Concert Diary in January

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新年を迎えて

 あけましておめでとうございます。
 昨年は、多くの方に訪問していただいたにもかかわらず更新が滞ってしまうことが多々あって、申し訳なかったっす。正直言ってホームページ開設当初の意気込みが低下しがちなんだけど、まぁ、さすがに7年もすれば仕方がない。まぁ、今後もマイペースでやっていくことになろうと思います。

 クラシック音楽界そのものも、経済の影響を最も受けやすいだけに、公演収入だけでは経営が成り立たない演奏団体はなかなか厳しいんじゃないだろうか。都から都響への補助金の大幅削減はもとより、紀尾井シンフォニエッタ東京のNPO法人化も、スポンサーの新日鉄の方針なのだろうか。あえて「明るい」話題というと東響の川崎新ホール・フランチャイズ化くらいなんだろうけど、川崎市の財政が逼迫している中で、ワタシ的にこれを「良い話題」というカテゴリーに加える気にはならない。はたして東響は、川崎という地域に根ざした演奏活動をしていくのだろうか。それとも川崎のホールは東響の「東京公演」のための練習会場に成り下がってしまうのか、よくわからない中で、そんなものを「フランチャイズ・オーケストラ」と呼ぶことは出来ない。そんなこんなで、今後の展望がなかなか描きにくい状況になっているんだろうけど、外来演奏団体・演奏家の顔ぶれだけを見ると、あんまりバブル期と変わっていないようにも思える。

 さて、その一方で昨、私は日本各地にたくさん旅をして、昨年末は八重山諸島の石垣島・竹富島・西表島に行って、そこでクリスマスを迎えた。距離的にはもう台湾に近い亜熱帯気候のところなので、12月末でも気温は23度くらい。冬なのにシャツ一枚で過ごせる暖かさだったが、そこで出会った三線(さんしん:蛇革を貼った琉球三味線)という楽器の響きにいたく感動してしまった。竹富島の民宿の宿で畳に寝そべっているときに、遠くから水牛車に乗った三線の弾き語りの音が聞こえてきた。その音と歌声がゆっくり近づいてきて、そして、ゆっくり・・・ゆっくりとと遠ざかっていく。それは、何ともいえない南国特有の癒し系の音なのである。久しぶりに出会ったような懐かしい響き・・・。音楽は、ジャンルに関わらず、人の心を和ませる。今年も、こんな時間にたくさん出会えたらいいなぁ・・・と思っている。そして、このホームページをご覧に皆様も、たくさんの良い音楽に出会えますように・・・。(03/01/01)



井上道義=東京都交響楽団

 今年最初のコンサートは、鄭明勲=東フィルだったんだけど、すでに感想を書くには手遅れ的なムード(←でも幻想交響曲は結構良かった!)がただよっているし、2番目だった1月10日のJTアートホールの「ベスト・オブ・ベートーヴェンIII」(pf:練木繁夫、Vn:竹澤恭子、Vc:上村昇)もなかなかだったのだが、これも手遅れ(^_^;)。そんなワケで18日の土曜日に行った都響のサントリー定期の感想が、今年のdiary初めということになる。客の入りは若干少なめだが、9割近くは入っていただろう。

 プログラムは、オール・ロシアもので、グリンカの「ルスランとリュドミュラ」序曲から始まった。スピード感溢れる出だしで、都響の弦楽器のテクが生きる新年に相応しい選曲だ。つづくラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は、ロシアのニコライ・ペトロフをソリストに迎えての演奏だった。ペトロフは両国国技館系の容貌を持つピアニストだ。これだけ体が大きいと手もデカイだろうから、ラフマニノフを弾くときのテクニック的なネックは少ないだろうけど、意外だったのはその指先から奏でられる音色はいたって繊細だったこと。正直言ってこんなに音色がきれいなピアニストを聴いたのは久しぶりで、容貌とのギャップでびっくり。叙情的な雰囲気を十分でロマンティック。それでいて辛口な白ワインのようにピリッとした緊張感を湛えている。ワタシが聴いた同曲の中ではベストの演奏である。

 休憩後のメインは、ショスタコーヴィチの交響曲第3番「メーデー」。私もこの曲をライヴで聴くのは初めてなのだが、正直言ってCDで聴くのとライヴで聴くのとでは大きく印象が違う曲である。もちろんライヴで聴いてこそ、その真価がわかり易い曲だろう。プログラムにも書いてあったが、映画音楽的作曲技法が用いられていて、ロシアのメーデーの祝祭的な雰囲気を表現した、情景描写的な音楽だ。このような曲だと、井上のリスム感の良さがホントによく光る。怜悧で鋭角的な弦楽器の音色は、都響の弦の特徴にぴったりだし、管楽器も大健闘で、私が聴く限りほとんどノーミスで演奏してくれた。大きく盛り上がる最後のコーダが終わると、会場は割れんばかりの拍手。井上は何回も何回もカーテンコールで呼び戻され、照明が明るくなっても拍手は鳴り止まない。

 うん、実にいいコンサートだった。ぜひ井上道義には、都響でショスタコ・チクルスをやってほしいなぁ(←営業的には難しいと思うけど)。(03/01/20)



アルブレヒト=読響 マーラー交響曲第5番

 さて、20日はサントリーホールで行われた読響定期で、常任指揮者アルブレヒトによるマーラー・プログラムだ。人気の第五交響曲ということもあって、会場は概ね満員の盛況。前半はマーラーの「リュッケルトの詩による歌曲」から4曲抜粋で、河野克典(Br)の独奏だったが、不覚にも爆睡してしまったので(_ _;)感想はパス。で、交響曲の第5番のほうはどうだったかというと、これがイマイチだったのである。読響は2月にヨーロッパ公演を控えていて、今回の定期のプログラムもそのさいに演奏する曲目である。となれば、当然にもいつも以上の演奏水準を期待してしまうのだが、残念ながら凡庸・・・もしくはそれ以下の演奏に終わってしまったような感じだ。

 まず冒頭のTpのファンファーレからして音色がおかしい。アンサンブルも細部のツメが甘く、緊張感が足りないし、全体の見通しも良くない。マーラーは、独特の死生観が音楽化されているのがその音質だと思うんだけど、このように緊張感に欠けている演奏ではマーラーの言葉は口をつぐんでしまい、全体に平板な演奏に陥ってしまう。アルブレヒトのテンポの速い演奏への好みをうんぬんする以前の問題として、まずきちんとしたアンサンブルを整えるべきだと思った。

 こんな演奏が第3楽章まで続いたのだが、第4楽章のアダージェットでちょっと持ち直して、第5楽章のフィナーレはまぁまぁ。それでもTbもHrも音色が濁りがちで、音量のコントロールの雑である。正直言って、このレベルの演奏で、ヨーロッパに行っても評価はされないと思うし、読響が本来持つ実力を出し切った演奏は到底言えないと思う。来週も読響を2回ほど聴くのだが、そのときには万全の演奏を望みたい。(03/01/22)