10月の「今日のひとこと」

(文中の敬称は省略しています)

今日のひとこと  昨日は新国立劇場の「エウゲニ・オネーギン」の初日。キーロフ歌劇場来日公演で注目を集めたゴルチャコワが歌うということで注目を集めた公演だったけど、結論的には不発に終わり、満足度の極めて低い公演になってしまった。
 まず演出だけど、ポクロフスキーが91年に演出したもので、今回の新国立劇場の舞台スタッフの中にもボリショイ劇場関係者の名前が多く、実際の演出指導はポクロフスキーの弟子であるヴィラ・カルパチョワが行ったようだ。この演出はボリショイ劇場の95年の来日時にも見たけど、モスクワシアターオペラの「鼻」などで見せたポクロフスキーの天才的な冴えは感じられない。第1幕の邸宅の内部から見た舞台装置は斬新でアイデアとしては悪くないけど、舞台上の人の動かし方が散漫で、広い舞台をもてあましている感じ。来日公演時はNHKホールだったので、もっと散漫だったのだが、なぜ第一幕のハイライトである「手紙のアリア」をあんな端っこの寝室で歌わなければならないのか、第2幕のパーティの群集の動きも不自然だ。なによりも、ソリストが揃いもそろって大根役者で、歌からも演技からも登場人物の心情がほとんど伝わってこない。この原因は演出家の力量が大きいのではないかと推測している。オマケに舞台装置はいたってチープだ。89年にボリショイ劇場が来日したときの重厚で豪華な舞台装置はどこに行ってしまったのか。あのときの来日公演もポクロフスキーの演出だったけど、あの時の方がずっと良かった。
 歌手も総じて期待はずれ。ゴルチャコワは、かつてキーロフで「スペードの女王」や「炎の天使」を歌った衝撃には程遠く、ごくごく普通の歌手になってしまった印象。声は飛んでこないし、タチヤーナの心象描写や演技力の点でも物足りない。正直言って、この程度なら国内でも歌えるそれなりに歌手はいるのではないかと思う。オリガを歌ったロミショフスカヤは、かつて藤原で歌っていたときよりも声が出るようになっているけど、まだ音域によってムラがあるところが気になる。タイトルロールのセルヴィレも、若いニヒリストというよりも、偏屈な頑固オヤジみたい。この役を歌うには、もうすこし声に若さが必要じゃないだろうか。レンスキーを歌ったトドロヴィッチも、いい声を持っているのだが、音程に不安を感じさせるところがあるのと音域によって若干のムラがあるところが気になった。そんな中、一番の拍手を集めていたのがグレーミン公爵を歌ったブルチュラーゼだったんだけど、声は大きいけど、ただそれだけ(^_^;)。合唱も声が飛んでこないもどかしさを感じた。ボリショイ劇場の分厚い合唱と比較すると大きく聴き劣りするのは否めない。オーケストラだけは、荒れていた95年のボリショイ劇場管弦楽団に勝っていたけど、さすがに金管楽器が入ると、音の輪郭がぼやけてしまう日本のオケの欠点が出てしまう。
 総じて、登場人物の描写力、舞台をまとめる求心力が欠けているのは明らかで、これは演出の不出来によるものだろうと思う。なんで新国立劇場は、すでに日本でも紹介されていて、不出来だと分かっている演出を輸入しようと思ったのだろうか? オマケに歌手は揃いも揃って良くないし・・・。実に退屈な3時間だった。(00/10/31)

今日のひとこと 今日はウィーン国立歌劇場来日公演の初日で、シノーポリが振るR・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」。作曲家にアグネス・バルツァ、アリアドネにシュリル・スチューダー、そしてツェルビネッタにエディタ・グルベローヴァとくれば、最も早く売り切れたのも当然で、神奈川県民ホールは満員。初日とあって着飾ったひとも多かった。
 さすがに音響的にデッドな神奈川県民ホールだけに、小編成のウィーン国立歌劇場管弦楽団からは痩せた音しか聴こえなかったんだけど、時間の経過とともになんとか響いてくるようになった。シュトラウスらしい官能的な響きといえるまでには達しなかったんだけど、そこはさすがウィーン・フィル。小さなミスはあったものの、それらしい音楽を構築していたのはさすが。
 そしてこの日の主役はなんと言っても歌手。グルベローヴァの最高の当たり役とも思えるツェルビネッタの衰えを知らない歌声は、軽やかで完璧なまでのコロラトゥーラ。一番の見せ場である「偉大なる王女様」のアリアが終わると爆発的な拍手とブラーヴァの声!!! 正直言ってグルベローヴァの声はあまり好きな傾向ではないのだけど、ツェルビネッタを歌う限りにおいて彼女以上の歌手は存在しないだろうと思う。(だからといって彼女のヴィオレッタを聴きたいとは思わないが・・・^_^;)。
 続いて作曲家を歌ったバルツァも素晴らしい。適度に脂が乗った声質はズボン役に相応しいだけではなく、演技力も抜群。プロローグ終了後のカーテンコールの主役は、もちろんバルツァ。この2人に比べてスチューダーはちょっと影が薄くなってしまった。彼女の声はナマで何回か聴いたことがあるけれど、声の滑らかさ、声量とも今ひとつだったので、ちょっと不調だったのかもしれない。歌そのものは、無難にまとめて見せたものの、最後の見せ場であるバッカスとのやり取りもイマイチ盛り上がらなかった。バッカスも急な代役ヤネス・ロドリッツが歌ったが、これもイマイチ。
 とはいっても、全体的に見れば満足できる出来栄えで、F席15,000円のモトは十二分にとったと思う。前に若杉の演奏で聴いたときには、このオペラのどこが良いんだろう・・・と思ったけど、今回のウィーンの上演を聴いて、初めてこの演目の良さを認識することが出来たと思う。同時にこの演目の難しさ、大変さもわかったような気がする。つまり、これだけの歌手を揃えないと、ホントの良さを味わえないということなのだろう。録音ならともかく、ナマでこの水準の上演に接する機会はあまりないだろうなぁ。(00/10/23)

今日のひとこと いやぁ、東フィル定期のプレゼントを出したのだが、結局、応募者ゼロ。送料もゼロという条件にも関わらず・・・。やっぱり指揮者が指揮者だから、いくらタダでも時間の無駄ということか。
 さて、ジャパンアーツから来年5〜6月に来日するメトロポリタン・オペラのチラシが送られてきた。気になる値段は、「リゴレット」と「ばらの騎士」はS52,000、A51,000、B46,000、C38,000、D30,000、E22,000、F14,000円である。さらにドミンゴが登場する「サムソンとデリラ」は、S62,000、A54,000、B46,000、C38,000、(D以下は同じ)とチト高い。値段的にはスカラ座とほぼ同格だが、はたして音楽的にも同格たる価値があるのだろうか。
 まず歌手だが、これは間違いなく超一流のネームバリューのある歌手が揃えられている。舞台装置も過去の来日公演を見る限りにおいては絢爛豪華なこと、この上ない。しかし、チケットを買う前に、指揮者しレヴァインとMET管弦楽団は超二流であることは、知っておいたほうがいい。ウィーンやスカラ座の水準に遠く及ばないのはもちろん、日本国内のトップレベルのオケと比較しても水準は下だと思う。さすがにあのデッカイMET歌劇場で演奏するだけあって、音がでかいのは確かだが、音楽に求められる細やかなニュアンスとか繊細さとかは期待するべきではない。長年、潤沢な資金を有するMETの音楽監督を勤めながら、この程度のオケにしか育てられないレヴァインの力量も知れたもの。世界の三大歌劇場に数えられることが多いMETだけど、このオケで「ばらの騎士」なんかは聴きたくないなぁ・・・と思ってしまう。
 ワタシ的な価値観でいうと、F席なら3演目とも買い、E席なら一演目で我慢、それ以上ならチケットは買わない。まぁ、話題のタネに特別演奏会の「グレの歌」くらいで我慢するか。(00/10/21)

今日のひとこと 東フィルの来シーズンの定期に続いて、今日は読響の話。まだ読響のホームページでは公開はされていないけど、10月の演奏会で配布された「Orchestra」に来年度の定期演奏会の概要が掲載されていた。それによると全11回の定期演奏会のうち、なんと常任指揮者のアルブレヒトが4回も登場し、7月は現代音楽のオンパレード、11月は「わが祖国より」、12月は定期400回記念としてこれまた現代音楽?、シュールホルフやウルマンの日本初演作品ばかり。2月にはドヴォルザークの劇的カンタータ「幽霊の花嫁」を演奏する。10月の常連、ロジェストベンスキーはプロコフィエフプログラムだが、冠のついている指揮者はこの2人だけ。
 客演指揮者には、リヨン管弦楽団を育てたオーケストラ・トレーナー知られるクリヴィヌが4月の登場し、「展覧会の絵」や「ボレロ」など。そしてラハティ交響楽団を率いて、昨年、シベリウス・チクルスを聴かせてくれたオスモ・ヴァンスカが1月の定期の登場してシベリウスの4・5番を演奏するのも注目すべき演奏会だ。また都響ではお馴染みのペーター・マークが5月の定期の登場してモーツァルトとメンデルスゾーンを振るのだが、これも大注目! その他では6月にラザレフがロシアものの名曲プロ。9月にコバケンが幻想などを振る。3月はまだ未定だ。
 このように見てみると、客演指揮者は名曲プログラムを振り、アルブレヒトが得意?の現代音楽や演奏頻度の少ない少ない作品を中心に振るという色分けが出来ている。また常任指揮者の名のとおりアルブレヒトが4回も定期に登場し、クリヴィヌやヴァンスカといったオーケストラ・トレーナーを揃えて、アンサンブルの向上にはかなり意欲的に取り組もうという姿勢が強く感じられる。今年度の続いて、読響の定期演奏会は注目すべきものが多い。ソリスト的にはあまり注目すべきものが見当たらないが、読響の定期会員券は値段も安めなのでこれから継続的にオケを聴きたいという人には読響はオススメである。(00/10/17)

今日のひとこと 更新がちょっと滞ってしまったが、これは新しいモバイル・コンピュータへのデータの移行のため。ノートパソコンは、平均するとだいたい3ヶ月ごとに変えているのだが、これまでほとんどは特売の型落ち旧型コンピュータばっかりだった。しかし今回は超新型のVAIO C1VJ。あのトランスメタのクルーソーCPUを搭載したはじめてのコンピュータである。使用感は、また今度。
 さて、14日はトリフォニーホールのNJP定期で、若杉弘によるヴァイル・プログラム。聴きなれぬプログラムのせいか、客席はやや空席が目立った。こうやって、ヴァイルの音楽をまとめて聴くのは初めてだけど、退廃的でアンニュイな雰囲気を漂わせた音楽は、いかにも世紀末っぽくて良い。彼のソングブックはジャズの世界ではスタンダードになっているらしいけど、なるほど聴いたことがある音楽が含まれている。この手の音楽の演奏としては生真面目すぎる気がするけど、まぁ、ヴァイルの入門編としては良い企画だったのかもしれない。
 ただ、歌手の伊藤淑と三橋千鶴に使われたPAの音質が悪すぎて、オケの音と全然あわなかったのが残念。音量的にも問題があったけど、もうちょっとマトモなアンプ&スピーカーを使うべき。あと交響曲第2番のときの、ホール中にずーっと響いていた風切音みたいな雑音は何? 若杉は楽章間にしばらく待って、音が収まるのを待ったけど、結局収まらずに最終楽章を始めざるを得なかった。何とかならんかったのか。(00/10/16)

今日のひとこと 二つのオケの合併と、看板指揮者に鄭明勲が就任するということで注目を集めていた東フィルから、来年度の定期の継続案内が来た。プログラムはホームページでも公開されているので見るべし。サントリーホールとオーチャードホールで同一プログラムを2回演奏すると言うのは予想通りだが、定期演奏会は年8回と少なめ。東フィルも新星もプログラムは名曲路線の傾向が強かったのだが、新・東フィルもこの路線を継承・強化した。たぶん東京のオケの中では最も保守的なプログラムで、面白いプログラミングとは到底言えないが、財政的な厳しさを考慮すれば観客確保優先もやむをえないだろう。
 注目の鄭明勲は、来年6月と再来年1月の2回登場し、マーラー「復活」とブラームス4番を振る.。コヴァーチュのドボルザーク・プロ、フェドセーエフは彼自身の版による「ロミ・ジュリ」組曲、10月には沼尻竜典と旧・東フィル系の指揮者が続き、明確に新星系の指揮者は12月にフランスものを振るパスカル・ヴェロただ一人だけ。このプログラムを見ていても「吸収合併」の色合いが強くにじみ出ている。その他の指揮者は、最近、東フィルとの共演が増えている井上道義のショスタコ8番と、小松長生がチャイコ5番。
 問題は、鄭明勲がシェフに就任して、新・東フィルがどう変わるかということだが、ワタシ的な見方ではちょっと不安。まず第一に鄭明勲が、どの程度腰を据えて東フィルのアンサンブルを醸成させてくれるかという点だが、得体の知れない「すぺしゃる・みゅーじっく・あどばいざー」という立場から想像すると、それほど期待できないのではないか。今年5月にもN響の特別演奏会に登場したときも、ほとんど「ぶっつけ本番」のようなスケジュールで演奏会に挑み、演奏内容は惨憺たるモノだった。どうやら鄭は、自分のサウンドが実現できないようなスケジュールでも指揮台に上がってしまうような指揮者らしい。97年にサンタ・チェチーリア国立アカデミー管と来日したときにも、わざわざエキストラを加えて20型(!!!)のオケでチャイコを演奏して、もうメチャクチャ。東フィルが鄭のスケジュールをどの程度確保しているのかにもよるけど、「音楽監督」的な責任ある立場でないと単なる客寄せパンダに終わる可能性が高い。
 また、オケ・メンバーのローテーションはどうなるのか? まさかオーチャードは旧・東フィルメンバー、サントリーが新星メンバーということはないだろうが(^_^;)、定期のたびに違うメンバーがステージに乗るというのでは、きちんとしたアンサンブルを醸成させるのに時間を要するのではないか。最近、新星の演奏水準も向上しているので、以前ほどの水準格差はなくなっているとは思うけど、これも不安要因。
 私は以前に新国立劇場の座付きオケに東フィル、音楽監督に鄭明勲を!と書いたことがあって、それが実現しつつあるのは喜ばしいハズなんだけど、なんか複雑な心境の今日この頃である。(00/10/12)

今日のひとこと 土曜日はコープマン=アムステルダム・バロックの「マタイ受難曲」で、トリフォニーホールは珍しく?満員の大盛況。かなり起伏に富んでドラマチックな「マタイ」に仕上がって満足。歌手も粒ぞろいだったし、合唱も、時間が経過するごとに良くなって、さすがぁ・・という感じで、3時間が短く感じられたほど。たぶん好みの分かれる演奏だとは思うけど、個人的には好きな傾向の演奏である。ただ、トリフォニーの音響は古楽には痩せすぎているのが残念な気はしたけど。
 次いで、日曜日のロジェストベンスキー=読響のプロコ・プログラムはイマイチで、良いと思える瞬間がほとんどなかった。16型に拡大された「古典交響曲」は重く遅すぎるし、ぜんぜん俊敏さが感じられない。ヴァイオリン協奏曲第2番はまぁまぁとしても、「ロミ・ジュリ」は色彩感に乏しくベタッともたれた感じの演奏でがっかり。終結感に乏しい選曲にも問題があるしなぁ。ロジェストベンスキーと言うことで期待して聴きに行ったんだけど、かなりの期待ハズレ。(00/10/09)

今日のひとこと 先日、新型が発売されて片落ちしたMac G4を買った。138,000円で10%のポイント還元だから、それなりにお買い得感があったんだけど、もしかしたらもっと値段が下がるかも。家にもって帰ってきて電源を入れる前に、カバーを開けてハードディスクを交換→OS9をインストールしたんだけど、G4はめちゃんこメンテナンス性が優れていて、ケースを開けるのに一切の道具は不用で、レバーを引っ張るだけ。これには感激!メモリーなどの周辺機器もWindowsマシンとの共通化が図られているので、従来のハードウエアも使えるものが多い。
 で、Macユーザーになって気づいたんだけど、Macに与えられているソフト売り場の面積は実に小さく、ソフトの種類もかなり少なめ。なおかつ、Macが得意としたグラフィック関係のソフトもほとんどはWindows版が発売されていて、あえてMacを選択する理由は希薄になりつつある。アメリカでは、アップルの株価暴落が伝えられているけど、ある特定の分野以外では、Macが生き残っていくのは難しいかもしれないとは思っている。
 ワタシ的にはDTPとCADを勉強しようと思ってMacを買ったんだけど、ソフトを揃えるのがなかなか大変だ。プロユースのソフトが多いので、ほとんどが一本10万円以上。フォトショップは、スキャナのおまけについていたLEが我慢することにしよう。さて、余ったiMacの行方は如何に? (00/10/04)

今日のひとこと 秋葉原の家電の老舗のひとつ「ロケット」が民事再生法の適用を申請して、事実上の倒産した。ロケットは秋葉原駅に近い中央通りの最も目立つ角地を占めていて、秋葉原がテレビに登場するときには必ずと言って良いほど「ロケット」のビルに張り巡らされた広告が映し出されたものである。少なくとも建物の広告効果的には、秋葉原のシンボル的な店だったことは間違いない。しかし、店の中に入ると、ポップなんかも垢抜けない感じで、店員の接客態度もいまひとつ。家電関係はカメラ・チェーン店の方が安いことが多いし、コンピュータ化が急速に推し進められる秋葉原全体の流れから取り残されて、ワタシ的に見ていても「あれじゃ倒産しても仕方ないなぁ」っていう感じではある。
 秋葉原の面白さは完全な弱肉強食の世界なところで、街の移り変わりがこんなに早いところは日本中探したってないんじゃないかな。ソフマップは、十数年前はガレージに商品を積んだだけのようなみすぼらし店だったけど、社会のコンピュータ化にのって、いまでは秋葉原のあちこちに店舗を構えている。(一時は経営危機説も飛び交ったが、最近は聞きませんね) 行政の再開発みたいに「人為的」に変わっていく街は多いけれど、経済の原則がここまで見事に貫かれて変わりゆく街はないんじゃないかと思う。(00/10/03)

今日のひとこと イタオペ・ファンは、ヴェルディとプッチーニのどちらの方が好きなんだろうか? 中にはロッシーニやベッリーニが好きとかいう人もいるだろうけど、イタオペの上演回数の多さでは、この二人が抜きん出ているのは間違いないと思う。
 ワタシ的には、プッチーニの方が好き。あの旋律線の美しさはたまらん。俗物的ではあるけど、高度な管弦楽を駆使しているし、ライトモチーフの見事な使い方は劇的効果を否が応でも盛り上げる。少なくとも聴いたことのあるプッチーニのオペラで感性に合わなかった作品は思い当たらない。メジャーな作品はもちろんだし、上演回数の少ない三部作や「西部の娘」とかも良かった。CD化されていて聴いたことがないのは「湖上の美人」と「つばめ」くらいか?
 対するヴェルディは・・・、もちろんキライじゃないけど、好きな作品だと「椿姫」「マクベス」くらいかなぁ。あとは好きでもキライでもない作品ばかり。何故かって言うと、ヴェルディがオペラ化した台本のほとんどが、リアリティに乏しいんだよね〜。「運命の力」なんてその典型で、序曲だけでもう充分っていう感じ。あと権力抗争がらみの素材が多いのもマイナスポイント。登場人物の感情の起伏がめちゃんこ激しすぎて、あまり友達?にしたくない。その意味からも、プッチーニの方が感情移入して見やすい演目が多い。さて、あなたはヴェルディとプッチーニ、どちらがお好みですか?(00/10/02)

今日のひとこと 昨日は新国「トスカ」で、タイトルロールのヴァレルは24日と同じだが、クピード&ポンスという国際A級キャストである。クピードの輝かしく強靭な声は、それだけで魅力的だが、客席の一部からは「根強い」ブーイングも。ワタシ的にはブーイングには賛同できないが、あの声で思いっきり歌われてしまうと全体のバランスが壊れてしまいそうなのは事実だとは思う。アンサンブルのはずなのにクピードの一人舞台のようになってしまうシーンもあって、「トスカ」の劇的な性格が希薄になってしまう。その点では佐野の方が良くて、劇的興奮度では24日のほうが高かった。
 ポンスは、さすが!!! 直野は剛直な悪役一本槍なイメージだが、ポンスのスカルピアは、飴と鞭をを使い分ける狡猾な悪役である。その表情の幅の広さ、豊かさは一味も二味も違う。
 ヴァレルもオケも24日のほうが若干良かったような気がするので、オペラ全体としては24日に舞台の方に軍配を上げたい。まぁ、新国立劇場の場合は、個人技なら外国人キャスト、組織力?なら日本人キャストの日のほうが良い傾向か(サッカーじゃないって(^_^;))。もちろん例外もあって・・・さすがにタイトルロールの裏キャストは聴く気にならなかった。(00/10/01)