クラウディオ・シモーネ指揮
イ・ソリスティ・ヴェネティ

(文中の敬称は省略しています)

●2000/05/10 イタリアの弦楽合奏団、イ・ソリスティ・ヴェネティの久しぶりの来日公演で、指揮者はこのオケを創設したクラウディオ・シモーネ。このコンビは10年位前に聴いたことがあるけど、これは音楽を聴くことの楽しさを存分に味あわせてくれた忘れがたい演奏会となった。この合奏団の一番の楽しさは、指揮者シモーネのパーソナリティにあると言っても過言ではない。彼のタクトには、ジョークも含めて、音楽の楽しさが凝縮されている。それ以来、シモーネのファンになってしまったんだけどこのコンビの来日は少なく、久しぶりの再会となった。サントリーホールはやや空席が目立つものの、7〜8割程度の客の入り。

 この日のプログラムには「ヴェネツィア合奏団は、世界最高のオーケストラの1つとして高い評価を得ており・・・」と書かれているが、これにはハッキリ言ってかなりの誇張がある。機能性という点で比較すれば、これ以上のオケはたくさんあるだろう。しかし、聴き手を楽しませること、音楽の楽しさを伝えることにおいて、これ以上のオケがあるだろうか? その意味においては、シモーネ=ヴェネツィア合奏団は最高のオケだと言っても、決して誇張ではない。

 シモーネのタクトは、まるでオペラ指揮者のように長い。そのタクトが大きく弧を描いて、音楽を表現するのだが、Pブロックで見るシモーネの指揮は面白い。顔の表情も、タクトの表情も実に豊かだ。今回は招待券ということで、残念ながら1階15列目という文字通りの招待席だったので、その表情を確認することは出来なかったんだけど、このような指揮者だと音が悪いPブロックに座るのも楽しみになってしまうから不思議だ。

 そのタクトから奏でられる音楽も、これ以上ないくらい表情が豊かだ。誰でも知っている「四季」でいうと、アゴーギクやデュナーミクをこれでもかっ!・・・というくらいに駆使して、音楽の表題性を強調する。私はご多分に漏れずイ・ムジチの「四季」を持っているのだが、その演奏とはかなりベクトルが違う。きっとシモーネのアプローチは、「楽譜に忠実」という考えではなく、「音楽の表題」に忠実なのだ。「春」ではその明るさが、「夏」では夕立のような激しさが、「秋」では収穫祭の農民の踊りのような、「冬」では暖炉の前のぬくもりのような、・・・音楽から映像のようにイメージが浮かんでくるほど、それぞれの季節の表情がくっきりと現れる。聴き手のよっては「あざとい表現」だと評価する向きもあるだろうし、それも一面の事実だろう。

 しかし、私はシモーネのアプローチは好きだ。「冬」のタクトを下ろす前に、シモーネは燕尾服の襟を立てて寒そうなそぶりで、会場の笑いを誘っていたのは余興だが、「四季」それぞれの曲が終わるごとにオケを立たせて拍手をもらっているのを見たのは初めて(だと思う・・・)。はじめは「春夏秋冬」を続けて演奏すればいいのに・・・と思ってしまったのだが、「協奏曲集」なのだからそれぞれの曲ごとに拍手をとっても決しておかしくはないのだし、インターバルにはきちんと弦のチューニングを行って、丁寧な演奏を心がけるあたりをみると好感が持ててきた。

 音色的には、イタリアらしいキラキラした弦楽器の音の特徴は持ち合わせているが、軽やかなイタリアのローカル・オケの音色というよりも、密度感のある機能的なオケの音色に近い。アンサンブルはちょっと大らかさを感じるけれど、それが決して悪い方向に作用しているのではなく、聴き手の緊張感をほぐす良い方向に作用している面もある。聴いていてホッとするオーケストラだ。四季のソリストを務めたフォルナチャーリの音色も、キラキラしていてオケとの噛み合わせもバッチリだったんだけど、しかし、前半の前橋汀子との競演は音色的な不統一があったのは残念。

 アンコールは全5曲の大サービス!! ヴェルディの弦楽四重奏曲第3楽章に続いて、ボッケリーニの「マドリッドのように」はppからクレッシェンドで始まって、頂点に達したら一転デクレッシェンドで、ppで終わったのだが、まるで近づいては遠ざかる音楽隊のようで面白い。ロッシーニの弦楽のためのソナタ第1番3楽章、モーツァルトのディベルティメントK.138 第3楽章、そして最後はチャーミングにボッケリーニのメヌエット。これはなかなか巡り合えないであろう、幸せなコンサート。もし初めてクラシックのコンサートに行きたいんだけど・・・と聴かれたら、私は迷わずシモーネ=イ・ソリスティ・ヴェネティをオススメたいのだが、日本にはこのようなオケがないのがちょっと残念である。