尾高忠明=紀尾井シンフォニエッタ東京

(文中の敬称は省略しています)

●2000/04/07 桜の季節になると、紀尾井ホールにいくのが楽しみになる。四ッ谷駅から紀尾井ホールまで続く土手が、桜の花でいっぱいになるからだ。歩いてわずか5分ほどの道のりだけど、桜色に染まった土手は実に美しい。紀尾井シンフォニエッタは、毎年、この土手が桜色に染まる時期に定期演奏会を開催しているけど、これもKSTの魅力の一つに数えても決して間違いではないだろう。ライヴ系リスナーにとって、「音楽」は決して聴覚だけで味わうものではない。その前後の味覚や視覚だって、音楽とともに味わうフルコースのメニューのひとつなのではないだろうか。・・・とはいっても土手に上ると、宴会の場所取りで青いビニールシートやダンボールが広がり、すれ違うのも大変なくらいの混雑! 花はキレイなんだけど、酔っ払いとアルコールの匂い、ゴミの山がなければ良いのに・・・・。桜は土手の下から眺めるのが正しいかもしれない。

 協奏曲、特にヴァイオリン協奏曲はナマで聴いて感動することは少ない。その理由は、ヴァイオリンの音がオケに埋もれてしまい勝ちなことが原因の一つだろうと思う。その点、紀尾井のような中ホールで聴くヴァイオリン協奏曲は、ソリストのヴァイオリンが生きている。楽器は進歩して、音量は豊かになったとはいえ、ヴァイオリンを聴くには2000人の大ホールは大きすぎる。しかし、モーツァルトの協奏曲なら中ホールで聴く事も多いけど、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を、紀尾井ホールのような中ホールで聴く機会は決して多くはない。今日のKST定期は、そのベト・コンを中ホールで聴く稀有の機会である。

 オレグのヴァイオリンを聴くのは初めてだけど、かなり個性的な表現をするヴァイオリニストだ。ベートーヴェンというと重厚でヒロイックななイメージがある曲だけど、オレグのヴァイオリンはそれとは対照的なアプローチだ。一種独特のアーティキュレーションで、ヴィヴラートをたっぷりとかけて、感情を込めた歌いまわしは、一言でいうとナルシスティックである。ビロードのような光沢をたたえた音色で、それなりに美しいんだけど、訴求力は今ひとつ。個人的には好みの傾向ではないのだが、これはこれで一つのアプローチだろう。一方、オケは中ホールならではの難しさを感じた。管楽器の音量コントロールは難しいみたいで、特にホルンは音量を抑えようとするときちんとした音が出てこない。弦楽器との音量のバランスはには問題が残ったように思う。

 三善晃の初演曲は、武満チックな出だしだったけど、中盤以降は音が厚く重なり日本的な響きも加わって、比較的聴きやすい曲に仕上がっている。しかし、・・・・私にはよくわからん曲だぞっ。最後のプーランク「シンフォニエッタ」は、まるで音楽のおもちゃ箱のよう。このような曲を高機能なオケで聴くのは実に楽しい。編成はごく普通の古典的な室内オケそのものなんだけど、そこからあふれ出て来る音楽はフランス的なエッセンスを強く感じる。座ったのが1階席後方(バルコニー下の雨宿り席)のためか、各パートがキレイに分離して聴こえなかったのがちょっと残念だったけど、ぜひとも2階席で聴きたかった。

 次回の定期は、ウォルフガング・シュルツとシェレンベルガーをソリストに迎え、モーツァルト・プログラムを披露する。KSTのモーツァルトは秀逸だし、一流のソリストでフルート協奏曲とオーボエ協奏曲を聴けるのは魅力的である。これでも普段の定期と同じ料金なのだから良心的なチケット価格と言えるだろう。これはオススメの演奏会である。