Concert Diary in October-November

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クレルヴォ交響曲 〜オスモ・ヴァンスカ&ラハティ交響楽団〜

 1999年のシベリウス・チクルスで衝撃的な日本デビューを飾ったヴァンスカ=ラハティ交響楽団が、トリフォニーホールに帰ってきた。同ホールは「地方」にこだわる企画、たとえば日本の「地方都市オーケストラ・フェスティバル」を毎年開催し、さらに海外からオケを招聘する場合でも徹底的に「地方」にこだわっている。このラハティ交響楽団もそうだったし、2001年のプラッソン&トゥールーズ・キャピトル管弦楽団のラヴェル・チクルスの素晴らしい音色をたずさえた演奏を記憶のとどめている人も大いに違いない。

 そのヴァンスカ=ラハティ交響楽団が再び来日し、10月2日にトリフォニーホールで演奏したのは「クレルヴォ交響曲」だ。シベリウスがまだ20代後半のときにフィンランドの叙事詩「カレワラ」に啓発を受けて作曲した大作である。上演機会は極めて少なく、私も聴くのは今回が初めての曲である。そんなワケで、どんな演奏がクレルヴォのスタンダードなのか全然わからないのだが(^_^;)、この日の演奏は4年前のシベリウス・チクルスのときの秀逸なアンサンブルを再現した素晴らしい演奏会となった。

 各パートのソロを聴く限りにおいては、それほど優秀なオケではないかもしれないけど、全体のアンサンブルとしてこれほど整えられたオーケストラは少ないのではないか。音色的にも、少しくすんだ渋めの音がシベリウスらしい魅力を伝えているし、ヴァンスカのタクトにも俊敏に反応し、「カレワラ」の物語に対応する表現力を身につけている。日本にいながらにして、こんな素晴らしい世界の「地方」オーケストラを聴くことのできる、・・・これには素直にトリフォニーホールの企画に感謝したい。さらにヘルシンキ大学男声合唱団は、やや軽めの声で透明度が高く、なかなか普通の男声合唱から聞くことのできない味わいである。ソリストのパイヴィ・ニスラ(sp)、ライモ・ラウッカ(br)も健闘。正直言って、これがクレルヴォ演奏の最高峰なのかどうかはよくわからないが、曲そのものの魅力というよりは、ワタシ的にはオケのアンサンブルに魅せられた一夜になったという方が正確だろうと思う。

 クレルヴォの最後の余韻がホールに消え、ヴァンスカのタクトが降ろされてから拍手が始まり、それは次第に熱を帯びてくる。アンコールは男声合唱で「アンニーの歌」、そしてシベリウスの「フィンランディア」が男声合唱つきで演奏され、これまた熱烈な拍手でホールが包まれる。最後に、超絶的なピアニッシモで「悲しきワルツ」が演奏されて、演奏会は締めくくられた。・・・・が、鳴り止まぬ拍手に指揮者&合唱指揮者がステージに呼び戻される一幕。

 ただ、これだけ素晴らしい演奏会にもかかわらず、会場には空席が目立ったのが残念。チケットも8,000〜6,000円と格安だったにも関わらず、全体では8割以下の入りではなかっただろうか。やはりネーム・バリュー優先で演奏会を選ぶ傾向はまだまだ根強いようだ。(03/10/06)


タダほど安いものはない〜テミルカーノフ&サンクトベテルブルグ・フィル〜

 久しぶりに招待券をもらった。もちろん招待券といっても、1階ど真ん中とか2階1列目に座らせていただけるような類の招待ではなく、フツーのタダ券である。したがって座った席はサントリーホール1階後方の通称「雨宿り席」、音響的には評判のよろしくない席の代名詞である。もちろんタダ券なので贅沢を言うつもりはないが、そんな条件の席でも最強の演奏を堪能できることを証明したのが、今日のテミルカーノフ&サンクトペテルブルグ・フィルの演奏会だった。

 曲目は、なんとショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」、たったこれだけである。カリフォルニア州知事選挙で今をときめくシュワちゃんが登場したCMで有名になったとはいえ、人気があるとは言いがたい曲だ。さすがにこの1曲だけで2,000人を集客するのはムズカシイ。招待券が回ってきたのもそのせいなのだろうけど、たしかに客席には空席も目立つ。

 しかし演奏は、そんな人気の有無に関わらず、実に素晴らしいものになった。ご承知の通り「レニングラード」とは現在のサンクトペテルブルグである。第二次世界大戦のファシズムの嵐の中、ナチス・ドイツとのレニングラードでの死闘を描いたこの曲に、その地元のオケとしてどんな思い入れがあるのかどうかはわかりかねるが、単に純音楽的にみても圧倒的なパワーを見せつけた演奏になった。ある意味、社会主義リアリズムの極致みたいな曲なので、深い解釈が要求されるような曲ではない。単純明快で、ダイナミックレンジの広さだけでも聴き手を圧倒することが可能なのかもしれないのだが、実際、他を圧倒する凄いパワーでこの曲を再現して見せてくれた。これは、日本のオケでは太刀打ちできない音量・音圧である。バリバリ全快の金管楽器、それに負けない厚みある弦楽器、パーカッションが熱を帯び、バスドラムの音がホールを鳴動させ、切れ味のよい木管楽器がそこにアクセントを添える。必ずしも音色のパレットの豊富さや、音そのものの美しさを楽しめる演奏ではないのだが、さすがに、・・・これは、・・・スゴイ!感嘆するしかない。

 そして会場の大きな拍手に応え、アンコール。ロシアものかと思いきや、意外にもエルガーのエニグマ変奏曲から第9曲。この曲、ワタシ的に大好きで、しっとりと美しい弦楽器を基調に、優雅かつロマンチックに締めくくってくれたので大満足。オケが引き上げても鳴り止まぬ拍手に、テミルカーノフはステージに呼び戻されて拍手に応え、ショスタコの楽譜を高く掲げた。うん、実にいい演奏会だったなぁ。今日に限っては、「タダほど安いものはない」。(03/10/07)



これって「ミサ」?〜阪哲朗&東京フィル〜

 なんだかんだで疲れて、今日の東フィル定期はどうしようかな〜?と思っていたんだけど、やっぱ、せっかくチケットがあるんだから頑張ってサントリーホールに行くことにした。で、今日は若手指揮者・阪哲朗によるベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」。年末恒例の第九に比べると上演機会はかなり少なく、私もまだライヴでは2回くらいしか聴いたことがない。

 で、演奏の方はどうだったかと言うと、ぜーんぜん印象に残っていないのである。音色はぜんぜんベートーヴェンらしくないし、ミサ・ソレムニスらしい厳粛な雰囲気もない。私も疲れていたので音楽に集中できなかったのかもしれないが、ただそれだけが原因とは思えないのである。「まぁ、こういう日もあるさ・・・」と思って、カーテンコールの拍手もそこそこに帰ってきたんだけど、会場内はそれなりに大きな拍手に包まれていた感じ。

 明日は、新国立劇場の「フィガロの結婚」の予定だが、諸般の事情により行けるかどうかワカランのがつらい。(03/10/09)


白と黒の舞台 〜新国立劇場「フィガロの結婚」〜

 芸術監督にノヴォラツスキーを迎えて新シーズンを飾るプレミエ公演「フィガロの結婚」が、今日、公演された。シングルキャストに、ドイツオペラ偏重など、さまざまな話題をふりまき、理事会ですったもんだがあったのはご承知の通りだが、それだけ今日の公演は注目度は高い公演だったハズ。

 で、その結果はどうだったのかというと、予想通りというべきか、カーテンコールはブーイングとブラボーが派手に交錯する反応となった。これは、演出に斬新なアプローチで知られるホモキを起用した時点で、このような反応になるだろうなぁ・・とは予想していたんだけど、実際にその演出を目の当たりにするとオーソドックスな「フィガロ」が好きな人にはなかなか馴染みにくい演出であったことは間違いない。以前に来日したハンブルグ歌劇場の「リゴレット」(←演出はホモキ)を観た人は分かると思うけど、あの舞台装置・衣装をモノトーンにしたような感じである。

 開演前から幕は開いていて、ガラーンとした真っ白な部屋が客席から見えるんだけど、序曲が始まると後ろの壁が開いて、黒子たちが段ボール箱を運び込む。箱にはTOKYO、LONDONなどと書かれている。そこにフィガロが入ってきて寸法を測り、スザンナが・・・という感じでストーリーが始まる。登場人物の衣装は、すべてモノトーンだけど、一応、モーツァルトの時代っぽいカツラをかぶっているので、時代設定は変えていないのだが、衣装だけを見ていると最終幕では誰が貴族で、誰が召使だか分からなくなる。

 それにしても色彩感はほとんどない舞台だ。この舞台装置は第4幕まで、基本的にそのまま。庭園の中もこのままの舞台でストーリーが進行するし、タンスが東屋に見立てられるのである。斬新な演出といえば斬新といえるのだが、悪く言えば安上がり。私は斬新なアプローチは好きな方だけど、あのハンブルグ歌劇場「リゴレット」を見た後だと、あの二番煎じのように思えてならない。意表をついたといえば、幕の進行にしたがって白い部屋が傾き、壁が壊れていくところ。崩壊する貴族の権威を象徴しているのだろうか。

 音楽的には、最初の方は管弦楽も歌手もイマイチだったけど、時間が経過するに連れてだいぶ良くなってきた。管弦楽的には、ウルフ・シルマー&東京フィルの手堅い好演と言ってよいと思うし、歌手も概ね水準に達していたと思うけど、特別に華のある歌手もいないのは事実。アンサンブルになると声のハーモニーがイマイチきれいじゃなかったりして、なんかモーツァルトらしい流麗な高揚感がもたらされなかったのも、ちょっと不満かも・・・。

 カーテンコールのブーイングが最高潮に達したのは、演出、美術、照明等のスタッフが舞台に登場したときなので主な不満点は演出にあるみたい。ワタシ的にはブーイングするようなヒドイ演出だと思わないが、スゴイと褒める気もしない演出である。まぁ、新しいことをしようという意欲は評価するけど、ちょっと空回りという感じかなぁ。たぶん、音楽的には2日目以降、もっとよくなると思うので、それなりに期待してもよいのでは?(03/10/10)



午後の曳航 〜アルブレヒト&読売日響〜

 今日の読響定期は、アルブレヒト得意の現代音楽路線で、三島由紀夫の原作をもとにしたヘンツェ作曲「午後の曳航」である。この手のコンサートにしては珍しく、会場は概ね満員。それだけ注目度の高い公演だったのだろうと思う。

 さて、私は、自分のことを少しは現代音楽に対する「耐性」はあるリスナーだと思っている。もっとも「現代音楽」・・・こういうジャンル分けをすること自体に問題があることは承知の上で・・・・が好きなわけではないが、まぁ、音色的にキレイなものであれば、そこそこ聴けると思っている。しかし、今日のヘンツェ作曲の「午後の曳航」は我慢がならなかった。コンサートに行ったらなるべく最後まで聴こうと思っているのだが、今日は気分が悪くなって第一幕が終わったところで拍手もしないで帰ってきてしまった。

 演奏者の名誉のために言っておくが、オケも緊張感溢れる演奏だったし、独唱者の出来栄えも申し分ないものだった。ヘンツェの曲も、それほど難解なものではなく、たぶんアルバン・ベルグの「ヴォツェック」が聴ける人だったらそれほどハードルは高くないゲンダイオンガク度だろうと思う。そうでありながらワタシ的に我慢がならなかったのは、言葉とイントネーションの不自然さ=汚さである。もともとドイツ語で作曲されたものを、無理やり翻訳して日本語上演したためだと推測するけど、日本語でありながらその歌詞の90%は聴き取ることができない。オマケにイントネーションと歌詞がめちゃくちゃに乖離して不自然極まりなく、音楽的に楽しむどころではなく、不愉快極まりないのである。

 もっとも私は本来のドイツ語上演に接していないので、私の感じた不愉快さが日本語上演にしたことのデメリットなのかどうかは確信がもてないのだが、少なくとも言えることは聞き手が歌詞を理解できないのであれば日本語上演にしたメリットは皆無である。さらに言うなれば、推測になってしまうが、もし、この上演が原語上演であれば、たとえ日本語の字幕がなくともそこそこ理解できたのではないか。もちろん字幕があれば、原作のテーマが現代的なだけに、さらに楽しめただろう。

 まぁ、後半は聞くことなく帰ってきてしまったのだが、不愉快な時間を重ねるくらいだったら、最初からチケットを無駄にした方が良かったと思う。私は音色や音の汚さ=今日の場合はイントネーションの歌詞と音楽との乖離や汚さ・・・・に対する耐性はあまり「ない」。このようなケースはマレだが、以前にも某指揮者のショスタコ交響曲第7番の演奏は音がデカイだけで音色が汚く、演奏途中に席を立って帰らざるを得なかったこともある。今日の演奏は演奏者は頑張っていただけに残念だけど、・・・正直に言って、こんな演奏は二度と聴きたくない。(03/10/15)



紅葉をさがして 〜今年2回目の乗鞍高原〜

 最近、「また、出かけるの?」とよく言われる。たしかに年のうち30日前後は旅に出ているので否定はできないのだが、まぁ、自分の有給休暇の範囲で旅をしている分には誰にも文句を言われる筋合いではない。・・・とはいっても、面と向かってこのように開き直るわけにもいかないのがツライところだが(^_^;)、それでも休むと決めたらとことん休むことにしている。そんなワケで、今日から乗鞍高原への旅に出発である。このページの善良な読者であれはお気づきであろうが(^_^;)、8月末のサイトウキネンのときにも乗鞍高原に行っている。その時に、乗鞍高原の紅葉はきれいだよ〜と言われて心動かされ、今年2度目の旅となったのである。なお、前回は1泊だけだったが、今回は同じ宿で3泊する予定だ。

 昨日の晩にあわただしく荷物を詰め、今朝は10:30新宿発のあづさ55号に乗って、13:21に松本着。東京と比べてもそれほど気温は低くない。天気は晴れ、最近マジメにHPを更新している私に対して、お天道様はご褒美をくれたに違いない。まずは郵便局のATMに行ってお金を下ろし、お昼ごはんに「弁天駅前店」で蕎麦を食べて、いつもの中島酒店に行ってワインを買い込み、14:50発の松本電鉄で新島々へ、そこでバスに乗り換えて乗鞍高原に向かう。車窓から眺める景色から標高が上がるにつれて、紅葉が少しづつ進んでいるのがわかる。「宮の原」で下車すると、もう16時過ぎ、太陽はもうすぐ山影に沈みそうな時間である。

 とりあえず、8月にも泊まった「ペンションのりくら」にチェックイン。とりあえず近場の番所大滝に出かけて来たんだけど、紅葉は本番とまでは行かないもののシブイ色彩感がなかなかキレイ。もう少し標高が高いところに行けば、もっとキレイかも。宿に帰って、白い温泉(8月に来たときよりも温泉が濃い!)に入って夕食を食べて、おやすみ〜。今日はとりあえず、乗鞍高原に来ただけで一日が終わってしまった感じだけど、明日はどうしようかな?この時期の上高地はメチャ混みらしいし。(03/10/17)



標高2,800m 〜乗鞍高原と乗鞍岳〜

 乗鞍高原2日目となった18日(土)は、宿から近い高原を周ることにした。日程は3日もあるんだから慌しく周らないで、ゆっくりと時間に余裕を持って周るのが今回の旅だ。

 まずはバスに乗って休暇村に向かい、牛留池、善五郎の滝そして白樺の小道を歩いて一の瀬園地に向かう。乗鞍高原の紅葉はもう終盤で、白樺はすでにほとんどの葉が落ちている。いまの紅葉のピークは、もう少し標高の下がった番所(私の宿の近く)らしい。

 朝は曇っていた空も次第に晴れ間が多くなり、昼前には雲ひとつない青空になった。天気は良くても、朝の高原は寒く、冬がもうすぐそこまで来ているような気配も感じられる。白樺の小道を歩いていたら、すぐ目の前をにょろにょろと・・・、蛇である。それも長さ80cmくらいの大きな蛇だ(^_^;)。この蛇たちも、もうすぐ冬眠の時をむかえるのだろう。

 一の瀬園地で、名物の牛乳ソフト(\300 美味い!)とキノコ天ぷらそば(\850 高いゾ!)を食べ、一の瀬園地内をしばらく歩いてから30分ほど歩いて鈴蘭に行き、タクシーで番所に戻った。時間はまだ午後2時前だったが、とりあえず宿に帰って温泉に入ってゆっくりと・・・。夕方になって、宿からすぐ近くに蕎麦屋「おくどはん」に行って、日本酒「大雪渓」とおくどはん御膳(蕎麦、虹鱒の揚げ物等のセット)、蕎麦豆腐をたのむ。この店は、知名度はないけど、味はかなりハイレベル。雰囲気も落ち着くし、この味を考えれば値段は割安である。オススメ。

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 翌19日(日)は、乗鞍岳の畳平に向かう。バスで行くことができる日本で一番高いところである。しかし岐阜側の道路が凍結して、畳平のゲートが閉鎖されているらしい。やむなく一つ前の停留所である肩の小屋で下車し、畳平(標高2,700m)まで30分ほど歩いて到着。そこからさらに100mほど登って、富士見岳の山頂に立つ。たった100mだが空気の薄い山岳地帯ではなかなかツライ。しかし山頂からの眺めは素晴らしく、オマケに今日も雲ひとつない好天に恵まれ、気分爽快である。それにしても標高2,800mの山が、こんなに気軽に楽しめるというのは嬉しい。

 畳平には2時間ほど滞在して、バスで番所に戻り、午後2時過ぎのちょっと遅い昼食である。場所は中之屋という蕎麦屋である。入ってみると満員で、さらに待っている客がたくさん。乗鞍イチの人気店で、私が入店したあとで2組の客が入った時点で売り切れ閉店となったのだが、味的には・・・たしかに麺は美味いけど、ワタシ的にはつゆが薄すぎ。値段も一人前(2皿)で1,200円ということを考えると、「おくどはん」(こっちは750円)の方が好きだなぁ。

 夕食はまた「おくどはん」に行こうと思ったんだけど、支度中の看板が出ていて断念。やむなく、ル・コパンのあんぱんで我慢することにした。夜はベランダから星空観測。雲ひとつない空には満点の☆。シャッターを10分開けて写したのが掲載の写真である。わずか10分であっても、人の眼では確認できない星の軌跡が刻み込まれている。空はきれいなんだけど、太陽が沈んだ後の高原の気温は急速に下がる。さすがに寒い!

 明日はこの旅程の最後で、上高地に行く予定。天気は良さそう。ラッキー! こんなに良い天気が続くと、3泊4日というのは短く感じる。できれば、あと2〜3日くらい滞在したいなぁ。(03/10/19)



仕方なく、帰る... 〜オオボケをかました日〜

 昨晩は、調子の乗って天体撮影を続行。一枚写すのに10〜20分もかかるから、あっという間に時間が過ぎてしまう。午前3時に起きて、ベランダに三脚を設置。シャッターを押して、温泉に浸かりながら時間の経過を待つ。ファインダーが暗くて、フレーミングが出来ないから、カンでレンズの方向を決めるのだが、意図した写真が撮れないとレンズの方向を決めなおて再撮影。掲載したのは北極星を中心に回転する星たちの姿である。20分近い露光にもかかわらず、風がほとんどなかったので、黄葉した木々も鮮明に写っています。しかし、・・・朝の5時近くまで撮影をして二度寝を決め込んだのが失敗だった。眼が覚めたらもう8時過ぎ!、上高地行きのバスがあああぁぁぁぁ。。。

 というワケで、予定変更。小大野川の遊歩道を歩いて時間を潰し、9時40分過ぎのバスで新島々へ、そこから松本電鉄で松本に戻ったら11時過ぎになった。中島酒店に行ったが、買おうと思っていた予定の新酒ワインは未入荷とのことだったので、別のワインを購入。8月にも行ったポカラでカレーバイキング(\800←オススメ!)を食べて、これから13:56松本発のスーパーあづさで東京に帰るところである。

 まぁ・・・上高地には行けなかったけど(^_^;)、天気には最高!に恵まれて、良い旅になりました。今度は年末に旅に出る予定です。03/10/20)



なぜか集中できない日 〜若杉弘=都響〜

 音楽を聴く上で一番大事なのは、実は聴き手の集中力なのかもしれないと、時々思うことがある。たしかに、どんなに良い演奏であっても考え事をしていたり、体調が悪かったりしたときに、その音楽に集中することは難しい。ワタシ的に、今日の若杉&東京都交響楽団のサントリー定期はそういう状態が重なってしまったのが残念なのだが、今日の会場は概ね満員の盛況だった。

 曲目は、シューベルトの交響曲第7(8)番「未完成」とブルックナーの交響曲第9番という、いわば「未完成」プログラムだ。ヴァント&NDRの最後の来日公演のときと同じプログラムである。冒頭に書いたように、私が聴き手としてちょっと集中力を欠いていた状態だったのだが、ブルックナーの演奏はそれなりにレベルの高いものだったと思う。基本的にはオーソドックスなアプローチの演奏だったと思うけど、正直言って若杉の音楽監督時代後期には、かなり荒れた演奏を聞かせたこのコンビとは思えない緊張感の高さが感じられ、スケール感のある演奏になったように思う。

 もっともシビアなブルックナー・マニアからすると、神の境地に達していないとか、壮大な宇宙観に欠けているとか言われるかもしれないが(^_^;)、そういう要素をこの指揮者に求める人も少ないだろう。第3楽章が終わり、最後の余韻がホールに消えて、しばし静寂がホールを支配する。そして若杉のタクトが降ろされると、大きな拍手とブラボーの声が会場を包み込んだ。

 前半のシューベルトは、どんなに集中力があるときでさえ爆睡する曲なので、コメントはパス。今度の文化会館定期は集中できるように努力することにしよう。(03/10/22)