Concert Diary in April

■文中の敬称は省略しています
■各タイトルの日付は、掲載日を表しています



ボッセ=新日本フィル チェンバーオーケストラシリーズのハイドン

 昨日はすみだトリフォニーホールで行われたボッセ=NJPのチェンバーオーケストラシリーズのコンサートに行ってきた。まず錦糸町駅を降りて驚いたのは、シャッターが閉まっていた旧そごうが、新たなテナントビル「アルカキット錦糸町」として再オープンしていたこと。伊勢丹系のモールや、100円ショップのダイソーなど、さまざまなテナントが入っている。土曜日ということもあって、駅前は人出が多く、アルカキット錦糸町も繁盛している様子だった。

 さて、トリフォニーホールに入ったのは開演ギリギリの時間だったのだが、3階客席は・・・・・えっ、こんなに少ないの??? うーん、3階席は1割も客が入っていないんじゃないだろうか。1階席は6割程度、お客が入っているみたいだけど、全体的に見るとかなり少なめ。これは選曲から考えても仕方がないのかなぁと思ったのだが、その選曲は、NJPがかつてカザルスホールで全曲連続演奏会を行ったハイドンの交響曲から、「朝」、「昼」、「夕(晩)」という表題を冠した交響曲第6〜8番である。表題は付いているものの、その音楽から表題性を感じることはほとんど無く、純粋に交響曲(プログラムの野本由紀夫氏の解説によると、正確には「コンチェルトーネ」というジャンルに分類)として楽しんだほうがいい。

 さて、演奏のほうは、古典を得意とするボッセらしく、素晴らしい演奏に仕上がった。8-6-4-3-2の小編成のオケは、ステージ上では小さく見えるけれど、トリフォニーは良く響くホールなので、音量的には不足感が全くない。その上、室内楽的なアンサンブルは精度が高く、弦楽器の透明感ある響きと、美しい木管のソロの精妙なかけあいに、聞惚れる瞬間の連続だった。ハイドンの作品はたしかに地味かもしれないが、このように良い演奏に出会うと、軽妙、かつウィットに富んでいて、楽しい作品であることが分かる。

 そして忘れてはならないのが、指揮者の存在だ。ワタシ的にはNJPに登場する指揮者の中で最も優れた音楽性を感じさせる指揮者は誰かと問われたら、迷わずボッセだと答えるし、これだけマジメに正面から音楽を捉え、古典をきちんと振れる指揮者は、ほんとうに貴重な存在である。この1〜2年、NJPのアンサンブルがかなり向上しているように感じられるけど、その原動力はボッセがきちんと古典を振っていることにあるのではないかと、私は勝手に想像している。次回のボッセのチェンバーオーケストラシリーズは、5月2日のモーツァルト「ハフナー」「リンツ」「プラハ」の3曲。「モーツァルトは苦手」を公言してやまない私も、この日のコンサートはとても楽しみである。(02/04/07)




新国立劇場「ワルキューレ」最終日

 結局、「ワルキューレ」には3回行ってしまった。休憩時間も含めれば、3回で延16時間である。今年1月のベルリン国立歌劇場の「リング」、7月の二期会の「マイスタージンガー」、秋のアルブレヒト=読響の「パルジファル」をはじめとしたワーグナー・シリーズ、9月のシティフィルの「ジークフリート」・・・、今年はワーグナーのためにいったいどのくらいの時間を費やせばいいのだろうか(^_^;)。まったく、ワーグナーというやつは壮大な時間の無駄なような気がしなくもない。

 私はどちらかと言うと鈍感なほうなのかもしれないが、1回見ただけでは演出の意図がはっきりとは掴めず、2回、3回と繰り返してみることによって新たな演出の側面が見えてきて、それぞれの回で新しい発見があって面白かった。そして私が見たキース・ウォーナーの演出は、表面的には非常に斬新だけど、内容的には「保守的」と言ってもいいほど「リング」の筋書きに忠実だろうと思った。私の知り合いでも、初めて「リング」を見た人もいたのだが、そのいずれもが斬新だとは言いつつも、違和感なくこのストーリーに馴染んでいたようである。例えば、第1幕でジークリンデが性的な夢を見て身もだえし、眼が覚めて睡眠薬を飲もうとしていたら、そこへジークムントが入ってきて、それを隠してしまう。結局、その睡眠薬は、フンディングに飲まされることになるのだが、このあたりはワーグナーのト書きには無い演出かもしれない。しかし、のちのちのストーリーへの布石が組み込まれた、違和感のない導入部である。人によっては過度に説明的という向きもあろうが、私はそうは思わない。

 何よりも面白かったのが、やはりワルキューレの設定であろう。看護婦?医者?いや私は遺体処理人のような設定に近いと思ったのだが、いずれにしても、ストレッチャーを馬に見立てた演出とあわせ、これほど斬新でありながら、誰もが納得できる設定が他にあるだろうか!!!戦場で死した勇者を集め、ワルハラに集める仕事の設定を、現代の職業にダブらせるとしたらこれ以上に適当な役割があるだろうか。

 今回の演出で特徴的だったのは、デフォルメされたスケール感である。フンディングの家が巨人の家のようにデフォルメされたスケールであり、そして兄妹が逃げるのが縮小された地図の上。第2幕のブリュンヒルデが乗って登場するグラーネは子供用の木馬だが、第3幕の父娘のやり取りのシーンでは巨大な馬のモニュメントとして登場する。そして神性を奪われたブリュンヒルデが眠る「燃えるベット」や目覚まし時計は巨大となり、その時には神性を奪われたであろうグラーネも小さくなっている。このデフォルメされたスケール感が何を表しているか、その解釈は今現在、私たち一人ひとりの感性にゆだねられているのだが、私はそれぞれのシーンで登場する人物の相対的なスケール感を表しているものだろうと感じた。

 また、ブリュンヒルデを幼児的に描く場面があったが、これは第2幕冒頭と、第3幕後半で、いずれもヴォータンとの対比の中でそのように描かれている。その一方で、第2幕後半、ジークムントにワルハラにくるように諭すシーンでは、ブリュンヒルデから幼児性を感じることは出来ない。このようにウォーナーは、デフォルメされたケール感や強調された幼児性を、相対的な人間関係のシンボルとして描こうとしていたのではないか。例えば、ジークムントから見たらブリュンヒルデは神々しい存在でも、ヴォータンから見たら、ブリュンヒルデは「幼児」なのである。このようにすべての関係を相対性の中でデフォルメして描くことによって、絶対的存在に思われがちの神々の存在も相対的ななる。少なくとも、私が見た「リング」の中で、ヴォータンをはじめとした神々がこれほど悩み、打ちひしがれ、嘆く・・・つまり「人間的」に描かれた例は知らない。

 今回の「ワルキューレ」の中でウォーナーが込めたメッセージが、私が受け取ったものと同一かどうかは自信はない。しかし、来年の「ジークフリート」、再来年の「神々の黄昏」の中で、その意図は明らかになるだろう。その時が来るのが、実に楽しみである。(02/04/09)



尾高忠明=東京フィル

 東フィルの今シーズンの最初を飾る定期は、桂冠指揮者・尾高忠明の登場。プログラムが地味目のの割には、客席は8割以上の入り。

 まず武満徹の「死と再生」は、映画「黒い雨」の映画音楽に使われた弦楽合奏の曲だが、ワタシ的には良く判らない曲だったのでコメントはパス(^_^;)。続いて神尾真由子をソリストに採用したモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番。神尾というと・・・調べてみたら99年の新日本フィル定期で聴いたことがあり、その時はモーツァルトのVn&Va協奏曲で、Vaは今は亡き白尾偕子だった。その時は白尾の手馴れたコンチェルトぶりに対し、神尾の独奏はまだまだ若すぎて、一人走りすぎるきらいがあったが、今回の演奏も、多少そのような傾向を感じさせるものだった。尾高=東フィルがヴィヴラートを抑えた清冽な音でモーツァルトを奏でていたのに対し、神尾はヴィヴラートをたっぷりとかけ、ロマンチックな音色を押し出していて、その音色には少なからぬズレを感じたのも事実である。とはいっても、決してテクニックをひけらかす訳ではなく、テンポは安定していて、若々しい音楽作りは好感を感じさせるものだった。アンコールは、エルンスト編曲によるシューベルト「魔王」の主題による大奇想曲(?)。

 後半のウォルトンの交響曲第1番は、イギリス音楽の紹介に意欲を燃やす尾高らしい選曲。最初の2つの楽章は、イギリス音楽らしからぬ深い思想性を感じさせる楽想だが、後半の2つの楽章はやや表面的な音楽という感じ。初めて聴いた曲なのだが、非常に聴きやすく、オケの機能性を生かしたスケール感、金管の派手なパフォーマンスもあって、もっと演奏される機会が多くても良い曲だと思った。オケは前々日まで「ワルキューレ」を演奏していたメンバーと同じなのかどうかは分からないけど、この定期も素晴らしい熱演を見せて、東フィルの充実度の高さを感じさせる演奏だったことは間違いない。来月のホグウッドの「グレイト」も楽しみである。(02/04/10)



博多ラーメンを食べた夜



【アクロス福岡】

【都響公演のチラシ】

【キャナルシティの大道芸】

【キャナルシティの噴水】

【中州の夜】
 今日の私は、なぜか博多にいる(^_^;)。もちろん、仕事ではなく、遊びに来たのだ。ホントは4月は人事異動しないはずだったので、JALのバーゲンフェアで九州行きのチケットをとってしまった関係上、やむなく(?)予定通り、旅に出てしまったのだ。

 羽田発の飛行機は14:50発の福岡行き。ボーイング777は、たぶん初めて乗った飛行機だけど、ジャンボに比べると座席がちょっと広くなっていて快適だったが、窓からの景色は雲ばかりだったのがちょっと残念。福岡空港に着陸するときに、超低空で市街地の上で旋回するのでドキドキだったが、あれで大丈夫なんだろうかと心配してしまった。福岡=博多の気候は、晴れで、感覚的には気温は東京と変わらない。暑くもなく寒くもなく、ちょうど過ごしやすい温度だ。

 私が九州に来るのは、たぶん10年ぶりくらい。おぼろげな記憶では、前に福岡空港に降りたときには、空港までの地下鉄はできていなかったと思うし、キャナルシティや、福岡ドームなどの一連の臨海施設もなかったはずだ。もうほとんど、はじめての土地のような感覚である。まずは空港から地下鉄に乗って中洲川端駅で下車し、宿泊の博多エクセルホテル東急にチェックイン。すでに午後5時を過ぎていたので、これから周れる範囲は限られている。まずは、ホテルから徒歩3分の、福岡の音楽の聖地(?)、アクロス福岡(福岡シンフォニーホール)に向かう。

 アクロスとはアジアのクロスロードという意味の造語で、いかにも福岡らしいネーミングだが、ここは95年にオープンしたばかりで、県営のホールや会議場などの文化施設、パスポートセンターと合わせて、民間のオフィスも併設されている。写真では判りにくいが、かなりデカイ建物で、内部も大きなアトリウム(吹き抜け)があり、さすが九州随一の都市であることを感じさせるものだ。シンフォニーホールはこの中にあり、受付の人にホールのパンフをもらおうと思ったのだが、きれいな制服で清楚な雰囲気だったので、「ホールのパンフレット、ありますか?」と訊いたら、思いっきり地元言葉で返事を返されたので驚いてしまった(^_^;)。制服を着ていると、東京言葉で返事をしてくれると思ってはいけないのね。さて、そのパンフによると、福岡シンフォニーホールは普段は1871席のシューボックス型のコンサートホールだが、公演内容によってはプロセニアム形式、つまり舞台とピットを設けることもできるらしい。その意味では、クラシック音楽専用多目的ホールと言っていいかもしれない。

 面白そうなコンサートがあったら聴いてみたかったんだけど、この日は残念ながらクラシック系のコンサートは無し。アクロスのホームページから探しても、クラシック系音楽での稼働率は、極めて低いと言わざるを得ない。そんな中、チラシの棚で6月の都響公演のチラシを見つけた。指揮者は巨匠ベルティーニなのだが、なぜかチラシの写真はソリストの庄司紗矢香がどどーんとメインになっていて、ベルティーニの写真はその1/10程度。うーん(^_^;)、同じコンサートを東京でやったら、絶対に写真の扱いは反対になるだろうなぁ・・・。あと都響のプロフィールに、理事長は都知事が就任しているように書いてあったけど、たしか石原になってから辞めたんじゃなかったかな???

 さて、アクロスから今度はキャナルシティに向かう。キャナルシティ博多は、九州のショッピングやファッションの中心地と言う感じで、出来た当時はその斬新なデザインで全国的な注目を集めた施設である。その後、東京にもお台場あたりにキャナルシティに匹敵する施設が出来たものの、現在でもキャナルシティは決して古さを感じさせることはないんじゃないだろうか。噴水を中心にしたゾーンは、たとえ人工的であったとしても和ませるものがあるし、毎日行われているという大道芸(私が見たのは風船芸とジャグリングなど)もとても面白かった。

 夕食は、このキャナルシティの5階にあるラーメンスタジアム=横浜のラーメン博物館みたいに全国の有名ラーメン店を集めたところに入った。行列が出来ていたのは、喜多方の「坂内食堂」と、旭川の「山頭火」。私は、せっかく博多に来たのだから、地元の「一黒丸」という店に入った。ホントは近くにある幸来軒という店に行きたかったんだけど、まだ時間が早すぎたのか暖簾がかかっていないので、仕方なく「ラーメンスタジアム」内の店に入ったのだが、・・・・うーん、まぁ、不味くはないのだが、特別美味しいとは思えなかった。九州のとんこつにしては臭みはないので、私でも違和感なく食べられたのだが、かなり濃厚なスープに、糸のように細い麺が特徴だ。こんなに細い麺のラーメンは食べたことがないが、やはり麺とスープのバランスがよくないような気がする。あえて、また行きたいと思う味ではなかった。

 仕方なく、キャナルシティを後にして、中州の歓楽街を歩いて宿に向かう。正直言って、歓楽街の客引きの中を歩くのは大嫌いなのだが、ちょうど、水商売風のおねえさんがお店に出勤途中の時間帯。まぁ、出勤時から超ド派手なので一目瞭然なのだが、この歓楽街に限らず、キャナルシティや街角を歩いているふつーの女性も含めて、確かに博多はきれいな人が多い街だと思った。え、いや、だからナンだと言うわけではないんですけど・・・・(^_^;)。(02/04/13)



ツバメが来る町、日田



【日田は本当にツバメの多い町だ】

【江戸時代の街並みが残る御幸通り】

【薫長の酒蔵資料館の中、ひんらりしていて涼しい】

【下駄は、日田の特産品だ】

【お昼に食べた松花堂弁当】

【酒蔵コンサートのチラシ】

【三隈川には菜の花が咲いていた】

【鵜飼いの時期には、屋形船で賑わうらしい】

 今朝(14日)はゆっくりと起きて、福岡の中心の繁華街=天神を歩いて、天神バスセンターへ向かい、10時23分発「日田」行きの高速バスで、一路、日田に向かった。バスに乗ること1時間20分ほどで、九州の小京都と言われている日田に着いた。日田でバスを降りるとまずツバメが多いことに驚かされる。私の親の実家の軒先にもツバメの巣があったのだが、こんなにツバメが多い町は始めてである。感覚としては、都会で見るスズメや鳩の代わりに、ツバメが飛んでいるような感じである。もちろん、季節の鳥なので、この時期だけなのだろうと思うけど、ホントに多くの家の軒先にツバメの巣がある。

 さて、各地に「小京都」と言われているところは多いが、その多くは期待はずれで(^_^;)、どこが小京都やねんっ!とツッコミを入れたくなるところが多い。私は「小京都」という言葉からは、平安から室町、安土桃山時代程度のの歴史と伝統を感じていて、むしろ江戸時代は京都が歴史の表舞台からは去ってしまったような感じがする。ところが一般には、せいぜい江戸時代の町並みを残している程度で「小京都」と言ってしまうようだが、それは大きな誤解を生んでしまうと思うのだがどうだろうか。その定義から考えると、この日田も江戸時代の街並みを今に残している町である。日田駅から10分ほど歩くと豆田町にある「御幸通り」に入る。ここはホントに江戸時代の商家の街並みを残していて、3月に行った倉敷は明治の洋式な建物もチャンポンになるのと違い、純和式の街並みである。ここを観光地化するためだろうと思うけど、電力線を地下に埋設するなどして街並みの保存に力を入れていて、特産品(日田下駄と呼ばれる杉の下駄など)を売るお店も多く、日曜日だったせいか、観光バスから降りて街並みを歩く人も多い。

 街並みを抜けて、城跡を公園化した「月隈公園」にも行ったのだが、ここは展望もあまりよくなく行く価値はなかったので、再び豆田町に戻り、今度は地酒の酒蔵「薫長(クンチョウ)」の酒蔵資料館に行ってみる。ここは地元の地元国税局の鑑評会でも連続で金賞をとっている蔵らしい。試飲できたお酒はもちろん金賞受賞酒ではないが(^_^;)、4合瓶1,000円程度の酒でも十分に美味いと思わせるものだった。この酒蔵の正面には「蔵」という日本料理屋があって、そこも経営はこの酒蔵と同じような雰囲気である。このお酒の味だったら、料理のほうも期待して良いかなと思ったし、時間も午後2時に近かったので、その「蔵」に入って松花堂弁当」(\1,600)を注文した。味のほうは期待通り。ホントはお酒も注文したかったんだけど・・・・(^_^;)。

 また街並みをひと回りしていたら、そろそろチェックインの時間。歩いて駅の反対側にあるビジネスホテルに向かう。途中で駅前にスーパーマーケットがあったのでのぞいてみると、野菜や果物はとても安い、・・・けど、ワケがあるみたいで、東京では売り物にならないような見てくれの悪いものが多い(^_^;)。レタスの葉っぱは虫食いがあったり、イチゴは色がイマイチだったり、大きさが不揃いだったり、・・・、味と見てくれはあまり関係ないのであれば、この値段は非常に魅力的である。本来の野菜は、こうあるべきなのかもしれない。

 宿は、ビジネスホテル・カネセンと言って、昨日と待ったエクセルホテル東急と比べると宿泊料は半分以下。その割には部屋がそこそこ広いし、近くの旅館の温泉にも割引料金で入れるし、ワタシ的にはこっちのほうが親しみが持てる。チェックインして荷物を置いてから、歩いて5分程度の三隈川(みくまがわ)に向かう。ここは5月下旬から行われる鵜飼い見物が有名な川で、沿岸には温泉旅館が数件並んでいる。川岸には遊歩道と屋形船が並んでいる。きっと季節になれば観光客で賑わうのだろうが、今日の日田温泉街は静かな街並みをたたえていた。

 夕食は、泊まった宿の向かいにある中華料理兼焼肉屋兼定食屋で、ちゃんぽん(\650)ですませて、近所の旅館で立ち寄り温泉&サウナ(\400)に入った後、酒屋で缶ビールを買って宿に戻った。明日はワタシ的レベルから言うと贅沢な宿なので、今日は質素にすませておこう。

 ちなみに写真は、この間買ったばかりのOLYMPUS E-10である。レンズ交換は出来ないけど、やっぱりファインダーの視野率100%近いのは良い。レンズのコーティングが良いのか、逆光に強いし、被写界深度の浅さを生かした撮影もできるので、表現の範囲も広がるけど、想像以上に手ブレしやすいカメラだ。たぶんレンズの長さに原因があるんだろうと思うけど、昨日、博多で撮影した多くの写真がぶれていたので、今日の夕方に撮った写真はみんな安全のために三脚を使用して撮影した。このカメラは三脚必須である。(02/04/14)
























音楽祭のあるまち、湯布院



【特急・ゆふいんの森】

【霧が浮かぶ金鱗湖、藁葺きの建物が露天風呂】

【雨にぬれた新緑がきれいです】

【お昼に入ったお蕎麦屋さん、手打ちの実演もあり】

【「茶房・天井桟敷」の窓から】

【宿の窓から由布岳を望む】

 博多、日田とくれば、次はやっぱり湯布院である。「湯布院」は正式な町名で、駅や温泉は「由布院」と言うらしいが、よそ者のワタシはコダワリはないのでここでは湯布院で統一させていただく。ご承知の方も多いかもしれないけど、九州は音楽祭の多いところで、霧島音楽祭、別府アルゲリッチ音楽祭、北九州国際音楽祭と並んで、この湯布院でも小さいながらも夏に音楽祭が行われていて、今年で28回目になるらしい。私は温泉地での音楽祭と言うと、草津に行ったことがあるけど、温泉でゆっくりして夕方からクラシックというのは、日頃の喧騒を忘れるにはぴったりで、なおかつとても贅沢な時間である。詳しいことは個人ページながらコダワリを持って音楽祭を応援しているゆふいん音楽祭のページをご覧いただきたい。

 さて、今回の旅は音楽祭とは全く関係のないシーズンだったので、音楽ネタはこれくらいで(^_^;)、あとはひたすら旅行ネタである。今日は起きたら外は雨。天気予報でも、明日まで雨は止みそうもない。日田のカネセンで遅めの朝食をとって、10時前にチェックアウト。気温も、昨日は初夏のような陽気だったのに、今日は肌寒いほどだ。とりあえず、ホテルのすぐ隣の原次郎左衛門味噌・醤油店に入って、ちょっと味見。そして日田駅から由布院に向かおうと思ったのだが、この間の電車はほとんどが特急で、しかも指定席オンリー。普通列車に乗ろうと思ったら、12時過ぎまで待たなくてはならないのだ! 2時間ちかくを無駄にするのはもったいなかったので、やむなく乗車券1080円+指定席特急券1,520円を買って、観光列車の「ゆふいんの森」の乗り込む。

 「ゆふいんの森」は、文字通り、博多と由布院を結ぶ観光向けに特化された特急で、わずか4両編成ながらもビュッフェがあり、運転手、車掌のほかにキャビンが3人も乗り込んでいて、車窓から観光名所が見えるところに近づくとわざわざ車内放送でアナウンスして、オマケに列車もスピードを落としてくれる電車なのである。座席も広く、キャビンのおねえさんがわざわざキャンディを配ってくれたりして、電車にスチュワーデスとバス・ガイドが乗り込んだような感じなのだ。車窓からの眺めも素晴らしく、非常に快適な乗り心地なのだが、わずか50分ほどで由布院駅に着いてしまった。どうせなら、始発から乗りたかったなぁ。

 湯布院についても、雨は降ったり止んだり。仕方がないので、まずは宿泊予定のゆふいん山水館に向かい、荷物の一部を預けて、徒歩で金鱗湖へ向かう。道すがらの由布見通り・湯の坪街道は、湯布院の観光向けの店が立ち並ぶメインストリートで、木の風合いを大切にした造りの店が多く、風情を大切にしているのだろうけど、どこにでもあるようなハーブやアクセサリの店も多い。まだ嵯峨野や軽井沢のようなタレント・ショップがないだけマシだし、温泉地としての風情は十二分に感じることができる。

 さて、金鱗湖は、由布院駅から歩いて20分くらいのところにある湖・・というより「池」と言ったほうが実際に見たイメージに近いだろう。湖底からは冷たい水と温泉の両方が湧き上がっていて、その温度差から生じる霧が常に湖面に漂っているのが特徴で、特に朝霧の美しさは有名らしい。天気はよくないが、木々の新緑がきれいで、雨と霧に霞んだ景色には風情がある。悪天候にもかかわらず観光客は多いが、向こう岸になにやら藁葺き屋根の建物が・・・・・よく見るとそれは半露天の風呂で、中が丸見え。入っているのはもちろん男だけだったが、完全にワイセツ物陳列罪状態・・・うーむ、これで良いのか?

 さて、時間も午後1時に近づいてきたので、お昼ご飯をと思って、名旅館と言われている亀の井別荘の山家料理「湯の岳庵」に入ろうと思ったのだが、満席の上、待っている人まで大勢いる始末。おいおい、平日の昼間だぞっ!と言っても仕方が無いので、周辺を探すも適当な店が無い。やむなくガイドブックにも載っていた「古式手打ちそば・泉」に入る。ここも混んでいて相席になった上に、接待さんが忙しすぎて要領を得ない。あちゃー、こんな店入らなきゃよかったなーと思ったのだが、出てきたそばを食べて「こりゃ、美味いっ」とびっくり。私が注文したのはおろしそば(\1,200)だが、細くてコシのある固めの麺、辛目の汁にはそれだけの価値はある。松本でも美味しいといわれている蕎麦屋に何軒も入ったが、決して本場のそれらに劣る水準ではないと思った。

 そして、今度は亀の井別荘の経営する喫茶「茶房・天井桟敷」に入る。いやー、天井桟敷なんて、私にぴったりの名前じゃないのー(^_^;)、と思ったのだが、ここは多分、私が入った喫茶店の中では最高のお店であると断言する! 造り酒屋を移築した建物の窓から、額縁のように新緑に彩られたもみじが映える。レトロな感覚のゆったりとした椅子に木目の素朴なテーブル。そして音楽はゴスペルである。いや、本当に心落ち着く空間である。いっとき、観光客のおばさんたちがドヤドヤと入ってきてうるさかったけど、客筋さえよければ、ここは日常生活から離れられる空間になる。もちろんコロンビアベースのコーヒー(\450)も美味いし、小さなカップ+冷めないようにおかわり用ポット2杯分という心遣いもうれしい。ブルーベリソースのかかったレア・ヨーグルト・ケーキ(\400)もお勧めである。

 ここで明日の予定を考えたり、パソコンを打っていたらそろそろ3時。「天井桟敷」を出たら雨が止んでいて、傘をたたんで、宿に向かう。宿のゆふいん山水館は、メインストリートからは離れているが、部屋からの展望が素晴らしく、窓一面に由布岳がパノラマ的に広がる(もちろん反対向きの部屋に当たる可能性もあるので注意)。部屋も広いし、きれい。宿の規模からすると風呂は心持ち狭いが、露天風呂もあって、無色透明な単純泉ながら、温泉気分を十二分に満喫できる。この宿には直営のビール工房とパン工房があって、ビールは美味い! 朝夕ともバイキングだが、味の水準はそこそこと言ったところかな。(02/04/15)



九州一の温泉地、別府



【別府駅前之図】

【宿泊した白鷺ホテル、古いけどサービスはGOOD】

【商店街では道路の真ん中にも堂々と陳列】

【別府の路地裏にて。どこもお花がきれいでした】

【灼熱で真っ赤な血の池地獄】

【「間欠泉の竜巻地獄、天然記念物らしい】

【ツツジと緑のコントラストがきれい】

 朝食つきの宿だと、寝坊しようと思っても朝食の時間が決められているので、それが気になって思うように寝坊できないことが多い。やむなく起きて、バイキングの朝食をとったが、ホテル自家製のパンは今ひとつという感じかな。、10時ちょっと前にチェックアウトして、亀の井バスの発着所に向かい、10時50分発「別府」行きのバスに乗り込む。バスは由布院のシンボルである由布岳を抜けて別府に向かうんだけど、昔の噴火の後がくっきりと残っていて、溶岩の後には木は無く、巨大な噴石がごろごろと転がっているのみだ。

 バスは約50分で別府市内に入る。途中で、別府市役所と巨大な塔を要するB-CON PLAZAと呼ばれる文化施設が見えてきた。詳細はリンクをゴランいただくとして、周りにはアルゲリッチ音楽祭を祝すのぼりが林立している。そう、あと1週間で別府アルゲリッチ音楽祭が始まるのだ。今年の注目は日本公演中に喧嘩別れした元夫のデュトワとの競演で、この公演は発売早々に売り切れになってしまったらしい。このB-CON PLAZAにしても市役所にしても、バスの通りすがりに見ただけなのだが、ヒジョーに立派そうな建物でびっくりしたんだけど、さらに、バスが別府駅についてから思ったことは、別府駅の規模も駅の周りも、単なる地方の市というレベルではなく、県庁所在地並みの感じなのだ。うん、別府って、すごく栄えている(栄えていた)町なんだなぁ、と実感。

 さて、別府駅では観光タクシーのオジサンのお誘いを振り切って、市内をふらふら歩くことにしたんだけど、まーホントに別府って温泉街=歓楽街の町なんですねー。バーや飲み屋に風俗店・・・これだけたくさんの店があって、よくもまぁ共存できるものだと感心するばかりだけど、幸い、昼間だったので呼び込みのにーちゃんは少なくて助かった。これが夜だったらと思うと、ぞっとする(^_^;)。このあたりが湯布院との大きな違いなんだな。

 疲れて荷物が重くなってきたので、とりあえず宿泊予定の白鷺ホテルに荷物の一部を預けて、ホテルでお勧めしてもらった「とよ常」で刺身定食(\1,000)を注文。この値段で刺身にカレイの揚げ物、焼き魚も付いて来るんだから、とっておもオトク。そして、別府の本屋で売っている「別府八湯・温泉本」を300円で買ったのだが、この本についているチケットがあると、どこか1ヶ所の宿の風呂に無料では入れるのだ。どこの風呂が良いか、インターネットで評価を調べた上で、普通に入ると850円かかるシーサイドホテル美松の屋上檜露天風呂に行くことに決定。海沿いのホテルを探して、フロントにチケットを渡して、早速最上階の7階から、さらに階段で屋上に上がるとそこが露天風呂だ。いやー、ここの風呂からの展望はスゴイ。別府湾が一望に見渡すことが出来たし、オマケに私が風呂に入っている間、他の誰も入ってこなかったので、すごく開放感があってよかった。タオルも準備してあるし、入浴後のよく冷えた麦茶も美味しかったし、ここはオススメ。

 入浴後は、湯冷ましの散歩の後、ふたたび白鷺ホテルに入る。このホテルは築40年と古く、畳の色、じゅうたんの擦り切れ具合などの内装などはかなり年代を感じさせる。風呂も、露天風呂などは無く、ごく普通の大浴場で、しかもシャワーも無いのである。かなり丁寧に清掃はしているようだけど、はっきり言って、万人にオススメできる宿ではないが、フロントの人や接待さんなどの対応などは、この旅で一番好印象だった。それに料理も、値段に見合わないほど豪華で、美味しかった。これは、建物はすでに減価償却できているからこそ、出来ることなのかもしれない。でも個人的には、品数はちょっと減らしても関さばか関アジを出してほしかったなぁ・・・これって贅沢?(02/04/16)

地獄めぐり

 この旅の最終日は、8時過ぎに眼が覚めて、朝食の後、10時前にチェックアウト。目の前にあるトキワ別府店の前にあるバス停から「鉄輪温泉」に向かった。私は「鉄輪」をずーっと「てつのわ」と読むのだと思っていたのだが、じつは「かんなわ」と読む。ここは別府で有名な8ヶ所の地獄めぐりの基点で、その「地獄」とは簡単に言うと、温泉が勢いよく噴出して、その成分の関係で赤、白、青の池になっているようなところ。たしかにそれは地獄のイメージに重なる。別府北浜からバスで20分強で鉄輪温泉に着き、そこから歩いて数分のところに、6ヶ所の地獄が集中していて、さらにバスで10分ほど行ったところに、酸化鉄で真っ赤に染まった血の池地獄と、30分毎に間欠泉を吹き上げる竜巻地獄がある。私は2,000円×温泉本10%引き=1,800円の8ヶ所全部見れる入場券を買って、全部制覇したのだが、各地獄が温泉を利用して温室の中でバナナを栽培していたり、ワニを飼育していたり、ピラニアなどの熱帯魚を飼っていたり、庭園を設けていたり・・・工夫を凝らしているのも見所の一つだ。特に庭園を設けているところはツツジが満開で、素晴らしくきれいだった。

 地獄めぐりをしていたら、そろそろ2時を過ぎてしまった。バスで別府北浜の白鷺ホテルに戻って、預けておいた荷物を受け取り、遅くなってしまった昼食をと思ったのだが、別府市内は水曜日が休みの店が多く、開いている店が少ない。そこで、青果店で柑橘系の果物を買って、この辺でお昼食べられるところは?と訊いてみたけど、さすがに時間が3時を過ぎていると難しい。仕方なく別府駅でチャンポンを食べて、別府北浜に戻って16:10発の大分空港行きのバスに乗り込んだ。大分空港は、国東半島のほうにあって、地方空港の中ではかなり交通の便が悪いほうに属するのではないか。バス代はなんと1,450円。オマケに大分空港は出発ロビーが異様に狭く、座る場所も少ない。なんだかなー・・・と思いつつも搭乗に時間となり、いま、17:55分発羽田空港行きJAL136便の飛行機(DC10)の中でこの文章を打っている。低気圧の関係で、北海道から戻った便や、成田から迂回してきた便などで羽田空港が混雑していて、到着が遅れる旨のアナウンスがあった。

 私は旅行が好きだけど、まだまだい行っていないところが多い。今回は、これまでほとんど行った事が無かった九州の温泉地帯を征服(?)しようと思って来たんだけど、またぜひ行って見たいところは、鵜飼いの時期の日田温泉は良さそう。あと、ミーハー化が進んでいるが湯布院も、別の宿を予約して、また来てもいいかな。別府の温泉街は湯布院に比べて、ちょっと斜陽化が進んでいるような感じだが、今度は湯煙の上がる鉄鱗温泉に泊まってみたいと思った。今度はいつ、来られるか分からないし、仕事の関係で長期の休みはしばらくは無理そう。たぶん次の旅は、8月下旬に「いつもの場所」になるのではないかと思う(^_^;)。(02/04/17)



久々のダブルヘッダー


 土曜日は久しぶりのダブル・ヘッダーで、午後3時からシュワルツ=新日本フィルのトリフォニー定期、そして6時からはフルネ=都響の作曲家の肖像シリーズで、池袋の東京芸術劇場だ。まずNJP定期の曲目はショスタコーヴィチの交響詩「10月」にプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番(pf:ペーテル・ヤブロンスキ)、そしてメインはダイヤモンドの交響曲第2番というものだったが、ところがこの日は朝から調子が悪く、頭痛に睡眠不足。なんとか錦糸町にはたどり着いたものの、正直言ってぜんぜん音楽に集中できなかったのだ。

 とはいっても、この定期を聴いて、NJPは本当に良いホールを手に入れたものだと思うようになってきた。最初のうちはホールの音が硬く、弦楽器の音が後景化してしまう難点があったが、NJPの鳴らし方も、だんだんホールの特徴に馴染んできたような感じだ。NJPも一時は演奏に力が入りすぎて、アンサンブルが荒れてしまう傾向が嫌になった時期もあったけど、最近は良い意味で力が抜けて、音色のパレットも広がったように思う。このアンサンブルの向上に、隠れた名指揮者ボッセの力も大きいのではないだろうか。あと、この日の定期で思ったことは、ダイヤモンドの交響曲は初めて聴いた曲だが、打楽器の使い方がショスタコと共通点があって、面白かった。

 NJP定期は拍手もそこそこに錦糸町駅から池袋に向かい、芸術劇場についたのは5時40分くらい。エスカレーターで5階に上がって驚いたのは、当日券売り場に長蛇の列が出来ていたことだ。おおっ、なんだなんだっ!という感じなのだが、何となく思い出したのは、90年代初めに朝比奈が都響定期でブルックナーの8番を振ったときである。それまでは朝比奈が振っても、別にホールが満員になるわけではなく、ブルックナーを振るといっても当日券があった時代なのだ。ところが、この朝比奈=都響のブル8定期(←正確な日時は忘れた)は当日券売り場が見たこともないほどの長蛇の列となり、この日を境に朝比奈のチケットは入手困難なチケットに変貌していったのだ。もしかしたらフルネのコンサートもそのようになるのだろうか。

 会場の中も満員とは言わないまでも、8割以上の入りで大盛況。この時間なって、やっと体調も回復してきたのだが、この日の曲目はサン=サーンス特集で、歌劇「サムソンとデリラ」より「バッカナール」、ヴァイオリン協奏曲第3番(Vn:矢部達哉)、交響曲第3番「オルガン付」である。で、・・・この日の演奏の主役は、ホントはフルネのはずなんだろうけど、ワタシ的に一番印象に残ったのはVn協でソリストを務めた矢部達哉なのだ。矢部のVnは、都響にゲスト・コンマスで登場していた時代からずーっと聴いているんだけど、この日ほど彼のヴァイオリンが良いと思うときはなかった。以前と比べると、音量が豊かになり、音にきちんとした骨格が見えてきて、オーケストラと対峙しても決して聴き劣りすることはなくなった。旋律の歌わせ方も過度の感情移入を避けて、誠実な音楽作りには好感が持てるし、音色のパレットも十分な豊かさを感じさせて、オケの繊細なソロとの絡みあいも非常に美しかった。ソリストとしても、かなり自信が出てきたのではないかと思うけど、それがいい方向に作用しているような気がする。彼のヴァイオリンは、また近いうちに聴いてみたい。

 さて、メインの交響曲第3番だが、私としてはあまり好感の持てる演奏ではなかった。この日の演奏で一番違和感を感じたのは、かつてのフルネの演奏とは明らかに志向性が違っていることである。以前は、かなり繊細で上品な音楽作りを志向していたのだが、この日の「オルガン付き」はオケを思い切り鳴らし、ドラマチックな音楽作りを志向していたのではないかと思う。都響としてはとても熱演していたのはわかるのだが、その結果として、アンサンブルはやや雑味が感じられ、音色のパレットも減少してしまった。オマケに、第一楽章冒頭部はタテの線が危うかったし、オルガンのペダルでも、音量のコントロールが効かないのか、バランスを失していたようである。

 私はあえて誤解を恐れずに言うと、オケのメンバーが「一生懸命」に熱演したとしても、それがいい演奏に仕上がるかどうかは、まったく別の問題だと思っている。ここで言う「一生懸命」の意味自体に曖昧な部分があるのは承知の上だが、この日の都響や、以前のの新日本フィル、かつての新星日響のように、熱演タイプのオケから良い響きが聞こえてくることは、むしろ少ないのではないかと思う。たしかに熱演タイプのオケだと、聴衆にビジュアル的な感動を与えられるかもしれないし、デカイ音だとウケは良い。しかし、それでは音楽の内容はどんどん低下していってしまう。私は、以前からずーっと言っているけど、やはり音楽の基本は、室内楽的に、ピアニッシモ方向の音を極めていったほうが音楽の内容は充実すると思っている。たぶん、かつてのフルネの志向した音楽は、そのような方向だと思うのだが・・・・。(02/04/23)



ロジェストベンスキー=読響


 21日の日曜日は読響の芸術劇場マチネシリーズで、名指揮者ロジェストベンスキーの登場である。曲目はスッペ「軽騎兵」序曲、リスト「メフィストワルツ」第一番より「村の居酒屋の踊り」、エネスコ:ルーマニア狂詩曲第一番、休憩後はグラズノフ:バレエ音楽「ライモンダ」抜粋、シュニトケ=ロジェストベンスキー編曲「死せる魂」(pf:ポストニコーワ)というもので、これに指揮者自身による解説までついてくるサービス万点のコンサートだ。

 ロジェベンは相変わらず指揮台なしでタクトを振るが、そのタクトから流れる読響のサウンドは実にイイっ。前日にフルネ=都響を同じホールの似たような席で聞いたばかりなのだが、オーケストラの水準は明らかにランクが違って聴こえる。最初の「軽騎兵」のファンファーレの輝かしさに驚かされ、弦楽器の音の厚さとテンションの高さに耳を奪われ、一糸乱れぬアンサンブルの精度にため息が出る。音圧的に前日の都響と同じようなレベルでも、明らかに読響のほうが余裕があるように感じられ、その「余裕分」を音楽的な表現力に割り当てているような印象を受けた。

 選曲だけ見ると「名曲コンサート」だが、この日は単なる名曲コンサートのレベルを大きく超えている水準であることは間違いない。編成も非常に大規模で、ステージ上には100人くらいは乗っていたように思うし、シュニトケにいたってはオルガン付である。ワタシ的に一番のお気に入りの、音色豊かな「ルーマニア狂詩曲」は、期待以上の出来で大満足だったし。シュニトケの「死せる魂」も、ロジェベンとポストニコーワの夫婦漫才が冴え渡った(?)コメディ色溢れる曲だった。27日の定期演奏会、プロコフィエフ・プログラムも、実に楽しみである。(02/04/24)



フルネ=都響


 なんか変に寒い日が続いていますねぇ。まるで季節が1ヶ月戻ってしまったみたい。一昨日(25日)の都響サントリー定期の日も、朝から雨でいやな感じ。サントリーホールの当日券売り場も並ぶ人も少なく、客の入りも8割強程度。あの芸術劇場の当日券売り場の行列は、いったい何だったんだろう?

 さて、この日の定期は、今月下旬の都響北京公演と同一曲目で、いわばその壮行演奏会みたいなもの。曲目はラヴェル「道化師の朝の歌」、ラロ:チェロ協奏曲(Vc:クイリン・フォアセン)、ワーグナー「ジークフリート牧歌」、ルーセル交響曲第3番というものだったが、最高だったのがルーセルの交響曲で、先日の芸術劇場のサン=サーンスの時とは桁違いの名演奏を聴かせてくれた。この1曲だけでも、この演奏会に来た価値があるんじゃないだろうか。

 1930年に初演された曲だが、古典的な様式と現代的なリズム感がミックスされたような感じで、CDで聴くよりはライヴで聴いてこそ真価が発揮されやすい曲なのではないだろうか。フルネ=都響の演奏は、歯切れ良いリズムの刻み、テンションの高い弦楽器と色彩感ある管楽器の絡みも美しく、先日の芸術劇場で感じたアンサンブルの精度の問題も大幅に改善されていて、ピアニッシモからフォルテに至るまでのダイナミックレンジの広さも申し分ない。たぶん、日本のオケとして到達できる、同曲の演奏水準の今後の目標になりえるレベルだったのではないだろうか。

 その前の3曲は、ワタシ的には印象が薄かったのだけれど、フォアセンのチェロは、アンコールのサラバンドは良かったのだが、協奏曲になると響きが薄い感じ。ジークフリート牧歌は、弦楽器の優しい雰囲気は都響ならではのものだったが、フルートとの絡みでやや違和感が残ったのが残念だった。

 北京でこの選曲、演奏がのように評価されるかはわからないけれど、私としては珍しいことに北京公演への募金に協力してしまった。たった一口だけど(^_^;)、これだけ良い演奏してくれた感謝の意味をこめて。(02/04/24)



ロジェストベンスキー=読響のプロコフィエフ


 ワタシ的にプロコフィエフを色で表すと、「青」をイメージする。鋭角的で怜悧な音形と、冷たい音色感、それはまるでロシアの冬、寒い夜明けの空の色をイメージさせる。もちろん「青」でも、その範疇で様々な色彩感がある。プロコフィエフの音楽でも時には温度を感じるときがあるけど、それでも色彩感はワタシ的には青白い炎なのだ。

 その意味では、27日(土)にサントリーホールでロジェストベンスキーの振ったプロコフィエフは、青という色彩感の豊かさを感じさせてくれた演奏会だった。最初の交響曲第2番は、10年位前に小澤=NJPが演奏して以来で、すごく久しぶりに聴いたけど、やっぱりよくわからない曲である(^_^;)。巨大な音の塊がゴロゴロと転がるように無骨な第一楽章、夜曲のように叙情的に始まる第2楽章も変奏を重ねていくうちに管弦楽が破壊的な頂点を築き上げる。そのいずれもプロコフィエフらしいエッジの鋭い音形が見事に表現されていたのだが、・・・はっきり言って、一夜の演奏会の最初に演奏する曲として重たすぎるばかりではなく、初演の1925年だけではなく現代においても理解するのが難しい曲ではないだろうか。

 つづくヴァイオリン協奏曲は、演奏頻度は決して多くはないけれど、交響曲よりははるかに聴きやすく、この日のプログラムの中では最もプロコらしい色彩感、つまりワタシ的感覚によるところの青い色彩感を感じさせる曲である。ソリストの藤原浜雄の切れ込みの良いテクニックと微妙に変化する色彩感は聴き応えがあり、ロジェベンの音量をややセーブしたサポートもソリストを引き立てていた。メインのカンタータ「アレクサンドル・ネフスキー」は、もともと映画音楽なので、プロコが古典回帰したかのような雰囲気。色彩的にはプロコっぽくはないけれど、社会主義的リアリズムを反映して、わかり易く、そして非常にドラマチックな音楽だ。ロジェベンの作る音楽は、いずれも骨格がしっかりしていて、主張が明晰なのが特徴だろう。細かいところにこだわるタイプではないと思うけど、非常に緻密なアンサンブルに聴こえるし、聴かせどころをきちんと心得ていて、聴き手の期待を外さない指揮者だ。ロジェベン=読響は、今後とも聴き逃せない。(02/04/29)

アッシャー・フィッシュ=NHK交響楽団

 28日(日)は午後3時半からN響オーチャード定期。指揮者のアッシャー・フィッシュは、イスラエル出身で、私ははじめて聴く指揮者だったけど、うーん(^_^;)、この人の音楽はどうしても好きにはなれそうもないと思った演奏会だった。タクトを振っている様は、ジェスチャーも大きく、非常にエネルギッシュに見えるんだけど、それがパフォーマンスに終ってしまっている感じ。後半のチャイコフスキー(交響曲第4番)で典型的だったんだだけど、音楽はダイナミックレンジと不自然なテンポ設定だけに頼っていて、音色的な変化に乏しく、アーティキュレーションも不自然にアクセントをつけていて、とても聴き疲れするタイプだ。たしかに好意的に解釈すればダイナミックな音楽作りで、聴衆のウケは良いのかもしれないが、私はまた聴きたいとは思わない指揮者だ。

 前半にはロッシーニの「セミラーミデ」序曲とブルッフのヴァイオリン協奏曲。ブルッフはロシアの若手ヴァイオリニストのリディア・バイチの登場だったけど、ステージ上での姿はまるで綺麗な西洋人形なのだ。ヴァイオリンを弾いている動きもどことなく機械的で、まるでヴァイオリンを弾くオランピアみたい(^_^;)。あまりテクニックで押し通すタイプではなく、音符をおろそかにせず、誠実な表現をするように見受けられた。音色的には、美しい光沢感の中にも、ちょっとだけ憂いを感じさせるのがいいアクセントになっている感じで、ブルッフの旋律にも良く似合う。ただ、あまり感動に結びつくような曲じゃないんだよね、ブルッフって。(02/04/29)