12月の「今日のひとこと」

(文中の敬称は省略しています)

今日のひとこと 世間的には、すでに仕事納めという方が多いんじゃないだろうか。おかげでアクセス数は激減モード。
 このページも開設して4年半が経過したけど、若干の夏休みを除けば(^_^;)、それなりの頻度で更新を続けてきたし、実際にチケットを買って聴いているリスナーだからこそ伝えられる情報、商業ジャーナリズムでは掲載されないような情報を伝えてきたつもり。
 ただし、このページで扱っている情報量のスパンが広すぎて、私ひとりの手に負えなくなってきているのも事実。そんな中、世間的にも新世紀に突入するにらしいので、このページでも新コンセプトを導入しようと思っていて導入方法を思案中なのだが、1年近くぜーんぜん更新していないページもあるなかで新しいページを入れて維持していけるのかどうか、それが問題なのだ。そのコンセプトは○○○(未公開)で、基本的に自前の情報で構成したいのだが、それでは維持できるかどうか自信がない。掲示板方式にしても書き込みがないと無残だし・・・(^_^;)。どうしたものか・・・。
 さて、ヨタ話だが、最近、近所のコンビニで雪印の牛乳を売っている。それも1リットルの紙パック入りが148円、500mlのコーヒー牛乳はなんと60円(←ホント)である。以前は、雪印ブランドはほかの牛乳よりも値段が高く、私なんぞは年に一度の記念日くらいにしか飲めなかったくらいの高嶺の花だった(ウソ)が、こんな値段になってしまうなんて・・・。販売場所確保のためとはいえ、食中毒のツケは大きいということを実感。もちろんコストパフォーマンス最重視の私の家の冷蔵庫には、雪印のコーヒー牛乳が入っています(^_^;)。
 このこのホームページも、今日が今年最後の更新となります。では、また来世紀に会いましょう!!(00/12/29)

今日のひとこと 昨日は新国立劇場の小劇場オペラ・シリーズで、ウェーバー作曲「アブ・ハッサン」とロルツィング作曲「オペラの稽古」の2本立てである。このシリーズは若手演出家の育成を主目的にするもので、今回の公演の演出を担当する井上光はミュンヘン大学演劇科に学び、ウィーンやナポリの歌劇場で演出助手をつとめ、95年にブラウンシュバイク州立歌劇場でヴェルディの3大デュエットを再構成した「父ヴェルディ」で演出デビューしたらしい。今回の公演プログラムに寄せられた彼のメッセージによると、「オペラの演出とは、あくまでリプロダクションであって創造ではない。すでに創作されている作品を再現することである・・・・そのプロセスにおいて演出家は単なる媒体に過ぎない」と書いているように、台本作家や作曲家の意図を忠実に再現するオーソドックスな志向性をもっている演出家らしい。実際の舞台を見ても、その傾向は伝わってきた。
 私は両作品とも初めて見聞きするので、何をもってオーソドックスとするのか厳密には判断基準がないのだが、基本的にはオーソドックスな路線だろうと思う。衣装や台詞などが現代風にアレンジされていると思われるが、基本線はきちんと押さえられていて、見ていて不安のない演出である。また「アブ・ハッサン」を「オペラの稽古」の伯爵宅で行われる劇中劇風に扱っているあたりも2演目の舞台に一貫性を持たせるのに役立っているし、その他にも細かなアイデアが散りばめられている。不発に終わったアイデアも多かったし、展開のスピード感がイマイチだったところもあったけど、オペラの演出として基本線がきちんとしているので、大きな不満はない。
 オーケストラ的には、音が薄すぎるし、音程の点でもちょっと物足りなさは否めないのだが、歌手の演技・・・特に両演目で主役を歌った小林晴美の豊かな表情と、経種廉彦の柔らかで良く通る声が光ったし、その他脇役にも演出の意図が徹底されていて、もうちょっと洗練させればこのままレパートリー化しても良いんじゃないか・・・と言ったら誉めすぎだろうか。でも、それだけの可能性がある演目を新発見したことは、大きな喜びである。(00/12/27)

今日のひとこと スポーツ新聞の見出しに「オペラ」の文字が目立つので、いやーオペラもメジャーになってきたなぁ・・と思っていたら、あれは有馬記念の記事だったのね(^_^;)。
 さて、22日は新国立劇場の「くるみ割り人形」。ボリショイの新星、スヴェトラーナ・ルンキナが初めてマーシャを踊るのが大注目だったんだが、期待に違わずめっちゃ可愛い! マーシャを踊るにはちょっと身長が高すぎるような気もするけど、すらりと伸びた長い手足、その愛くるしい表情と仕草は表現力抜群。ただしボリショイのプリンシパルと言うわりにはテクニック的にはまだまだで、第3幕(?)なんかは見せ場に乏しい舞台になってしまったのがチト残念。
 国産バレエにしては舞台装置も豪華な方だし、演出はオーソドックスで子供づれでも楽しめる舞台だと思うんだけど、幕割りには疑問が残った。ふつーは第1幕を2場に分ける舞台が多いんだけど、その2場の間に休憩を入れて全3幕にしたのが今回の新国立劇場の「くるみ割り人形」。このため6時半に始まった舞台が終わったのが9時にもなってしまったんだが、休憩が増えたことで集中力はそがれるし、上演時間は長くなるし、良いことはひとつも無いような気がするのだが・・。
 渡邊一正指揮東フィルは、全体的にリズムが重く、第1幕でダンスとの齟齬が目立ったあたり、バレエ伴奏には慣れていないような感じだったんだけど、新国立劇場は日本で一番充実したバレエ音楽が聴ける劇場であることは間違いない。
 23日は尾高忠明=紀尾井シンフォニエッタ東京の定期演奏会だったんだが、ホールに着くのが遅れて聞けたのは後半だけ。スピード感があり、とても元気の良いハフナー交響曲だったけど、あーゆー演奏だったら室内オケじゃなくても聴けるので、もっとKSTらしい室内楽的なハフナー交響曲のほうがベターなんじゃないだろうかと思うんだけどなぁ。(00/12/24)

今日のひとこと 昨日は今年最後の新日本フィルの定期で錦糸町にいったんだけど、駅前の「そごう」が閉店セールの真っ最中(25日まで)。駅前再開発の目玉の一つだったのに「そごう」がいなくなると、駅前の光景もだいぶ変わるだろうなと思う。そごう有楽町店のあとにはビックカメラがテナントに入るらしいのだが、最近の消費不況だとデパートやスーパーというのも厳しいだろうと思う。はたして、錦糸町そごうのあとは何が入るのだろうか。
 さて、コンサートのほうは、看板指揮者・小澤征爾の登場と名曲プログラムとあってトリフォニーホールはほぼ満員の盛況。ソリストをコンマスの豊嶋がつとめたメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、うーん、平凡以上の演奏ではなかったような感じ。私は豊嶋がコンマスや室内楽奏者としての力量は高く評価しているんだけど、ソリストとなると彼の音色では華やかさに欠けるような気がしてならない。テクニック的にも、彼と同等、もしくはそれ以上のソリストは多くいるだろうし、あえて彼を起用するならもっと渋めの選曲のほうが良かったんじゃないだろうか。
 後半のショスタコーヴィチの交響曲第5番は、うって変わって実に良い演奏に仕上がった。小澤って古典を演奏させるとどこがいいのかワカラン指揮者だけど、ロマン派以降の音楽、特に20世紀の音楽になるとかなりの力量を発揮する指揮者だろうと思う。その意味ではショスタコも例外ではなく、小澤らしく音楽のタテ横の線はピシッと整えられ、エッジの明確な音楽は、ショスタコーヴィチの楽想に良く似合う。パート間の連携も緊密で、オーケストラ全体が有機的な一体感をもって一つの音楽を構築しようとしているあたりは、先日の大野和士=東フィルのマーラー9番(特に第一楽章)とは一線を画している。音楽そのものの難しさにも差異があるとはいえ、小澤に一日の長がありそうだ。
 ピアニッシモからフォルテシモまでのスケール感の幅の広さも申し分なく、満足すべきショスタコが聴けたことに大満足。NJPも持ちえる機能性を最大限に発揮していたと思うし、特に弦楽器の音の厚みは近年のNJPからはなかなか聴くことの出来なかったものだ。
 終演後は盛大な拍手に包まれたが、今年いっぱいで退任するステージマネージャーもステージに招くあたりは小澤らしい裏方への配慮。NJPの2000年を締めくくるに相応しいコンサートだった。(00/12/21)

今日のひとこと 13日のBCJによる「ロ短調ミサ曲」は良い演奏だと思う反面、サントリーホールじゃ古楽演奏は無理だよなーと再確認。まぁ、私はあまりバッハのお勉強はしていないので、よくワカランのだが、古楽をライヴで楽しむにはもっと小さくて残響の長いホールじゃないと難しいんじゃないだろうか。
 さて、昨日は大野和士=東フィルによるマーラー交響曲第9番のコンサート。「第九」の時期にあえてマーラーの「第九」をぶつけたのか、というのは考えすぎだろうと思うけど、小澤=SKOが同曲で新年を飾るよりは遥かに時節を心得ているとは思う(^_^;)。この演奏会をもってしばらく東フィル定期から離れる大野和士の入魂の演奏だったけど、結果的にはちょっと残念な内容に終わってしまった。まずオーケストラの細かいミスが多くて、音色的にもあまり冴えていない。大野のタクトも、第一楽章の錯綜する楽想の統一感がぜんぜんとれていなくて、パート間のバランスが悪く、何を言いたいんだか伝わってこないし、緊張感も持続しないためにマーラーらしい死生観が希薄なのだ。
 第4楽章になって何とか持ち直してきたけれど、今度は無神経極まりない聴衆の咳による雑音に悩まされた。時節柄、少々の咳は仕方ないと思うが、音楽がピアニッシモのときにあそこまで遠慮のない咳が出来るものかと逆の意味で感心してしまったのだが、定期演奏会にしてはマレに見る客筋の悪さを感じてしまった。
 期待度の高さに比べれば、物足りない演奏会に終わってしまったけれど、第4楽章は入魂の演奏だったことは間違いなく、終演後は大野に暖かい拍手が贈られていた。ワタシ的には将来を最も期待している日本人指揮者なので、ぜひぜひ頑張ってほしい。(00/12/20)

今日のひとこと 新庄がニューヨーク・メッツ!? これぞ世紀末現象なり。
 さて、朝日新聞に2回にわたって都響への補助金削減の話題が掲載さあれた。都響は一応、都から独立した民間の財団法人だけど、財源に占める都からの補助金比率が73.7%とべらぼうに高い。その東京都が行った事務事業評価がPDFファイルで公開されているので、興味のある人はどうぞ。それによると、入場者1人あたりの都補助額は、7,159円(!)にも及ぶらしい。入場者数は目標値に近く、事業目標達成度はそれなりに高いものの、効率性に関しては極めて低い評価となっており、とりわけ総予算の7割を占める人件費がターゲットにされているのが分かる。
 しかし、こーゆー評価の中で、芸術支援の根本的なあり方って検討されたのかな? ヨーロッパでは、(削減の方向にあるものの)公的補助がオケやオペラハウスにされているのが当然だ。アメリカでは公的補助はないものの、企業メセナがオケやオペラハウスの運営を支えている。クラシック音楽は基本的にコンサートの入場料で自立できないので、公的にしろ私的にしろ何らかの補助無しに運営することが出来ない。これは前述の報告書の中でも「オーケストラは構造的に独立採算が不可能な性質を持っている」と言っているとおりである。しかし「他の楽団との比較で、効率的事業運営が不足している」と言っても、他の民間オーケストラのあり方が本来のあり方なのだろうか。オケの収入だけでは食えないと言われる民間オケの楽団員の給料と比較して「効率化」を求めても、それはちょっと違うのではないだろうか。この動きは、東京の音楽シーンを大きく変えてしまいかねないので、今後とも要注意である。(00/12/12)

●一時、発泡酒の増税の話があったけど、私もご多分に漏れず最近は発泡酒を買うことが多い。藤原紀香がCMしてたイチ・サン・パーのサワーモルトなんかは、近所の酒屋で6本498円だから、一本あたり83円。なんと缶コーヒーよりも安い。これで消費税と酒税が含まれているんだから、製造原価はいくらなのか?味は・・・・まぁ値段なりの味ということで(^_^;)。
 そーゆー私でも、時には高級なビールを飲みたくなって、銀河高原ビール(265円←これは値引きなし)を買う。このビールは酵母が生きているホントの生なので保存可能期間が短いのだが、それがネックなのかこれを売っている酒屋は極めて少ないのだが、私の家の近所の酒屋では必ず置いていてくれる。最近のドライ系ビールとは対照的な味で、銀河高原はほんのちょっぴり甘さすら感じるビール。毎日飲むにはチト値段が高いが、それなりの価値はあると思うので、見かけたら買ってみるべし。(00/12/11)

今日のひとこと 昨日はMETのチケット一般発売日だったらしい(^_^;)。イープラスのチケット残券状況を見ると、ドミンゴが登場する「サムソンとデリラ」の神奈川県民ホールの公演は全席売り切れは当然としても、NHKホールの公演もC席以下は売り切れと、意外と健闘?! 東京文化会館の「リゴレット」は、ワタシ的な予想ではそれなりに売れると思っていたのだが売り切れたのはD席以下だけ。やっぱりMETはホールの響きで選ぶようなオペラハウスじゃないのかな。「ばらの騎士」は最も公演数が少ないのだが、これも売り切れたのがD席以下だけ。イープラスのホームページだけじゃ売れ行きの全体像はつかめないけど、全体的には高額化しすぎたチケットの値段に、さすがのオペラファンもついていけなくなった感じ。いくらくらいが適当な値段なのか、根拠は全くないのだが、ワタシ的な感覚で言えば全体に3割は安くしないと値頃感は出てこないような気がする。
 さらにMETに限って言えば、日常的にこのようなキャストで公演を行っているし、チケットの入手も難しくないので、それなりの時間があれば、飛行機代+チケット代を出しても現地で見たほうがGoodという声もあると思う。
 で、私はどうしたかというと、・・・一応、3演目とも見に行きます(^_^;)。「リゴレット」と「ばらの騎士」はF席で、残念ながら「サムソン」だけはE席になってしまったんだけど、まぁしょうがないか、という感じ。(00/12/10)

今日のひとこと 今日、本屋に立ち寄って、アスキーから出版された「ホームページベスト5000」とエーアイ出版の「WWWイエローページ Vol.10」を見ていたら、わがホームページが掲載されていた。過去の経験から言うとこーゆーのに掲載されても、意外とアクセス数は伸びないのが現実なので、あまり期待はしていないのだが、はたして今回はどうか!?
 さて、いよいよ年の瀬&世紀末。私がクラシック音楽を聴くようになって、13年の時間が経過したんだけど、いろいろなことがあったなぁ・・・と思わずしみじみ。13年前というと録音はアナログ=LPからデジタル=CDに切り替わり始めた頃である。そんなワケで、ウチにはLPは一枚もない。オマケにカセットテープも一本もない。基本的にCDの時代はしばらく続くとは思うが、先日、東京文化会館のエントランスにあるショップでオペラのビデオテープが売られているのを見つけ、そして値段を見てビックリ。知らないうちに一本3,000円、2本組みでも4,500円になっちゃたのね。音質的にはCDの方が上だけど、オペラの場合は画面の有無は決定的重要事項だし、値段的にもビデオテープが安いとなれば、かなりアドバンテージがありそう。これがDVDだったらすぐに買っていたんだけど、同じタイトルがあったとしてもDVDの値段は2倍近くするのは何故か? 映画だったら4,000円くらいでDVDが買えるのに、ちょっと変。それに、クラシックのDVDのタイトルがなかなか増えないのは大きな時代の変化である。
 CDでもNHKの衛星放送でも、普及させる当初はクラシック・オタクにターゲットを絞ったようなマーケティングをしていたのに、DVDになってからクラシックファンはあまり見向きされていない。DVD売り場は映画やアニメのタイトルばかりで、クラシック音楽のタイトルはほんの数枚という感じ。クラシックの鑑賞に堪えられるような重厚系オーディオ市場も縮小の一途だしなぁ。新譜の少なさ、スター不在のクラシック音楽の将来には、ちょっと悲観的にならざるを得ない。(00/12/07)

今日のひとこと そろそろ各オケの来年度のプログラムが発表になって、会員募集が始まろうとしている。とりあえず今日現在、ホームページで確認できるのは 東京交響楽団東京シティフィル東フィル の3つだけ。都響、読響、日本フィルも来年からの定期演奏会は決まっているのに、ホームページの更新はまだ・・・、おいおい、何のためのHPなんだ(^_^;)。(その他のオケは9月がシーズン始め)
 で、私の来年度の予定は、都響A・B両シリーズ、新日本フィルは従来どおり。統合する「新」東フィルは、うざったい渋谷・オーチャード定期からからサントリーホール定期演奏会に移行する。オーチャード3階席の音は好きなんだけど、やっぱり渋谷の雰囲気には我慢できなかった。その代わり座席ランクは1ランク上がってしまったのだが、まぁ、しょうがないっしょ。新規に会員となるオケは読響。これまではセレクトシリーズの会員だったが、新年度のプログラムを見て久々に定期会員復帰を決意! そう、私が読響の定期会員に復帰するのは、定期演奏会の会場がサントリーホールに移行して以来だから、何年ぶりだろうか。東京文化会館が定期の会場だったときは、5階両サイドの「天上桟敷席」の定期会員で、1回あたり1,000円の激安だったのが思い出される。
 読響定期の特徴は前にも書いたけど、あのアルブレヒトが4階も定期演奏会に登場し、ポリシー溢れるプログラミングを振ること。これは絶対に聴きモノだと思う。ふつう珍曲・秘曲をプログラムに加える場合は、いわゆる通俗名曲とカップリングしてプログラミングするものだが、アルブレヒトは正面突破でビショップ、ヴァレーズ、シュールホフ、ウルマンなどの作曲家の作品を取り上げる。いやぁー、こーゆープログラミングをアルブレヒトから提案を受けたときの読響事務局は困ったろうなぁ(^_^;)と思うんだけど、どう考えても営業的にはプラスにしにくいプログラムだ。もしかしたら読響が営業面を気にしすぎるならアルブレヒト体制も決して長くないかもしれない。だがアルブレヒトが振ったときの読響はイイ。その良さを考えれば、是非とも聴いておきたいプログラムである。ナベツネや読売新聞がキライでも、ワタシ的な在京オケのイチオシは読響である。(00/12/06)

今日のひとこと このところチケットを買ってあるのに、当日コンサートがあることを完璧に忘れて無駄にしてしまうことが多い(^_^;)。日曜日の「夕鶴」もそう。音楽的には一回聴いてヘキヘキとしてしたので演目的興味は全くなかったのだが、大注目の佐藤ひさらは是非とも聴きたかった。彼女はレパートリー的には広くないけど、表現力は国産歌手の中ではピカイチと言っていい。新国立劇場の場合、ネームバリューの方を選考させてキャストを選考するが、佐藤ひさらの実力から考えて彼女がAキャストを担うべきことは明らかだと思うのだが・・・。
 さて、アバド=ベルリン・フィルの「トリスタンとイゾルデ」のこと。この演目は、ワグネリアンの中でも特別な思い入れを持って語られることが多い演目である。あの無限旋律からして、音符で作られた媚薬そのものと言っていい。猫にマタタビ、ワグネリアンに「トリスタンとイゾルデ」って言うくらい?、忘我の境地に誘う音楽である。しかし今回のアバド=BPOの上演は、そのように濃密な、どろどろとした官能性を期待する向きには物足りなかったに違いない。アバドのアプローチは、「トリスタンとイゾルデ」の音楽からある種の思い入れや贅肉をすべて落として、客観的な視点から再構築したかのような音楽だった。その再構築の過程で、官能性は希釈されてしまって、さらさらとして透明感のある音楽に生まれ変わった。ワタシ的には決して好きなアプローチではないが、これはBPOというめっちゃ凄い機能性があってこそ実現したアプローチに違いない。ヘタなオケでアレをやったら、マトモに聴けないことは明らか。
 まぁ、演出的にダメだったし、一番いい所でケータイを鳴らすなど客筋もイマイチだったので、私にとって最高の上演とはいえなかったけど、長く記憶に残る「トリスタンとイゾルデ」だったことは間違いない。でも今度はこてこてに官能的な音楽を聴きたいなぁ。オペラの演目数あれど、「トリスタン〜」に比肩する官能的な音楽って思い浮かばないなぁ。誰か渡辺淳一の「失楽園」をオペラにしてみませんか(^_^;)?ムリか。(00/12/05)

今日のひとこと もう公演そのものは終わっているんだが新国立劇場「青ひげ公の城」に行ったので、そのことから。「青ひげ」は演奏会形式で3回くらい聴いたことが歩けど、演出つき舞台上演というのは今回で2回目。上演時間が1時間ちょっとと短く、なかなか舞台上演に馴染まないというのが理由だろうと思うけど、その反面、オケの演奏会の曲目として取り組みやすい側面もある。内容的にも想像力を掻き立てられる作品だけに、演奏会形式にも相応しいと言えるんじゃないだろうか。
 ゲッツ・フリードリッヒの演出による登場人物の服装は時代を20世紀前半に移したような感じで、彼らしいメッセージ性の濃い演出である。第2の扉の武器はミサイルみたいな感じだし、第5の扉を開けたときに地球が登場したあたりは現代的なセンスだ。地球を領土にする青ひげ公が鏡で自分の顔を見ながら悦に入るあたりは面白いし、ユディットも青ひげに一方的に支配される存在ではなく、彼と取っ組み合いをして青ひげをねじ伏せ、力ずくで鍵を奪い取ってしまうあたり、ジェンダー論的な視点から見てもそれなりの解釈が可能な演出である。心理学的に見ると、青ひげ公が美女コレクターで、ユディットが共依存的に青ひげ公に惚れてしまった感じ。リチャード・コーワン、クリスティン・チェジンスキーという二人の歌手も中劇場を満たすには充分な歌唱だったし、なによりも演出が板についていて心理描写の巧さが光った。
 飯森=新星日響は、もっとエッジを聞かせたキレのある演奏を望みたかったけど、ポカもなく全体的には水準に達した演奏だったと思う。ワタシ的には、まぁ面白い上演だったけど、一夜の演目として「青ひげ公の城」はちょっと物足りないような気もする。もちろん、上演時間が長けりゃ良いってもんじゃないが・・・。(00/12/04)