小澤征爾=サイトウキネン・オーケストラ

(文中の敬称は省略しています)

●2000/01/03 95年以来、毎年9月に松本までサイトウキネンを聴きに行っているけど、そのほとんどはオペラを見るためであって、ピットに入っていないサイトウキネン・オーケストラを聴いたことは「ほとんど」ないと言ってよい。ピットに入っていようがいまいが、5回も聴けばその実力のほどは十分に解るつもりだけど、「復活」のように聴きなれている名曲を聴き慣れた東京文化会館というホールで聴いてみたいと思うのも人情である。新春ということで着飾った人も多く、松本と同様にロビーではサイトウキネン・グッズも売り出され、1万円の福袋も発売されていた。今回はB席14,000円という国内オケとしては破格の値段でチケットを買ったけど、3階席サイドの一番後ろで一番端っこという最悪の席! いつも聴いている文化会館の音とは、かなりバランスが違うような気がする。

 小澤の「復活」を聴くのはたしか2回目。かなり前にオーチャードホールのNJP定期で聴いたことがあるけど、小澤のアプローチは、バーンスタイン、ベルティーニ、インバルなどのいわゆるマーラー指揮者とは大きく違う。今回のSKOとの演奏会もほとんど同じアプローチだったけど、音楽をムリにまとめようとするのではなく、マーラーの分裂的な楽想をより際立たせて強調する。小澤は「復活」に盛り込まれているさまざまな楽想を統一的に扱うのではなく、デュナーミクは急峻で幅も大きく、楽想にあわせて音のエッジも鋭く、アーティキュレーションも急峻な部分はより速く、たっぷり歌わせる部分はより時間をかけて、より分裂的な方向にデフォルメされている。このような演奏はかなり好みが分かれるだろうと思う。予想はしていた演奏だけど、正直言って私は好みの方向ではない。アーティキュレーションが不自然で、音楽の呼吸が途切れ途切れになってしまい、安心してマーラーの音楽に浸ることが出来ないのである。オーケストラが極めて優秀なので、小澤の個性的な解釈にも敏感に反応し、快感を感じさせるほどの機能性を発揮するからその意味での面白さは感じるけど、音楽性という意味ではあまり共感できないものだった。

 今回のコンマスにはNJPの豊島泰嗣、アシスタント・コンマスには都響の矢部達哉という若手を据え、いつもはコンマス席に座る安芸晶子や潮田益子は2ndVn2列目という特徴的な布陣。管楽器の各トップには、Flは工藤重典、Obは宮本文昭、Clはカール・ライスター、Hrにはラデク・バボラクという超強力なもの。日本のオケとしては音量が極めて大きく、海外のメジャー・オケに匹敵するし、音色的にも統一感があって臨時編成のオケという雰囲気を感じさせないが、モーツァルトやハイドンのような古典を演奏させたらどのような演奏になるのかは興味がある。

 ソプラノには急病のアンドレア・ロストに変わって菅英三子、アルトにはナタリー・シュトゥッツマンが起用されたが、このシュトゥッツマンが素晴らしい独唱を聴かせた。この人の声の深みは、マーラーの厭世的な世界にピッタリで、実に味わい深い。菅も急な代役にもかかわらず、立派な歌唱を聴かせてくれた。合唱に起用された晋友会合唱団も安定したもの。ちょっと気になったのが私が座った座席のせいかも知れないけど、出始めのピアニッシモでの声の密度の低さと、バスのビブラートが変に強調されて聴こえたこと。しかしアマチュアの合唱団としてはこれ以上はない合唱といってよいと思う。

 終演後のカーテンコールは熱烈なもの。小澤=SKOはマーラー・チクルスに取り組み、今回の公演もライヴ録音されていて、それが緊張感ある演奏に繋がっていたのかもしれないけど、演奏の一部に???な部分もあった。はたして小澤のマーラーが世界的にどのような評価を得るのか解らないけど、少なくともSKOは日本を代表するオケであることは疑う余地がない。来年は9番を演奏し、アメリカ・ツアーも計画されているとのことだが、マーラーの中では難曲中の難曲とも言うべき曲をどのように演奏するのか注目したい。