ハレー・ストリング・カルテット
第36回定期演奏会

(文中の敬称は省略しています)

●1999/11/26 来年2月の定期演奏会でカザルスホールのレジデントカルテットの座を去ることが決まっている、ハレーSQの第36回定期演奏会。この定期がカザルスホールで演奏するラス前の定期になるわけだけど、選曲は渋めである。それでも9割程度の客の入りを確保するあたりは流石である。

 カルテットの演奏を聴いていて、4人の顔がきちんと見えてくる演奏というのは意外と珍しいんじゃないだろうか。この日のハレーの演奏を聴いていて、そう思った。以前のハレーだったら漆原啓子の音が正面に出てきて、他の3人はその引き立て役みたいなことが多かった。ラヴェルやバルトークのようなモダンで各パートがぶつかり合うような曲の時には、4人の顔が見えてくるんだけど、ハイドンやモーツァルトなど古典的な曲では漆原の音が傑出してしまうことが多かった。その後、2ndVnが篠崎史紀に変わり、ついでVcも向山佳絵子にチェンジした。決して前の奏者が悪いというわけじゃないけど、この2度にわたるメンバーチェンジが功をそうして、現在のハレーは4人のバランスがとても高い次元で熟成されてきた。

 音色は以前と変わらぬやわらかな光沢をもった貴金属的な美しさを保っているし、カルテットとしての統一感もとれている。その統一感を基礎にしながらも、4人の音がきちんと分離していて各パートの持つ役割が聴き手にも伝わってくるあたりが、以前のハレーとは大きく変わったところじゃないだろうか。4人の音の骨格の太さが、均質なのである。有機的で音色的な統一感という点では世界的水準のカルテットとの差があるかもしれないけど、その水準にかなり近づいているように思えた。

 ヴェーベルンやモーツァルトの曲なんて、10年前のハレーだったらあまり聴きたくなかった選曲だったろう。綺麗に描く旋律線が中心で、ぶつかりあったり対立したりする楽想がほとんどない曲でも、現在のハレーなら飽きさせることなく豊かな実りある音楽として聴き手に届けてくれる。R・シュトラウスが15〜16歳のときに書いたカルテットも古典的な構成の音楽で、きっとこの曲を初めて聴いた人のほとんどはR・シュトラウスの作品だとは思わないに違いない。シュトラウスらしい弦楽器の官能的な上昇旋や下降旋はぜんぜん見られない。いや15歳のコドモがあんな官能的な旋律を書いていたら「天才」というよりも「ヘンタイ」なのかもしれないが、習作としてみても実にしっかりとした構成で美しい曲である。ある意味、ハレーらしからぬ選曲の一夜であったけど、ハレーが到達した水準の高さを確認するには好適な選曲だったのかもしれない。

 来年2月16日(水)にはベートーヴェンのSQ4番、ショスタコーヴィチSQ8番、そして矢部達哉、川田知子、川本嘉子、藤森亮一の共演を得てエネスコの八重奏曲を演奏する。カザルスホールで行われる最後の定期演奏会だけに聞き逃せない一夜になる。クラシック音楽全体、その中でも室内楽を取り巻く環境は厳しいけど、ハレーにはぜひぜひ活動を続けてもらいたいものだ。