「東フィル&新星日響」合併

(文中の敬称は省略しています)

●1999/11/29 朝日新聞で報道されたように、東京フィルハーモニー交響楽団と新星日本交響楽団が、合併に関する覚書交換に向けて合意形成が進んでいる。私はこの件に関しての内部情報は全く知らないんだけど、ここまで具体的に報道され、当事者も否定はしていないところを見ると、事実上の「決定」事項なんだろうと思う。合併したら総計170名の日本最大のオケが誕生することになる。合併後の新名称も「東京フィルハーモニー交響楽団」ということだから事実上の吸収合併。しかしこの報道を読んでみると、疑問符だらけでキレイ事ばかり。問題の本質が全然伝わっていないのだ。

 一般に合併することによって生じるメリットとはなんだろうか? よく金融機関の合併が報道されているけど、その経営者サイド的なメリットは、地域的に競合する支店や本店機能を統廃合することによって生じる人員整理、地域や業務分野などで双方の得手不得手な分野を補完するメリットが考えられるけど、今回の東フィルと新星日響の合併で、そのようなメリットが生じるのだろうか? 事務局機能などは若干の整理縮小が可能かもしれないけど、オケの人員がそのままだとすると経費削減的なメリットはほとんどない。2ヶ所の演奏会を同時にやるといってもそれだけのニーズがあるとは思えないし、一年中、シェーンベルグ「グレの歌」やマーラー「千人」、ベルリオーズ「レクイエム」を演奏しているんだったら別だけど170人のオケ・メンバーを抱えるということは人件費的デメリットしか生じないと考えるのが一般的だ。オケの人数が増えてエキストラを呼ぶ費用は縮減されるかもしれないけど、ふつうはエキストラのほうが人件費が安いから正規団員は最小の人数で抑えているのが普通なんだろうと思う。

 誤解を与えるといけないので断言しておくけど、私は決してリストラを勧めているのではない。というよりは、むしろ反対の立場である。派遣社員が増え、リストラ全盛の世の中で、人員整理なしの合併は望ましい。しかし朝日新聞に合併の目的が「経済基盤の強化」、「「レベルアップ」、「生き残りのための個性化」などと書かれているのは、どう考えてもキレイ事。合併が何故レベルアップにつながるのか? 何故個性化につながるのか? 私には全く理解不可能である。東フィルと新星日響ではレベル的には大きな較差があっただけに、東フィル的レベルを期待している人はレベルダウンを心配するのがフツーじゃないだろうか。それに170人のメンバーが交代でステージ(ピット)に入るんじゃ、常に「臨時編成」的な危うさが付きまとい、きちんとしたアンサンブルが作るには従来以上の努力が求められる。ウィーン国立歌劇場管弦楽団は統一したメソッドの師弟関係と、長い歴史によって熟成されたアンサンブルである。それと比較して新「東フィル」=「日本版ウィーン・フィル」なんて持て囃すのは、新聞社としての見識を疑わざるを得ない。

 誰が見てもそう思うんだろうけど、この合併の目的は新国立歌劇場の専属オケとなるためであって、演奏水準の向上を目指したものではない。新国立劇場との「専属オケ契約」が、内定段階なのか、交渉段階なのか、それとも起死回生の大博打なのかは解らない。推測するにそれなりの成算があってのことだろうと思うけど、万が一新国立劇場のピットに入れないとしたら、両オケが共倒れになりかねない。オーケストラ界を取り巻く環境が厳しいのは解っているけど、東フィルの定期会員としては、聴衆不在の動きにいささかの不満を禁じえない。