サイトウ・キネン・フェスティバル松本 2000 バッハ:ミサ曲ロ短調 (文中の敬称は省略しています) |
●2000/08/27 今年の松本は暑い。ちょっと湿度は低いので、その点では救われるけど、直射日光は強くて気温は東京と変わらないくらい暑い。夕方になると急に大粒の雨が降り出すし、例年の松本のイメージと大きく違う。
今年のサイトウ・キネン・オーケストラのオープニング公演は97年の「マタイ受難曲」に続いて「ロ短調ミサ曲」が演奏された。「マタイ」より演奏時間は短いとはいえ、午後6時5分に始まった演奏が終わったのは午後8時25分ごろ。大作である事には変わりはない。「マタイ」の時には、従来のマタイに対するイメージとは違うドラマチックな演奏に賛否両論となったが、ワタシ的には稀に見る感動的な演奏として記憶に残っている。はたして今回のロ短調ミサはどうなのだろうか。
オーケストラの弦楽器は8−8−5−3−2、合唱の東京オペラシンガーズも女声23人、男声16人の小編成。よくは確認できなかったけど、奏法はもちろんモダン、楽器もほとんどはモダンが用いられていたけど、ピッチは通常の演奏とはちょっと変えていたような感じだ。演奏は、想像どおりと言うべきだろうか・・・「マタイ」のときと同様、ドラマチックである。カッチリとした規律正しい演奏は小澤征爾のタクトの特徴だけど、そのタクトのもとで計画的に設けられた起伏がドラマチックな音楽を構築していく。ソプラノのバーバラ・ポニーは、完全な本調子ではなかったかもしれないけど、さすがに魅力的で美しい歌唱だし、メゾのキルヒシュラーガーは柔らかくよく通る声で、ポニー以上の内容を披露してくれた。テノールのエインズリーは「マタイ受難曲」のときにも登場した歌手だけど、彼も実に柔らかい声で安心して聞ける歌手。ただバスのアラステア・ミルズに関しては、もう少し深い声が望まれるところ。東京オペラシンガーズは、「マタイ受難曲」に続いて暗譜で歌ったけど、これらの名歌手たちのバックを歌っても少しも恥ずかしくない歌唱である。安心して聴けるのはもちろん、小澤が意図した起伏の明確な「ミサ曲」をきちんと体現していた。
しかし、その演奏が聴き手に感動を与えたかと言うと、ちょっと疑問である。この日の「ミサ曲」は宗教的とは言い難く、敬虔な祈りの込められた音楽というイメージは完全に後景化していた。ワタシ的には、演奏はキチッとしているんだろうけど、ぜんぜん感動が伝わってこないもどかしさを感じてしまったのだが、その理由を考えてみると、もともとキリストの受難というストーリーを描いた「マタイ受難曲」はひとつのドラマであり、これをドラマチックに描いたとしても(音楽的に成功するかどうか別にして)理屈の上では何の問題はない。しかし「ミサ曲」は歌詞は短い繰り返しで、明確なストーリー性がない。これを「マタイ受難曲」と同じアプローチで演奏しても同じ効果は得られないし、むしろ逆効果にしかならないのではないだろうか。
終演後の会場は、おおいに盛り上がっていたけれど、ワタシ的にはちょっと理解不能。たしかにオケのソロとか歌手のソロなどには見せ場はたくさんあったし、きちっっと決まっていたんだけど、「ミサ曲ロ短調」の演奏としてはかなり残念な出来映えだったと言うべきじゃないだろうか。