Concert Diary in October

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●01/10/15 新国立劇場「ロメオとジュリエット」10/13公演のこと

 今日(15日)は、夕ごはんに「ごはん処 大戸屋」に行って、美味しそうだったさんま塩焼き定食(\650)を注文。今シーズン、秋刀魚を食べるのは初めてだったので出てくるのを楽しみにしていたら、・・・・うーん(^_^;)秋刀魚が痩せてる・・・・。身も細いし脂も乗っていな〜い。まぁ、久々の秋刀魚だったからそれなりに美味しく頂いたんだけど、これで650円は高くないか?

 と、ヨタ話は置いといて、一昨日(13日)の新国立劇場「ロメオとジュリエット」のお話。名振付で知られるマクミラン版による上演だけど、英国ロイヤルバレエやABT(アメリカン・バレエ・シアター)での素晴らしい舞台に、新国立劇場がどこまで近づけるかが注目である。配役は、酒井はな森田健太郎のコンビに、マキューシオ役に予定されていた小嶋直也がケガのため、な・なんとっ!!熊川哲也が急遽登場した。

 今回の舞台装置はバーミンガム・ロイヤルバレエから借りたものらしいが、コヴェント・ガーデンやABTのものとはちょっと違うみたいで、それにあわせて振付も微妙に差異があるように感じたが、その演劇的な舞台づくりは基本的に同じものだと言って間違いない。そのバレエは、マスゲームのように全員に同じ動きが要求されるわけではなく、一人ひとりに演劇的な表情が要求される。その意味では、あまり日本人には得意ではない振付ではないかもしれないが、やはりこの日のステージでそのことを実感してしまった。

 もちろん最初からマクミラン直伝のロイヤルやABTのレベルを要求すること自体に無理があることは分っているが、個々のダンサーの動きが自発的に動いているというよりは、誰かの指示で動いている=つまり非自発的というのが伝わってきてしまうのだ。このあたりは何回か舞台を重ねない限りは解決できないだろうと思う。

 ジュリエット役の酒井はなは、テクニック的には非常に高いレベルにあると思ったけど、ロミオに出会うまでの少女の顔の表情に乏しく、またロミオと一夜を過ごしてからの表情が大人びすぎて、ややジュリエットの心理的成長の表現としては不自然さを感じてしまった。ロミオの森田健太郎は、最初のうちはリフトなどで不安を感じさせたりしたけど、まぁ無難な出来。本場ロイヤルバレエでも同役で踊っていた熊川哲也だけは、力が抜けた演技ながら、キレの良い踊りは他とのレベルの違いを見せつけた。

 いろいろ不満はあったものの、やはりプロコフィエフの音楽は素晴らしい。バリー・ワーズワース=東フィルの醸し出す音楽は、全曲版として聞く同曲の中ではベストの演奏だったと思うし、マクミラン版の場合は踊りによって音楽の流れが阻害されることは少ないので、安心して音楽の世界に没頭できる。ストーリーは十二分に分っているのにラストシーンのロミオとジュリエットの死のシーンでは、目頭が熱くなってしまった。初めての同演目の上演としてはそれなりのレベルの上演だったと思うし、ぜひとも再演を重ねて、舞台の完成度を上げて欲しいものである。



●01/10/17 沼尻竜典=東京フィル定期演奏会(10/16)

 今日の新聞広告に会ったように、アメリカでのテロとアフガニスタンでの報復戦争のために、大植英次=ミネソタ管弦楽団の来日中止が正式発表された。このコンビは、前回の来日時にもいい演奏を聞かせてくれたし、最近も急成長が伝えられていただけに残念である。

 さて、昨日はサントリーホールで行われた沼尻=東フィルの定期演奏会。曲目がマイナーなためか、客の入りは7割程度と空席が目立ったが、まぁ、こんなものでしょう。前半はまず武満徹の「グリーン」ではじまったが、ワタシ的に理解不能な曲なのでコメントはパス。続くディティユーの交響曲第一番は初めて聴いた曲ながらそれなりに面白そうだと思ったのだが、うーん、なんか伝わってくるものが少ない演奏だったなぁ。なんでなんだろう・・・と思いつつ、後半メインのツェムリンスキー「人魚姫」を聴いて思ったのだが、やっぱりオーケストラの鳴りがイマイチなのだ。

 「人魚姫」は、シャイー盤のCDを図書館で借りて、芳醇なロマンティシズムを感じさせる楽想に尋常ならざる魅力を感じた記憶がある。たぶん、マーラーの曲を心地よく感じる人だったら、きっと「人魚姫」も好きになるに違いない。今回はそれをはじめてライヴで聴くことが出来るのを楽しみにしていたんだけど、残念ながら音がステージでダンゴ状態になって私の席まで音が飛んでこないもどかしさを感じてしまったのだ。オケの各パートの分離感が乏しく、音の輪郭がハッキリしない様は、まるで色収差が大きく解像度の悪いレンズで写した写真を見ているような感じなのだ。演奏そのものを視覚的に見ると非常に熱演だったと思うんだけど、聴覚的には、色彩感が今ひとつでスケール感や盛り上がりにも物足りない演奏になってしまったような気がする。

 もっとも終演後には、かなり大き目のブラボーの声もかかっていたので、不満を感じたのは私だけかもしれないが、「人魚姫」は名曲なだけに東京のオケの定期演奏会のレパートリーにもっともっと取り上げて欲しいと思う。



●01/10/30 プラッソン=ONCTのラヴェル・ツィクルス第1夜(10/29)

 都響やウィーン・フィルの報告もしていないのに昨日のコンサートのレポートを書くのは気がひけるんだけど、やっぱり書かずにはいられない。なぜなら昨日はとっても良いコンサートだったからだ。どう言ったらいいんだろう・・・。聴き終わった感想が、ラトルやゲルギエフなどの後の熱烈な興奮とか陶酔感とは明らかに違う感触なのだ。そう、とても上質な弦楽四重奏の演奏を聴き終わったときの充実感、満足感に近い。昨日のプラッソン=トゥルーズ・キャピトル国立管弦楽団のラヴェル・ツィクルス第1夜はそんな演奏を聴かせてくれた。

 前半は「道化師の朝の歌」と「スペイン狂詩曲」というプログラムだが、フランスのオケらしく管楽器の響きは明るくてヌケが良く、実に美しい。弦楽器は管楽器にやや劣るかもしれないが、良く訓練されていて、やや硬質の感触はアンサンブルの水準の高さを示している。そしてプラッソンのアプローチは、あくまでも上品で繊細。色彩感は豊かなのだが、決してハデな極彩色に彩るのではなく、テンポを揺らしたり、畳み込むような演奏をするのでもない。これまでのラヴェルの演奏に施されていた厚化粧を削ぎ落として、素顔(薄化粧?)のラヴェルを見せられたような新鮮さを感じさせられた。

 後半は歌劇「スペインの時」。引越公演が頻繁な日本であってもフランスのオペラハウスの引越公演は極めてマレで、ワタシ的には未体験。演奏会形式であっても、ケント・ナガノ指揮リヨン歌劇場管弦楽団の「カルメン」を演奏会形式で聴いたのが唯一の機会である。それだけに今回のオール・フランス・キャストの上演は、演奏会形式であったとしても貴重な機会である。「スペインの時」は1時間にも満たない喜劇で、むか〜し昔、NJP定期で日本語で聴いたような記憶があるけど、その時と比較すると同じ演目なのかと思うくらい、違う。プラッソンによって描かれる「スペインの時」は、とってもおしゃれで、端正な魅力に満ち溢れている。歌手の語感もまるで違って、やっぱりフランス語じゃないと、このラヴェルの音楽に合わないんじゃないかと思った。あぁ、なんと短い1時間の上演だったろうか私が音楽を聴いたときの最上級の褒め言葉は「室内楽的」なんだけど、まさにこの日の「スペインの時」は、まさしく室内楽的なアンサンブルで上演したオペラの稀有な例であろう。

 にも関わらず、この日のトリフォニーホールの客席は、3階の半分くらいしか埋まっていないのは残念だったが。それでも客席からステージに贈られた拍手とブラボーの声は、満席のそれと変わらないくらいの大きさを感じた。オケが引き上げても拍手が鳴り止まないくらいで、まさしくラヴェルの音楽に酔う、至福の夜になった。今日と11月1日のチケットは、まだまだ売れ残っているらしい。このような企画を続けてもらうためにも、、ぜひぜひ、チケットを買ってトリフォニーホールに行って欲しい。



●01/10/31 プラッソン=ONCTのラヴェル・ツィクルス第2夜(10/30)

 このところずーっと風邪をひいていて、正直に書くとコンサートに行くのも「チケット買ってあるから、しょうがねーなぁ」って感じで行くことが多かったんだけど、こんなにワクワクしてホールに向かったのは久しぶり。錦糸町の駅からトリフォニーホールまでスキップ!(←ウソ)。

 昨日は「マ・メール・ロア」、ピアノ協奏曲(pf:フランク・ブラレイ)、ダフニスとクロエ第2組曲、ボレロという超名曲プログラムのため、3階席は7割程度の入り。拍手の音も昨日よりだいぶ大きい。そのかわり客席が埋まってしまったためだろうか、ホールの残響音が昨日より短く感じてしまった。

 このオケはフランス南部の地方オーケストラなんだろうけど、実に良くその地域性を醸し出しているオーケストラだ。「ベルリンの壁」の崩壊以降、クラシック界にも東側の優秀な奏者が西側にも流れ込んだり、交通手段の発達により団員の国際色が豊かになる一方で、オケの個性的な音色を守ることはなかなか難しくなってきていると言われている。これをグローバリズムと呼んでいいのかどうかは解らないが(^_^;)、オケの機能性ばかりを追及するのではなく、オケ独自の音色を守ろうという動きがあってもいい。

 ONCTの音色は多彩だけど、ベースにあるのは暖かい音色だ。弦楽器なんかは、エッジがまるくて柔らか〜い音を出すのだが、それはまさに癒し系。「マ・メール・ロア」なんかは、それがピッタリで、まさしく童話の世界って感じ。管楽器のソロはもちろん巧いし、音色も暖色系のあたたかさ。プラッソンは、ダイナミックレンジをpp方向に拡大しようという意図が明確で、ピアニッシモが美しく、特に第5曲「妖精の園」なんかのフィナーレの盛り上がりなんかは、実際の音の以上に大きく感じられる点が好ましい。さらにこの日の白眉だったのが「ダフニスとクロエ」第2組曲で、たぶん、昨日も含めてこのオケの美点が一番たくさん表れた演奏じゃなかったろうか。「波」の中からソロがすべてキラキラ輝いているような音色感は見事で、作曲者の意図とは別なのが申し訳ないが、陽光に輝く宝石が散りばめられた海原を見ているような印象を覚えた。

 その一方で、ピアノ協奏曲は、ブラレイの指廻りの速さには敬意を表するものの、第2楽章で奇妙な間を取って音楽の流れを阻害してしまった点が残念。このオケの機能性の問題が露呈してしまったのが「ボレロ」で、最初の出だしから各楽器とも音程が不安定な感じで、音色もイマイチ。アンサンブルも粗雑な感じ。それまでの曲でバテてしまったのかもしれないが、やや遅めのテンポの「ボレロ」(たぶん16分ちょっと?)の最後もパワー不足。あと、もう一段、大きな盛り上がりが欲しかった。このあたりのパワーは、メジャーオケとの差なんだろうと思う。

 とはいっても、このオケの良い点を減じるものではない。会場の拍手は大きなもので、ビゼーの「アルルの女」のアダージョ、「カルメン」のアラゴネーゼと闘牛士の行進の3曲をアンコール。良いコンサートに出会えて、しあわせ!