Concert Diary in March

■文中の敬称は省略しています
■各タイトルの日付は、掲載日を表しています



ステファン・ドネーヴ=新日本フィル

 コンサートに行く回数を重ねすぎると、時にはコンサートそのものがストレスになることがある。疲れているとコンサートに行くよりも家に帰る方を選択したくなるし、演奏中にがさがさと物音を立てたり、フライングブラボーを叫ぶ客筋の悪さに呆れかえり、怒ったりすると、何のためにコンサートに来ているのかわからなくなる。本来は「癒し」を求めるべきコンサートホールという空間、その目的が転倒してしまうのだ。私のとってこの1ヶ月は、そんな気分の時期だった。実際、なにかと忙しくて、買ったチケットの半分くらいは無駄にしてしまったり、人に譲ってしまったりしていたのだ。忙しいといっても、仕事が忙しいわけではなく(^_^;)、社会の動きあれこれに連動した忙しさだったのだが・・・(←意味不明?)。

 
さて、そんな中、3月12日は久しぶりに新日本フィル定期に出かけた。先月から始まったNJPサントリー定期は小澤征爾の指揮で始まったのだが、このチケットは私の友人が、なんと!統一地方選挙に立候補するのを激励する壮行会?に出席するため、NJPサントリー定期を聴くのは今月が初めてだ。登場する指揮者は、フランスの若手指揮者ステファン・ドネーヴである。

  • ベートーヴェン:「コリオラン」序曲
  • R・シュトラウス:交響詩「死と変容」
  • フォーレ:レクイエム(Br:井原秀人、栗友会合唱団&ボーイソプラノ)

 
新日本フィルをサントリーホールで聴くのは実に久しぶりだ。個人的にはトリフォニーホールの堅い音よりもサントリーホールの柔らかい音の方が、NJPの弱点をうまくカバーしてくれるような気もするが、うん、いい音だなぁ。最初のコリオラン序曲は、まだ弦楽器が鳴りきっていないようなもどかしさを感じたんだけど、R・シュトラウスの「死と変容」からドヌーヴの実力が発揮されたように思う。

 ドヌーヴはピアニッシモをとても大事に演奏する指揮者だ。音色の美しさを基本にすえ、ピアニッシモの細い音の糸を織りなし、木目の細かい音楽を作り上げるイメージだ。そうして織りなされた「死と変容」は、実に穏やかな音楽に仕上がった。こういう音楽作りの指揮者は、ワタシ的好みの系統だ。そして後半のフォーレの「レクイエム」は、オーケストラは伴奏に徹して、合唱を前面にたてた演奏になった。弦楽器はひっそりと、ささやくように歌い、管楽器がそれに優しく彩りを加える。淡く、優しい色彩感の管弦楽。バリトンも良かったし、ボーイソプラノを使った「ピエ・イエズ」も、純粋さを増して好結果をもたらした。しかし主役はあくまで合唱だ。栗友会の合唱も、素晴らしかった。フォーレのレクエイムは、もともと優しく美しい音楽だが、ナマの演奏でこれほど癒される音楽として私の心に響いてきたことは、かつてなかった。そしてフィナーレを彩ったのは、静寂だった。タクトが降ろされるまでの間の静寂の美しさ・・・。

 ステファン・ドヌーヴの後ろ姿には、フライング拍手を許さないようなオーラが出ている(^_^;)。これはオケをコントロールする力と同義語かもしれない。ドヌーヴは、是非ぜひ、また聴いてみたい指揮者だ。(03/03/14)



JTアートホール「ヴァイオリン・アンサンブルの夕べ」


 こんなに小さなホールに、よくもこんなにヴァイオリンの名手が揃ったものだ。3月14日の「ヴァイオリン・アンサンブルの夕べ」は、ヴァイオリン界の重鎮・徳永二男のプロデュースだからこそ実現したのだろうけど、伊藤亮太郎、漆原啓子・朝子姉妹、扇谷泰朋、景山誠治、加藤知子、川田知子、小森谷巧、清水英理子、豊嶋泰嗣、三浦章広、矢部達哉の13人のヴァイオリニストに、ピアノの林絵里。「ふつうに」これだけのメンバーをそろえたら、250席のホールでチケット代3,000円なんて実現できるはずはないのだ。こういう豪華な企画を聴けるのがJTアートホールの良いところだ。

  • プロコフィエフ:2つのヴァイオリンのためのソナタ
  • ブラームス:ハンガリー舞曲第5・6番(大谷裕子編曲)
  • マスネ:タイスの瞑想曲(大谷裕子編曲)
  • パガニーニ:奇想曲第24番(鷹羽弘晃編曲)
  • サラサーテ:ナバラ
  • マウラー:4つのヴァイオリンのための協奏曲
  • 加羽沢美濃:月のオーラ(委嘱新作初演)
  • バッハ:シャコンヌ(鷹羽弘晃編曲)

 このなかで編曲・新作は、Vn12〜13人で演奏されたのだが、うーん、編曲されたものはやはり原曲が頭にこびりついているせいだろうか、それ以上の魅力を感じるには至らなかったというのが正直なところ。唯一面白かったのはパガニーニのカプリース24番で、名手が一つひとつの変奏を次々に受け持つ妙はこういう機会ならではのものだ。そんな中、加羽沢美濃の委嘱新作はさすがにヴァイオリン13人ということを念頭に作曲されただけあって、聞き易いメロディとともに、演奏効果も秀でていて、この日の一番の収穫だった。

 さすがに臨時編成のメンバーだけあって、前半はアンサンブルの精度は今ひとつという感じだったのだが、後半はさすが名手ぞろいという感じできちんと聴き応えあり。なんとなく後半の曲目を中心に練習していたんじゃないかという印象を受けた。そして何よりもアンサンブルしているメンバーも楽しそうで、こういうコンサートは聴いている方にも楽しさが伝わってくる。

 7時から始まったこのコンサート、プログラムが全部終わったのは、9時20分くらい。さらにアンコールが2曲もあって、ハチャトリアンの剣の舞とサラサーテ(あれっ、パガニーニだったか?)の無窮動を演奏。終わったら時計の針は9時30分をまわってしまった。(2003/03/16)



クリヴィヌ=読売日本交響楽団定期演奏会

 
15日の土曜日は読響定期で、フランスのエマニュエル・クリヴィヌの登場だ。ワタシ的にはオーケストラ・トレーナーとして高く評価して良い指揮者だと思うし、この日の読響定期でもその実力を存分に発揮してくれた。特に後半メインのバルトーク「オーケストラのための協奏曲」は、なかなか素晴らしい水準の出来で、研ぎ澄まされた室内楽的なピアニッシモからフォルテッシモまでのダイナミックレンジの広さ、アンサンブルの精度、バルトーク独特の怜悧な色彩感、いずれをとってもとても高水準な演奏だった。この曲はオケの実力をはかる尺度として好適な曲だと思うけど、読響の能力はやっぱり高い。

 前半はシューマンのマンフレッド序曲と、児玉桃をソリストに迎えたピアノ協奏曲だった。児玉桃は音色のきれいなピアニストだが、協奏曲となるとオケの音の壁を突き抜けてくるものが弱い感じがする。突き抜けてくる、と言っても音量のことだけではなく、音楽性のこと。確かにきれいな演奏には仕上がったが、聴き手を音楽に引き込んでいく求心力が失われてしまっている。しかし、アンコールで引いた「トロイメライ」は、児玉の美点がよく現れた演奏で、きれいな音色、絶妙の間に魅了された。この人の良さは、もしかしたら協奏曲では伝わらないのかもしれない。機会があれば、室内楽やソロで聴いてみたいものである。(2003/03/17)



戦争に反対なら、一緒に歩こう!

 
残念なことに、米英によるイラク攻撃が始まってしまった。国際的な理解も全く得られないまま、アメリカの暴走は、ついに戦争の引き金を引いてしまった。この戦争は国連憲章や国際法に違反した戦争であるにもかかわらず、日本政府は支持を表明。この対応をみて、平和憲法はいったい、どこに行ってしまったのだろうと思う人も多いに違いない。

 このホームページは、クラシック音楽のホームページである。ときどき旅日記も書いてきたけど、その基本線は守ってきたつもり。しかし、今回はちょっと「脱線」させていただきたいと思います。いや、ホントは政治ネタも「脱線」じゃないと思っている、・・・と言うのは、クラシック音楽も、決して政治や経済と無縁じゃない。戦争によって情勢が不安定になれば、世界を飛行機で飛び交っているアーチストによるコンサートは、少なからぬ確率で中止に追い込まれるだろうし、戦争によって経済が悪化すればまず最初に削減されるのは芸術団体への補助である。ゆえに、クラシック音楽は、「平和」という基盤の上に成り立っていると言っても過言じゃないと思う。もちろん、何よりも忘れてはいけないのは、この戦争によって、罪もないたくさんのイラクの人々の血が流されるということだ。

 私は今日、いてもたってもいられず昼休みと夜にアメリカ大使館に行ってきた。もちろん抗議行動に参加するためである。行ってみると、個人参加の若い人がとても多い。そして明日は港区の芝公園23号地で午後1時からWORLD PEACE NOWの集会が開催される。今回の戦争、もしかしたら後の歴史家が、国連の存立基盤を揺るがす世界史的な事件、と評価するものになるかもしれない。そんなとき一人の市民として、きちんと意見を表明していきたいと思っている。明日のデモは芝公園から銀座(もしくは日比谷公園)までの予定だ。戦争に反対なら、一緒に歩こう。詳しくは下記のリンクを見てください。(明日は、ほかの場所でいろいろな行動が予定されているみたいです)

【期間限定リンク】米英によるイラク攻撃反対!World Peace Now 3/21




年度末の悩み

 年度末になると訪れるのが、オーケストラの定期会員席の更新と、それにともなうチケット代の支払いである。私が定期会員をオケだと、都響定期と芸術劇場シリーズ、読響定期、東フィルがこの時期の更新だ。いくら安い席しか買わないとは言っても、重なると結構な金額になる。オマケに最近ではチケットを買っても、実際にその当日に行ける確率がかなり低下していて、うーん、このままで良いのかなぁ・・・と思うこともしばしば。毎年、来年は減らそう・・・・と思い続けているんだけど、更新の時期になるとそれなりの魅力的なラインナップに、今年は更新しとこうかと思って、その繰り返し。まっ、いいか。

 さて、21日の金曜日(休日)は、芝公園で行われたWORLD PEACE NOWの集会に行ってきた。5万人もの人が集まって、デモも2コースに分かれたんだけど、それでも全部が出発するのに2時間もかかった。それにしても参加者は若い人が多い。参加者の半数近くがこの10代、20代と言っても過言じゃない。この年代って政治的には無関心な層と思われがちなんだけど、こうしてイラク問題をきっかけに集会・デモに顔を出すということは、必ずしも政治的に無関心なワケじゃなくて、そうした思いを発揮する場所に恵まれなかっただけなんじゃないかと思う。

 デモや集会は初めての人は不安な気持ちもあるだろうから、参加するのはちょっと勇気がいるかもしれないけど、自分の思いを表現できる場があるって言うことはホントに楽しい・・・いや、「楽しい」というのはイラクで戦争の渦中にある人に対して不謹慎!という誤解があるかもしれないので、・・・言い換えればとても充実した時間である。それぞれの思いを込めたプラカードを用意して、銀座まで歩く。沿道には先にデモが終了した人たちが人垣を作って手を振ったり、ピースサインで出迎えてくれる。ラテン的なリズムで反戦のコールをしたり、サックス、打楽器や三線などの楽器でアピールしたり・・・その多彩な表現はすごく魅力的だ。あぁ、私もこういうときに楽器が出来ればなぁ・・・と思うのだが。

 テレビではなかなか放送されない戦争反対の声は、リンク先ののホームページでご覧ください。ブロードバンド推奨ですが・・・(^_^;)。ビデオ・アクトhttp://member.nifty.ne.jp/atsukoba/vact/war/

 そして夜は都響のサントリー定期をすっぽかしてしまって、アメリカ大使館へ(^_^;)。集会の時もそうなんだけど、在日外国人の姿をたくさん見かける。特に目立つのは欧米系の人で、「センソウハンタイ」のコールが妙に新鮮に聞こえる。でも金曜の夜は、今シーズン最後の都響定期だったんだ。都響を定年退職の人への花束代をカンパしたので、最後の演奏会くらいは見届けたかったんだけど残念。でも、ワタシ的優先順位は、いまはこうなのです。それでも「ジークフリート」の初日だけはしっかりと行く予定。

 この時期は卒業、異動、就職のシーズンでもあります。そして桜のつぼみも大きくなってきました。これで花粉さえ飛ばなければ、良い季節なんだけどねぇ。(03/03/23)



新国立劇場「ジークフリート」初日

 注目の新国立劇場「ニーベルングの指輪」もいよいよ第二夜「ジークフリート」を迎えた。何よりも注目は、キース・ウォーナーの「トーキョー・リング」をコンセプトにした斬新な演出だろうし、今回からピットのはいるN響による管弦楽もこれまでの東フィルとどのような違いを感じさせるかも見逃せないポイントだ。その初日公演は27日(木)。午後4時に始まった「ジークフリート」は、45分×2回の休憩を挟んで終わったのが午後10時前になった。

 これから見る人も多いだろうから、必要以上にネタバレになることは避けるけど、まず開演前に目につくのは舞台上に置かれた金床だ。前奏曲がはじまるとヴォータンがその金床の上に工具箱を置き、続いてアルベリヒが毒薬の入った瓶を置く。それをミーメが手にとって「ジークフリート」の物語が始まるという趣向だ。ミーメの家は、テレビや冷蔵庫、電子レンジなどの家電製品がそろっていて、おしゃれな感じすらただよう生活スタイルだ。ジークフリートの部屋はミーメの家の2階で、衣装はスーパーマンのシャツにオーバーオール。部屋の中に置かれたぬいぐるみの数々が、ジークフリートの幼児性を強調している。ミーメとの関係性も、現代の父子家庭を象徴しているような感じだ。そんな家だから、溶鉱炉みたいなものが家の中にあるはずがない。ジークフリートがどうやってノートゥングを打ち直すのかというと・・・・それは見てからのお楽しみとしおておこう。ヒントを書くとすれば、「3分間クッキング」「あり合わせの材料で手軽に出来るノートゥング」という感じである(^_^;)。

 第2幕は、ジグソーパズルの破片が堆積した森の中という設定だ。さすらい人とアルベリヒは、その森を見晴らす・・・・あっと、ここも書かない方がいいか。あと、大蛇は・・・これも秘密にしておこう(^_^;)。まぁ、ここはジークフリートにおける演出の見どころだろうから、舞台を見るまでのお楽しみにしておいた方がベターだろう。倒れた大蛇=ファフナーに同情して、ジークフリートが水筒から飲み物=ミーメが作った毒薬を与える展開も斬新。それにしてもゾンビあり、動物ありなど、さまざまな小細工がこされていてとてもユニークだ小鳥も着ぐるみを着て登場し、ウワサ通りの○○○もあって、その後のストーリーの展開の中でも役割を果たすことになる。

 第3幕は、ヴァルハラ城のなかと思われる映画フィルムが散乱した部屋の中だ。フィルムは運命の糸のような位置づけなのだろう。そしてジグソーパズルの一欠片の上で眠るエルダ。しかし、残念ながら一番期待してた第3幕は演出上の見どころはやや少なめな印象だ。斬新だった・・・というか意外だったのは、カーテン越しで客席から見えない中で展開されるジークフリートとブリュンヒルデの出会いだ。これまで必要以上なまでに説明的だった演出が、ここでは観客の想像の世界に委ねられるあたりは、かえって新鮮な印象を受けた。

 歌手は若干の不満はあったもののいずれも高水準。特にクリスチャン・フランツの歌うジークフリートは、演出の意図とぴったりで、この舞台で一番の聴きモノだ。準・メルクル指揮のN響は、音の厚みやソロの安定度で東フィルを上回るものの、アンサンブルの精度や音色の美しさでは決定的な差は感じられなかった。でも、たぶん日程が進めば、かなり改善するのではないかと思う。

 と言うわけで、見どころはそれなりに多いものの、「衝撃的」とも言っても過言ではなかった「ラインの黄金」「ワルキューレ」と比較すれば、やや斬新さに欠ける印象はぬぐえない。もちろん、見所はたくさんあるし、流れに一貫性のある演出なのだが、、このようなモダンな演出の宿命だろうか・・・常に新しいものが求められるのだが、そういう観客の要求に対して予想を超える斬新さを与えることが出来たかというと、ワタシ的にはちょっと物足りなさが残ったというのが正直なところである。(03/03/27)

新国立劇場「ジークフリート」2日目(超いいかげん版)

 今日は、ジークフリートの公演2日目で、キャストは初日と同じくAキャスト。しかし、私が座った席が変わったためか、公演に対する印象は大きく変わった。初日は3階席の右端の方で、4階席が最も深く覆い被さるところだったのだが、今日は4階席のバルコニー。そこで聴いたオケの音、歌手の声・・・・初日とぜんぜん違う! もちろん今日の方がずっと良いのだ。
 そんなわけで、今日はN響の良さをたっぷりと堪能させていただきました。ワタシ的には東フィルの爽やか系のワーグナーも、この演出にはあっているような気がするんだけど、こうやってN響の厚くてダイナミックレンジの広い音を聴かされると、やはりその差は大きいと言わざるを得ない。
 歌手で素晴らしかったのは、ジークフリートとミーメ。メチャ凄いゾ。
 ホントはBキャストも聴きたかったんだけど、今回は都合によりこの2公演だけで「ジークフリート」はおしまい。演出ネタバレは、また次回と言うことで(^_^;)。(02/03/30)