Concert Diary in December

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●01/12/07 アルブレヒト=読響「テレージエンシュタットの作曲家たち」(01/12/04)

 読響の400回目の定期演奏会を飾るのは、常任指揮者アルブレヒトによる「テレージエンシュタットの作曲家たち」と題されたコンサートである。第2次世界大戦でナチス・ドイツによってテレージエンシュタット(通称テレジン)の収容所に囚われ、のちにアウシュビッツで殺された作曲家たちの作品を発掘し、その紹介に執念を燃やすアルブレヒトらしい「記念演奏会」である。この選曲で、はたして聴衆が集まるのかどうか心配だったが、招待客も多かったとはいえ少なく見積もってもサントリーホールの8割以上の座席はうまったのは立派と言って良いだろう。

シュールホフ:交響曲第2番(1932)
シュールホフ:交響曲「人間」 Ms:ランディ・スティーン (1919)
ウルマン:交響曲第2番(1944)

 もちろん私も初めて耳にする作品ばかりだったので、演奏に対する評価もなかなか難しいが、この日に演奏された作品はすべて演奏時間20分前後の曲で、ワケの解らない20世紀後半のゲンダイ音楽とは違って(^_^;)、きちんとメロディラインも存在する、それなりに聞きやすい音楽である。私が気に入った作品は、2曲目に演奏されたシュールホフの交響曲「人間」で、前半は明らかに,マーラーの「大地の歌」に啓発を受けたような楽想なのだ。想像するに、マーラーをイメージして1〜2楽章の作曲を進め、後期ロマン派の音楽を色濃く残しているのだが、3楽章以降はシュールホフの個性が現れてきたような感じ。歌詞はオーストリアの詩人テオドール・ドイブラーの詩がアルト独唱によって歌われるのだが、歌手のスティーンの深く優しい声が美しく響き、夢のような世界をホールに表出させる。この曲は、現在のコンサートのレパートリーに加えられても決しておかしくないと思った。

 後半のウルマンの交響曲は、文字通りテレジンの収容所の中で作曲された作品で、彼自身のピアノ・ソナタを交響曲として編曲した作品である。演奏前にアルブレヒト自身のレクチャーが加えられ、曲の中にあるフス教徒のコラールがナチス・ドイツへの抵抗の意味としてこめられていることなどを解説した。このフス教徒のコラールは11月の定期演奏会の「わが祖国」の中にも引用されており、周到に準備されたプログラムであることには感心させられた。

 正直言って曲自体は1回聴いただけでは解らない部分も多いのだが、機会があればぜひもう一度聴いてみたいと思わせる曲であるし、この時代背景の中でウルマンはこのような形でしか抵抗の姿勢を現せなかったことを、現代にに紹介する意義は大きいと思うし、のではないだろうか。そして、読響の演奏も、400回記念に相応しい立派な演奏であったことを付け加えておく。



●01/12/08 クァルテット・エクセルシオ(01/12/05)

チラシは来年1月20日の第2回定期演奏会

 11月に勝どきにあるトリトン・スクエア内にオープンした第一生命ホールで行われたクァルテット・エクセルシオのコンサートに行って来た。第一生命ホール主催のコンサートは、基本的にNPO法人のトリトン・アーツ・ネットワーク(以下、TAN)が企画しているが、そのメイン企画と言ってもいいのが「クァルテット・ウェンズデイ」で、「弦楽四重奏を聴くなら、水曜日の晴海がいい」というコピーを用いて宣伝をしているが、いわゆるメジャーなクァルテットはほとんど登場しないのが特徴といえば特徴かもしれない。

 ホールのオープニングというと華々しい企画を組むのが普通だが、この第一生命ホールに限っては、実に地味である。これはたぶん、「予算がない」というのが最大の理由なんだろうけど、むしろそれを逆手にとって成長株の若手や国産クァルテットの育成に焦点を当てているのかもしれない。しかし聴衆の動員に関しては芳しくないみたいで、このクァルテット・エクセルシオの関しても150人程度だったのではないだろうか。

 私はこのクァルテット・エクセルシオを聴くのは初めてだが、実に面白いプログラミングで、南半球の作曲家を集めたもの。このコンサートに行こうと思った大きな理由もでもある。

スカルソープ:弦楽四重奏曲第15番
ヴィラ=ロボス:弦楽四重奏曲第5番
ピアソラ:フォー・フォア・タンゴ
ヒナステラ:弦楽四重奏曲第1番

 初めて聴くクァルテット、初めて聴く音楽で、ホールの音響を判断するのは難しいが、私が座った1階席後方でも音が実にリアルに響くホールである。カザルスと比較すると、残響は少なく、音が少々硬いような気がするが、そのあたりは好みの問題だろうし、年月を経てホールの音響も変わっていく要素もあるだろう。

 そして演奏。音色ではメジャーなクァルテットと差を感じるのも事実で、聴き手を圧倒するような音色の美しさはこれから獲得しなければならない課題だろうし、音が厚ぼったく聴こえてしまうところが多かった。プログラムはそれぞれのお国柄を反映した曲が多く、カモメの鳴き声を模した音や、タンゴなどが取り入れられていて、非常に興味をそそられるものだったのだが、音のパレットがもっと豊かだったらそれぞれの曲ももっと魅力的に輝いたに違いない(もっとも、初めて聴いた曲なので断言は出来ないが)。

 その一方で、このクァルテットは、実によく呼吸が合っていることに感心した。特にアイ・コンタクトもしていないように見えたのだが、音楽のタテの線はピタリと揃っているのは見事である。演奏会を重ねて表現の幅が広がれば、きっと素晴らしいクァルテットに成長しているに違いない。

●01/12/09 四国紀行(高知編)

 今日からなぜか(^_^;)四国に来ています。朝10時45分のJALで羽田を離陸。羽田では例のテロ事件以降、チェックが厳しいなったとのことで、早めに空港に行ったんだけど、ぜ〜んぜん問題なくゲートを通過してしまって拍子抜け。たしかにチェックは厳しくなっているんだけど、飛行機に乗る人が少なくなっているのか、空港は心持ち空いているような感じだった。

 飛行機はあんまり好きではないので、離陸のときはいつも緊張(^_^;)してしまうのだが、何事もなくお昼頃に坂本竜馬の故郷・高知に到着。ワタシ的には初めての四国上陸である。バスで高知市の中心部当たる「はりまや橋」で下車して、お昼ご飯を食べるところを探す。高知に来たらやっぱり「カツオのたたき」ということで「新鮮土佐料理・とさ市場」という店に入り、かつおのたたき定食(\1,300)と単品で「どろめ」(\500)を注文。どろめって何?という人も多いと思うけど、いわしの稚魚で、いわゆる「しらす」のこと。ドロメの生を2杯酢で食べるんだけど、臭みもなく、結構美味しい。もちろんカツオのたたきも本場だけあって、かなるりイケてて、お酒を注文したくなる(^_^;)。直後はかなりニンニク臭くなるのが玉にキズだが・・・。

 食後は、高知名物の「日曜市」を見物。日曜市は高知城の追手門から東西1kmに渡る青空市場で、江戸時代から続く歴史があるらしい。観光名所化しているのか、観光客相手の果物などの店も多いけど、地物の野菜や、海産物、天ぷらやアイスクリン(アイスキャンディ)の店、植木や金物屋、骨董屋など、は見ていて飽きることのないし、野菜やみかんは東京の値段と比べるとかなり安い。みかんはカゴで100円、5kgの箱で1,000円なんて見るとびっくりである。そんなワケで、ここで高知名産の文旦という柑橘系の果物とみかん、フルーツトマトを買って東京に送った。

 そして高知城を見学。天守閣の手前までは無料で入れるが、天守閣は有料。ここは折角きたので400円払って入ることにしたのだがこれが正解で、天守閣からの360度のパノラマ感は素晴らしく、高知市内が一望できる。天気がいい日でよかったぁ。このあと時間があったら桂浜に行って坂本竜馬になりきろうと思ったんだけど(^o^;)、冬の太陽は傾くのが早く、無理はしないでホテルにチェックイン。その後、ホテルから近い山内一豊を奉った山内神社に行ったんだけど、ここはあまり感心したものは無し。太陽も沈み始めたので、帯屋町のアーケード(←かなり大きい商店街!)や「ひろめ市場」を見て回って今日のスケジュールはおしまい。

 明日は四万十川で有名な中村に行く予定だが、高知は日本酒が旨いところですなぁ・・・。明日、早起きできるかしら(^_^;)。


●01/12/10 四国紀行 その2(四万十川編)

 今日の昨日に続いて四国紀行。今日は予定通り早起きして、ホテルからタクシーに乗って高知駅に向かい、8時19分発の「あしずり1号」で10時01分に中村駅に到着。余談だが、四国はJRでも土佐くろしお鉄道でも、女性の駅員さんが多い。JR高知駅でも改札はみんなカッコイイ制服を着た女性だし、土佐くろしお鉄道の中村駅では改札だけでなく、切符売り場も女性である。そう、駅で見かける職員は、女性のほうが多数派なのだ。これは東京より進んでいるというべきなのか、それとも労働条件を切り下げて、女性労働力の安価に使っているだけなのか、判断に苦しむところである。

 さて、駅前でレンタサイクルを借りて四万十川や市内見学へ出発した。中村は「四国の小京都」ちょ呼ばれている町らしいが、私が見て回った限りでは、うーん(^_^;)、小京都という感じはほとんど感じなかったなぁ。中村駅から自転車で5分くらい走ると四万十川が見えてくる。季節的に仕方がないのかもしれないが、観光写真で見るよりも水量が少なく、河原の面積ばかりが目立つ。四万十川橋を渡って上流に向かって30分、佐田の沈下橋に到着。沈下橋とは、四万十川の水位が上がると水面に沈んでしまうためにそう呼ばれていて、水の抵抗で川に流されないために欄干がない。沈下橋をわたって河原に降りて水面を見ると、やはり水はとても綺麗だ。水位が低くて、ごつごつとした河原の石ばかりが目立つのが残念だったけど、日本最後の清流の片鱗に触れた思いである。

 お昼は季節料理の「たにぐち」で、中村ならではの料理を味わう。鮎の塩焼きは焼き方に難があるのか皮のパリッとした感じが今ひとつだったけど、青さ海苔の天ぷらは香ばしくて実に美味。食後は為松公園(中村城跡)にある幡多(はた)郷土資料館へ。中村は日本の社会主義思想に多大な影響を与え、大逆事件で無実の死刑に処せられた幸徳秋水の出身地だが、昨年12月には中村市議会で彼の復権を図り、業績を顕彰する決議が満場一致で議決されたらしい。そして秋水の生誕130周年、刑死90周年を記念して、郷土資料館で「人間 秋水とゆかりの人々」という特別展を開催していた。残念ながら資料は系統的に揃えられたものではなく、秋水の業績を伝えるには展示内容に不満が残るものの、幸徳秋水の業績に興味を持たせるには十分なものだったと思う。

 ここでレンタサイクルの時間も迫ってきたので、いったんホテルへチェックインし、すぐにホテル近くにある幸徳秋水の墓参りをしてから中村駅で自転車を返す。秋水の墓は観光ガイドにも載っていないし、小さくて目立たないのだが、供えられて間もないきれいな花が手向けられていたのは印象深い。夕食を取ろうともって街の中心部へ行ったものの、高知市とは繁華街度は比べ物にならない。なぜか水商売系のフィリピン人らしき女性が多いのもビックリである。結局、あまり適当な店が見つからなかったので、ホテルで夕食をとることにした。

 明日は松山の道後温泉に向かう予定。


●01/12/11 四国紀行 その3(松山・道後温泉編)

 昨日の四国はめちゃめちゃ良い天気。朝早く中村のホテルを出て、8時06分発の列車に乗り、土佐くろしお鉄道の終着駅・宿毛(すくも)駅に到着。電車の中は通学の学生ばかりなのだが、床に座り込んでケータイ・メールを一心不乱に打ち込んでいる姿は東京と一緒である。宿毛から8時57分発のバスで約2時間、宇和島へ向かう。入り組んだ海岸線のためトンネルが多い道路だけど、ところどころで顔を出す海の表情がどこか南国的だ。さらに宇和島市内に入ると、街路樹にヤシの木が植えられていて、青い空と相まって一気に南国ムードが高まる。日程に余裕があったら、ここでも一泊したかったのだが、ここからまたJRに乗り換えて松山に向かう。ところが、JRの踏み切り事故の関係で電車が遅れているとのアナウンスが・・・。あちゃーと思ったのだが、災い転じて福となる。ホントなら乗れないはずの一本早い特急「宇和海10号」に乗ることが出来たのはラッキー。車窓から見えるみかんの木が、ここは愛媛なんだ・・・と告げていた。

 おかげで、予定より30分ほど早く、12時36分にJR松山に到着。とりあえずお昼ごはんを、と思ったのだが、松山市の場合、路面電車や伊予鉄がメインで、市の中心は伊予鉄の「松山市駅」から大街道のあたりにになる。JR松山から歩くと10〜15分ほどの場所だ。ところが、お目当てだったいくつかの店は、まだランチタイムだというのに、みんな準備中の札。仕方なく、四国に入ってからまだ食べていないうどんを食べようと思って、讃岐うどんの「かな泉」に入って、ぶっかけうどんを注文。結構、美味しかったが、もうちょっとコシがあるのかなぁ、と思っていたのだが、麺がちょっと柔らかめだったのは意外。

 食後は、まず松山で一番高いところに行こうと思って、松山城へ向かう。この城は小高い山の上にあり、途中までリフトで上ることが出来る。天守閣の下まで行くと市内が一望できて、遠くは瀬戸内海の島々まで望むことが出来る。ここまで来たのだから天守閣にも上ったのだが(有料)、眺めはそれほど変わらなかった。天気は良いのだが風が強い日だったので天守閣は寒く、早々に退散し、天守閣下の広場で日向ぼっこしながら瀬戸内海をしばらく眺めていた。

 午後3時頃になったので、そろそろ温泉に入ろうと思って、松山城から徒歩で降りて、路面電車で道後温泉に向かう。松山の路面電車は旧タイプの都電にそっくりで、軌道は自動車の斜線と「共有」している。床は木で、電車の走る音まで都電にそっくりだ。私は都電の線路に近いところで生まれたので、とても懐かしかった。

 道後温泉駅から歩いて2〜3分くらいのところに道後温泉のシンボルとも言える道後温泉本館がある。私が行った日は、地元のテレビでも放送された全館清掃の日で、休館日(^_^;)。翌日行った道後公園も工事中だったので、ちょうど観光客の少ないシーズンにあわせているのだろう。ここで旅館にチェックインして、早速、日本最古の温泉といわれている道後温泉につかる事にした。草津や北海道の川湯温泉などと違って、無臭無色の単純泉。まだ入った時間が早かったので、大浴場は私一人(^_^;)。めっちゃゆっくり暖まって、夕食は温泉街の寿司屋で地ビールと寿司。値段の割に、味は良し。ここ数日、早起きで睡眠時間も身近かかったので、午後9時に就寝。

 そして、この旅行最終日の今日は、6時に起きて、まずは温泉。朝食をとってチェックアウトし、まずは道後公園にある正岡子規記念博物館へ。ここは中村で行った郷土資料館と違って、資料は系統的にわかりやすく整えられていて、一見の価値あり。展示内容も、正岡子規のことだけでなく、郷土資料館の内容も兼ね備えていて、松山市の成り立ちなども良く分かるので、道後に行ったらぜひ行くことをオススメします。ホントならゆっくりと見たかったのだが、飛行機の時間が迫っていたので、早々に切り上げて道後温泉からバスで空港に向かう。この空港も荷物のチェックはスムーズに通過して、12時35分発のJAL便で東京に向かう。雲ひとつない好天だったので、10,000mの上空から淡路島や紀伊半島、伊豆半島などが地図の形どおりに見えたのがラッキー。今回の旅は、私の日頃の行いの良かったのか、ホントに良い天気に恵まれた4日間だった。

 さぁ、明日からまたコンサートだ(^_^;)。



●01/12/30 巨匠逝く

 ブルックナー指揮者として活躍した朝比奈隆氏が29日、老衰のため死去されました。93歳でした。生前に数多くの名演奏を聴かせてくれた事に対して、心から感謝したいと思います。詳しくは朝日毎日読売東京



朝比奈・開けられなかったCD


 私の部屋のCD棚には、まだ封を切っていない一枚のCDがある。それは他でもなく、朝比奈のブルックナーの録音で、1993年9月10日に都響定期演奏会で演奏されたブルックナーの第9交響曲だ。買ってからもう6年にもなろうというCDを、なぜ今まで封も切らなかったのか、それにはワケがある。このコンサートは私にとってあまりに重く、再び聴くのがつらいコンサートだったからだ。

 もう8年前になる、このコンサートの前日、私に友人が帰らぬ人になった。まだ治療法も確立していない難病で、数ヶ月の闘病生活の末、天国へ旅立ってしまったのだが、その訃報を聴いたときのことは、今でも鮮明に覚えている。職場ではこらえていたものの、家に帰ってから涙がこぼれて仕方がなかった。その翌日、私は少しでも慰みが欲しくて東京文化会館に向かったのだが、そのような心境のときに聴く音楽としては、ブルックナーの9番はあまりにも辛い。

 しかし、この演奏は私にとって帰らぬ人となった友人のための追悼演奏会のようなものだった。全楽章にわたって死の予感に満ち、荘厳な緊張感に満ちた音楽と演奏は、私の心の中の追悼演奏会に最も相応しいものだった。

 この日の都響の演奏に対してはっきりとした記憶は持っていないが、かなりミスが多く、完璧な演奏とは言いがたいものだったことは確かだ。まだ録音を聴き返していないので何とも言えないのだが、朝比奈のブル9の数多い録音の中で、この盤をベストに挙げるひとはたぶん少ないと思う。にも関わらず、私の聴いた朝比奈のベスト・コンサートは、迷わずこの日の演奏を挙げたいと思う。

 そして2001年12月29日、朝比奈隆が指揮台の上から静かに去り、そして永遠にタクトを置くことになった。齢93歳。最後まで数多くの音楽ファンに愛されて、本当に幸せな指揮者人生だったと思う。私も彼からブルックナーの音楽の素晴らしさを教わり、朝比奈のベートーヴェンやチェルカスキーと競演したコンサートを聴くために大阪にも通った朝比奈ファンのひとりである。そして今日、長いこと棚にしまい込んであったCDの封を切ることにしたい。今日ほど、このCDを聴くのに相応しい時はないから・・・。朝比奈さん、ありがとう、そして安らかに。(2001/12/30)


※ 朝比奈氏の最後の演奏会となった2001/10/24の大フィル名古屋公演のレポートがインターネット上で検索できます。大フィル団員の方のページはここ、リスナーの方のレポートはここここ。ホームページ・オーナーの方、直リンクですいません(_ _;)。