Concert Diary in February

■文中の敬称は省略しています
■各タイトルの日付は、掲載日を表しています


旅のアルバム

 前に宣言?していた新サイトが、なんとなく形になってきたので、一応プレ・オープンということでお知らせします。やっぱり、同じ人が作ると同じようなデザインになってしまうものなのだが、やっぱり真空の状態からサイトを作っていく作業というのは大変で、思ったよりも時間がかかってしまいました。
 もちろんワタシ的本家サイトはこちらなんだけど、写真の場合は容量が大きいので、旅関係は今後、あっちのサイトに書こうかと思っています。まぁ、おひまなら来てよね。
(04/02/01)



新国立劇場「鳴神・俊寛」

 昨日は新国立劇場の間宮芳生作曲「鳴神」と、清水脩作曲「俊寛」を見てきた。この手の作品は空席が多いものだけど、昨日の新国は4階席に限って見れば満員。たぶん3階以下もそうだったのだろうと思うが、特徴的だったのはいつもの公演よりも欧米系外国人と思われる人が多かったこと。あと着物の女性もちょっと。たぶん、いずれの作品も能や人形浄瑠璃、歌舞伎で海外でも人気の題材だから・・・なのかもしれないが、「鳴神は1974年にNHKでラジオ放送で初演され、「俊寛」は1976年に舞台上演されている。いずれも1時間程度の一幕ものだ。

 日本のオペラというと一歩引いちゃう人が多いと思うし、かく言う自分もその一人なんだけど、昨日の舞台はそれなりに面白かった。「鳴神」は、竜神を閉じ込めて地上に降る雨を奪った鳴神上人を、雲の絶間姫が色気と酒で心奪い、竜神を解き放つストーリーは、たぶん世界のどこにもっていっても通用する普遍性のある話だろうと思うし、福島明也と佐々木典子の歌唱は実によかった。演出は歌舞伎のそれを踏襲している感じで、かなり外国人の視線を意識した舞台づくりだと感じた。

 一方、「俊寛」の話は、平家に楯突いて鬼界島に流された俊寛を含む三人、そのうち俊寛のみが罪を許されずに鬼界島に取り残されるストーリーだが、ワタシ的にはあまり面白いとは思わなかった。なんか・・・何を言いたいんだかよくワカラン終わり方で、これをオペラ化して何が面白いんじゃろうか?という感じ。でも直野資ほかの歌手はよかったとは思う。

 この手の作品は、まず海外で評価されないと日本国内でも評価されないという悪しき傾向があるらしいので、まず題材選びの段階で外国人ウケのよいテーマが選ばれる傾向にある。私は歌舞伎も能も人形浄瑠璃も見たいので、この作品の原型がどうなものなのかは知らないが、昨日の上演を見て最初に思ったのは、この作曲者たちはホントにこのテーマの作品を作曲したかったのだろうかということ。ホントはこういうテーマには興味がなかったんだけど、海外のウケのみを狙って歌舞伎や能などのエキゾチックな音楽や演出を取り入れたんじゃないだろうか・・・と思うのは考えすぎだろうか?もちろん日本の伝統芸能からテーマを採用すること自体は結構なことなのだが。(04/02/02)




「ネタと意欲」 〜ボッセ&紀尾井シンフォニエッタ東京

 更新が滞ると「多忙で・・」とイイワケをするホームページが多い。たしかに、「多忙」は一つの理由に違いなのだが、ワタシ的経験から言うと忙しかろうが何だろうと、更新はいくらでもできるのである。忙しいときは、ホームページを借りて愚痴るのもいいし、現実逃避にもなる。実際、私自身の更新頻度と仕事&私用の多忙さには、何の関係もなかった。要は「ネタ」と「意欲」の有無が、更新頻度を左右するのだ。意欲さえあれば、15分もあれば文章の一つや二つ、書けるのである。ただし、ネタと意欲の片方でも欠けると、更新は滞る。今のワタシは、ネタはたくさんあるが、意欲はそれなり。

 さて、金曜日は今月最初のコンサート、ボッセ指揮の紀尾井シンフォニエッタ東京の定期演奏会に行ってきた。会場となった紀尾井ホールは、概ね満員に近い盛況となった。野本由紀夫氏執筆のプログラムによると、ボッセは先月で82歳になったそうだけど、指揮台の上でタクトを振る姿は数年前と比較しても衰え全くない。プログラムは、ボッセらしくシブイ選曲で、バッハの管弦楽組曲第3番、オーボエとヴァイオリンのための協奏曲(Vn 豊島泰嗣&Ob 蛎崎耕三)、後半はハイドンの「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」というもの。

 KSTはもちろんモダン楽器のオーケストラなんだけど、最初の管弦楽組曲ではずいぶんとトランペットの音がふにゃふにゃしてピッチが不安定な音が気になった。音から察するに古楽器なのかな?と思ったけど、私の席はステージから遠いので、どんな楽器を使っているのかわからなかった。少なくともナチュラル・トランペットではないようだ。こういう小規模なオケで、金管の音だけでも違和感を感じると、それだけで「ううむ」である。それにしても、ボッセはいつもながらの安心できる正統的な解釈だ。見方によっては、面白みはないかもしれないが、バッハやハイドンのような古典の場合、おかしな解釈は加えてほしくはない。その意味でも、ボッセのような指揮者の存在は貴重だと思う。

 ワタシ的に、この日で一番よかったのは、2曲目のコンチェルト。独奏オーボエとヴァイオリンの音色の美しさは抜群で、楽想も変化に富んでい良かったのだが、この日のメインの「十字架上の〜」はちょっと苦手系の曲かも。この曲は以前にも弦楽四重奏版(←これがオリジナルです)を聴いたことがあるんだけど、そのときもゆるやかな楽章ばかりが続いて途中から集中力を切らしてしまった記憶がある。この日のKSTの演奏は、熱演だったし、弦楽器の美しさは特筆ものだったけど、いくら意欲的な演奏でもネタが好みじゃないと、やっぱ感動には結びつかない。ボッセだったら、ベートーヴェン・チクルスかなんかやってほしいなぁ。(04/02/08)



ドラえもんの謎


 今日も現実逃避のために更新をすることにする(^_^;)。

 さて、2月7日の土曜日は、新国立劇場「マクベス」の発売日。私も9時前から近所の「ぴあ」に並んで、概ね希望どおりの席が買えたんで良かったんだが、その時にちょっとした「謎」があった。私よりもかなり前のほうに並んでいる40代位と思しき女性が買ったチケットを「ぴあ」の店員さんは、「えーと、ドラえもんのオールナイトですね」と言ったのである。さらに数人の予約が済んで、またもう一人の女性も、ドラえもんのチケットを買うために朝早くから並んでいたようなのだ。・・・・謎だ。オールナイトというからには、これは映画に違いなのだが、「ドラえもん」と「オールナイト」というのは何ともミスマッチである。 そんな謎を解くためにサーチエンジンで探してみたら、どうやらこういうイベントらしい。世の中には、いろんな趣味の人がいるんだなぁ・・・と思ったのだが、決して私も例外ではない、とハタと思った。よく考えれば、年間100回近いコンサートやオペラに出かけるというのは、客観的に見れば、やっぱり変?

 話題を変えて、・・・新国立劇場の会員に送られてくる会報「ジ・アトレ」によると、来シーズンから座席割が変更になるらしい。チケットの価格は公演ごとに違うだろうからまだ発表されていないけれど、ランクは従来のS〜Eの6ランクから、1〜8までの8ランクに分かれて、ランク8は現在のE席に相当すると思えば間違いない(Z席は学生専用の当日券)。そのランク8は、すべて当日券となってしまうので、前売りでは買えなくなってしまうから、前売りで買う場合は必然的にランク7以上のチケットになる。さらに、座席の名称も「1階正面」とか「2階ドアサイド」「3階ギャラリー右」みたいな名前に変わる。こういう呼称も、欧米の歌劇場では用いられている手法らしいので、慣れれば便利なのかもしれないが、チケットぴあの窓口なんかでは「ランク」で記入するのか、それとも4階正面1〜3列みたいな「名称」で記入するのか?・・・たぶん「ランク」になるんだろうけど、しばらくは混乱しそうな気もする。

 でもなぁ、4階席って、1〜3列目よりも、4列目のほうが見やすいんだよなぁ。なんで見にくい席のほうが値段が高いのかは未だに納得できない。このあたりはホールの設計ミスだろうと思う。(04/02/09)



指揮者の後姿 〜広上淳一&新日本フィル

 昨日はサントリーホールで行われた広上淳一指揮のNJP定期に行ってきた。NJPも今シーズンからサントリーホールでの定期を開始したけれど、こちらの会場は満員に近い盛況。どうもトリフォニーの客を共食いしているんじゃないだろうかと思うけど、どうなんだろうか?

 さて、今日の指揮者は広上淳一。指揮者としての力量は、すでに高く評価されていて、私も楽しみにしている指揮者の一人なんだけれど、どうも彼がステージに現れるときの姿は何回見ても見るとどうもクラシック系の音楽家には見えないのである。あの風貌はともかく、肩をゆすりながら歩く姿は・・・(^_^;)。オマケに指揮をしているときの後姿は実に面白い。後姿の表情で音楽を語れる指揮者という点では、どこか井上道義と共通する何かを感じるのは私だけだろうか。(←特に深い意味はない(^_^;))

 さて、昨日のプログラムは、ロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲に、ディーリアスのヴァイオリン協奏曲、後半はショスタコーヴィチの交響曲第15番というもの。曲順とは関係なく、まずディーリアスの曲から書くことにするが、彼の他の曲と同様にとてもファンタジックな曲で、緩やかなやさしい楽想はどこか心を和ませる。誤解を恐れずに言えば、音楽的な求心力は乏しいので、なにか考え事をしながら聴くのにはちょうど良い音楽という感じなのだ。ソリストのタスミン・トリルも、端正な音楽作りで好演。どこか物語性のある音楽と、耳ざわりの良い音色を楽しめた。

 そしてショスタコーヴィチの交響曲第15番は:ロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲から引用されていることは有名だけど、一夜に両方の曲を聴くと、第一楽章は「ウィリアム・テル」の音楽が様々にかたちを変えて散りばめられているのが良くわかる。曲全体としては、ショスタコの15番は難解な音楽だけれど、広上のようにリズム感の良い指揮者にかかると難解なりに楽しめる音楽になるから不思議だ。こうやって聴くとリズム感って指揮者にとって一番大事なんだなぁって思うんだが、オケの側もこういう指揮者だと安心して演奏できるのではないだろうか。広上のタクトの動きと音楽のタテの線が自然と一致するのを見ると、そう思う。ちょっとクールな音色と、いきいきとした音楽作りを堪能した一夜となった。(04/02/10)



コンサートの前に食べるもの 〜デプリースト&都響

 私はコンサート前に時間があれば、必ず食事をする。ソワレの時、コンサート前には食事をしないという人もいるみたいだけど、私の場合、午後9時過ぎまで食事をしないで音楽を聴くとなるとかえって落ち着かない。そんなわけでコンサート会場の周辺には、たいていの場合はお気に入りの店というのがある。コンサート会場がサントリーホールだと蕎麦屋の「水内庵」かカレー屋の「フィッシュ」だ。特にフィッシュのタイ・グリーン・カレーはお気に入りなんだけど、辛さとココナッツミルクのまろやかさがマッチして美味しい。あと水内庵は注文してから出てくるまで早いので急いでいるときでも大丈夫。

 さて13日の金曜日は、その水内庵で蕎麦を食べて、サントリーホールに入った。この日はデプリースト&都響の定期演奏会。会場はいつもより若干少なめか、全体の7割程度の入り。前半はコンスタンティン・リフシッツをソリストに迎えてモーツァルトのピアノ協奏曲第25番を演奏したんだけど、ソリストのピアノの音色はそれなりに美しかったんだけど、オケの伴奏も含めて平板な演奏に終始してしまった感じ。弦楽器もいつもの艶やかさが足りないし、木管もよくない。正直、退屈してしまったんだけど、後半はかなり良い演奏を聴かせてくれた。

 メインはショスタコーヴィチの交響曲第10番。デプリーストは、どちらかというと骨格のしっかりした音楽を聴かせてくれる指揮者で、彼の指揮を聴くと音楽にきちんとした骨太なスジが通っている感じがする。反面、微妙なニュアンスや繊細さが失われてしまう面もあったりするので、好みは別れる指揮者なのかもしれないが、ワタシ的には曲目次第。この日に聴いた感じだとショスタコとは相性が良さそうだ。この日の演奏も、非常に骨太な音楽を聴かせてくれたが、特筆すべきは都響の弦楽器。オルガンのように分厚い音を聴かせてくれたかと思えば、ショスタコ特有の怜悧な音色を聴かせてくれたりと大健闘。もちろん管楽器や打楽器も良かったけど、やっぱり音楽全体のベースを作るのは弦楽器だなぁと実感する。

 どこかショスタコ独特のアイロニー的な雰囲気は後退してしまって、何となく後期ロマン派の残照みたいな雰囲気も感じる演奏だったけど、これもデプリーストの特徴なのかも。終演後のカーテンコールもスゴイ拍手とブラボーの声に包まれていた。そして、デプリーストは来年11月定期にも登場する。(04/02/15)



テレビと映画


 私は普段、テレビはあまり見ない。正確に言うと、家にいるときはテレビの電源は入っている事が多いんだけど、ただ点いているだけで、それを集中してみるという事はあまりない。チャンネルもあまり変えないし、流れている音声の中から気になる情報が流れたときにテレビの方に顔を向けるというような感じなのだ。ましてや「今日は○曜日だから午後9時までに帰ってドラマ見よう」なんてことは、皆無に近いのである。そんな私なのだが、14日は偶然にも映っていたチャンネルで映画が放送されていて、最初から最後までずーっと観てしまった。その映画は岩井俊二監督の「Love Letter」である。

 映画を見に行く事も滅多にない私は、不覚にも昨日のその時間までこういう映画がある事自体を知らなかったんだけど、ネット上を探してみると岩井俊二監督関係だけではなく、「Love Letter」に関する専門のページもあったりして、認識を新たにした(^_^;)。一応、まだ見た事のない人のために、簡単なあらすじなどはこのページを参照してください。そして、映画の内容云々は別にして、こういう映画を観ると、自分自身が中学生や高校生だった頃と重ね合わせて、ちょっと胸がキュンとしましたね〜。

 あの映画の舞台になったのは北海道の小樽。私は今は沖縄の離島マニアになってしまったけれど、その前は北海道が好きでよく行っていた頃があって、これまでに8回くらいは行ったと思う。そして小樽の町も大好きで、宿は札幌だったんだけど、電車に乗って小樽までよく出かけたなぁ。赤煉瓦の倉庫街を歩いてもいいし、寿司やビールもウマイ。このLove Letterという映画は香港でも超ロングランで上映されて大人気となり、この映画のロケ地を観ようと小樽の町も香港から来た観光客で賑わった時期もあったらしい。今度はノーカットで観たいなぁ、この映画。(04/02/16)




新国立劇場「スペインの燦き」

 今年の春一番が吹いたのはいつだっけ? 昨日も風が強くて、気温も上昇。すでに春のような陽気だけど、喜んでばかりいられない季節になった。そう、昨日はスギ花粉が多い一日だった。今年の花粉は少なめという予報が出されているが、このように風が強い日はやっぱりツライ。新宿から初台まで歩いて新国立劇場まで向かったんだけど、無理をしないで地下鉄を使えばよかった。

 さて、昨日は新国立劇場の「スペインの燦き」という企画で、ラヴェルの「スペインの時」というオペラと、「ダフニスとクロエ」第二組曲、「洋上の小船」、「ボレロ」をバレエで上演するという試み。つまり新国立劇場ならではのオペラとバレエのコラボレーション(?)なのだ。その意味ではとても意欲的な試みはあるけれど、その結果はいかに。ちなみに私が見たのは全5回の公演のうち最後の公演で、日曜日のマチネということもあって、私から見える範囲では会場は満員の盛況だった。

 さて、「スペインの時」というオペラは、10年位前に手塚幸紀&新日本フィルの定期演奏会で聴いたような記憶がある。そのときも「あまり面白くないなぁ・・・」と思ったんだけど、残念ながら昨日の上演でもそれを上回るような好印象を得ることは出来なかった。さすがにラヴェル独特のオーケストレーションの巧みさを感じさせて、管弦楽的には楽しめる部分もあるんだけど、オペラとしてはぜんぜん面白くないのである。これは演出によっては面白くなるんだろうか?いや、私が思うに、台本からしてつまらないので、演出で救える範囲を超えているような感じがする。

 休憩後のバレエも、・・・うーん、振り付けの意味が良くわからない。このダンスを通じて何を言いたいのか、さっぱり伝わってこないのである。それに「スペインの時」と続けて上演する意味はなに? ボレロの時に舞踊手が時計を持っている意味は? それと振り付けの関係は? よくわからないのである。モーリス(ラヴェルのこと)を演ずる男装の女優さんが登場して、この上演はラヴェルの夢の世界みたいな感じの演出なのかもしれないけれど、企画倒れの感じが否めない。

 管弦楽は、マルク・ピオレ指揮の東京交響楽団。ところどころで良い音色を聞かせてくれるときもあるんだけど、全体を通してちょっと雑さが目立つ。ラヴェルの場合は、各パートのトップの奏者の力量が大きく問われると思うんだけど、その意味では物足りなさを感じさせる演奏だった。カーテンコールのときも、客席の反応は冷めた感じの拍手で、ブラボーもブーもなし。なんか燦かない公演だったなぁ・・・・。(04/02/23)