Concert Diary in November

■文中の敬称は省略しています
■各タイトルの日付は、掲載日を表しています


●01/11/04 プラッソン=ONCT(01/11/01)&「デッサウ歌劇場「サロメ」(11/03)

■ まず、トゥールーズ・キャピトル管弦楽団のラヴェル・チクルス3日目のことを書くと、客の入りは3階席で約6割程度といったところ。「クープランの墓」、左手のためのピアノ協奏曲、高雅にして感傷的なワルツ、「ラ・ヴァルス」というプログラムだったが、基本的には前2日間と同じような傾向なのでちょっと省略(^_^;)。ただ、協奏曲のブラレイが、明晰で粒立ちの良い音が素晴らしかったことを付け加えておきたい。

 このオケはプラッソンと組んで30年を越す年月を重ねているらしいが、それゆえの個性が実に良く現れている。南欧的な明るい音色に、旋律が良く歌うソロは素晴らしい。アンサンブルの精緻さや弦楽器の厚みでは、日本のオケのほうが上かもしれないが、それ以上に遥かに多くの魅力を携えたオケであることは間違いない。たぶん、日本のオケがロンドン響みたいな広いジャンルで機能を発揮するオケになる可能性はあるだろうし、想像も出来るんだけど、トゥールーズみたいな個性的なサウンドを身に付けることは不可能なんじゃないだろうか。少なくとも私には想像が出来ない。

 巧いオケはいくらでもあるけど、ONCTのようなオケは、なかなかお目にかかることは出来ないだろうと思う。このように素晴らしい企画を実現したトリフォニーホールに感謝したい。

■ 次いで昨日のデッサウ歌劇場(ドイツ・ザクセン=アンハルト歌劇場)の「サロメ」。例の武蔵野市民文化会館にははじめて行ったんだけど、ホールは一般的な地方自治体の文化センター・スタイルで、ホールの横幅が広く、奥行きが短い設計の多目的ホールである。その関係で残響は短く、さっぱりした音響なので、声楽やオペラはそこそこしれないが、弦楽器を良い音で聴くのは難しそう。

 この歌劇場を聴くのはもちろん初めてだけど、想像以上に歌手がいい。タイトルロールを歌った注目のラッパライネンも、最初はセーブしていたが最後まで全く声量が落ちずに、白熱の熱唱。声がそれほどきれいではないので、演目は選ぶタイプだろうが、彼女の容姿はステージでよく映える。前半の衣装のせいでやや太めに見えてしまったのが残念だったが、表情も実に官能的で、サロメの要求される多くの要素をもっている。「7つのヴェールの踊り」もステージいっぱいを使って駆け回り、演技も踊りも大熱演。ラストの、ヨカナーンの首を抱えて全裸(?)で歌うシーンも圧巻だったが、そーゆー演出上の見せ場がなかったとしても、見ごたえのある舞台だったろうと思う。

 ただし大問題だったのが、オケをピットではなく、ステージ上(舞台装置の裏手)にあげてしまったことである。オケの音が遠くて、R・シュトラウスの官能的な響きが伝わらず、なにが「サロメ」だろうか? それだけではなく、PAを使ってホールのスピーカーからオケの音を増幅したのだが、マイクに近い楽器だけがバランス悪く増幅されて、さらに、その音は劣悪なのである。はっきり言って、オケをステージ上に上げるメリットは全くなく、ピット席を発売による主催者の収入増と引き換えに、音楽を犠牲にしてしまっているのである。いくらチケットが安くても、このようなことを行う主催者はちょっとなぁ・・・。公演のレベルが想像以上に高かっただけに、残念である。


●01/11/05 デッサウ歌劇場「さまよえるオランダ人」(11/04)

 昨日も武蔵野市民文化会館でデッサウ歌劇場の「さまよえるオランダ人」を聴いた。2時間20分の1幕仕立てなのだが、この長さは休憩なしで見ることの出来る上限の時間に近い。たぶん聴衆の集中力を途切れさせないために1幕仕立てにしたんだろうけど、それ以前に演出上の問題により集中力がキレることになってしまった。

 演出は「サロメ」と同じヨハネス・フェルゼンシュタイン(あの有名なフェルゼンシュタインの長男)によるものだが、変な小細工ばかりで、話の大筋が見えてこないという悪循環を繰り返しているような印象を受けてしまった。序曲の最中に舞台中央で糸車に寄りかかって眠るゼンタの夢を再現するために、ラッパライネンそっくりの「影武者」を使ったのだが、この影武者の動きがただドタバタと右往左往するだけで何を意味しているのかよくわからない。ダーラントの難破船から猟師のエリックが現れるのも理解不能だし、オランダ人の船と遭遇するシーンでも、ずーっとゼンタは舞台中央で居眠りをこいているのだが、その意図も全く意味不明?? オランダ人をユダヤ難民になぞらえる解釈もすでに使われている手法である。最悪だったのはオランダ人の船の乗組員の合唱を録音テープで流したこと。音はヒドイし、生オケの音とズレまくって、もうメチャクチャ。オマケにラストでゼンタは身を犠牲にして死んだのか、それとも生きているのかもわからない。・・・・決して前衛的な演出ではないのだが、旧来の演出に継ぎ接ぎして持ち込まれる小細工がことごとく逆効果になっているのである。オマケに慣れない劇場なのだろうか、舞台装置の操作ミスが目立って、ホントに大丈夫なんだろうかと思うことしばしばだった。

 このようにメチャクチャな演出の中でも歌手だけは良く健闘していて、ダーラントのフランク・フォン・ホーフェは、船長にしては声が理性的過ぎるような気もしたが、良く通る声が光ったし、オランダ人のクラウス=ディーター・レルヒも老練さを表現することに長けている。その他脇役にいたるまで、ドイツ声楽陣の層の厚さを感じさせる配役だったが、ワタシ的にはマリーを歌ったヤーナ・フライの声がお気に入り。前日のサロメに続いて連投のラッパライネンは、高音が出にくく、声量も前日のほうがあったような気がしたのがちょっと残念だった。合唱は、特に男声陣の力不足が目立ったが、これはもしかしたら予算の関係から人数をキープできなかったことに原因があるのかもしれない。

 この日のオケはピットに入ったので、実力の程が見えてきたけど、機能性という観点から見れば誉めるべき点は少なく、アンサンブルもかなり緩やかなオケである。ゴロー・ベルグの指揮も含めて、管弦楽に対して過大な期待は禁物だろうと思う。


●01/11/27 ベルティーニ=都響(01/11/13&18)

 都響から来年度の定期会員継続の案内が来た。すでにご承知のとおり、都響は東京都からの補助金が大幅に削減されて、その運営の抜本的な改革が求められている最中だ。その影響は数年前からソリストや客演指揮者の顔ぶれに現れていたけど、ついにA定期(東京文化会館)、B定期(サントリーホール)のプログラムが同一化されることになった。会場確保や出演指揮者との交渉もあるだろうから、このようなプランは3年位前から決定されていた事項なのだろうと思うけど、登場する指揮者もベルティーニ(2回)、フルネを除けば日本人ばかり(金聖響の国籍は知らないのだが、プロフィールによると大阪生まれ)。オマケに曲目は名曲コンサートと見まごうばかり。まぁ、同一プログラム2公演では、冒険的プログラムは難しいと思うのでやむを得ない選択なのだろうけど、読響や東フィルが来年度の定期のプログラムと比較すると、都響の没個性化が際立っているような感じである。

 さて、この間にアルブレヒト=読響の「わが祖国」、井上=東フィルのショスタコ、第一生命ホールのエマ・カークビー&ロンドン・バロックのコンサートにも行ったんだけど、時系列順に(かつ、アリバイ的に・・・)都響の定期演奏会のレポート。

■ベルティーニ=都響 A定期(11/13)
 ・ウェーベルン:オーケストラのための6つの小品(1909)
 ・ベルグ:ヴァイオリン協奏曲(vn:矢部達哉)
 ・シェーンベルグ:交響詩「ペレアスとメリザンド」
■ベルティーニ=都響 作曲家の肖像「モーツァルト」(11/18)
 ・モーツァルト:交響曲第25番
 ・モーツァルト:2台のピアノのための協奏曲K.365(児玉桃&麻理)
 ・モーツァルト:交響曲第38番

 A定期の東京文化会館は、プログラムのせいか、かなり少なめ。ワタシ的にも最初のウェーベルンの曲を聴くのは3回目くらいだが、やっぱり良くわからない曲である。ベルグのヴァイオリン協奏曲は、いまや名曲としての認知度も高い曲である。矢部のソロは、本当に立派になったと思う。オケのサポートは、もう少し透明感のある音がベルグっぽかったような気がするんだけど、これはこれで立派な演奏。メインのシェーンベルグは、思ったよりも聴きやすく、濃厚な後期ロマン派の薫りが漂う曲である、まぁ、初めて聞く曲だから、あまり感慨なく聴いてしまったんだけど、もっとオケのレパートリーに組み込まれてもおかしくない曲だと思った。

 18日のモーツァルト・プログラムは、都響の弦楽器の機能性が光った演奏会になった。ワタシ的には少人数での室内楽的なモーツァルトのほうが好きなんだけど、芸術劇場では14型(だったと思う)の大きなオケで演奏するのもやむを得ないところ。しかし、それを逆手にとって、特に25番の印象的な動機が弦楽器で厚く奏でられたときに、ドキッとするほど良い音だったし、38番でも、芯がある骨格をしっかりした音で支えていたのは弦楽器群だ。モーツァルトが「苦手」な私でも、そこそこ楽しめるコンサートだった。


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●01/12/01 ボローニャ歌劇場発売日!

 今日はボローニャ歌劇場のS〜D席東京公演の一般発売日。私はe+のプレオーダーで何とか「トスカ」と「セヴィリアの理髪師」のE席を手に入れたのだが、グルちゃんの出演する「清教徒」のチケットは、プレオーダーはおろか、2〜3分で蒸発したと言われているE・F席一般発売、S〜D席のプレオーダーでも入手できなかった。やっぱグルちゃん人気はスゴイ!
 さらに今日は新国立劇場の「ワルキューレ」会員優先予約の日でもある。こっちは一般発売の機会も残っているので、今回はボローニャに専念という人も多いはず。健闘を祈る!

アルブレヒト=読響定期演奏会(11/20)

 さて読響定期は、スメタナの「わが祖国」全曲というプログラム。チェコ・フィルの首席指揮者だったアルブレヒトにとっては、特別な曲であるに違いない。
 この日の演奏は、前半、特に「高い城」と「モルダウ」あたりまでは手探りで演奏しているような感じで、オケの鳴りもイマイチで、何の感情もなく音楽が流れていく感じ。指揮者とオケの噛み合わせがちょっと・・・と思ったんだけど、その後の演奏は見事の一言。特に休憩後の後半、「ボヘミアの森と草原」「ターボル」「ブラニーク」は、アルブレヒトらしくちょっとデフォルメした音楽作りにもオケが良く反応して、起伏と音色に富んで、実に聴き応えのある演奏に仕上がった。

井上道義=東京フィル定期演奏会(11/24)
 ショスタコーヴィチ:ロシアとキルギスの主題による序曲
 ラヴェル:ピアノ協奏曲(pf:児玉桃)
 ショスタコーヴィチ:交響曲第8番

 ショスタコーヴィチに執念を燃やす井上道義が党フィル定期に登場して、演奏機会の少ない第8交響曲を振るというので楽しみだった演奏会。その期待に違わず、実に素晴らしい演奏会だった。
 最初の「序曲」は民族的舞曲の要素も加味されていて、リズム感の良い井上にピッタリ。児玉桃のラヴェルは、第2楽章のロマンチックな歌いまわしが気に入ったけど、音色的にはもう少し透明感のあるほうが好きである。
 しかしこの日の白眉はなんと言っても後半の交響曲だった。リズム感の確かさ、ダイナミックレンジの広さ、クレッシェンドの立ち上がりの鋭さは特筆もの。特に弦楽器群のボウイングのアクションの大きさを見ると、往年の新星日響を見ているような錯覚すら覚えたのだが(^_^;)、オケのやる気はそのくらい凄かった。決して無傷な演奏ではなかったのだが、オケの機能性の限界点まで追い込んだ結果だろう。曲そのものは難解なのだが、ワタシ的には大好きなショスタコをこのような名演奏で聴くことが出来て大満足。鄭明勲の「復活」に劣らぬ演奏だったのではないだろうか。

●01/12/03 第一生命ホールのこと

 今日は11月26日に行った第一生命ホールのお話。オープンしたのは先月中旬だから、まだ出来たてのほやほやの室内楽ホールである。都営地下鉄・大江戸線のA2出口を出て、歩いて4分くらいの晴海アイランド・トリトンスクエアのちょうど中心にある。このホールが交通至便かどうか判断する場合、大江戸線へのアクセスがいいところに住んでいるかどうかが分かれ目になりそうだが、ワタシのオフィスからは30分以内に行くことが可能である。

 かなり大きなオフィスビル3棟の1〜3階はオシャレなショッピングゾーンやレストラン街があり、このシーズンはクリスマス向けのイルミネーションの装飾が晴海の運河に映えて、とても美しい。エスカレーターで4階に上がると、第一生命ホールの入り口に着く。ホールの座席数は767席で、オーバル型と呼ばれる楕円型のホールである。ちょうどカザルスホールを楕円形に広げたような感じだろうか。2階席もあるのだが、ちょっと座ってみた感じではサイドのほうはステージが見にくそうなのでなるべく避けたほうが良さそうで、どうせ行くなら1階席か、2階ならなるべく正面の席に座りたい。

 私が行ったコンサートは、普段はめったに行かないバロックのコンサートで、エマ・カークビー&ロンドン・バロックの演奏だったので、普段と大幅に勝手が違ったのだが、ホールの音響の素性のよさは感じ取ることが出来た。バロック楽器だと、もう少し残響が多いほうが響きがきれいに聞こえそうな気もするのだが、やや控えめですっきりとした音響の素直さ、音の方向性もはっきりしていて、まとまりも良い(私が座ったのは1回後部の左側の席)。

 ちなみにコンサートのことだが、この日の主役はソプラノのエマ・カークビー。私はバロックのことは全く不勉強なので、彼女がどれほど有名な歌手なのか知らなかったのだが、一声を発したときに変わるホールの空気感、柔らかく、しなやかで、暖かい体温を感じさせる歌声は、まさに癒し系、和み系である。ヴィブラートは抑えて、ごくごく自然な発声なのが、とても新鮮に感じられた。

 またバロック楽器を室内楽ホールで聞いたのは初めてだったのだが、バロック楽器を聴いて美しい音だと思ったのは今回がはじめてである。やはり楽器に相応しいキャパシティのホールで聴かないと本領は発揮できないのだと改めて実感した。今度は12月5日にモダン楽器の弦楽四重奏を聴きに行く予定だ。
ヴィヴァルディ:室内ソナタ ニ短調 作品1の8
レグレンツィ:おお、最愛のイエスよ(単旋律の教会モテット 1692)J.S.バッハ:半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903
A.スカルラッティ:「これ以上、私の邪魔をするものがあるだろうか」
ヘンデル:4つの楽器のための協奏曲
ヴィヴァルディ:チェロと通奏低音のためのソナタ第6番 変ロ長調
ヘンデル:「獅子をほめたたえよ」詩篇112番


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●01/12/05 ベルティーニ=都響のショスタコ(01/11/29)

 今日は先月29日のベルティーニ=都響のサントリー定期のこと。曲目はチャイコの幻想序曲「ロミオとジュリエット」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(pf:小川典子)、ショスタコーヴィチ交響曲第一番というもの。今ひとつ地味目なプログラムだが、テレビカメラも入っていた演奏会だからではないだろうけど、極めて充実した演奏会になった。

 まず「ロミオとジュリエット」だが、まず冒頭の弦楽器の音からして違う。厚みがあって、テンションも高く、起伏の富んだ充実した演奏である。正直言ってこの曲はあまり好きな曲ではなかったんだけど、この演奏を聞いてちょっと認識が変わったほどである。このように「前座」の曲からブラボーの声が飛ぶことも珍しい。

 そしてピアノ協奏曲も小川典子が素晴らしい演奏を聞かせてくれた。彼女のピアノを聞くのはとても久しぶりだけど、大変に充実した演奏家に成長していることに驚いた。打鍵はオケの厚みをも突き抜ける強さを感じさせるし、音の輪郭には丸みを感じさせるのだが美しい音色を持っている。表現にも、骨格の確かさだけでなく、ロマンティシズムを感じさせるあたりは、実に素晴らしい。今、国内を中心に活動しているピアニストの中で最も充実している一人ではないだろうか。

 休憩後のショスタコは、前半をさらに上回る感動的な演奏だった。第一交響曲はどちらかというと室内楽的な曲というイメージがあったんだけど、この日の演奏はスケールが大きく、この曲に対するイメージを一変させるもの。曲の中に登場する管楽器のソロも実に美しく、弦楽器のテンションの高さと相まって、都響の充実ぶりを感じさせる。都響の管楽器って、こんなに巧かったっけ? 11月に聞いたコンサートの中でもトゥールーズ・キャピトル管弦楽団と並びえる素晴らしい演奏だっただけでなく、今年、私が聞いたコンサートの中でもベスト10に入れても決しておかしくない演奏だと思った。