アルブレヒト=読響
グリーグ劇音楽「ペールギュント」

(文中の敬称は省略しています)

●2000/04/09 劇音楽「ペール・ギュント」の全曲版は、かなり前に若杉=都響のもとで上演されたのを聴いたことがある。マトモに上演する5時間かかるらしいけど、劇の部分を大幅にカットし、グリーグの作曲した劇付随音楽すべてを盛り込んで、演奏会に適当な2時間弱にしたものが、今回の演目である。

 まず最初に言わねばならないことは、読響の水準の高さである。読響を聴いたのはとても久しぶりだけど、こんなに良かったのはマゼールが「復活」を、ザンデルリンクがブラームスの1番を振ったとき以来じゃないだろうか。厚く響く弦楽器群、安定した管楽器群が、アルブレヒトのタクトのもとで統率され、アンサンブルの水準の高さは東京でもトップクラスといって間違いない。音色的な統一感はまだ向上の余地がありそうだし、パレットの豊富さは今回の演目では十分に味わえなかったけど、もしこの水準の演奏を常に続けているのなら、かなり凄いことである。なんで、こんなに水準の高いオケを長いこと聴いてこなかったのかと少々後悔したほどだ。

 しかし、この日の問題は、やっぱりグリーグという選曲にあったのではないだろうか。専門的なことは分からないけど、グリーグの曲はとても単純で明快なのだが、聴いていてスリルに乏しいし、唯一といってよい音楽的クライマックスである「オーゼの死」を除けば音楽に引き込んでいくオーラもあまり感じないのである。だから、オケがいい演奏をしたとしても音楽が淡々と進んでいくところが多く、100分の演奏時間が少々長く感じてしまった。しかしこの曲は「劇付随音楽」であり、あくまでも「劇」をメインで考えた場合、音楽があまりでしゃばらないであろうこのくらいが丁度いいのかもしれない。

 江守徹は、若杉=都響の時にも全く同じ役を演じた人である。彼独特の節回しは好き嫌いがあるかもしれないが、荒唐無稽で破天荒な人物であるペール・ギュントの性格は良くあらわしていたのではないか。ソルヴェーグの高橋薫子は、台詞の言い回しに不安を感じたが、清純で誠実な役柄には雰囲気がぴったり。五十嵐安希は、ペール・ギュントの母親として彼を愛し、その裏返しとして彼を叱る台詞にこめられた陰影感はさすが。登場時間が短かったのが残念だったほどである。二期会合唱団も素晴らしい出来栄えで、演奏水準としては、ほとんど欠点が見当たらない内容だった。

 しかし、この日の東京芸術劇場は、日曜日のマチネだというのにかなりの空席が目立った。演奏水準の高さに比べると拍手がイマイチ少ないのが残念だったが、これからもこのレベルをキープして欲しいものだ。