ノセダ指揮キーロフ歌劇場
ワーグナー「さまよえるオランダ人」

(文中の敬称は省略しています)

●2000/01/23 キーロフ・オペラ3回目の来日公演が始まった。その最初はワーグナーの「さまよえるオランダ人」となった訳だけど、ほんとは21日のゲルギエフ指揮の公演も行くはずだった。しかし所用のため断念、この新鋭の首席指揮者ノセダがタクトを取る公演が、私のキーロフ初日となった。会場は日曜日のマチネという絶好の条件にもかかわらず空席が目立って約7〜8割程度の入り。

オランダ人 ニコライ・プチーリン
ダーラント ゲンナジ-・ベズズベンコフ
ゼンタ ラリッサ・ゴゴレフスカヤ
エリック レオニード・リュバヴィン
マリー オルガ・マールコワ=ミハイレンコ
舵手 エフゲニー・アキーモフ
管弦楽 アンドレア・ノセダ指揮キーロフ歌劇場管弦楽団
演出 テムール・チヘイゼ
美術 ゲオルギー・ツィーピン

 「さまよえるオランダ人」を見るのは、サヴァリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場の時と、ゲッツ・フリードリッヒが演出したベルリン・ドイツ・オペラの時だけ。演奏会形式では、以前にホルスト・シュタイン=N響が定期演奏会で取り上げたときと、若杉=都響が抜粋上演したのを見たくらい。そんな中でロシアの歌劇団がワーグナーをどのように上演するのかは一種の怖いもの見たさ的気分もある。

 まずオーケストラなんだけど、これは以前に来日した2回と比較すると、明らかに求心力が失われている。特に弦楽器と木管楽器の音に荒さが見え隠れしているし、各パートの音色に統一感がなく、バラバラに聴こえてしまう。ロシアのオケなんだから、いわゆるワーグナー的な世界を表現できていないのは仕方がないとしても、はたしてどのような志向性を持っているのかが伝わってこないのだ。これは指揮者がノセダだからか・・・と思っていたら、前の22日の公演を聴いた人によるとゲルギエフも基本的には同様で、むしろノセダのほうがオケにメリハリを明確につけていて良いんじゃないの〜・・・という話だった。さすがに金管はめっちゃ巧いんだけど、全体的にはオケ的水準の低下と、演目がワーグナーという問題をクリアーできていないように思えた。

 舞台装置は、船型の断面の骨組みをスケルトン的に組み合わせて船に見立てるもの。その背後には斜めに電光付の道が走っている。シンプルで、いかにもカネがかかっていなさそうな舞台装置。演出的にはオーソドックスな路線でもないし、前衛的でもないものだったけど、一番の問題は人の動きに緊迫感が感じられないこと。幽霊船の乗組員の衣装が、なんとなく宇宙っぽかったような感じだったので、「オランダ人」は宇宙人かタイムトラベラーみたいな「珍」解釈だったのか・・・とも一瞬考えたけど、それは考えすぎで、ただの変な衣装だったみたいだ。この幽霊船の乗組員が登場しても、ぜんぜん緊迫感がなくって、机や椅子をひっくり返したりするんだけど、ぜーんぜん必然性がない。

 ゼンタ役のゴゴレフスカヤは、ビジュアル的にもゼンタ役が難しい上に、最初から最後まで暗い声の一本調子なので「オランダ人伝説の妄想に取り付かれたネーちゃんが、思いつめて勝手に海に飛び込んだ」といった感じに見える。最後のシーンでは思いつめたような雰囲気が必要なんだけど、「つむぎ歌」あたりでは恋に恋する清純さと明るさが必要なんじゃないだろうか。そーゆー演出上のメリハリがないものだから、物語り全体に必然性が感じられないのである。合唱は文句なく巧いし、オランダ人のプチーリン、ダーラントのベズズベンコフも良い声だったし、エリックのリュバヴィンも甘い声が魅力のテノールだったけど、公演全体としては、オーケストラ、演出などの問題が大きくて、ちょっと期待はずれの公演となってしまった。