Concert Diary in May ■文中の敬称は省略しています。 ■各タイトルの日付は、掲載日を表しています |
5月3日は何の日でしょう? 今年のGWは3日休んで、3日出勤、そして4日休みというパターン。その中の出勤日だった昨日は通勤電車がやたらと空いていて、この空き具合から考えると世の中の会社の3割程度は10連休になっているのではないだろうか。なんとなく羨ましくもあるが、たぶん10日も休んだら二度と出勤したくなくなると思う(^_^;)。 さて、今年も5月3日が近づいてきた。そう、このページの読者であれば間違える人はいないであろう、・・・このページが生まれた日である。いよいよこのページも7年目を迎えることになった。たぶん、現存する日本のクラシック系ホームページの中では3番目くらいの長きに渡って続いているばかりでなく、国内最初のライヴ系リスナーのホームページである。その後、ライヴ系のページはたくさん生まれたものの、残念ながら、生まれた数とほぼ同数のページが消えていってしまったような気が・・・しなくもない。 7年目の今年は特別企画でもやるかどうか考えたんだけど、ちょっと時間がない。そこで限られた時間の中で出来ることをということで、懸案だった新しいアクセスカウンターの設置した。実は従来のカウンタが実に当てにならなくて、これまで2つのカウンタを設置していたんだけどぜんぜん数値が違い、メインのカウンターの数字が2割くらい少ないので良いカウンタを探していたんだが、今度のはクッキーを使っていてかなり正確そう。あと、7周年特別セールで、チケット電脳市場に注目のオペラのチケットが登場するかも?!しれない。(02/05/01) ライヴ系リスナーの日 うららかな天気の中、このホームページが生まれてから6回目の「ライヴ系リスナーの日」を迎え、今日から7年目に突入してしまった。これからも その1=.マイペースで、その2=ホームページは自分のため、その3=更新したいときに更新する、更新したくないときには更新しない!という姿勢を守りつつ(^_^;)、すごしたいと思っております。今後ともよろしくお願いいたします。 ところで、このページの読者はご存知ないかもしれないが(^o^;)、5月3日は日本国憲法が施行された「憲法記念日」でもある(ちなみに11月3日の文化の日は日本国憲法が公布された日だ)。型通りのTVニュースの中で護憲派と改憲派の集会の模様が流されていたけど、今年の憲法記念日は明らかに様子が違う。護憲派の集会はなんと会場に入りきれない人まで現われる盛況で、放送によるとたぶん日比谷公会堂(←かつてのクラシックの殿堂)はロビーも溢れる有様。反対に改憲派の集会(会場不明)のホールはガラガラ。この原因は、明らかにメディア規制三法と有事法制の問題に対する危機感の現われであろう。先日、某所の駅前を通りかかったら有事法制反対の署名をやっていたのだが、そこで画板を持った署名集めの人の前は、ことごとく通行人がペンを持って署名をしているのだ。署名集め、大盛況っていう感じ。 昨年9月の衝撃的なニューヨークのテロ事件以降、世界の歯車が大きく狂い始めた感じで、アメリカによるアフガニスタン侵略はもとより、イスラエル(=アメリカ)によるパレスチナ侵略などは目を覆うほどひどい事態になっているのに、国際社会は全く判断停止の状態になってしまっている。そして、この間の小泉政権の動きも、世界の動きとは無縁ではないだろう。さて、あなたはメディア規制三法と有事法制をどう考えますか?(02/05/04) ●チケット交換希望 当方所有のワシントンオペラ「オテロ」(7/17NHKホールF席14,000円))に行けなくなってしまったため、他日オテロ公演(7/7、7/10、7/14)もしくはトスカ公演(7/13、7/16)の同席種と交換希望。トスカならE席でも可(差額清算)。交換に要する手数料は当方が負担いたします。よろぴく! ボッセ=新日本フィル 5月2日にトリフォニーで聴いたNJPボッセ・シリーズの感想を書き忘れていた(^_^;)。客の入りは先月のハイドンよりは入っていたようだけど、3階席はほとんど空席と言ってよい。曲目はモーツァルトの交響曲で35番「ハフナー」、36番「リンツ」、38番「プラハ」の3曲である。 古典に定評のあるボッセの一番いいところは、リズム感が非常に優れている点ではないだろうか。きびきびとしたリズムに乗った、スピーディな音楽の展開は、とても自然で、聴き手に違和感を感じさせないオーソドックスなもの。古典で一番大切なのは、このリズム感の確かさだと思うのだが、ボッセはこの点で秀でている。ハイドンやバッハだけではなく、モーツァルトでもこの美点は生きていたんだけど、・・・うーん、この日のボッセ=モーツァルトを聴いた感じは、ワタシ的モーツァルトの理想的な演奏とはちょっと志向性が違う感じなのだ。 その違いというのは、音色であり、オケの音の重なり=響きである。この日の演奏は、前半の2曲でオケの音が野暮ったかったことも災いしたのだが、やはり各パートの音のきちんと分離しないため、音が重すぎる。休憩後の「プラハ」では大幅に改善した演奏を聴かせてくれたんだけど、それでもハイドンの後期の交響曲か、ベートーヴェンの初期の交響曲を聴いているかのような錯覚を覚えるような響きなのである。もちろん、このようにドイツ音楽の流れの中でモーツァルトをとらえるのもひとつの解釈であるし、それを否定するつもりはないけれど、私の好みはもっと透明感があって、各パートが綺麗に分離し、なおかつ各パートが有機的に統一した軽やかな響きなのだ。そう、かのペーター・マークが振ったモーツァルトは、まさにこのような響きだった。 とはいっても、後半の「プラハ」は、躍動感と推進力に溢れ、オケの響きも適度な肉厚があって、古典的な美しさを湛えていたことは特筆しておきたい。今夏、ボッセ=NJPはベートーヴェン・チクルスに取り組む予定だが、これはかなりの聴きモノになりそうな予感である。もちろん私はチケット申し込み済みである。(02/05/06)
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