Concert Diary in March

■文中の敬称は省略しています
■各タイトルの日付は、掲載日を表しています


川崎駅西口文化ホールのこと&高松のうどん

 なぜか今日は、私は香川県高松市に来ている。この一年間、よく頑張りましたという自分へのご褒美である(^_^;)。高松に着いたら、まずバスで栗林公園に向かい、園内をうろうろして、その後、有名な松下製麺所でうどんを食す。ここは市内にあるうどん店としてはかなり評価が高いのだが、うどんはなんと一杯150円! 四国ならではのセルフサービスで、うどん玉をゆがくのも、だしを注ぐのも、ねぎや生姜をのせるのも、ぜーんぶ自分で行うのである。まず一杯目は生醤油だけで食べる。・・・・コシがあって美味いっ! 2杯目はダシで食べると、さらに美味いっ!!! 麺よりもむしろダシの方が美味いと思うほど、よく味が出ている。これが150円というのは信じられない安さである。店内は、私のような観光客でよりも地元の人のほうが多く、女性客が一人で食べているのも東京では見られない風景である。

 夜もうどんを食べようと思って、別のお目当ての店に行ったのだが、開店の時間になってもまだ暖簾が掛かっていない。しばらく散歩しようと思ったのだが、歓楽街の客引きの多さに気分が萎え萎え。街中を歩くのが嫌になって、ホテルに帰ってきてしまった(^_^;)。

 さて、昨年2月にこのホームページで、川崎駅西口に建設中の音楽専用ホールが読売日響のフランチャイズ化を報じた。これは川崎市の担当者に直接話を伺った信憑性のある話だったのだが、最近、不穏(^_^;)なウワサを耳にして、先週の月曜日に川崎市役所に行って、また話を聞いてきた。

 川崎市役所に行って、前の担当部署に行ったら、「準備室」らしき独立した部屋に昇格?して、別の担当者から話を聞いた。その前に昨年、聞いた話の復習をしておきたい、昨年2月の話では、読響が賃貸で川崎駅西口文化ホール内に事務局を構え、オーケストラの練習には日常的に同ホールを用い、東京定期と平行して川崎でも定期的な演奏会を行うというものだった。そのときは昨年3月には基本合意が交わされるという話だったので、本決まりだと思っていたのだが、先週に話を聞きに行ったときは話は全然変わってしまって、読響のフランチャイズ化の話は完全にご破算になっていたのである。

 結論だけを述べると、読響の事務局は川崎市西口ホールには入らない、日常的な練習にも使用しない、読響は一定の演奏会は行う予定だがフランチャイズではない・・・ということだった。読響との間で話が変わったのかと聞くと、担当者は、「読響フランチャイズ化の発表はしていない」などと言ったが、フランチャイズ化は朝日新聞神奈川版や神奈川新聞でも発表されていると私が言ったら、「当初はそのような計画がありましたが、予定が変更になりました」などと・・・・・どうしようもないことを平然と言うのである。経過から考えれば、予定の変更ではなく、明らかに「見込み違い」である。担当者氏も議会などで取り上げられてナーバスになっているのかもしれないが、それにしても市民に対してアカウンタビリティ(説明責任)を果たそうという姿勢が全く感じられないことには正直言って落胆した。

 川崎市役所を訪れた後でサーチエンジンで検索したら川崎市議会議員のページから「川崎市は、2004年7月オープン予定の川崎駅西口文化ホールの運営について、従来明かしてきたホール内にオーケストラの事務所を設ける拠点型フランチャイズ制から事業型に変更、また集客力向上のため、神奈川フィルに、同ホールの積極的活用を働きかけていることを明らかにした。」という文章が見つかった。また別のページでは「川崎駅西口に建設予定の市民文化ホールについて、読売交響楽団とのフランチャイズ契約の交渉内容や、利用日数も当初年間の半分と言っていたものが、年に数十回と減少するなど、変化が生じていることについて状況をただし、買い取り費用228億円、運営コストだけでも毎年10億円前後の市費の投入が予想されるのに、この計画の前提が根本的に変化する状況でこのまま建設を進めて大丈夫なのかと質問。市民局長は、「定期・名曲演奏会や、これに伴う練習リハーサルでの使用や小編成による学校への出前コンサートなどを合わせれば、年数十回の活動となり、さらに他の複数のオーケストラなどとの提携公演などで読売日本交響楽団のホール利用とほぼ同程度の稼動が確保できる」と答えました。」という情報もある。

 もしかしたら、ヴェルディ川崎が東京移転問題のときに川崎市から妨害(?)された腹いせに、フランチャイズ化を反故にしたのか?(^_^;)などと勘ぐってしまったのだが、その真偽はもちろん明らかではない。いずれにしても、新しい貸しホールがひとつ増えるだけの結果になってしまいそうなのが残念である。(02/03/04)



こんぴらさん

 今日の高松はあいにくの雨。金毘羅さんの石段を甘く見ていたら、途中でバテバテ(^_^;)。荷物は重いし、傘はうっとうしいし、・・・汗だくで、なんとか階段を上りきる。下山後、こんぴらうどん工場店で、うどんを食べたのだが、昨日の松下製麺所を上回る安さで、なんと生醤油が一杯100円(爆)。ダシでも120円の安さで、天ぷらはどれでも100円というお値段なのだ。場所が場所だけに地元の人ばかりだったが、これと同じものを金毘羅さんの参道で食べると500円になるらしい(^_^;)。いったい、うどんの原価っていくらなんだ?? 味はもちろん、美味いのだが、昨日の松下製麺所と違って、こちらは生醤油のほうが美味い。なんでも醤油そのものを醤油メーカーに作らせている特注品らしいのだ。これはぜひお土産にと思って買ってしまった。

 その後、電車で瀬戸大橋をわたる。瀬戸大橋からの眺めは雨のせいもあってイマイチ。時間も10分に満たない短いもので、瀬戸内海を渡ったという感慨に乏しい(^_^;)。倉敷に3時ちょっと前の到着して、とりあえず美観地区内にある倉敷国際ホテルにチェックイン。古いホテルだけど、手入れは行き届いている。そして、有名な倉敷川の周りを歩いたのだが、いや、ホントいいところですね。江戸時代を思わせるような町並みに、ところどころ明治時代がミックスされて、・・・ここまでレトロな感じをかもし出している町並みって、私は他に知らない。それに、雨がまたイイ感じを出すのに役立っているのだ。

 昼はうどんだけだったので、夜は浜吉ままかり亭で「ままかり定食(\2,500)」を注文。ままかりは瀬戸内海特産の小魚で、にしん科の魚らしい。酢漬けやフライ、寿司やさしみで食べたのだが、どれも美味しい。味はたしかににしんに似ているかもしれない。元値はそれほど高い魚ではないと思うのだが(^_^;)、やはりこういう処で食べると美味く感じるのだろうか。

 で、倉敷に来て思った余談。テレビで流されているDoCoMoのCMは井川遥で、LモードのCMは浅野裕子。こういうところにも、東京とは違うんだぁ・・・と感じてしまうのだ。(02/03/05)



仙酔島の夜

 今日の倉敷はとても変わりやすい天気。雨が降っていたかと思えば、雲の切れ間から太陽が差し込み、晴れるんだと思えばまた雨が・・・・、こんな天気の繰り返し。まぁ、雨と晴れが両方体験できたと思えば、得したのかも(^_^;)。

 今日はまず、昨日は時間の関係で入ることが出来なかった大原美術館に入った。私は絵心は希薄なのだが、そんな私でもすごいコレクションだというのは、すぐわかる。ルノアール、ミレー、モネ、ドガ、セザンヌ、ロートレック、・・・その他にも、棟方志功を始めとする日本の芸術家の作品や、現代絵画なども収蔵し、私のように興味が希薄な人間でも全部見ると2時間半も費やしてしまったほどである。入場料は1,000円と、コレクションの質&量を考えれば格安で、なおかつ当日であれば出入り自由! 絵を見るという作業は、マジメにやるととても神経が疲れるので、出来れば昼食を挟んで午前と午後に分けて見たほうが良いかも。あと、大原美術館では、本館2階のギャラリー(最も有名な絵画が収蔵されているところ)でクラシックのコンサートも行っているらしく、今月15日にはハーゲンSQのチェロ奏者、クレメンス・ハーゲンによるバッハの無伴奏チェロ組曲を中心としたプログラムが演奏されるらしい。日程があっていれば、絶対に聴きたかったんだけどなー(^_^)。

 美術館を出たらすっかりお昼の時間になっていたので、讃岐うどんの「かな泉」でうどんとままかり寿司のセットを食し、倉敷駅から快速サンライナーに乗って40分、福山で下車。バスに乗り換えて鞆の浦(とものうら)に向かった。ここも江戸時代の街並みを残す地域で、倉敷ほどの情緒はないものの、素朴な雰囲気が感じられる。沼名前(ぬなまえ)神社や医王寺(いおうじ)などを周ったが、正直言っていまひとつ(^_^;)。ワタシ的に気に入ったのは漁港に近い鞆七卿落遺跡跡の周辺の古い町並みである。ちょうど3時半くらいの夕方の陽がさしてきて、なんともいえない情緒を感じさせてくれた。

 そろそろ時間になったので、午後4時半の船で仙酔島に向かう・・・と言っても、鞆の浦港から船で5分の距離にある国民宿舎やキャンプ場などがある小島だ。夜の海岸に、野生のタヌキがとことこ歩いているのには驚いた(^_^;)。ワタシが泊まったのは国民宿舎で、値段が比較的安いので至れり尽くせりのサービスは期待としても、家族的な雰囲気は好ましく、夕食も鯛の兜煮をはじめとして地元産の食材を生かしたもの。特に天然のにがりを使った豆腐は絶品だった。風呂は海水風呂。さらに、この宿のポリシーなのか部屋にはテレビもない。ただ目の前に広がる海水浴場に打ち寄せる波音が聴こえるのみである。ワタシなどはテレビがあるととりあえずスイッチを入れておく習性があるので、もしかしてテレビがあったら、この素晴らしい波音に心寄せるチャンスを失っていたかもしれない。こんなに心落ち着ける夜は、本当に久しぶりだ。実は、「テレビがない」と言うのも、心憎いサービスだったのだのだろう。(02/03/06)



おのみち

 今日は仙酔島を朝9時頃に出て、 昨日は疲れて回れなかった対潮楼(たいちょうろう)へ。対潮楼は、渡し舟の港のすぐ前にあるお寺のようなつくりの建物で、朝鮮通信使をもてなすために作られた施設らしい。見学の人は玄関のブザーを押して・・・と書いてあったので、呼んでみたけど返事がない。何回か繰り返すとかなりお年の住職みたいな人の「はいりんしゃい」(←福山弁はこれでいいのか?)と呼ぶ声が。寂れた木戸をあけて入っていくと「まだ受付の人が来とらんけんの〜」ということで、のんびりしたお答えが。早速、海を見渡す木窓を開けてもらうと、まるで仙酔島と弁天島が窓の額縁に切り取られた箱庭のように見える。素晴らしい眺めだ。住職さん(?)が、いろいろと説明してくれて、この額縁から見える太陽と月が昇る位置が半年ごとに一緒になる話などを聞かせてくれた。この場所は夜は開放していないのが残念だけど、きっと満月の夜はこの世のものとは思えぬ素晴らしい光景が見えるに違いない。そして歴史民族資料館を見て、あの有名な琴の名曲「春の海」は、この鞆の浦の海をイメージして作られたことを知り、対潮楼の眺めの素晴らしさを改めて思い知った。

 10時半ごろに鞆の浦を出て福山前に向かい、電車に乗り換えて20分弱、尾道駅で降りる。すでに旅も4日目に入っていたので、かなり疲れていたが、とりあえず宿泊予定の尾道第一ホテルに荷物を預けて、市内散策へと向かう。すでにお昼に近い時間だったのだが、ついつい頑張って古寺めぐりコースに足を踏み入れてしまったものだから、途中で道を外れるのも嫌だったので、4時間半をかけて食事抜きのまま古寺めぐりのコースを制覇してしまった。細い路地や階段を抜ける道々は、さすがに人気の観光コースだけあって風情にあふれている。ただし、このコースを周るのであれば、なるべく体力がある旅行日程の前半に歩いたほうが得策で、かなり疲れるコースであることは間違いない。

 途中、千光寺から降りる途中の広場に猫がたくさんいたので、戯れて遊んでいると、地元のシルバー人材センターで観光案内している人に話しかけられて、ほんの短い間だったけど、いろいろと尾道のことを教えて頂いた。年をとっても、このように地元に誇りを持って案内ができるなんて、素晴らしいなと思った。

 さすがに疲れて、古寺めぐりコースの終点の浄土寺下からバスで尾道駅まで戻る。4時間半かけて歩いたのに、バスだとたったの10分(^_^;)。なんか複雑な心境である。ホテルにチェックインしてから、昼飯抜きだったので早い夕食をとろうと思ったのだが、まだ5時前だったので主なお店は開店前。さすがに我慢できなくて駅近くのラーメン屋で尾道ラーメンを食べるが、まぁ、これは何と言うことなく普通のラーメンですね。不味くもないが、とりたてて美味いと言うほどもない味だと思う。他の店ではどうなのだろうか? そしてホテルに帰って、早めの就寝。おやすみなさい!(02/03/07)



いんのしま

 今日は尾道第一ホテルを10時ちょっと前に出発。建物は古くて、オマケにスパンの関係で柱が窓のちょうどど真ん中にあるというアンラッキーな部屋だったが、駅から近いし、何よりも朝食つきで一人5,900円と爆安、フロントの対応も良かったので、まあまあといったところ。この日はゆっくりしようと思って、駅から東の方向にある商店街を散策して、千光寺に向かうロープウェー乗り場に近い喫茶店「こもん」に入る。観光地にありがちなオープンテラスもあるこじゃれた(^_^;)雰囲気の喫茶店で、大林宣彦監督の映画「ふたり」にも登場したことがあるらしい。ワタシ的には映画を見たことがないのでその意味での興味は希薄だが、なんとなくこの喫茶店の雰囲気がワタシが高校のときによく行っていた喫茶店の雰囲気と似ているのが懐かしかった。

 「こもん」でモーニングサービスのワッフルを食べたり(^_^;)、今日の午後以降はPHSの電波が入りそうもないので、とりあえずメールの返事を打ったりしているうちにお昼になってしまった。混んでいるかな・・・と思いつつも、尾道では一番の人気を誇るラーメン店「朱華園」に行く。12時ちょうどで、すでに5人くらいの列が出来ていたが、この店の行列としてはこれは少ないほうらしい。観光客のほうが多かったが、地元の人のちらほら。10分くらいの待ち時間で入って、中華そばを注文・・・・平打ち面で魚系のダシである。まぁ、美味いことは美味いが、こってりした喜多方ラーメンといった感じで、そこまで行列して食べる味かな?というのが感想。まぁ、460円と安いので、話のタネということで。

 そして12時45分発因島土生港(はぶこう)行きのバスに乗る。いよいよこの旅の後半戦にして、本当の目的でもある「しまなみ海道」だ。土生港で下車して近所の商店街をみるが、あまり観光地化されていないみたいで、観光客向けのお土産屋が極めて少ない(^_^;)。どちらかと言うと日立などの造船業が中心の町みたいで、日立系の生協が二軒も店を構えていた。宿泊予定の国民宿舎「いんのしまロッジ」から車で迎えに来てもらって、小高い丘の上にある宿に向かう。宿そのものは非常に古く(^_^;)、色あせた畳に、トイレ、洗面は共同という作りだ。ただし部屋からの展望は素晴らしく、瀬戸内海が窓からパノラマのように広がる。特に大浴場(←ここは改装しているのか新しい)からの展望は、スゴイっ!! さらに目の前のテレビ電波中継所がある山を登ったところの展望は、怖いくらいのパノラマ感だ。視界が300度くらいは開けていて、瀬戸内海を行き来する船の往来が一望できる。瀬戸内海の日没が見たかったのだが、この山に登った時間が早すぎて、日没まであと1時間以上ありそう・・・風が強くて寒すぎ〜。ここで風邪をひいたら旅の後半に差し支えるので、やむなく宿の窓から日没を眺めることにしたのだが、ここでも十二分に素晴らしい夕景を堪能できた。あ〜、今日は天気が良くてラッキー!

 この「いんのしまロッジ」は、食事もそれなりに美味しく、宿泊料金も二食付で7,000円程度なので、部屋が古くても我慢できる人にはオススメの宿だと思う。そうそう、電波が届かないと思っていたけど、H"はぜんぜんOKだった。(02/03/08)



大三島へ

 3月9日(土)は、いんのしまロッジで午前6時半ごろに起床。瀬戸内海に昇る朝日を見ようと、昨日も登ったテレビ等のある頂上へと向かう。し、しかし(^_^;)、登っている途中に山の稜線から太陽が顔を出してしまう。うー、ホントは間に合うはずあったのに、体力がっ!(-_-;)。それでも、朝日に照らされた瀬戸内の海や島は想像通りに美しく、早起きした甲斐は十二分にあったと思う。

 午前9時前に送迎のバスで土生港に送ってもらい、そこからバスで金山港へ。そこからフェリーで5分、隣の生口島I(いくちじま)の赤崎港へ渡る。なんと船の運賃は65円! そこからまたバスで、瀬戸田町へ向かう。瀬戸田町は、しまなみ海道が出来てから、もっとも観光に力を入れている町のひとつだと思うけど、まずバスを耕三寺前で降りて、その目の前にある日本画家の平山郁夫美術館へ入る。
氏の子どもの頃に書いた絵日記なども展示されていたが(←確かに巧い)、今回のメインは北朝鮮の風景を描いた下絵が中心だった。その他、外国からもらった勲章や、文化勲章なども展示されていたけど、最も肝心な氏の業績を語る日本画はほとんど飾られていなかったように思う。正直言って、これにはガッカリで、これで入館料700円はちと高いと思うぞ。

 そのあと、少しは音楽ネタを書かねば(^_^;)と思って、瀬戸田町が誇る音楽ホール「ベルカントホール」を見た。その名のとおり、声をきれいに響かせることを目的に設計された合計646席の小ホールだが、残念ながら行った日にコンサートは行われていなかった。直近では3月17日に吉野直子のハープ・リサイタルが行われる予定だが、私の知る限りではあまり稼働率は高くなさそうである。

 そしてバス停の名前にもなっている耕三寺博物館に入る。入館料1000円を払うときに躊躇したのだが、結果的にはここは、この旅の中で最悪のものであった。まず外観からして怪しかったのだが、ここは伝統ある仏閣ではなく、「全国の仏閣や寺院の形式を復元し、独自の世界を完成させた」ものらしい。その色彩感覚たるやケバケバしく、塗料にペンキを使っているのが見え見えで、ぜんぜん重厚感がない。いや、もっとハッキリ言うと、悪趣味な新興宗教チックで、ものすごく気色悪いのだ。その悪趣味の頂点の立つのが「未来心の丘」なるもので、総大理石造りで真っ白なエーゲ海風のスペースである。かなり金がかかっていることは間違いないが、入った瞬間の「しまった!」と思うこと必定である。みなさんもご注意を!

 この耕三寺博物館に脱力(^_^;)した私は、とりあえず昼食をとって体力を回復するために、「憩」という店でタコ飯定食(1800円)を注文。そして瀬戸田港を見てから、小高い丘の上にある向上寺(三重塔は国宝)に行って瀬戸田町全体を見渡して、しばし一服。これ以上、瀬戸田町にいてもやることがないので、バスを乗り継いで大三島に向かうことにした。

 バスは、もう一度、赤崎に戻って、そこからしまなみ海道の多田羅大橋を渡るバスに乗り換え、大三島バス停下車。そして島内バスに乗り換えて、大山祇(おおやまづみ)神社へ行く。ちなみに、私は無神論者で、なおかつ神道は好きではないのだが、文化としての寺社仏閣を見て回るのは好きなほうである。大三島バス停でこれから大山祇神社に参拝に行くという信心深い女性と世間話をしていたのだが、この神社はかなり権威があるらしい。なんでも天照大神の兄神で、日本建国の大神である大山積大神が祀られていて、拝殿や神木である楠の巨木などは、ものすごい歴史と伝統を感じさせるのだ。耕三寺博物館とはまさしく対照的な世界なのである。また国宝館(入館料千円)がスゴイ! なにしろ国宝や重要文化財に指定されている武具(刀や鎧)の8割が、この国宝館に収蔵されているのだ。中には武蔵坊弁慶が奉納したと伝えられる薙刀などがあるが、ホンマかいな(^_^;)?

 そんなこんなで夕方近くなったので、神社参道に面して建っている「茶梅旅館」へ。この茶梅は小さな旅館だが、とても気さくな感じでもてなしてくれて、まずは昨年オープンした町営温浴施設の「マーレ・グラッシア大三島」で風呂に入ってくるように勧められた。宿からは歩いて20分くらいの距離だが、タラソテラピー(海洋療法)を取り入れて海水風呂(塩風呂)がメインの大規模な温浴施設だ。そのほかにもジェット風呂、露天風呂、サウナ、水風呂、打たせ湯、歩行浴などがある。この手の施設は各地にあって、何ヶ所かに入ったけれど、その中でも最も大規模なもので、かなりのお客さんを集めているようだ。

 風呂からの帰りがてらに海岸通を歩いていると、ちょうど海の向こうの山の稜線に夕陽が沈むところ。海の反射する光線が、私の足元から太陽に向かってまっすぐに伸びていく様に、しばし立ち止まって光景を眺めた。そして圧巻だったのが、この日の宿の夕食で、ヒラメの縁側付きの刺身、カレイの揚げ物、メバルの煮物、サザエ、カキの味噌煮、海老、鯛めし・・・これだけでも豪華だな〜と思っていたら、後から鯛の焼き物、もちろん尾頭付きが出てきた。おいおい、これで1泊二食付で1万円?? 値段間違っているんじゃないの?と不安になったほど(^_^;)。さらにデザートで、瀬戸内特産のポンカン、デコポン、伊予柑がっ! 地元産の素材を用いて、その素材の持っている味を最大限生かすようにしてある点が好ましく、大満足の夕食であった。ただし、この大三島ではPHSが通じなかったのが残念だったが・・・。(02/03/10)



大三島から鈍川温泉へ

 3月10日(土)。この日も快晴で、雨が降ったのは琴平や倉敷だけというのはラッキーと言うべきだろう。いずれも雨による情緒も感じられる街だからだ。朝7時半ごろに起きて朝食、9時頃に宿の会計を済ませて、まずお土産を買うと思って、宿が勧めてくれた「道の駅御島」に行く。送料を聞くと東京まで880円と安かったので、この島特産の柑橘系のジャムやマーマレード、レモンや伊予柑、デコポンを購入する。柑橘系の果物については、はっきり言って東京の値段の半分以下の超安値で、びっくりすること請け合いである。その後、町立美術館(入館料500円)に入る。ここは日本画専門のコレクションだが、展示されている数量などでは、やや見劣りしたのというのが正直なところ。

 そろそろ時間になったので、宮浦港の船着場に向かう。ここから11時25分発のフェリーで、愛媛県今治港へと向かうのだ。宿の女将からは、しまなみ海道のバスで来島海峡大橋を渡ることを勧められたのだが、ここはせっかくの瀬戸内海なので、どうしても船の中から島々やつり橋を眺めてみたいと思い、予定通りに船に乗ることにした。フェリーは途中2つの港を経由して、今治に向かうわけだけど、自動車と一緒に乗船している人も含めて、乗客はわずか(^_^;)。乗り心地はというと、瀬戸内は陸地に囲まれているため、もともと波が少ないのだが、それにしてもエンジンの振動が激しい。硬い座席を伝わって体ごと振動する感じで、一緒に乗船したお年寄り同士の話し声もはっきりと震えているのがわかる。お世辞にも乗り心地がいいとはいえないのだが、私が乗船したのは通常のフェリーで、その他に高速船がある。もしかしたら、そちらなら快適なのかもしれない。

 船からの眺めは、決して飽きることはない。一瞬、イルカの背中が見えたり、造船所のクレーンが林立する島々の眺め、行きかう船の航跡、・・・やっぱり船を選んでよかった。その船旅のクライマックスは何と言っても来島海峡大橋の下をくぐる時である。世界で唯一の三連式つり橋で、その美しさとスケール感はしまなみ海道髄一だろう。遠くに見えていた来島海峡大橋がだんだんと近づくたびに、そのスケールが増してきて、橋脚の大きさ、橋梁の高さが実感として伝わってくる。また海峡付近の潮流は、明らかに速いっ!これまで船内で温まっていた乗客(観光客)も、橋をくぐる瞬間はデッキに出て橋を見上げていた。

 来島海峡大橋を過ぎると、すぐに今治港である。1時間半程度の船旅はあっという間に終わり、今度は今治港からバスで鈍川温泉に向かう。時間がちょうど1時だったので今治で昼食をと思ったのだが、バスの時間がちょうどだったので、思わずバスに乗り込んでしまった。鈍川温泉は、今治からバスで30分くらいのところにある山間の温泉地で、道後温泉に勝るとも劣らない泉質で知られている。渓谷のすぐそばに建つ温泉街は、木々のざわめき、渓流のせせらぎの他に何もない。しかし、その落ち着いた雰囲気は、道後温泉にはないものである。私の泊まった宿は鈍川温泉ホテルで、ちょうど渓流の側に建つ古いホテルである。午後2時前の到着だったが、フロントの人は快く受け入れてくれて、部屋に案内してくれた。部屋には渓流のせせらぐ音が流れ、窓からは木々の緑が広がる。この旅はずーっと海ばかりだったので、最後は山で締めくくるのも良いかもしれない。とりあえずお腹が空いていたので、食事ができる場所を聞いたのだが、3キロ離れたところか(^_^;)、少し下流に下ったところにある町営の温浴施設くらいしかないとのこと。やむなく坂道を7〜8分下ったところにある鈍川温泉せせらぎ交流館で、天ぷらうどん(←これはふつーの味)を食べる。

 さて、宿に帰ってきて、まずは風呂・・・。大浴場は1階で、部屋(3階)よりも渓流が身近に感じられる。さらに露天風呂はそれよりも川の流れに近い。これとは別に岩風呂もあり、川と一体になった雰囲気の温泉が、鈍川温泉ホテルの特徴かもしれない。しかし、このホテルの建物も老朽化が目立つ。建て増しに次ぐ建て増しを繰り返してきたのだろうが、通路は迷路のように入り組んでいるし、トイレの床はギシギシする(一応、シャワーつきトイレだけど・・・)。オマケに部屋の暖房は効かないし、浴場のシャワーの温度もぜんぜん低いし、浴室の床面の排水用の傾斜がくるって来ているらしく、排水の流れは良くない。それでもこの宿のいいところは、フロントや客室係などの対応がとても気持ち良いことと、料理がとても美味しいことである。部屋食で、、猪豚なべや、目の前で揚げる串揚げなど、このホテルならではの料理もあって、1泊2食付きで12,000円は、まぁ、納得のお値段と言えると思う。(02/03/10)

鈍川温泉から松山、そして旅の終わり

 いよいよ3月11日、今回の瀬戸内旅行7泊8日の最終日である。鈍川温泉ホテルで、昨日入ることの出来なかった岩風呂に入り、食堂で朝食。9時から国会で鈴木証人喚問を見ていたら、いつの間にかチェックアウトの時間となり、ホテルの人に見送られながらバス停に向かう。バスは10時15分発。出発まで運転手さんと話をしたのだが、昔は鈍川温泉で演芸大会なども行っていた頃は、かなり来る人も多かったらしいが、最近はめっきり落ち込んでいるらしい。うーん、確かにこの周辺には何もないからなぁ・・・。個人的にはこういうところは好きなんだけど。

 今治駅に着き、ここからどうしようかと思案したんだけど、今治市内にはとりあえず行きたい所が見当たらず、11時32分発の松山行き各駅停車に乗ることにした。海岸線を走る電車は12時半頃に松山駅に着き、とりあえず市電に乗って道後温泉駅に向かう。昨年12月に来たときに工事中だった道後温泉公園は、今日も工事中。しかも桜はぜんぜん咲く気配もない。とりあえず昼食をと思って、道後温泉本館向かいにある「すしまる」に入って、ふぐセット(\1,500)と道後温泉ビールを注文。この値段で、ふぐ刺し、ふぐのから揚げ、ふぐ雑炊が付いてくるのだ(^_^;)。私はまともなふぐを食ったことがないので、これでも十分に美味いと思ったが、雑炊を食べたら汗だくっ! そこで昨年12月に来たときにちょうど清掃日で入れなかった道後温泉のシンボル「道後温泉本館」に入ることにした。入浴料300円で1階にある神の湯に入ったのだが、古くてもきちんと清掃が行き届いており、不潔な感じは全くない。お湯の温度はちょっと熱めで、たぶん42〜43度近くあるのではないだろうか。地元のお年寄りに混じって、観光客も多く、平日昼間にもかかわらずそれなりに繁盛しているようだった。

 風呂から出たら、そろそろ空港に行かなければいけない時間になってしまった。2時43分発の空港行きバスに乗り、ANA596便(松山空港発:16時25分)で羽田に帰ってきた。7泊8日は長いようで、終わってみればあっという間だった。羽田空港に降りて感じたことは、東京のほうが気温が高いっ! 地元の駅に降りると、なんでこんなに人が多いんだっ! 花粉が多いぞっ!という感じで、すっかり感覚的に田舎の人になってしまった。なんで東京はこんなに変な街になってしまったんだろう・・・と心底、思うときがある。何もかもが東京に一極集中になり、人も金もそこに集まってしまう。そのおかげで、歩きにくいし、暮らしにくい。東京のすべてが嫌いなわけではないけれど、やはり現在の東京は異常な街だと思う。今回のようにしばらく地方に旅に出て、東京人ではない眼で東京を見つめることも、時には必要だろうと思う。うん、今回はいい旅だった。(02/03/11)




ピリスとアムランを聴く

 瀬戸内から帰ってきてはじめてのコンサートが14日の読響定期で、17日はマルク=アンドレ・アムランのピアノリサイタル。読響定期のほうはジャン=クロード・カサドシュの指揮でベートーヴェンの7番も演奏したんだけど、これははっきり言って凡演だったので、素晴らしかったマリア・ジョアン・ピリスの弾いたベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番についてだけ書きたいと思う。

 私は普段は、ピアノの演奏会に行くことはないので、著名なピアニストでもナマで聴いたことのない人が多い。ピリスもその中の一人だ。しかし、この演奏会を聴いて、なんでこれまで彼女の音楽を聴くことが出来なかったんだろう・・・と思うほど、彼女のピアノは素晴らしかった。とても優しく、繊細なうつろいを持って響く多彩な音色は、聴き手の心のひだに迫るようだ。決して打鍵が強いわけでもないし、超絶技巧を誇るようなピアニストではないけれど、その表現の優しさは他の誰からも得られない類のものではないだろうか。彼女のリサイタル、聴きに行きたいなぁ・・・。

 そして昨日は四ッ谷駅で降りて、紀尾井ホールに向かった。道すがらの上智大学前の土手の桜のつぼみは、あと数日でほころびそうな感じ。ホールは満員で、マルク=アンドレ・アムランの注目度は、かなり高い。曲目はブラームスの「3つの間奏曲」、シューマン「幻想曲」。休憩をはさんでシマノフスキの「20のマズルカ」から7曲の抜粋とソナタ第2番というプログラム。

 私はピアノを聴くときにどうしてもチェルカスキーと比較してしまうんだけど、やっぱり高齢のチェルカスキーよりはテクニック的にはアムランが圧倒的に優っている。速さは言うに及ばず、ミスタッチなんか私の耳では全く聞こえなかったし、どんなに難しい曲だって彼が弾くとぜんぜん難しく聞こえないのである。それでいて、私は今日、アムランを聴いて感動できたかというと、うーむ・・・なのである。原因はいくつかあるのだが、まずホールの音響はピアノに適しているかというと、これは疑問である。残響が長すぎて、アムランのように「速い」ピアニストだと音が重なってしまって、超絶技巧には不向きなホールではないだろうか。ピアノのハードウエア的な原因かもしれないけど、音色のパレットの豊富さではチェルカスキーのほうが素晴らしいと思ったし(CDでは音色がかなり豊富に聴こえる)、音楽で酔わせるエンターティナー性でも同様だ。

 それに加えて書いておきたいのは、客筋の悪さである。最初の「3つの間奏曲」の時には2階左サイドの席から咳がひっきりなしに聴こえたし(←まぁ、これはやむを得ない面もあろうが・・)、1階7列目の一番左端のおばさんは演奏中に騒いで、曲の終了後につまみ出される始末。後半はかなり客席の集中力も回復したが、他の客も演奏中に床に物は落とすは、いびきが聴こえるは・・・。ピアノの演奏会は、他のジャンルの演奏会と違って、かなり聴き手の集中力が要求されるはずなのだが、こんなにヒドイ(もちろん一部の客だが)客筋に当たったのは久しぶりである。

 アンコールはアムラン自作の「コン・インティッシモ・センテント」から「ベルゴレージにちなんで」、単調による練習曲から「スカルラッティに替えて」、シューマン「森の情景」から第9番「別れ」の3曲。例によって終演後はCDを買った人のサービスでサイン会。私もミーハー的根性で、CDジャケットをプログラムにサインをしてもらった(^_^;)。(02/03/18)



金聖響=都響のマーラーを聴く

 ウチの近所の桜も、もう五分咲きくらい。街を歩いていても、リクルートスーツ姿の大学3年生や、袴姿の女子学生などの姿が目立つ季節である。私の仕事も4月からはガラッと変わり、本社(?)に呼び戻されることになってしまった(^_^;)。その他にも、いろいろと思うところがあり、このページを今後、どうして行こうかを思案している。

 さて、3月20日の都響のA定期は、若手で都響定期初登場の金聖響で、私ははじめて聴く指揮者である。曲目も人気があるせいか、3階席まではサイドも含めてほぼ満員、4階は7割程度の入りで、5階も3割以上は入っていたのではないだろうか。東京文化会館の定期で、ここまで(多分2,000人くらい?)お客さんが入るのは珍しいことである。

 前半はソリストに仲道祐子(仲道郁代の妹)を迎えたモーツァルトのピアノ協奏曲第23番である。弦楽器を8-8-5-4-3にまで絞り込んでの演奏だったが、文化会館、ましてやホールは満員でデッドな状態なので、この編成では響かない。仲道のピアノも、音色的には綺麗で、誠実なアプローチを感じさせたが、オケとの噛み合わせが今ひとつに感じたのが残念。

 後半はメインのマーラーの5番。都響は良くも悪くも指揮者のタクトの通りに演奏するオケなので、金聖響の問題点が多く現れた演奏だったように思う。まず、金はオケのアクセルを全開、踏みっぱなしという感じで、大音量を搾り出そうとするのだが、これが逆効果で、音色は汚くなり、アンサンブルの精度は低下、弦楽器も都響らしい緻密さが失われていた。金管も時々コケたり、ひっくり返ったりしていたが、これも原因は金の強引で不明瞭な指揮にあるのではないだろうか・・・と思ってしまった。曲全体を通して、ダイナミックレンジがff方向に拡大されていたものの。ppはほとんど使われることがなく、音楽的には単調で平板な仕上がり。全体を通して音楽のタテの線も怪しげなところがあり、まだまだ在京オケの定期演奏会に登場する実力を備えていないように思えた。来年度も定期とプロムナードコンサートに登場するみたいだけど、ホントに大丈夫なの???それまでに力をつけてくれることを期待!(02/03/21)



新国立劇場「ワルキューレ」初日(速報版)

 さて、今日は新国立劇場「ワルキューレ」の初日公演である。午後5時に開演し、2階の休憩をはさんで終ったのが予定通りの午後10時20分頃。しかし、内容的に充実しており、その時間の長さを感じさせない公演だったことを、まず書いておきたい。

 まず特筆するべきは、昨年の「ラインの黄金」で話題になったキース・ウォーナーの演出である。今日の段階では、あまりネタバレしないほうが良いと思うが、ちょっとだけ(^_^;)。多くの場面でヴォータンの赤い槍が効果的に用いられ、ストーリーを操っている意図が明白にされている。特に第一幕のフンディングの家のトネリコの木は、ヴォータンの巨大な槍そのものだし、第2幕でヴォータンが地図に刺す3本の槍が、地図の上を逃避する兄妹のシーンでも効果的に用いられる。ブリュンヒルデの登場シーンは爆笑モノ(まだヒミツにしておきます)だが、意図はよく解らない。度肝を抜かれるのは第3幕冒頭で、ワルキューレたちの「職業」設定は、きっと誰もが驚かされるだろう(これもヒミツ)。ある意味で「ラインの黄金」以上にアイデアが満載で、すべての幕でどの場面でも斬新な趣向が凝らされている。その趣向も場当たり的な感じはなく、「ラインの黄金」からの一貫したポリシーのもとに計画されているのは一目瞭然である。ワタシ的に唯一不満だったのは第3幕のヴォータンとブリュンヒルデの別れのシーンで、ここはアイデアの凝らしすぎ。幼児退行的な小道具を用いて、ブリュンヒルデを鉄板焼きにする必要はないのではないか?(^_^;) 別れの情感が削がれてしまったと思うのはワタシだけだろうか。

 歌手では、さすがに先日のベルリン国立歌劇場に負けるけど、ワタシ的にはなかなかの高水準という評価にしたい。ジークムントのロバート・ディーン・スミスは若々しく柔らかい歌声のテノールで、ジークリンデのスーザン・アンソニーも悲劇のヒロインを感情豊かな歌唱で演じた。フンディングのドナルド・マッキンタイアはさすがの貫禄で、ヴォータン以上の貫禄を見せたし、ブリュンヒルデのリンダ・ワトソンも強靭で素晴らしい声に豊かな感情を乗せて歌ってくれた。フリッカの藤村実穂子は、夫婦喧嘩ではド迫力の声を聞かせて(^_^;)、今日のカーテンコールでは一番の拍手を集めていた。ちょっと???だったのがヴォータンのジェームス・ジョンソンで、こんな頼りなさげで威厳を感じさせないヴォータンというのは初めて見たし、聴いたような気がする。声は知性的で、感情表現も巧いのだが、ホールを支配する声量を感じさせるシーンが全くないのだ。しかし、このヴォータン像は、ウォーナーの演出意図に沿った歌唱のような気もするので、また見たときに改めて確認したい。

 そして準・メルクル指揮東京フィルの管弦楽である。さすがに先日のベルリン国立歌劇場と比較すると、厚みやパワーで劣るけれど、アンサンブルの精度では圧倒的に東フィルのほうが上である。ワーグナー特有のうねり感は薄めだが、ジークムントとジークリンデの愛の場面で、こんなに叙情的な雰囲気を感じさせる管弦楽を聴いたのは初めてだと思う。長丁場ゆえのミスは散見されたが、概ねメルクルの意図に沿った管弦楽だったといって良いのではないか。

 総じて、刺激的で、意欲あふれる上演だったことは間違いないし、もちろんそれに見合う質も兼ね備えている。特に演出を見るだけでも、この「ワルキューレ」に行く価値はあるだろう。必見。(02/03/26)



小泉和裕=都響のR・シュトラウス

 3月29日は都響サントリー定期で、後期ロマン派の曲を得意とする小泉和裕がR・シュトラウスを振る一夜。まずは緑川まりの独唱を得て「4つの最後の歌」。最初の2曲はオケがちょと雑然とした出来で、うーん・・・という感じだったが、後半2曲はオケのアンサンブルも整ってきて、良い雰囲気。緑川まりの歌も、少し力を抜いた感じが功を奏して、アンニュイな雰囲気が心地よかった。ただ、緑川まりの声は、以前に比べると、ちょっと重くなってきているような気がするのは私だけだろうか。まだ、ワーグナーみたいな歌は控えたほうがいいと思うのだが・・・。

 後半は「アルプス交響曲」。総じて熱演であったことは間違いないけど、どうにも指揮者の音楽作りに納得がいかない演奏だった。というのも、ダイナミックレンジが狭く、この曲が持つパノラマ的な視界の広がりがほとんど感じられなかった点である。冒頭の「夜明け」からして音がでかく、基本的にすべて「f」以上で音楽が構成されている感じ。したがって、登山が頂上に達しても、曲の頂上が相対的に低くなり、ぜんぜん視界が広がらないのである。これがシカゴ響レベルのオケだったら、ffの上にさらにffが上乗せするような音楽作りが可能なのだが、都響では音量的に飽和してしまい、音も濁ってしまう。音楽のダイナミックレンジをpp方向に広げていく努力が必要だったのではないだろうか。

新国立劇場「ワルキューレ」Bキャスト初日

 3月31日は新国「ワルキューレ」Bキャスト初日公演。演出に関してはネット上の随所でネタバレしているようだが、あえてここでは書かないでおこう。演目的には「ラインの黄金」に比べれば、ネタが埋め込みにくい演目であるにも関わらず、あそこまでやった事については喝采を送って良いのではないか。ただし、このようにポップな演出は、長期的に見ると陳腐化が速いことも事実だろうと思う。はたして3年後のチクルス上演を見たときに、私はどのような感想を抱くのだろうか。

 さて、そのBキャストの出来だが、総じてAキャストに勝るとも劣らない水準だったと思う。男声陣、特にヴォータン(ドニー・レイ・アルバート)とフンディング(長谷川顕)はAキャスト以上の出来。ジークムント(アラン・ウッドロー)も、一長一短だが、Aキャストに比べるとヘルデン性が強く感じられたし、女声陣でもジークリンデ(蔵野蘭子)とブリュンヒルデ(スーザン・ブロック)はAキャストに迫る大健闘とと言って良いのではないだろうか。Bキャストの公演は4/6の公演が残されているのみだが、この日のチケットを買っている人は期待してよいと思う。(02/04/02)