Concert Diary in August-September

■文中の敬称は省略しています
■各タイトルの日付は、掲載日を表しています



夏の夜空の華


 夏らしくない「夏」と言われた今年の夏だけど、8月も終わりに近づいてから本格的に暑い日を迎えている。今日の関東圏は、今年一番の暑さだったらしい。私は夏が一番苦手な季節なので、こういう日はずっと家の中にいることが多い。八重山産の黒糖を使って、さとうきびアイスクリームを作る。これが結構ウマイ!

 夜になると、どこからともなく ドン・ドーン という音が響いてきた。そう、花火の音だ。すぐにベランダに出て外を眺めると、かなり近いところで花火が上がっている。夏になると私の家からは4〜5回くらいはこういった花火が見えるんだけど、今年の夏は冷夏&長雨の影響もあって、かなりの数の花火が中止になってしまったので、実に久しぶりの花火である。やっぱり花火はいい。夏はこうでなくっちゃ。

 さて、この8月の更新は実に久しぶりになってしまったけど、現在、日記系のCGIプログラムを物色中。なかなかじぶん的ニーズを満たすものが見つからなかったんだけど、これならばOKかなぁというものが見つかって、近日中に仮設置予定。旅日記用に「写真館」も用意したいと思っている。

 今月はコンサートの予定はなし。9月最初の予定は、松本で行われるサイトウキネン・フェスティバルの「ファルスタッフ」である。演目的にはワタシ的好みではないんだけど、毎年のように松本に行っていると、なんとなく習慣化して、行かなければならないような義務感に近いものを感じてしまっている。この間、旅というと八重山方面ばかりだったので、久しぶりに涼しいところで散策してみたいと思っている。(03/08/24)

■今日はウィルス付きメールが3通到着しました。皆様も気をつけてください(8/24)。
■チケット電脳市場にスカラ座のチケットが出ています。ぜひ、ご覧ください(8/24)。



松本はもう秋の気配


 今日、午前10時発のスーパーあづさで、恒例の松本に来ました。家を出るときは蒸し暑かったけど、松本に着いて電車から降りたら、やっぱり涼しい。八重山や沖縄の離島も好きだけど、さすがに夏は暑すぎる。観光に行くんだったらいいんだけど、もし「住む」ということを考えるんだったら、松本みたいな町に住みたいと思う。ただ、来る度に再開発が進んで、確かに町全体はきれいになっているんだけど、松本の良さが失われているような気がしてならない。好きだった中町通りや縄手通りなんかも、最近はきれいになり過ぎで、古い家並みが並んでいた味わいがあまり残っていないのは残念だ。

 今日は、昼食は弁天のもりそば(大盛\900)を食べて、松本市内のいつものコースを歩く。途中で松本市の時計博物館なるものが出来ているのを発見したんで、入館料520円を払って入ってみたんだけど・・・、うーん、この展示でこの入館料は高すぎ。美術品としての時計のコレクションとしてはちょっと中途半端な気がするし、時計のメカニカルな進歩もよくわからない。夜は、駅前に最近出来たというネパール家庭料理の店「Pokara」に行って、カレーバイキング(\1,000)を食べたんだけど、これが結構美味しかった。でも、なんで松本でネパール料理のお店を開店しようと思ったんだろうなぁ。確かに松本って、山に囲まれた町だから、その意味ではネパールに似ていないこともないのだが・・・、客は私しかいなかったゾ。

 さて、松本の天気は、午後は曇り、そして夕方から雨に変わった。旅行中の天気予報を見ても、好転は望めそうもないみたい。残念だが、この天気なりの楽しみを見つけるしかないのだが、明日は乗鞍高原に行く予定だ。白濁した温泉に浸かって、美味しいものでも食べて、ゆっくりすることにしようと思う。(03/08/30)



乗鞍高原へ


 昨夜はゆっくり寝たなぁ。旅先で8時半まで寝たのは久しぶり。カーテンを開けると、やはり雨。うーむ、天気は仕方ない。何はともあれ、まず朝食、ホテル1階のレストランへ行って、バイキング形式の朝食を食べることにする。私がなぜ、この某ホテルを常宿にしているかにしているのかというと、いろいろなワケがあるんだけど、この朝食が美味しい!という理由も大きい。朝取りのきゅうりやトマト、漬物やフルーツに至るまで、信州の郷土色にこだわってメニューを考えている。しかも新鮮で美味しい。今日も大満足。

 そして宿をチェックアウトして、駅前でちょっと買い物。そして11:25発の電車で松本駅から新島々まで向かう。新島々でバスの発車まで時間があったので、赤松ドライブイン(あまりドライブインという雰囲気の店ではないのだが・・・)という店で、手打ちそば(\650)を食べる。かなり本格的な手打ちそばで、店構えの割には(^_^;)美味しい。そして12:45発の乗鞍高原行きのバスに乗って、乗鞍高原に向かう。それにしても雨が降り続いている。さすがにこんな天気の中じゃ、乗鞍高原に行っても楽しさ半減なのはわかっているけど、まぁ仕方ない。1時間ほどバスの乗って、前の原というバス停に到着。そこから歩いて1分ほどのペンションのりくらに到着した。

 とりあえず部屋に入って天気が悪いからとりあえず温泉でも入るか・・・などと思っていたら、意外なことに窓の外の木の葉に太陽が当たっている。雲は多いけど、雨もあがって、ところどころに青空も見える。これは日頃の行いの良い私へのご褒美に違いない(^o^;)。早速、宿の近くにある番所大滝に向かった。番所大滝は、乗鞍高原で一番大きな滝で、落差は40mもあるんだけど、それが昨日からの雨で増水し、ものすごい迫力になっている。階段を下りたところにある眺めの良い展望台は滝のシャワー状態で、とてもじゃないけど近づいて写真を撮れるような状態じゃない。完全にびしょ濡れだ。

 滝から番所まで歩いて、このあたりでは有名なパン屋さん「ル・コパン」、農協のお店で買い物をしてから宿に戻り、いよいよ温泉だ。乗鞍高原は有名な白骨温泉から近いだけあって、乳白色で硫黄臭の漂う温泉だ。泉質や成分のことは良くわからないけど、見た目だけでいかにも効きそうな温泉である。木が敷き詰められた浴室もきれいで、とても普通のペンションとは思えない。まだ誰も入っていなかったので、たった一人で温泉を独り占め。しあわせ!

 ペンションの夕食は、オニオングラタン・スープや牛肉のステーキ、ホタテのバター焼きなど多彩で、デザートはゆずのシャーベット。味も結構イケてる。この値段で、この温泉、食事、場所を考えたら、このペンションはオススメかも。今日はもう一回、温泉に入って寝ようっと!明日はSKFの「ファルスタッフ」だ。(03/08/31)



サイトウキネン・フェスティバル「ファルスタッフ」

 乗鞍高原で迎えた朝覚めは午前8時。もう朝食の時間である。カーテンを開けると、「曇り」の天気予報に反してに晴れ間が見えている。ペンションのりくらの朝食は、シンプルな洋食だけど美味しい。コーヒーのおかわりをして、まだ時間があるのでとりあえず温泉に浸かる。ほんとにいいお湯だなぁ。チェックアウト制限の10時ぎりぎりに宿を出て、とりあえず昨日も行った番所大滝に行く。雨もあがって、水量は昨日と比べて大幅に減っている。展望台で写真を撮って、ちょっと早い昼食を食べようと近くのそば屋に行ってみた。乗鞍高原はもちろん有名な蕎麦の産地のひとつである(写真は、蕎麦の花)。それだけに蕎麦屋さんも多いけど、滝から近くて11時から開店している「おくどはん」という店に入って、おくどはん膳(\1,000)を注文。ざる蕎麦と虹鱒の唐揚げなどがセットにされたメニューなんだけど、これがすごく美味い。そして、番所の「ル・コパン」でお土産を買って、11:38発のバスで新島々へ、そして電車に乗り換えに松本へ向かう。

 松本では、オペラにに備えてゆっくり昼寝して、午後5時半過ぎに松本文化会館に向かうバスに乗る。いよいよヴェルディの最後のオペラ「ファルスタッフ」だ。小澤は93年にヘネシー・オペラシリーズで「ファルスタッフ」を上演しているけど、私はそれが唯一のファルスタッフ体験である。そのときはあまりピンとこなかったし、未だに馴染みある演目ではないのだが、今回のSKFでの上演を観て、これがヴェルディの最高傑作という言葉の意味がわかったような気がした。それだけ今回の上演はレベルが高かったし、ワタシ的に感動した上演になったのである。

 何が良かったかよいうと、まず何よりもタイトルロールを歌ったパオロ・カヴァネッリの演唱である。ホール全体に浪々と響き渡る声量と豊かな表現力、コミカルな動きと表情、いずれをとってもスゴイ。その体型と相まって、まるでファルスタッフを歌うために生まれてきたんじゃないかと思うほどである(^_^;)。その他の歌手も粒ぞろいで、高水準。なお、フォード夫人を歌う予定だったダニエラ・デッシーは急病のため、マリーナ・メシェリアコヴァが歌ったけど、8月29日に発表された急の代役にも関わらずに満場の拍手を集めていた。

 今回のプロダクションはシカゴ・リリック。オペラから「輸入」したものらしいけど、演出はオリヴィエ・タンボージで、美術・衣装は今度の新国立劇場「フィガロ」を手がけるフランク・フィリップ・シェレスマン。舞台装置はシンプルだったけど、ついたてを効果的に使ったスピーディな展開で好印象。ファルスタッフが地下から登場する演出だけど、これはファルスタッフがアンダーグラウンドな存在で、人間の深層心理にある欲望を表現しているのかも。適度に抽象化された舞台の中から、聞き手はさまざまな解釈が可能になるんだろうけど、それが決して押し付けがましくないのである。あとファルスタッフが第2幕で真っ赤な騎士に着替えたあたりは大爆笑。喜劇は演出が大事だなぁ。

 で、管弦楽の印象は薄いんだけど、小澤らしい緊張感の高い演奏だったことは間違いない。まぁ、あまりよく知らない曲だから、よくワカランということで(^_^;)。いずれにして、初めてファルスタッフの上演で感動したということで、松本まで来た価値は十分にあったと思う。ただ、日本語字幕で、フォード夫人が「私には騎士夫人は役不足です」みたいに謙遜する訳があったんだけど、これって「役不足」ではなくて「力不足」というのが正しい日本語じゃないのかなぁ。ちょっと違和感を感じました。あと、小澤征爾の誕生日にちなんだ演出はありませんでした。

 その他に、終演後の出来事で書きたいことはあるんだけど、それはいずれ改めて。明日は東京に帰って、ミラノ・スカラ座の「マクベス」です。(03/09/01)



ミラノ・スカラ座「マクベス」


 今日、朝8時過ぎに起き、ホテルのバイキングを食べてチェックアウト。外に出るとかなり暑い。夏の日差しだ。そして今日は、いよいよ松本から帰る日である。

 まずは恒例?の中島酒店(←オススメ)によって、今回は珍しく長野県のワイナリーが作ったワインを購入。最近は自分で作るのはパスタなどが多いので、日本酒よりもワインのほうが飲む機会が多い。ちょっと奮発して2,500円のワインを購入した(写真上)。美味しく熟成するのが一年後という話なので、一年後が栓をあけるのが楽しみ。それまで待てるかな?

 そして松本市が建設中の松本市市民会館の建築現場を見て、工事現場のオジサンから来年3月完成予定との話聞いた。この大ホールは1800席の馬蹄型オペラハウスとして計画されており、その他に演劇用の中ホール、小ホールが入る。芸術監督兼館長には串田和美氏、プロデューサ兼支配人に渡辺弘氏を配置したところを見ると、東急Bunkamura系列の演劇系重視の布陣みたい。市街地から歩いていける距離なのでたしかに便利なのだが、建蔽率めいっぱいに建てている感じで余裕がなく、、建物のデザイン的にも周囲とマッチしていない。こんなもの作って、ほんとに大丈夫なんだろうか、・・・ちょっと疑問になった。そして中町通りなどを散策。駅近くのセロニカで地中海料理のパスタ・ランチを食べて、12:53発の新宿行きの特急あづさで帰ってきた。新宿から、まず自宅に直行。しばし休憩のあとにミラノスカラ座の公演が行われている東京文化会館に向かったんだけど、開演時間を間違えて(^_^;)、第一幕前半部分を聞き逃してしまった。まぁ、金曜日にもう一度見に行くからいいか。

 で、そのスカラ座の感想なんだけど、間違いなく世界最高のイタリア・オペラの殿堂の評価に違わぬ高水準の上演。オケと合唱の巧さは泣く子も黙る。歌手も総じて高水準で、ほとんど文句のつけようがない。それでいながら、ワタシ的に感動できたかというと、実は「否」なのである。前回来日時の「リゴレット」のときにも感じたんだけど、私にはムーティが向いていないらしい。あの息が詰まりそうなくらいにキチキチに固められた音楽作りは、どうも性に合わないのだ。なんか抽象的な書き方で申し訳ないが、歌手もオケも合唱も、すべてにおいてムーティのあやつり人形のような感じで、登場人物の主体性が見えてこないのである。比類なき完成度であることは認めるけど、それゆえに失われたものも大きいんじゃないかという気がしている。カーテンコールは盛り上がっていたけどね。

 演出などの詳細は、金曜日の公演を見えてから改めて書きたいと思うけど、あのキュービックを中心においた舞台装置と演出は好みの傾向である。(03/09/02)



ミラノ・スカラ座「マクベス」2


 今日は、時間があったので、久しぶりに過去ログを整理して今年分のConcert Diaryを読めるようにしました。あと、チケット電脳市場に各種チケットがぼちぼち出ていますので、ご覧ください。スカラ座「オテロ」のエコノミー席も出しています!

 さて、5日の金曜日は、東京文化会館にミラノ・スカラ座「マクベス」を見に行った。キャストはマクベス夫人役がタチアナ・セルジャンに変わっただけで、あとは同一キャストである。このオペラの真の主役はマクベス夫人と言われることが多いから、このキャストが変わっただけで上演の印象は大きく変わる場合がある。実際に聞き比べてみると、2日に聴いたパオレッタ・マッロークの方が強靱な声でマクベス夫人には合っているような印象を受けた。対するセルジャンは、第一幕で声が全然出ていなくて「あれっ?」と思い、それ以降幕が進むごとに改善はしたのだが、このストーリーを牽引するような力量を見せることはなかった。演奏全体で見ると9月2日の時の方が緊張感があって、良かったと思う。

 演出に関しては、シンプルだけど、それなりに大掛かりな舞台装置であることは間違いない。中央の回転する巨大キュービックに、昇降する床、宙吊りの魔女も登場するし、照明も非常に手の込んだものだ。中央のキュービックは、最初は権力を象徴したものかと思ったけど、様々な場面でいろいろなものに見立てられる。まぁ、スピーディな舞台展開に資しているようだ。個人的には衣装や照明も含めて、適度に抽象化されたこの演出の指向性は好きな方だが、どうにも気になったのは舞台上の動きに演劇的な配慮があまりされていないような気がすることだ。特に合唱団はいつも正面を向いて歌うので、演劇的な動きやリアリティがほとんどない。これは演出家の指示なのか、それともムーティの音楽至上主義の結果なのかはわからないが、ワタシ的に興味をそがれた要因の一つになったことは間違いない。まぁ、ムーティの指揮するオペラを見る限りは、こういった不満が常につきまといそうな気がするなぁ。 「オテロ」は10日に行きます。(03/09/07)



ミラノ・スカラ座「オテロ」速報

 今日は、ミラノ・スカラ座による「オテロ」の初日を見にNHKホールに行ったんだが、「マクベス」を数段上回る凄い舞台!フォービスは、第一幕では十分に声が出ていなかったものの、第2幕以降に盛り返し、オテロの喜怒哀楽を強靭かつ豊かな声量でドラマチックに表現。スバラシイ! デズデモナを歌ったロストも、清純派ソプラノのイメージを存分に生かし、共感を誘う。ヌッチのヤーゴも悪役ぶりはもう少し強調して欲しいものの、知性的で狡猾な役割を存分に演じた。歌手に関してはこれ以上はなかなか望めないすばらしい水準だし、合唱は言うまでもなく世界最高のレベルである。ムーティ率いるスカラ座管弦楽団も、NHKホールであることを忘れさせるほどの音圧を響かせ、ドラマチックなストーリーを強調する。演出には少々の不満もあるのだが、大筋では納得の出来るもの。マクベスと同様に大掛かりな回転装置を用いているが、演出はマクベスと比較するとオーソドックスな傾向。私がこれまでに見た「オテロ」の中では、文句なく最高の舞台である。スカラ座の底力を見せつけられた一夜になった。(03/09/10)



フェドセーエフ=東京フィル

 昨日(12日の金曜日)は、サントリーホールで行われた東京フィルの定期演奏会に出かけてきた。シューベルトの交響曲第3番、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番(Vn:セルゲイ・ハチャトリアン)、ショスタコーヴィチの交響曲第10番という地味なプログラムのためか、客席にはちらほらと空きが目立つ。それでも8割程度は入っていたと思うが、名指揮者フェドセーエフの久しぶりの登場だというのにもったいないなぁ。

 さて、このページの長年の読者であれば良くわかると思うけど(^_^;)、前半のプログラムは私の好みではないので、コメントはパス。いきなり後半のショスタコに話を移すことにするが、これは最近の東京フィル定期の中では最上級の名演奏だったと思う。緻密なアンサンブル、怜悧な音色を基礎にした豊富なパレット、ピアニッシモからフォルテシモまで広いダイナミックレンジを思う存分に駆使して描き出す音楽は、まさにライヴならではの高揚感をもたらす。そしてショスタコーヴィチらしいアイロニーと屈折した構造が、いささかに不自然さも伴わずにホールに再現されたのだが、それを実現したフェドセーエフの力量たるや「さすが!」と唸らずにはいられない。もちろん、東京フィルの健闘も素晴らしかった。

 私はこういう音楽を聴くと、現代の混迷した世相をショスタコの生きた時代にダブらせて考えてしまうのだが、やはりショスタコーヴィチこそ現代に最も近い作曲家なのではないかと思う。もちろん現代にはスターリンその人は生きてはいないが、体制は違えどそれに近い存在が現代社会の中に存在しているのではないだろうか。そんなワケで、今日は近所のHMVに行って、バルシャイが指揮したショスタコ交響曲全集を買ってきた。11枚組で3千円を下回る値段だったんだけど、これが凄くイイ。さすがバルシャイです。

 終演後のサントリーホールは熱烈な拍手に包まれ、定期演奏会としては珍しく、ハチャトリアンの組曲「仮面舞踊会」からワルツが演奏された。明日14日は、新国立劇場の「アイーダ」に行く予定だ。(03/09/13)



新国立劇場「アイーダ」、待望の再演


 5年前の新国立劇場オープニング・シリーズで、圧倒的な話題を集めたゼッフィレッリ演出の「アイーダ」がようやく再演の日を迎えた。あの超豪華でスケール感溢れる舞台装置、美しい衣装と照明が駆使されたステージは、圧倒的な印象を残した。また、5年前の初演時は、絶好調だったホセ・クーラとマリア・グレギーナという歌手も大評判だったし(ちなみに私が行ったのは完全Bキャストだったので、両者とも聴けずじまい・・・)、その反面、指揮者のキャンセル、新星日響(当時)の演奏水準の問題もあって、オペラ・ファンにとっては話題に欠かない公演だった。そして、新国立劇場のプロダクションの中で最も再演が望まれていた演目と言っても間違いないだろうと思う。今日14日(日)は、その再演初日でチケットはもちろん完売である。

 最初に正直に書いておくと、私は「アイーダ」と言う演目はあまり好きとはいえない。もちろんヴェルディの音楽的魅力には溢れているのだが、どうにもストーリーが荒唐無稽すぎる。もちろん、オペラのストーリーに必要以上の合理性を求めてはいけないことくらいはわかっているつもりだが、それにしてもこの「アイーダ」の物語は「運命の力」に匹敵するおかしい(^_^;)。そのせいか、どうも作品に感情移入が出来ないのである。そんなワケで、私は「アイーダ」の上演レベルがどんなに高くても、たぶん感動には至らない演目なんだろうと思っている。そんな私が今日の新国立劇場「アイーダ」を評すれば、「上演レベルは素晴らしく高かったが、感動には至らなかった」ということになる。

 まずラダメスを歌ったクピードは、相変わらずのスバラシイ美声である。この人はホントに衰えを知らないのだろうか、10年くらい前に藤原歌劇団の「ルチア」(だったかな?)で聴いたときから、声が変わっていないし、不調のときに出会ったことがない。不思議なくらいの安定度だ。その声の輝き、つややかさ、声量など申し分ない。欠点として指摘されることが多い「一本調子」も、ワタシ的には許せてしまうくらいの美声である。ファンティーニは、5年前に私が新国「アイーダ」初演に行ったときにタイトルロールを歌った歌手である。強烈な存在感みたいなものは乏しいものの、表現力のある実力派の歌手だ。アムネリスのディンティーノ、アモナズロを歌った堀内康雄も素晴らしい出来栄えで、歌手に関しては不満を感じさせない。また合唱のスケール感も素晴らしく、第2幕の凱旋行進のシーンでは鳥肌が立つほどの高揚感をもたらした。

 そして5年前の上演時と一番の違いは管弦楽だ。オーレンの統率力は今更言うまでもないが、当時のナヴァーロとは比べ物にならない。管弦楽の引き締まった緊張感と、ダイナミックレンジの広さは、スペクタクル・オペラの魅力を存分に引き出したと思うし、東フィルもオーレンの要求に良く応えていたと思う。

 演出は、言うまでもなくゼッフィレッリならではの本物志向。もうこれは百聞は一見にしかず、もうナマで観るしかないでしょ。とは言っても、第2幕の凱旋の舞台の幕が上がったとき、5年前はホントに豪華な舞台にびっくりして拍手が巻き起こったんだけど、今日の私はもう豪華な舞台に慣れてしまっているのか、あまり感銘を受けない自分にちょっとびっくりしてしまった。うーん、慣れとは恐ろしいものだ(^_^;)。なお、ゼッフィレッリは、第2幕終了時と全幕終了時の2回もカーテンコールに登場。80歳と高齢にもかかわらず、とても元気そうでした。(03/09/14)


新幹線より速い風〜台風14号が残した爪あと〜

 先週末に韓国で台風14号による被害で100人を超える死者・行方不明者を出したことが大きく報道されているけど、この台風は韓国に行く前に宮古島を襲っていたことはあまり報道されていない。この超強力な台風14号は、宮古島での観測史上第3位、約30年ぶりの強風を観測したらしいのだが、その風速はなんと74m! これは秒速だから、時速に換算すると266km/hということになる。つまり新幹線並みのスピードの風が吹いたわけだ。相手がいくら空気とはいえ、その速度が266km/hの速度でぶつかってくれば、タダで済むわけがない。いくら台風が日常茶飯事で、台風対策が万全の宮古島であっても、甚大な被害が出ている。宮古空港の管制塔の窓ガラスが粉々に割れて、風力発電の鉄塔や島中の電信柱が倒れた。割れた窓ガラスの破片で多数の負傷者を出し、サトウキビやタバコがなぎ倒され、宮古島の大部分で、いまも停電が続いているのである。

 私は今年6月と7月の2回、宮古島を訪れたけど、そのエメラルドグリーンの美しい海は間違いなく日本一だろうと思う。その時に泊まったペンションのお父さんとお母さんは大丈夫だろうか・・・と気になっているけど、まぁ、きっと元気なんだろう(^_^;)と思うことにする。そして、宮古島は、特有のアララガマ精神で、きっと立ち直るだろう。ちなみに台風被害に対する義援金は、琉球放送で受付しています。

 さて、このところマジメに更新しているのですが、これも台風並みに一過性のものかもしれません(^_^;)。それにしても、9月はいいコンサートに恵まれたなぁ。まぁ、これから先はコンサートのペースも少なくなるんだけど。次回の更新は、気が向いたら読響定期の後あたりかな? あまり気合を入れすぎると良くないので、もしかしたら週刊ペースに戻すかもしれません。(03/09/15)



雨の日のお散歩 〜そして、ロベルト・ベンツィ&読響〜

 今日は気温もすっかり下がって、夏の暑さともお別れモード。今日は特に予定もなかったので、近所のお散歩に出かけた。HMVやタワーレコード、家電量販店なんかを周っていたら途中から雨が降りはじめて、スタバあたりで雨宿りと思っていたら、近くから女性ボーカルの歌声が聞こえてきた。広場でミニライブがが行われているらしい。行ってみると、拝郷メイコという歌手。お菓子のピンキーや、牛乳普及強化のTV CMソングも歌っていたらしいので、きっと一度は耳にしている声なのだろうと思うけど、「拝郷」(はいごう)という珍しい名前はほとんどの人が始めて耳にするに違いない。もちろん、私もそうである。

 生ギター1本でアコースティックな音、ナチュラルな歌詞、やさしさとどこか懐かしさを湛えたメロディ、心に染み入る癒し系の声、・・・うん、私はもともと雑食性音楽ファンだし、昔はフォーク系ばかりを聞いていたので、本来的にこういう音楽は大好きだ。 気に入ったのでセカンド・ステージまで聴いて帰ってきたんだけど、今日はちょっと得した気分。たぶん、この人もライヴじゃないと実力がわからない系統の歌手じゃないかなぁ。そんな気がする。

 さて、18日(木)は、読響の定期演奏会でサントリーホールに行ってきた。当初予定されていたジャン・フルネは眼の状態が思わしくないため、ロベルト・ベンツィに変更となった。経歴を読むと、なんと11歳で指揮者デビューし、61年にはパリ・オペラ座日本公演でのカルメンを指揮したこともあるらしい。この日のプログラムは、ピエルネの「ラムンチョ」序曲、ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」、デュカス「魔法使いの弟子」、ドビュッシーの小組曲(ビュッセル編曲)、ファリャの三角帽子第二組曲という色彩感豊かなもの。

 ベンツィの指揮で音楽を聴くのはもちろん初めてだが、オーケストラをコントロールする力量はなかなか。かなり細かくキューを出す人で、後姿をみても表情豊かな指揮である。日頃はどちらかと言うと骨太で重量感のある音色の読響だけど、ベンツィのタクトの元で奏でられる音色は、見事に変貌して見通しがよく色彩感もとても豊かである。音楽の縦横の線もきちんと整えられている。あえて言えば音がやや重すぎる気もするけど、かなりイイ線イッテルんじゃないだろうか。フルネのキャンセルをガッカリした人も多いと思うけど、実際にベンツィを聴いてみると、これはこれで良い指揮者である。

 客席にはちょっと空席もめだって8割程度の入りかなぁ・・・と思ったんだけど、カーテンコールの反応は上々。7時に開演して8時半に終わるというのは、ずいぶんと短いコンサートだったなぁ。ただ、「亡き王女のためのパヴァーヌ」って、実はホルンが難しい曲だったんだなぁ・・・と認識させられ、あまり演奏機会が多くない理由がわかったような気がする。(03/09/20)
 


今日も雨、そして風 〜新国立劇場「アイーダ」〜

 今日も肌寒さを覚えるほどの涼しさ、・・・新しい季節は突然にやってきた感じだ。そして季節は秋雨前線とともにやってきた。今日は風も強い。長い傘は職場に置きっぱなしのため、折りたたみの傘で家を出るが、やはり今日の雨には小さすぎる。

 さて、今日は新国立劇場「アイーダ」である。キャスト的には初日に見た主要キャストと重なっているのはアモナズロ(堀内康雄)とランフィス(コロンバーラ)だけ。主役級3人が別キャストなので、かなり印象の違う公演になった。まずアイーダを歌ったマリーナ・フラタルカンジェリは、繊細さと豊かな感情を併せ持つ歌声の持ち主。容姿も含めてみるとファンティーニよりも可憐なアイーダ像を歌い上げている感じだ。キャラ的にはフラタルカンジェリのほうが好み。ラダメスは、ヴァルテル・フラッカーロ。声の輝き、声量ではクピードのほうが圧倒的に上だけど、感情表現ではややフラッカーロに分がありそう。ただし、搾り出すような感じの声質は、どうも気になるなぁ。アムネリスの藤川真佐美は、声量は十分だったが、声そのものの美しさ、輝きは今ひとつ。感情表現の幅でもディンティーノの方が良かった。

 管弦楽のテンションも低下気味に感じたけどこれは気のせいだろうか。まぁ、ゼッフィレッリの演出の素晴らしさは変わらないものの、音楽的な水準で言うと初日の方がかなり良かったと思う。あと、ワタシ的には、どうにも「アイーダ」という演目と相性が悪いことが良くわかった(^_^;)。そもそもヴェルディと相性が良くないのかもしれないけど。(03/09/21)


違和感 〜ホントに好きなの?音楽〜

 たぶん私は世間からクラシック・オタクと思われている、・・・かもしれない。たしかに年間100回程度のコンサート通いを続けていれば、客観的にそう見えるに違いないので、対外的にあえて否定しようと思わないのだが、実は私は私自身をクラオタだとは思っていない。まぁ、何をもってオタクと定義するのかは議論の分かれるところだろうけど、手段の目的化、ある種の依存関係、中毒的症状が「オタク」の定義だとすれば、たぶん私はクラシック・オタクとは呼べないレベルなのではないかと思っている。その証拠に、この7〜8月にかけての1ヶ月以上コンサートに行かなかったし、クラシックのCDも全然聴かなかったが、それでも全然平気なのである。禁断症状らしきものは全然ないのだ。だから、自分でこんなホームページを作って公開する資格があるのかどうか、疑問に思うこともある。

 さらに言えば、私はクラシック・オタクがキライだ(^_^;)。自分自身がクラオタ的だった時期もあったし、このホームページの過去を振り返ればその残滓が残っているのでエラソーに言うつもりはない。むしろ自己嫌悪的にそう思うのかもしれないが、あえて言う。私はクラオタ特有の奇妙に高いプライドがキライである。クラシックってそんなにステイタスが高いのか?クラを聞く人間は偉いのか? はいはい、よくご存知ですね、エライエライ・・と、あしらいたくなるような人をしばしば見かけるのである。聴きに行ったコンサートの子細な点を批判して悦に入っている人などを見ると、あんた、ホントに音楽が好きなの?と問いたくなる。まぁ、楽しみ方は人それぞれだから、あれこれ言う筋合いではないのかもしれないが、ある種の違和感を感じる今日この頃なのである。

 いや、もちろんクラシックコンサートの会場にいる全員がそうだという訳ではないが、他のジャンルより遥かに高い確率でこういうオタクがいるのではないかと思う。さらに、他の音楽ジャンルのファンがそこに注ぎ込む愛情の深さに比べると、クラシック音楽好きというのはイマイチ愛情が足りない・・・というか屈折した愛情と言べきか・・・ような気がする。オーケストラの定期演奏会は、東京では毎日のように開催されているけど、そのオケのファンクラブ的なものも少数だし、「東京に8つもオケがあっても無駄だから、合併して水準を上げれば?」という意見すらよく聴く。演奏者への愛情のカケラもないんだなぁ・・・。もちろん、単純に合併して、優秀な奏者だけをそろえても水準は上がらないと思うけど。

 最近のクラシックを取り巻く環境は、不況の影響からきわめてキビシイ。残念ながら明るい展望は乏しい。そういう「今」だからこそ、クラシック音楽を聴き始めた頃の単純に「クラシックが好き」「好きな演奏家・オケだから応援したい」という気持ちを大切にしたいと思っている。その頃の自分に畏敬の念と、現在の自分に自戒の念を込めて。(03/09/24)



声のチカラ 〜広上淳一&都響 と アルミンク&新日本フィル〜

 木・金と二日続けてコンサートを聴いた。両方とも声楽つきの大規模な編成の曲だったけど、やっぱり人間の声が一番心に響く、そのことを改めて実感するコンサートになった。

 まず9月25日は、東京文化会館で行われた広上淳一指揮の都響定期だ。珍しい選曲だったにもかかわらず会場は8割程度の入り。演奏されたドヴォルザークの「スターバト・マーテル」は「悲しみの聖母」と約され、演奏時間は90分をを超える大作だ。演奏される機会は極めてマレで、私自身も初めて聴く曲である。したがって他の演奏との比較は出来ないけど、広上のタクトから溢れる音楽は敬虔な祈りというよりは、ドラマチック。悲しみを湛える調べというよりは、むしろオペラ的で、盛り上げるべきところは高揚感のきわみに導く。指揮姿も、まるでマーラーを指揮しているような感じだ。

 特筆すべきは、200人をそろえた東京音楽大学の混声4部の合唱団。大編成とは思えぬ声の透明感で、かなりの練習を積んだ様子だ。カーテンコール時に合唱指揮者が大満足の様子だったのは印象深い。独唱陣は、野田ヒロ子、秋葉京子、福井敬、高橋敬三。前半はちょっと声が不十分であまりキレイじゃないなぁという印象を持ったんだけど、休憩後の後半はかなり良かった。あと、広上のタクトに俊敏に反応していた都響も好演。ただ、こういう曲ならサントリーホールの方が良かったなぁ。この日の上野の響きは、いつも以上にデッドで、その点ではちょっと物足りなかったが、意欲的な取り組みの都響定期に感謝したい。

 そして翌26日は、新日本フィルクリスティアン・アルミンクの音楽監督就任記念演奏会だ。曲目は、トリフォニーの開場記念のときと同じマーラーの3番だ・・・・が、この人、一筋縄ではいかない指揮者である。マーラーの前に、モンテヴェルディのマドリガル「話そうか、黙っていようか」を持ってきた。しかも実際の演奏では、マドリガルが終わるか、終わらないか、その余韻が消える前にアタッカでマーラーの3番、あのホルンの咆哮が静寂を突き破るのである。これにはびっくり。

 それにしてもNJPは良い指揮者を音楽監督に迎えたなぁ・・・というのが、この日の演奏を聴いた率直な感想である。若干32歳、音楽的な完成度では他の指揮者に譲る面も多いけど、やりたいことはいっぱいある、意欲テンコ盛りというのが実に良く伝わってくる。アーティキュレーションも普通っぽくないし、変なところでパウゼを入れたり、表情のつけ方や浮かび上がるパートの旋律もひと工夫ある。その工夫のすべてが成功しているかどうかは疑問があるところだけれど、少なくとも曲全体の統一感が大きく失われることない。ピアニッシモを大事にした室内楽的なアプローチも個人的には好み。アルミンクをワインに例えるなら、これからの熟成が楽しみな当たり年の若いワインといったところかな。今後の展開が楽しみ。

 オケは、とても美しい響き。ホールの音響も素晴らしいのだが、以前のようにオケの力みが少なくなって綺麗な音を出そうというアプローチは大歓迎。そして合唱は、栗友会の女声合唱とTOKYO FM少年合唱だが、いずれも好演。特に栗友会は、マドリガルもキレイだったことも特筆しておきたい。アルト独唱は急遽変更が発表されたアン=カトリン・ナイドゥ(プログラムは変更後の印刷だったので、少なくとも数日前には決まっていたはず)。この曲にはもう少し深い声の歌手の方が似合うとは思うが、声はとてもキレイだった。(03/09/27)