツを送った。その後、市内を散策。名瀬市内の飲食店は、日曜日は休みの店が多く、なかなか食事が出来る店がない。やっとのことでティダモール内にある「新穂花」で鹿児島の豚を使ったとんかつを食べるが、これはふつーの味。夜は宿のオススメで、近くの居酒屋「炭や」で焼き鳥と琉球イノシシの焼き物、オリオンビールを注文。宿に帰って、宿のご主人、同宿者と黒糖焼酎を飲みながら話をしながら夜はふけていった。

 7月26日(月) 前日に続いて観光ネットワーク奄美の一日フリーコースをお願いし、車で奄美大島の観光コースに組み込まれていない場所を案内してもらった。周った場所は宇検村と大和村を中心に・・・・と書いても、このページの読者にはワカランだろうから詳しくは書かないけど、午前9時から9時間にわたって、島の隠れた名所を見て周った。天候は海岸線などの晴れるべきところで晴れて、山の中奥深くでは雨が降り、濡れた木々の葉が美しく光った。。シャッターを押した回数も、たぶんこれまでで最高で、とても収穫の多いツアーだった。

 夜は宿のオススメで、「いかり寿司」に行く。大将は奄美生まれ。横浜などで寿司屋を出していたが、その店はみんな弟子に譲って奄美大島に戻ったとのこと。大将は話題が豊富で面白く、寿司ネタも奄美の特徴を出そうと工夫を重ねている。やはり南の島の魚は、脂ののりが今ひとつで、北の魚にはかなわない。そこで大将は、ゴーヤの巻き物、豚肉のにぎり、パパイヤの漬物など奄美ならではの特徴あるネタを編み出した。1,500円の上にぎりでもこれらのネタを堪能できるのだが、単に珍しいだけではなく、もちろん美味い。フリーコースで案内してくれた観光ネットワーク奄美の水間さんも加わって、夜の11時半まで今日のツアーのコースを振り返り、奄美についてのいろいろな話をした。実に楽しかった。

 7月27日(火)は、完全自由日。前日に「自転車貸してあげるから」と言われて、名瀬市近くの大浜海浜公園まで自転車で行くことになってしまった(^_^;)。「近く」と言っても、自転車で行くには山をひとつ越える必要があるため、暑さも加わると結構しんどい。道には迷わなかったがマウンテンバイクには荷台がないため、バッグの収まりが悪い。荷物の括り付けを何回もやり直したりしたため、行きは一時間近くかかってしまったが、大浜海浜公園はとても美しい。残念なことにマスクとシュノーケルと家に置き忘れてきてしまったために、ここでは波打ち際で水と戯れるだけにしたが、ほぼ一年ぶりの海水浴。快晴の日差しも、良い気分。2時間ほど海浜公園で過ごし、再び山越えして宿に戻って、午後3時に昼食。宿近くの「MANGETSU」という地元で人気のお好み焼き屋でスペシャルを食べたが、私にはちょっと油っこすぎ。

 で、そんな日の夜に、「お腹が空かないなぁ・・・夕飯どうしようかなぁ」などと考えながら、撮影した写真を整理とDiaryの更新をしているわけである。明日は名瀬を離れて、別の島に向かう予定である。(04/07/27)



請島での3日間(奄美諸島の旅 その2)

 7月27日(火)、奄美大島の最後の夜は、宿のオススメだった喜多八に行き、宿に戻ってからご主人の同窓生たちと話をしながら黒糖焼酎を飲んだ。私が明日から請島(うけじま)・与路島(よろじま)に行くと言うと一様に驚いた。宿の食堂に集まった、観光に携わる人でも行ったことがある人はいなかったのである。このページの読者も、そんな名前の島の存在を知らないに違いない。

 請島と与路島は、奄美大島(加計呂麻島)と徳之島の間にある小さな島で、船は一日1往復のみ。観光ガイドでも掲載されているけれど、「こんな島もありますよ」程度の小さな囲み記事で、宿があるのかどうかも書かれていないのである。そんな島に興味をもった私はインターネットでどんな島なのかを調べてみた。残念ながら得られた情報は極めて少ないものだったが、少なくとも両方の島とも民宿が5軒ほどあるようだった。

 この島に行くためには、まず奄美大島の中心地である名瀬市からバスで最南端の町・古仁屋に向かわなくてはならない。7月28日(水)、宿のご主人と別れて、10:30発のバスに乗った。途中、車窓から見える景色は、広葉樹の広がる山道である。もしこれが針葉樹だったら、山梨や長野あたりを走っていると錯覚するかもしれない。それくらい深い山道と言う感じなのだ。山道は下り道に入り、山間から海が見えてくる。加計呂麻島と奄美大島に囲まれた内海である。バスは11:53に古仁屋の桟橋前に到着した。

 まずは船の出発時間を確認してから、昼食を食べるところを探し、「味園」という店に入って、奄美の代表的郷土料理である鶏飯(1,050円)を注文。鶏がらスープで食べるお茶漬けみたいなものだが、これが美味い。昼食時で観光客が集まってきた時間を見計らって、ステージでは島唄を歌ってくれた。そして、このお店で荷物を預かってもいらって1時間ほど町の中を散策し、午後3時の請島経由与路島行きの船に乗った。

 船は八重山の離島間をつなぐような高速船ではなく、もう少し大型の貨客船(?)といった感じ。客室は平土間で、客は思い思いの場所に枕と毛布を並べて寝ている。私が乗ったときには、もう窓側の場所はいっぱいで、勝手がわからないので居心地悪い真ん中あたりに座ってしまった。乗客の顔ぶれを見ると、これは明らかに生活路線だ。観光客らしき姿は皆無で、」せいぜい帰省客の子ども連れが何組かいる程度である。

 船は加計呂麻と奄美の間を航行している10分間は極めて穏やか。外洋に出ると若干の揺れが出てくるが、台風10号の影響も少なく穏やかな航海である。古仁屋を出航して、約45分後、最初の寄港地である請島の請阿室(うけあむろ)に到着。何人かの乗客と積んできた肥料をクレーンで下ろし、次の池地(いけち)に向かう。船から見える請島は、八重山の珊瑚礁の島と違って、山が多く険しい感じに見える。池地に到着したのは午後4時頃。ここから歩いて民宿みなみに向かう。電話で聞いたとおり、桟橋からまっすぐに山のほうへ向かい。公民館にぶつかったら左手に曲がった突き当たりが目的の民宿だ。思いのほか新しい建物なのでびっくりした。

 こちらの日没は7時半くらいなので、まだまだ明るい。荷物を置いたら、まずはカメラを持って桟橋に戻る。宿ではauの携帯は圏外だったが、桟橋では不安定ながらOK。隣の加計呂麻島の電波を拾っているようだ。そして集落の中に自動販売機2台と郵便局、売店がひとつあるのをみつけて宿に戻ってきた。とにかく小さな集落で、とても静かである。はっきり言って何もないが、何もないところがいい!と言う人にはうってつけの場所ではないかと思う。夕食は、地元で取れた魚を中心にしたメニュー。この島では、基本的に魚は自給自足。食べる分だけの魚を、その日に捕ってくるみたいな感じらしい。素朴だけど、とてもヘルシーで美味しい。

 7月29日(木)は、朝は桟橋でうたた寝して、また宿に戻ってからうたた寝。昼食後には歩いて20分ほどの「クンマ浜」と呼ばれるビーチに行く。真っ白な砂浜が広がるめちゃめちゃに綺麗な海岸である。昨年完成したばかりのシャワー室とトイレが真新しいのだが、・・・・来ているのは、他に誰もいない。なんと言う贅沢な場所なんだろう。晴天なのだが、日陰で風があると涼しくて過ごしやすい。気持ちいい。夕方にまた桟橋に出かけたら、大きなウミガメが2匹いるのを発見。この島の人もこんなに間近で見るのは初めて、というくらい珍しい光景だったらしい。そして30日も快晴。桟橋とクンマ浜を散歩しておしまい。このような島では時間が流れるのが、ゆっくりしている。

 あと、道ですれ違う人みんな挨拶を欠かさない。「お暑いですね〜」「こんにちは〜」、お年寄りが多い過疎の島ではあるけれど、みんな人懐っこい。それに、よほど観光客が少ないのか、私を見る目が、珍しいものを見るような感じがある。まぁ、実際に観光資源があるわけではない。私には静かな環境ときれいな山、海があれば十分だが、それだけでは物足りないという人も多いだろう。この島の産業は、畜産(牛・豚)などがあるものの、住民の多くは年金暮らしの高齢者とのことである。小学校・中学校の生徒は、わずかに12人。生徒よりも教職員のほうが多いくらいである。

 ウミガメを発見した桟橋で、この3月に島に赴任してきた学校の先生と話をした。やっとこの島に慣れてきたとの事だった。この先生は徳之島出身らしいけど、その先生がおっしゃるには鹿児島県の中でも最も僻地に属する島らしいのである(どうやら「へき地手当」の等級で、最も手当てが多い島らしい)。そして、私がこの島に観光で来たといったらびっくりしていた。それくらい、訪れる人が少ない島なのである。その、2泊3日した請島を後にして、私は次の島である与路島に向かった。(04/07/30)



与路島での2日間(奄美諸島の旅 その3)

 7月30日午後4時過ぎに池地港をでた船は、約20分で次の島・与路島に到着した。船から見える請島、与路島は、いずれも険しい山肌が連なっている。その急峻な斜面がそのまま海に落ち込んでいて、人を寄せ付けない雰囲気だ。船の窓はそういう風景を映しつつ、与路港に入港した。auの携帯電話は「圏外」の表示である。やむなく私はケータイの電源を切った。港の後ろには家が並び、屋根や石垣がすでに傾き始めた太陽に照らされているけど、その両側、後ろは急峻な山がひかえている。時間の流れがゆっくりした離島ではあるけれど、その島で暮らすと言うことは、この厳しい自然とともに暮らすと言うことなのでもある。

 港の待合室はとても新しく、最近になって離島振興事業の一環として完成したものらしい。さて、ここから民宿にどうやっていったら良いのかわからない。待合室に地図があって「民宿徳永」の名前を見つけた。そこが予約した民宿だ。ただ、心配だったのは、池地で船が出る前に民宿徳永に電話をしたのだが、留守電になっていたことである。もしかしたら忘れられていないか・・・一抹の不安を感じていた。とはいっても、とりあえず宿に行くほかない。待合所の職員に「徳永はここから歩いてどのくらいですか?」と聞いてみた。そうしたら「徳永さん?そしたら、あのトラクタの所にすわっとぃる小柄なおじいさんだよ」との答えが。うん、たしかに居る。おじーに声をかけてみたら、「あー、先に歩いて行っといてよ、後からいくから」・・・・、どうやら私を迎えに来たわけではないようだ。いずれにしても、宿が実在し、その宿に人がいるということがわかって一安心。キャスターつきのバッグを引きつつ、宿を目指して歩き始めた。

 ところが・・・・、どの家も表札がない。わからない。確かに島人にとっては、お互いを知り尽くした小さな集落である。表札などは不要なのだろうが、この島の東西南北もわからない私には、同じような石垣の壁が並ぶ集落は方向感覚を失わせる。だいたいこのあたりだろう、と見当をつけて歩いていたら、おばぁと目が合った。尋ねたら「徳永さんは一本先の道だよ」と指差した。やっと見つかった。

 徳永さんの家は、木造の平屋建てである。古さは目立つものの、柱や梁はものすごく太い。さぞ、棟上のときは大変だったろう。「昔はみんな山から木を切り出してきて、自分たちで作ったんだよ」、おばぁは自慢げにそう言った。私が寝る部屋は、その家の居間である。掛軸や人形などが飾っているふつうの部屋で、民宿経営ののための客の部屋などは用意されていない。まぁ、これが民宿本来の姿なのかもしれないが、私はこういう民宿に泊まるのははじめてである。そして、もちろん冷房などはない。これは予約段階から「冷房はないよ、扇風機があるよ」と聞かされていたので、戸惑うことはなかったのだが、いまや冷房ナシでは過ごせないカラダになっている私、耐えられるかどうか心配だったが、結論的に言うとそれは杞憂だった。風通しがいい昔ながらの家は、ホントに涼しい。少なくとも東京よりも涼しいのは間違いない。

 「ここは一泊?明日の船は7時と4時だよ」とおばぁが言った。私は2泊して、日曜日(8月1日)の夕方3時の船で帰るつもりだったのだが、どうやら船の時刻が夏休みとともに変わったらしい。夕刻の家並みを見るついでに船も待合室に行って確認してみたけど、やはりおばぁの言うとおりだった。予定を変更して、この島は一泊のみ、そして明日(7月31日)の夕方の船で帰ることにした。それまでの24時間をどうやって過ごそうか。おばぁは「この島は小さいから一時間もあれば見るものないよ」みたいに言ったが、私はこの島の一日のうつりかわりが見たかった。道で出会う人との話をしたかった。そのためには24時間と言う時間は、必要最低限の時間である。

 私はとりあえず夕刻の家並みを見て周り、島で採れた魚や野菜の料理を頂いた。素朴だけど、素材の持ち味を生かした料理は、ちょっと量が多すぎるけど(^_^;)美味しい。そして、おばぁが「もう寝るよ」と言った時間は午後9時前。島人みんな、こんなに早く就寝するんだろうか?それともお年寄りだから?その理由はわからないが、私もしばらくして床に入った。その夜は月がとても美しかった。月明かりで、本が読めるほどの明るさである。寝床に入りながら、美しい月を眺めていると、眠れなくなってしまった。

 翌7月31日は朝日とともに目が覚めた。朝食を食べて、また近所を散歩して、家に帰ってうたた寝。起きたおばぁが冷えたお茶を持って来てくれた。おじぃから自転車を借りて、島の奥にある畑も一周。昔は水田もあって稲作もしていたらしいが、島全体の高齢化に伴って、いま、水田は雑草が生え放題になっている。宿に戻って昼食はチラシ寿司。また、しばらくぼんやりしてから、島の中をお散歩。新しく出来たペンションの周りを歩いて写真を撮っていると、おばぁに話し掛けられた。どうも、そのペンションを経営している人の母親らしい。綺麗な芝生が敷き詰められ、花々が咲き乱れる庭に招き入れられ、しばらく島のことを聞かせていただいた。息子夫婦のこと、ペンションのこと、島の暮らしのことを話題に30分ほど。帰りには冷たい飲み物まで頂いて、・・・今度来たときには、ここに泊まろう、と思った次第である(^_^;)。

 そんな事をしているうちに、島から離れる時間が迫ってきた。荷造りをして、午後3時過ぎ、おじぃのトラクターに乗せられて港に向かう。また、この島に来る機会はあるのだろうか・・・・そんな感慨にふけりながら、船が来るのを待った。やがて、この島と古仁屋を結ぶ「せとなみ」が到着。おじぃは私が船に乗るまで見送ってくれた。天気予報では、台風10号の影響で4mの波浪注意報が出されていたけど、その影響はほとんどなく、午後5時17分、古仁屋港に到着した。(04/08/02)



加計呂麻島での4日間(奄美諸島の旅 その4)

 7月31日午後5時20分頃、船は与路島から古仁屋港についた。古仁屋は、奄美大島で名瀬市に次ぐ大きな町で、加計呂麻島、請島、与路島への玄関口である。予定よりも一日早く本島に戻ることになったので、宿は与路島から電話をして古仁屋旅館別館を予約しておいた。場所は、前に確認しておいたので迷うことはない。港から歩いて3分、まだ出来てからそれほどの年月を経ていないと思われる宿についた。チェックインして部屋に入ってみると、4階(最上階)の一番見晴らしのいい部屋である。どうやら私の他に客はないらしい。とりあえずシャワーを浴びてひと休み。今夜は島唄でも聴きに行こうかと思って「凪」という店に電話をしたものの、出る気配がない。土曜日は休みなのかもしれないと思い、前にも食べたことのある店だが「味園」に入ることにした。生ビールととんかつ、鶏飯セット、カキ氷を注文。お腹いっぱい。

 翌8月1日(日)は、天気はまずまずの晴れ。ただし霞がかかったように視界がもやもやしている。とりあえず古仁屋旅館別館で朝食。思いのほか豪華な朝食でびっくり。そして宿をチェックアウトして、古仁屋港に向かう。今日は朝一番の船で加計呂麻島の生間(いけんま)港に向かうのだ。船は車も載れるフェリーで、大島海峡をはさんだ対岸の加計呂麻島への数少ない交通手段である。生間港までは運賃260円。生活路線のためだろうけど安い。

 湖のように穏やかな大島海峡を進むこと約20分、船は生間港に到着した。船を下りて待合室に向かう途中で、カケロマドットコムで加計呂麻島観光ガイドをしている寺本さんに会った。今日一日のガイドを前もって依頼していたのだ。待合室で今日の日程の打ち合わせを行ったのだが、寺本さん曰く、オススメの場所をすべて周ると9時間以上かかるので、2日に分けたほうがベターとのこと。今日は島の西側を周り、残りを8月3日に周ることにした。・・・・で、この日にどこを見て周ったかを書くと、膨大になるので省略。後日、「旅のアルバム」の中で写真とともに掲載したい。

 この日は午前9時前にスタートして、この日の宿である加計呂麻島・土連の来々夏ハウスに到着したのが午後5時半頃。9時間近い行程になってしまったが、自分だけでは絶対に見ることの出来ない場所に案内してもらえて満足。これでもう少し天気が良くて、視界が開けていれば最高だったのだが。さて、来々夏ハウスは加計呂麻島で最も人気の高いペンションのひとつである。海岸に突き出したテラスで食べる食事は最高だろう。宿のつくりは増築を重ねたのか、とても複雑だし、建物も決して新しくはない。しかし、このロケーションは他の宿では得がたいだろうし、料理も美味しい。

 8月2日(月)。この日は何もしない一日と決めていた。宿の前の砂浜を散歩し、近くの喫茶店「Brown Suger」に入って旅の記録をまとめ、お昼には来々夏ハウスに戻ってカレーを食べてから昼寝。3時頃に起きて洗濯をしてから、また散歩。さすがに旅も10日目になると疲れが出てくる。とにかく、この日の目標は疲れをとって、後半の日程に備えることである。旅もそろそろ終わりに近づいている。(04/08/02)

 8月3日(火)は朝から雨模様。まぁ、15日も旅を続けていれば、雨の日にあたることもある。来々夏ハウスで朝食を取り、チェックアウトのために会計を済ませたら、ガイドの寺本さんから電話があった。天候が回復するのを待つためにツアーの開始時間を8時半から10時に遅らせてはどうか・・・とのことだった。この天気では仕方がないが、昨日から疲れが出たのか今ひとつ体調が優れない。頭痛がする。10時になるまで寝ることにした。

 10時になり、寺本さんが車で迎えに来てくれたが、これからさらに天気が悪くなるので、ツアーは明日の午前に順延してはどうか、ということだった。天候ももちろんだが私の体調もイマイチ、日程的にも明日の午前は空いていたので、願ってもない提案だった。とりあえず来々夏ハウスはチェックアウトし、次の宿泊先である海宿5マイルに向かうことにした。車に乗って、途中、郵便局に寄って約20分程度、外海側の海宿5マイルに到着した。まだ午前中だったが、急いで部屋を掃除してくれて、早めのチェックインをさせてくれた。感謝。

 海宿5マイルは、まだまだ新しい建物である。聞いたところオーナー自ら設計し、基礎工事から自分で造ったらしい。平屋建てとはいえ、これはスゴイ。私の部屋は洋室のツインで、バス・トイレ付き。ホテル形式だった古仁屋旅館別館を除けば、これまでで最も設備の整った部屋であり、かつ新しい宿である(ただし部屋により設備に差があるので、予約時に要確認)。しかも海が目と鼻の先であり、堤防などもないため、海がホントに間近に感じられる。夕食も豪華で美味しい。この値段でホントにいいの?っていう感じ。ただ、すぐ前の海岸は、湾の一番奥に位置するため、海水の循環は必ずしも良くないみたい。透明度は今ひとつだが、ワタシ的には気に入った。この宿で、2〜3日、何もしないで過ごしてみたい。

 さて、部屋に入ってまずは薬を飲んでひと休み。午後2時過ぎにお昼を食べて、近所を散歩。天気も回復して、青空が広がり始めている。体調もほとんど回復して、夕食は黒糖焼酎の水割りとともに新鮮な刺身に舌鼓を打つ。明日は加計呂麻島滞在の最後の日である。(04/08/03)

 8月4日(木)、夜明け前に目が覚める。前夜、寺本さんから借りた本を読んでいたので、少々寝不足気味だが、私なりに理解したところ奄美の歴史や風習は、薩摩藩による厳しい支配が大きく影響しているようだ。厳しい年貢を納めることが出来ずに、家人(やんちゅ)と呼ばれる債務奴隷にならざるを得ない者も多かったらしい。南の島の厳しかった現実は、さまざまな悲劇の物語も作り出した。奄美の三線の音楽がさびしげなのも、こういった歴史が作り出したものだと言われている。

 さて、早朝、海宿5マイルのすぐ前にある海岸に出て、夜明け前の景色を眺める。海岸向かいの山から伸びる光跡が空高くのぼり、月明かりの中のアダンの実が美しい。空には雲も少なく、昨日と違って良い天気になりそうだ。二度寝して、朝7時に起床。宿の朝食は、オーソドックスな日本的なものだが、必要にして十分な品数だ。さらに食後のコーヒーも美味しい。あと一泊したかった。

 午前9時。約束どおり、カケロマドットコムの寺本さんが迎えに来てくれる。今日は8月1日に行くことが出来なかった加計呂麻島東部を周ることになっていた。安脚場(あんきゃば)、諸鈍(しょどん)、徳浜などを周ったが、圧巻だったのは、とある私有地内にある岬である。太平洋から押し寄せる荒波を視界の右に、珊瑚礁の静かな湾を左手に眺める絶景である。この場所のパノラマ感を写真という平面的な世界におさめるのは難しいので、ぜひ加計呂麻島に行く機会があったら体感して欲しい(ただし、私有地内でありオフロードを走ることになるので、ガイドの随行が必要です)。

 いよいよ時間も押し迫り、加計呂麻を離れる時間が迫ってきた。ちょっと遅めの昼食として土連のティルーム「Brown Suger」でローストされた猪のサンドイッチを食べて、生間の港に向かう。丁度いいところで港に海上タクシーがやってきた。加計呂麻島を合計15時間に渡って案内してくれた寺本さんともここでお別れ。私は古仁屋に渡り、15時34分発のバスで名瀬に戻る。そして今回の旅の最後の訪問地、国直に向かった。もう、太陽は大きく西に傾いていた。(04/08/04)



大和村・名瀬での4日間(奄美諸島の旅 その5)

 8月4日(木)、名瀬からのバスは午後6時過ぎに目的地の国直に着いた。もう太陽は大きく傾いていた。千円札をくずしてバス代を払うのに手惑いながらバスを降りて、道路を横断し、集落の中に入ると、子どもたちが遊んでいる声が聞こえる。この無邪気な声の有無は、集落の活気を示すバロメーターかも知れない。子どもたちとすれ違い「こんにちは〜」と声をかけると、戸惑いつつ三々五々仁「こんにちは」と返事が返ってくる。この子どもたちの「戸惑い」は、なんとなく離島の子どもたちとの違いを感じさせる。請島や与路島の子どもたちのあいさつは、ぜんぜん警戒心というものがない。

 集落内の道を真っ直ぐに海岸に向かって歩き、堤防にぶつかった突き当りを左に折れ、しばらく歩くとそこが今日から宿泊する民宿さんごビーチだ。国直海岸に面し、今の時期は天候にさえ恵まれれば水平線に沈む夕陽を眺めることが出来る。ロケーションは抜群だ。宿の前ではオーナーが迎えてくれた。部屋に通されると、まだ新しい洋室で、テレビもエアコンも完備している。共用ながら同じ棟内にトイレや風呂もあって、民宿の中では設備面で恵まれている方だろう。さらに私の部屋は2面採光で、とても明るく、部屋からアダンの木の合間に海も見ることができる。ただし、部屋の壁は決して防音性は高くないので、騒音に要注意だ。

 今の時分、日没の時間は午後7時15分頃だ。部屋で小休止をしている間に西の水平線のあたりを見たら、厚い雲がかかっている。残念だが、今日はだめだなぁ・・・・と思いつつ、念のためカメラを持って海岸に出た。車で海岸に来ているグループや、国直の宿に泊まっている人の多くは、海岸で夕陽を待っている。その思いに応えてくれたのか、水平線の近くで微妙に雲に切れ間が出来て、チラッと夕陽を眺めることが出来た。

 夕食は午後8時過ぎに、庭でバーベキューだ。この宿は家族連れやグループが多いからこういうメニューになるんだろうけど、バーベキューは大人数でワイワイしながら食べるから美味しいもので、私としてはありがたくない。決して味が劣ると言うわけではないんだけど、地元ならではの食材に乏しかったのも少し残念。夜は、テレビで「さとうきび畑の唄」を再放送していたので、ついつい全部見てしまった。

 8月5日(金)は、やや雲が多いものの快晴。海岸を散歩をしてから、ゆっくりとした朝食は8時半から。今日は岬の先端まで行ってみようと思っていたんだけど、宿のオーナーに尋ねると「最近、そこには行っていませんが、草ぼうぼうだと思います。あと、ところどころハブが出るところなので、長い棒を持って行った方が・・・・」という言葉が。やはり奄美のハブは怖い。八重山地方のサキシマハブとは毒性の強さが違うのだ。それに加えて尋常ではない今日の暑さ、旅の後半で気力が低下してかったことも合わせて、今日は宿の周囲でゆっくりすることにした。お昼は宿の隣の「喫茶・工房てるぼーず」で横須賀」カレーを食べ、何もしない一日を過ごすことにした。午後、昼寝をして、たまっていた洗濯物を洗い、外に出る。歩き始めて5分、・・・・暑い。猛烈に暑い。奄美に来て13日目、その中で一番陽射しが強いのではないだろうか。

 午後6時過ぎ、夕陽が大きく傾き、影が長く延びる時間になった。幸運にも空の雲はほとんどなくなり、彼方の水平線にわずかに積乱雲が残るだけになった。夕陽を眺めるには、概ね申し分ない天気である。国直海岸最後の日で、この夕陽を見ることができ、本当にラッキーだった。(04/08/05)

 8月6日(金)は、いつもより遅めの8時起床。海岸を散歩し、民宿の庭で朝食をとり、また近所を散歩。こういう場所だと、毎日がそんな繰り返しになってしまう。しかし、それで良いのだ、と思う。カメラがあるおかげで、同じ場所の散歩でも、時間がうつり、太陽の高さが違うと雰囲気が大きく変わるのを、多少なりとも敏感に感じ取ることが出来るようになってきた。二度目に周ったときには、別の角度を発見できることもある。

 西向きに開けたこの海岸の場合、午前中の光線のほうが海が美しく見える。エメラルドグリーンにきらきらと輝く波がとても美しい。のだが、それはともかく、めちゃくちゃ暑い。陽射しが強烈だ。私の夏バテのせいで暑く感じるのか、それとも実際に太陽光線が強くなっているのかわからないが、とにかく体感温度はここ数日、急上昇している感じがする。とにかく大量の水分を補給しないと体が持たない。20分歩くと、宿の冷房の部屋に戻りたくなる。シャワーを浴びて、宿をチェックアウト。気さくでやさしい宿のご主人に別れを告げる。

 そして、11:40のバスにのり、名瀬に戻る。早速、最後の宿であるたつや旅館に行くが、さすがにまだ部屋の準備が出来ていなくて、チェックインは出来ない。とりあえず大きな荷物を預けて、昼食を食べに出かける。以前にオススメを頂いていた「花かげという店のランチはオトクで美味しいよ」という言葉を思い出し、くそ暑い中を歩き出す。5分ほど歩いて「花かげ」を発見し、暖簾をくぐってカウンターに着席。785円のランチで、これでもかっ!と言うほどの郷土料理が味わえる。確かに超オトクなんだが、さすがに夏ばて気味で食欲不振。もう少し体調が良い時に食べたかった。その後、黒糖焼酎の希少品を探して酒屋をまわったり、郷土史関係の本を探したりして、やっと3時前になり、たつや旅館にチェックイン。宿に入ってしばらくして、外は夕立のような強い雨が降り始めていた。奄美に来て初めての本格的な雨である。

 夜は、食欲不振からさっぱりしたものを食べたかったので、前にも入った「いかり寿司」に行ったのだが電気がついていない。今日はお休みらしい。やむなく、奄美に来て初めて入った島唄と郷土料理の店「吟亭」に行って天ぷらうどん(冷)と黒糖焼酎を注文。店員さんは私のことを覚えていてくれて、「えーっ、あれからずーっと奄美に居たの?」「日焼けしましたね」と言われた。旅先の店でこんな風に覚えられるのは、なんか嬉しいものである。宿に帰ってから、またたつや旅館で焼酎を酌み交わす。こんな楽しい夜も、この日で最後である。

 8月7日(土)も朝から快晴。いよいよ奄美に別れを告げる日になってしまった。まずは希少になりつつある黒糖焼酎「まんこい」の25度と30度の五合瓶をゲット。一本は「たつや旅館」に寄付し、黒糖焼酎+荷物の一部を郵便局に持っていって、郵ぱっくで自宅宛に発送。お昼は「いかり寿司」に行って上にぎりを注文。この店でも私は覚えられていたのだが、私はそんなに印象深いんだろうか? 

 たつやに帰って、シャワーを浴びて、いよいよチェックアウト。宿のお手伝いの人にお礼と別れを告げて、13:20発の空港行きバスに乗る。途中、奄美パークで下車し、初日に入った浜田太の写真と、田中一村の絵を見る。いずれも素晴らしい作品である。田中一村についてはNHKでその特集が放送されたときのテープを視聴覚コーナーで見ることが出来て、1時間以上、そこで時間をつぶしてしまった。奄美パーク内のレストランで早めの夕食を取り、いよいよ空港に向かう。空港内の売店では、黒糖焼酎「朝日」をゲット。市内の酒屋では見つからなかった銘柄だが、こんなところにあるとはちょっと驚きである。そして19:00発の羽田行きに乗って帰ってきた。14泊15日の長い旅だった。

 家に帰ったらデスクトップ・パソコンが起動しなくなっていた。植え替えをしたばかりの観葉植物は、この二週間でめちゃくちゃ成長していたのには驚いた。奄美の杜並みの生命力である(^_^;)。あー、これから旅のことを、いろいろと整理しようと思っている。(04/08/08)



今年も松本へ

 久しぶりの更新になってしまったが、夏休みなので、まぁ、こんなものでしょ。実際にコンサートは皆無だったわけで、音楽ネタはあまり書くことがない。それに、奄美から帰るとメインのコンピュータが起動しなくなっていて、これを機会に新しいコンピュータを導入することにのだが、これの到着やセットアップにもだいぶ時間がかかってしまった。

 新しいコンピュータは、これまでの自作AT互換機から、DELLのコンピュータを購入することにした。組み立てるのは長年の経験から決して難しいことではなくなっているんだけど、それよりも問題なのは私の時間的な制約である。もう、コンピュータの組み立てやらセットアップに時間を費やしたくないのだ。これまではコンピュータそのものが趣味の対象だったといっても過言ではなかったんだけど、今は私にとってコンピュータは「道具」である。とにかく安定して快適に動いてくれさえすれば、どんなものでもかまわないのである。オーダーから到着まで10日程度の時間がかかったけど、その品質には満足。初心者にはマニュアルが不親切なので安易に勧めるわけには行かないけれど、コストパフォーマンスはかなり良いのではないだろうか。

 さて、今日から恒例の「松本」行きである。家を出る前に、今日発売のウィーン国立歌劇場・エコノミー席発売で「フィガロの結婚」をゲット。幸先のよいスタートである(^_^;)。新宿駅から正午発のあづさ17号に乗ったんだけど、台風の影響で今回の行程はすと天気悪そう。いまのところ小雨程度だけど、台風のコースしだいでは乗鞍行きも変更せざるを得なくなる可能性がある。それはともかく、明日は松本の新しいオペラハウスの?落としだ。楽しみだが・・・・双眼鏡、持ってくるのを忘れた・・・・。(04/08/28)