新国立劇場 マスネ「ドン・キショット」

(文中の敬称は省略しています)

●2000/05/07 マスネの曲で聴いたことがあるのは・・・と問われると、多くの人は「タイスの瞑想曲」くらいじゃないだろうか。個人的には加えて、マクミラン演出によるバレエ「マノン」の伴奏音楽として聴いたことがあるくらいである。たぶん、多くの音楽ファンも似たり寄ったりだろう。今日から新国立劇場で上演された「ドン・キショット」は日本初演のマスネのオペラである。もちろん私も初聴。知名度のない作品だけに新国立劇場も営業に苦労したみたいで、途中からタイトルを「ドン・キホーテ」に変えたチラシを作ったのだが、三省堂のクラシック音楽作品名辞典でも「ドン・キホーテ」で掲載されているくらいなのだから、最初から「ドン・キホーテ」でセールスすれば良かったのに・・・。途中からオペラのタイトルを変えるというのはちょっとおかしいんじゃない?

ドン・キショット ルッジェーロ・ライモンディ
サンチョ・パンサ ミッシェル・トランポン
ドゥルシネ マルタ・セン
ペドロ 家田 紀子
ガルシア 竹村 佳子
ロドリゲス 市川 和彦
ジュアン 中鉢 聡
山賊の棟梁 池田 直樹
合唱 新国立劇場合唱団
藤原歌劇団合唱団
管弦楽 アラン・ギンガル指揮
新星日本交響楽団
演出・美術・
衣装・照明
ピエロ・ファッジョーニ

 ストーリーはご存知の「ドン・キホーテ」のお話なんだけど、ファッジョーニが82年に最初に手がけたこの演出は、ドン・キホーテの夢想的な冒険の部分を劇中劇に仕立てたもの。1回見ただけでは、劇中劇にした効果のほどはよく分からない・・・というのが正直な感想で、これならもっとトラディショナルな演出のほうが良かったんじゃないだろうか? 登場人物の山賊の棟梁のセリフがいきなり日本語になるのも唐突である。モーツァルトやオペレッタのようにセリフの比重が大きい作品だったら日本語化する意味も大きいと思うのだが、この「ドン・キショット」のようにセリフ部分が極めて少ないオペラで日本語化するのはストーリーの説得力を低下させるだけで、逆効果だろうと思う。とはいっても、演出家の力量はかなり高そうで、出演者一人ひとりの動きが機敏で、指示が徹底されているのがよく伝わってくる。内容を確認する意味で、もう一回、この舞台を見てみたいのだが、時間とカネが・・・・。

 歌手、合唱団、管弦楽も、かなり高いレベル。ライモンディは、やや表情に乏しいながらも朗々としたよくとおる声。トランポンのパンサも第4幕最後のソロは感涙もの。マルタ・センも、勝手気ままな娼婦ぶりと、彼女の誠実さを感じさせる第4幕のドン・キショットとの二重唱のコントラストは見事。いずれも演技力が光った。日本人歌手陣も与えられた役割を十二分に果たし、合唱団もよく訓練されていて、出演者全員のテンションの高さを感じさせた。オケの新星日響も、3月から好調を引き継いで、ミスらしいミスはなく、大きな不満は感じさせない内容。初聴の作品だから良し悪しは断言できないけど、やる気を感じさせるだけでなく、内容的にもある程度高いレベルだったと思う。

 ただ演奏的に良ければ良いほど問題になってくるのは、マスネの音楽だろう。聴きやすく、叙情的な作品ではあるのだけど、それ以上のものが希薄なのだ。例えば耳に残る印象的なアリアとかライトモチーフとか・・・ストーリーを一本に束ねるような音楽性が薄いのである。第5幕、最後の終わり方も唐突で、ラストを飾るもう少し印象的な音楽はなかったのだろうか・・・と考えてしまった。バレエ「マノン」で聴かせてくれたマスネの音楽はとても印象的なんだけど、ある意味では伴奏音楽の域を出ていなかった。これがマスネの良さでもあり、限界でもあるのかもしれない。