Concert Diary in November

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■各タイトルの日付は、掲載日を表しています



新国立劇場「セビリアの理髪師」

 新国立劇場としては再上演になる粟国淳演出の「セビリアの理髪師」を、11月2日(土)のマチネを見に行った。前に見た98年の時はピエールフランチェスコ・マエストリーニ の演出だったけど、何でプロダクションを変えたのかは不明。正直言って、演出は前ストリー二のほうが数段面白かったと思うのだが、どうだろうか?

配役 11/2 11/10
アルマヴィーヴァ伯爵 ジョヴァンニ・ボッタ アントニーノ・シラグーザ
ロジーナ パラオ・アントヌッチ ジョイス・ディドナート
バルトロ 久保田 真澄 ブルーノ・プラティコ
フィガロ アレッサンドロ・バッティアート ロベルト・デ・カンディア
ドン・バジリオ 池田 直樹 フランチェスコ・エッレロ・ダルテーニャ
ベルタ 郡 愛子 本宮 寛子
フィオレッロ 中鉢 聡 松浦 健
隊長 田島 達也 長谷川 寛
管弦楽 アントニオ・ピロッリ=東京フィル
 さて、この日のキャストは、いわゆる完全Bキャストで、11月10日の最終日も聴きに行くので、両キャストを全部聴くことが出来るハズなのだ。そのBキャストだが、準主役である伯爵役のジョバンニ・ボッタが、登場当初から声が細く、ぜんぜん響かない。伯爵が良くないと、このオペラ、ぜんぜん面白くないもので、この調子だったら第一幕だけで帰ろうかと思ったほどなんだが、なんと第2幕が始まろうかというときに五十嵐総監督が出てきて、「ボッタは風邪のため、第2幕からシラグーザが歌います」とのこと。会場は拍手(^_^;)。

 さすがにシラグーザ、第2幕の伯爵役は見事のひとことで、声の艶やかさ、表現力、演技の確かさ、いずれも申し分なし。彼が登場してから舞台はキラキラ輝いた。降板したボッタは残念だったが、11/9までに復調して名誉挽回して欲しい。アントヌッチは、とっても美形だが、日本人的6頭身ぎみ?でも歌唱は巧いし、表現力もある。バルトロの久保田真澄(日本酒好きにはたまらない名前ですね)は、この日の大収穫といってよく、なんともお茶目な悪役振りである。早口言葉?も巧みに歌いこなして、満場の拍手を集めていたし、シラグーザとともにこの日の舞台の屋台骨を支えた一人といっても決して過言ではない。フィガロのバッティアートは、やや小粒で、影の薄い存在になってしまったのが残念。歌は決して下手ではないのだが、表現が生真面目すぎる感じで、いまいちフィガロっぽくない。池田直樹は、やや音程に不安を感じさせたけど、これは演出のうち?

 管弦楽はややセーヴした感じで、ちょっとマジメ過ぎかな。ロッシーニ・クレッシェンドも高揚間に乏かったが、まぁ、破綻なくきちんと仕上げた点は評価できる。全体的に見ると・・・演出が面白くなかったので、イマイチなのだが、この点は次回の公演を見てから書きたい(02/11/05)



JTアートホール〜「ブラスの競演 III」

 3連休明けの今日、11月5日(火)は、JTアートホールの「ブラスの競演III」に出かけた。客席のほとんどは埋まっているが、発売即売り切れの多いJTアートホールの公演にあって、当日券も売れ残っていて、人気度イマイチな感じ。まぁ、これが日本の金管楽器の人気度なのだろう。ワタシ的にも金管アンサンブルを聞くのは初めてで、正直言って日本の金管への期待度はイマイチなので、人気のイマイチ度もなんとなくわかる気がする・・・。登場メンバーは、11名で、Tp4+Hr2+Tb4+Tu1という編成。奏者は都響4+N響3+読響2+東響1+シエナ1。メンバーをみんな書くとめんどいので省略(_ _;)。なおTp奏者はコルネットとフリューゲルの持ち替え。

 曲目は、前半はヘンデルやバッハなどのバロック期の編曲もので、後半は20世紀の作品でジャズっぽい雰囲気もある作品。最初は、演奏も硬さが目立った感じ。コンマスの位置にいた高橋tp@都響も、コンマスの椅子の居心地が悪い様子で、対面に座っていた福田tp@都響の指示をうかがいながら、カーテンコールに答えていたのがオモシロ(^_^;)かったのだが、金管アンサンブルも結構オモシロイ。音色的にはちょっと編板になりがちかな・・・と思ったのだが、小さなホールを満たす金管の響きはワタシ的にはとっても新鮮! 特に後半最初のトロンボーン四重奏曲(?)のH・フィルモニアのトロンボーン・ファミリーの曲(小田切寛之@都響の編曲)は、Tb特有の音階を滑らすグリッサンドを多用したオモシロイ曲だったし、C。ヘイゼルの「3匹の猫」「もう3匹の猫「「あともう一匹の猫」も、表題との関連がイマイチだったが(^_^;)、とてもロマンチックかつジャズ的要素を含んだ聴きやすい曲で、とても感動してしまった。

 このコンサートを聴く前は、日本の金管楽器なんて・・・と思っていたのだが(いや、海外のメジャーオケと比較したら差があるのは確かだろうと思うのだが)、ここにいる金管奏者はなかなかやるジャン!、それどころか金管アンサンブルだけでも感度を与えることが出来るんだと、今更ながら実感できたコンサートになった。この日のコンサートで、一番巧いと思ったのは、Tpの福田@都響。彼のトランペットは、他の奏者と比べて、湿り気が少なく、抜けきった乾いた音が魅力的だ。コルネットの音も安定していて、安心して聴いていられる。あとバス・トロのノルベルト・ラツコ@読響も、キレの良い乾いた音が良い。

 満場の拍手のこたえてアンコールを1曲(曲目不明)。金管楽器の演奏会のためか、休憩を含めて90分と短いコンサートだったが、新発見の多い、とても充実した一夜だった。ぜひ、また、ブラスのコンサートを聴いてみたい。(02/11/06)



速報!川崎駅西口文化ホールは、東京交響楽団のフランチャイズに!

 今日(11・06)付けの朝日新聞(神奈川)に、現在建設中の川崎駅西口文化ホールのフランチャイズ・オーケストラに、「東京交響楽団」に決定したという記事が掲載された。詳細は、リンク先を参照のこと。(02・11・06)



シャイー=アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

 11月7日、サントリーホールで行われたシャイーが指揮するアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(ACO)の演奏会に出かけた。ACOはオランダで最高のオケであるばかりでなく、ヨーロッパでも屈指のメジャー・オケに数えられる。過去にも数回、同オケを聴いたが、その知名度は決して伊達ではない。今日の曲目はマーラーの交響曲第3番。100分以上にも及ぶ大熱演となった。

 シャイーのアプローチは、室内楽的だ。複雑怪奇を極め、統一感に欠ける音楽になりがちなマーラーの3番でありながら、シャイー=ACOの演奏は極めて明晰である。音量はセーヴされ、シャイーは何度も腰をかがめてオケの音量をコントロールする。そしてACOから醸し出されるシルキーな音色、抑制された表現ながら、その音楽的密度は高さはいささかも失われていないのは特質すべきで、室内楽的な透徹感と音楽的密度が高い次元で両立した演奏だった。

 やや遅めの演奏で始まった第一楽章、第2楽章を経て、第3楽章のポストホルンの芸術的な美しさは神業的。第4楽章での独唱は、体調不良のミシェル・デ・ヤングの代役に立ったのは、な、なんとナタリー・シュトゥッツマンだ。現代最高のアルト歌手が歌う第3楽章の奥深さは、筆舌に尽くしがたいもので、まるでホールがシュトゥッツマンに合わせて呼吸をしているように深い声が聴き手を包み込む。その優しく、深く、美しい声の抱擁に包まれる時間は、まさに天国的だ。第5楽章でのTOKYO FM児童合唱団の意外な健闘(!)は嬉しい誤算で、アーノルド・シェーンベルグ合唱団も評判どおりの実力を発揮し、音楽通じて織り成す天国の世界を再現する。そしてこの曲の頂点とも言うべき第6楽章は、天国的な浄化だ。弦楽器が紡ぎだす旋律の繊細な調べは、まさに室内楽的だ。そのセーヴされた音量が、徐々に頂点に向かって登りつめる。そしてメルクマールへ登りつめるクレッシェンドの高揚感は、まさに3000m級の名峰の頂上に立つかのようなパノラマ的な世界だ。

 ワタシ的に同曲の最高の演奏はベルティーニ=ケルン放送響だが、今日のシャイー=ACOはその水準に肉薄する名演奏。ベルティーニに及ばなかった点といえば、やや音楽的にセーヴし過ぎたきらいがあった点と、最終楽章の高揚感だが、いずれも好みの問題だろう。いずれも今日の演奏の価値を下げるものでは、断じてない。

 あと残念だったのが客筋で、子ども連れや、演奏中にがさごそと音を立てる客がいたところだ。特に、この曲を小学校低学年に聞かせるのは、どう考えても無理がある。実際、子どもはずーっと寝ていたが、寝返りを打つたびにがさがさとウルサかった。親だって、落ち着いて聞けないと思うのだが・・・・・。(02/11/07)



ヒュー・ウォルフ=フランクフルト放送交響楽団

 11月8日は、東京オペラシティ・コンサートホールで行われたウォルフ指揮のフランクフルト放送響のコンサートに出かけた。会場はだいたい8割程度の入りで、ちょっと空席も目立つ。同オケは、どうしてもエリアフ・インバルとのコンビでの印象が強烈で、DENONレーベルのマーラー全集を始めとした名盤を次々に発売し、一躍ヨーロッパのメジャーオケに匹敵する人気を獲得した。インバルは90年に退任し、その後はキタエンコが6年間首席指揮者を勤め、97年からは今回の来日指揮者ヒュー・ウォルフが首席指揮者を勤めている。ウォルフは、1953年にパリで生まれたアメリカ人指揮者。曲目はすべてベートーヴェンで、前半にレオノーレ序曲第3番、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(pf:コンスタンチン・リフシッツ)、後半は交響曲第5番というプログラムだ。

 インバル時代のフランクフルト放送響というと、厳格なトレーニングに裏打ちされた精緻を極める演奏が特徴だったけど、今回の演奏はその強烈な特徴は影を潜めてしまった感じだ。しかし、ドイツの放送響らしく、機能性と適応範囲の広い柔軟性は健在で、インバル時代の「緊張感」に代わって、ウォルフ時代は「自発性」が加わったような印象を受けた。そして、今回のベートーヴェン+アンコール2曲(ロシアもの)も非常にレベルの高い演奏を聞かせてくれたことは特筆したい。

 プログラム的には、聴きなれた曲ばかりだが、レオノーレはとてもドラマチックな起伏に富んだ演奏だ。この曲を聴いて、ウォルフの実力の高さを確認した。とりたててこれといった個性的な解釈は見られないが、奇をてらわない正攻法のアプローチで、音楽のタテ・ヨコの線もきちんと整えてくるあたりはさすが。リフシッツをソリストに迎えた「皇帝」は、スケールが大きく、とてもきらびやかな演奏で、ワタシ的に聴いた「皇帝」の中ではベストの演奏。交響曲第5番は、演奏そのものはとてもオーソドックスなもので良かったんだけど、楽器はちょっとびっくりで、ホルン、トランペット、フルートに古楽器を取り入れての演奏。しかし、弦楽器に奏法は、モダン楽器の奏法そのままだったように思えるので、全体としての印象はモダン・オケのものだ。確かにピリオド楽器を取り入れたことによって、その楽器の音色が変わった事はわかったが、その意図は今ひとつわからない。とはいっても、あのナチュラル・ホルンで、完璧に近い音程を維持できるテクには敬服の一言だ。

 ウォルフ=フランクフルト放送響は、今後、楽しみになコンビだろうと思う。きっとインバル時代とは違う意味での良い時代を築く可能性を秘めていると思う。アンコールは、ルスランとリュドミュラ序曲と、プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」から。(02/11/10)



新国立劇場「セビリアの理髪師」

配役 11/2 11/10
アルマヴィーヴァ伯爵 ジョヴァンニ・ボッタ アントニーノ・シラグーザ
ロジーナ パラオ・アントヌッチ ジョイス・ディドナート
バルトロ 久保田 真澄 ブルーノ・プラティコ
フィガロ アレッサンドロ・バッティアート ロベルト・デ・カンディア
ドン・バジリオ 池田 直樹 フランチェスコ・エッレロ・ダルテーニャ
ベルタ 郡 愛子 本宮 寛子
フィオレッロ 中鉢 聡 松浦 健
隊長 田島 達也 長谷川 寛
管弦楽 アントニオ・ピロッリ=東京フィル
 11月2日に続いて、今日10日は最終日のAキャストの公演を聴いてきた。会場は日曜日ということもあってか、満員の盛況である。

 新国のオペラ公演の場合、必ずしもAキャストが良いとは限らないし、Bキャストが物足りないとも限らない。結果的に前評判が逆転した例もたくさんあるが、この「セビリアの理髪師」に関しては主要配役すべてがAキャスト(10日)の公演のほうが上だった。昨日9日もボッタがキャンセルしたために、全日当番となったシラグーザの輝かしく美しい声の見事なこと!これほどきれいな声のテノールは、他に聴いたことがない。 やはりロジーナにはメゾが似合うと思うけど、ディドナートの表現力も素晴らしく、プラティコのバルトロも、観客がウケるポイントを心得ていて、実に面白い(2日の久保田の好演も忘れがたいが)。フィガロのカンディアも、声・演技ともに存在感が抜群で、2日とは雲泥の差。ダルテーニャの声は、ドン・バジリオにはもったいないほど立派な声で、存在感をアピールした。いや、2日の公演では退屈だった第一幕が、今日10日は、約100分の時間の流れを忘れるほどのオモシロさ。第2幕ももちろん2日よりも上だ。管弦楽は相変わらず、抑えぎみのサポートに徹した演奏で、ロッシーニらしい輝かしさや起伏の変化、面白みには欠けたが、歌手がこれだけ良ければサポートに徹するのも悪くなかろう。全体的には、非常にレベルの高い公演だったと思う。

 問題は演出だ。数ある若手演出家の中で、なぜ粟国が選ばれたのか、この公演の中で説得力のある答えをしなければならないと思うのだけれども、残念ながらこの演出は減点しなければならない点が多い。演出を説明的にするために、何箇所も舞台装置をスライドさせるシーンがあるのだが、音楽的に静かなシーンで展開するために雑音がうるさく、音楽を著しく阻害している。もちろん、演出的に得るものが多いのであれば、多少の音楽的犠牲もやむを得ないのだが、この演出では得ているものの方が多いとは到底思えない。第一幕最後の大混乱でも、合唱の動かし方が派手すぎて靴音が音楽を阻害していたし、その他にも無駄な動きが多いのだ。また再演されるときには、ぜひ改善を望みたい。(02/11/11)



アルブレヒト=読響「ワルキューレ」第一幕

 読響の今年度の定期演奏会で、一番の呼びものと言えば、この「ワルキューレ」第一幕に違いない。エルミング、ラング、モルというワーグナー歌手をそろえたキャスティングは、オペラ・ファンなら大注目の公演だ。しかし、今日(11/11)のサントリーホールには空席が目立った。だいたい8割強の入りじゃなかったろうか。これだけ華がある公演にもかかわらず空席が多かった理由は、一回券のチケット価格がメチャクチャ高くて、あまり売れなかったことではないだろうか。一回券価格はなんと最高ランクのA席で18,000円! 後期の定期会員券は6回のコンサートで27,000円だから、計算的には残り5回のコンサートが9,000円?!戦略的には、定期会員券安く見せかける手段なのかもしれないが、今日のコンサートを見る限り・・・・・・その戦略が成功だったとは思えない。

 さて、そのワルキューレ第一幕は、演奏時間は約65分程度。歌手ではまずクルト・モルの、ホール全体が呼吸しているかのように深く響く素晴らしい声は、第一幕の前半だけで引っ込んでしまうのはもったいないと思うほどで、いまなお世界最高のバスであることを改めてを示してくれた(クルト・モルだけ、アンコールで「タンホイザー」から領主のアリア)。ポール・エルミングも、輝かしくテンションの高い声は、これまた世界最高水準のヘルデンテノールだ。少なくとも、私がこれまで聴いたことのあるワーグナー・テノールの中で最高の歌手である。ところが、ぺトラ・ラングだけは譜面を見ながらの歌唱だったが、やはりジークリンデが手中に収まっていないような感じだ。節回しが手探りのような感じで、音程も少々不安定なところがあったのが残念。

 肝心のオケは、先日の「パルジファル」第3幕と比較すると、数段落ちる内容だった。冒頭の嵐のような弦楽器もぜんぜん鳴っていないので、はるか遠くで鳴っているかのようなもどかしさ。ワーグナー特有のうねり感も希薄なのだ。その他のパートも粗雑な感じが拭えず、「パルジファル」で感じた演奏水準の高さがウソのようで、これまで数多くのオケで「ワルキューレ」を聴いてきたがその中では最も不満が残る内容だった。オケが良くないと、ワーグナーの陶酔感を味わうことは難しい。歌手が良かったので、定期会員券価格程度のもとは取れたとは思うが、一回券価格に見合った公演だったかというと、非常に疑問である。(02/11/11)



ベルティーニ=都響のバルトーク

 バルトークは、ワタシ的にイマイチよくわからん作曲家のひとりである。聴いていると、なんとなく人間の触れてはいけない深遠のほの暗さと、論理的にまとまりのない不安定さを感じてしまう。私と同様な傾向の人も多いのかもしれないと思ったのは、今日の客入りを見たときだ。ベルティーニが振る時は、いつも満員に近い盛況なのに、バルトーク・プログラムの今日(11/12)のサントリーホールは空席が目立って、だいたい8割以下の入り。ステージ裏のPブロックにいたっては、埋まっているのは1割程度でガラガラ状態だった。

 しかし客の入りと演奏レベルは必ずしも比例しないのがコンサートの面白いところで、今日のバルトーク・プログラムはその一例となった。もっとも、最初のバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番は、私にとっては理解しがたい曲なので名演だったのかどうかは断言できないけど、少なくともソリストのイザベル・ファウストの素晴らしい演奏にふれる事が出来ただけでもこのコンサートに来た価値があったと思わせるほどだった。一音たりともおろそかにしない演奏に対する姿勢、どのような楽想も明晰に表現するテクニック、クールで怜悧な音色の美しさ、いずれも他のヴァイオリニスとではなかなか味わうことのできない個性である。経歴を見ても現代音楽を得意としているらしいが、今日の演奏を聞いてもなるほど!と思わせる。アンコールにバッハの無伴奏ソナタ第3番第3楽章を弾いたが、これも良かった。彼女は、またいずれ、是非聴いてみたいヴァイオリニスだ。

 後半のオーケストラのための協奏曲も、実にレベルの高い演奏に仕上がった。ほの暗いバルトークの音色を基本としつつも、多彩な楽想に応じた豊富なな音色のパレットも用意されていて、 エッジのはっきりした明晰な音楽を緊張感溢れる演奏で聞かせてくれた。空席の多かった会場だったが、カーテンコールは大いに盛り上がった。ぜひこのコンサートの水準を、今後のスタンダードにして欲しい。(02/11/12)



JTアートホールのコンサート

 まずはヨタ話から。先月20日に、情報処理技術者の「初級システムアドミニストレータ」を試験したと書いたけど、昨日(11/19)はWEB上での合格発表日だった。18日の深夜24時過ぎにはもう発表のページが現れていて、恐る恐る見たら・・・・・なんとか合格していました(^_^;)。まぁ、合格率から考えると難しい国家資格ではないし、ワタシ的には単なる通過点だけど、午後の試験が意外に手間取って試験直後はちょっと落胆ムードだっただけに、正直ウレシイ。

 さて今日は、15〜16日に行った、JTアートホールの室内楽シリーズのことである。

 このページを以前からご覧の方はご存知だろうと思うけど、私が一番好きな音楽ジャンルは室内楽である。聴きに行っている回数そのものは少ないけど、やはり音楽的純度の高さ、アンサンブルの精度・密度を求めるのであれば室内楽が一番だ。JTアートホールは、都内の室内楽ホールの中では異彩を放っていて、演奏家自身がプランナーになって様々な企画公演を主催していくスタイルを採用している。そう、プロデューサー=演奏家となって、自分が演奏したい企画を実現できるホールなのだ。そして、どんなに豪華なゲストが登場しても、何人の演奏家がステージに上っても、チケットの価格は3,000円/回と格安!座席は300席弱と少ないこともあって、多くの公演は発売即売切れとなってしまう。

 ただしこのホールには、大きな欠点もあって、それは、音響はあまり良いとはいえないことだ。このホールでは、前後左右のいろいろな席で聴いたけど、どの席でも残響音が少なく、特に弦楽器の響きに潤いが欠けることが多い。同時に、残響音の少なさは、演奏家の技量の差をかなり露呈してしまう。残響音の少ないホールでも、芳醇な音を響かせることが出来る演奏家と、そうではない演奏家は、はっきり聞き分けることができる。その意味では弦楽器奏者には、シビアなホールといえるだろう。

 11月15日は、福田進一をゲストに迎えた
「ギターの室内楽IV」。曲目や出演者はリンク先をご覧いただくとして、私はギターを室内楽ホールで聴くのは初めてだったので、新鮮な体験だった。ほとんどが20世紀のギター作品で、ほとんどが日本初演もしくは世界初演だったのだが、意外と聴きやすい曲ばかりで楽しめるコンサートだった。クラシック・ギターの響きは、意外と弦楽器や管楽器のアンサンブルに、よく似合う。そして16日はJTアートホール室内楽シリーズ「200回記念ガラコンサート」だ。午後3時から始まったコンサートは、室内楽の名曲をこれでもかっ!!!と抜粋して、終了したのは午後6時の大サービス。これだけの奏者が、よくアンサンブルの練習をする時間が確保できたものだと感心する反面、いずれも臨時編成のアンサンブルなので、何十年も連れ添った弦楽四重奏団のような熟成した響きを望むことは難しい。これで3,000円というコスト・パフォーマンスの高さを感じつつも、これがJTアートホールの企画の限界なのかもしれない。もちろん、それはJTアートホールの魅力を否定してしまうものではないのだが、常設のアンサンブルを育成していく努力も一方では必要ではないかと思う。(02/11/20)