ヒコックス=新日本フィル

(文中の敬称は省略しています)

●1999/05/14 新日本フィルがトリフォニーホールにフランチャイズを移してから1年半が経過した。「練習会場=演奏会場」という、東京ではもっとも恵まれた環境を得ながら、この一年半の演奏会で印象に残ったコンサートというと・・・ちょっと、思い浮かばないのが現実なのだ。過去の「Diary」を読み返してみても、不満足な演奏会のほうが多い。NJPの定期会員は10年近く続けているけれど、現在のNJPのアンサンブルは、最も良くない状況にあるような気がする。基本的なアンサンブルが低下している上に、力ばっかり入りすぎて音色も良くないし、音楽にも余裕がない。最近ではトリフォニーに足を運ぶ足取りが重くなってしまった。来シーズンの案内も来ているんだけど、このまま継続して良いか迷っている。今回は、その迷いに対する答えと以前にヒコックスを聴いて良い印象があったのでコンサート会場に足を運んだ。しかし曲目のせいか・・・会場には空席が目立つ。3階席に限っては座席の6割程度しか座っていない。トリフォニー移転当時の盛況がウソのようである。小澤という金看板があるから聴衆動員力が高かったけど、このまま現在の路線を継続していたらどうなるのだろうか・・・。

 「マ・メール・ロア」は、4月にフルネ=都響で聴いたばかりの曲だけど、やっぱり「餅は餅屋」というべきか。フルネの方がはるかに香しい音色を醸し出していた。NJPの演奏は各パートの分離が今ひとつで、透明感もイマイチ。音色もウェットな感じがして、ちょっと重たい。際だって悪い演奏ではないのだが、いつもこーゆー煮え切らない演奏ばかりだと、ちょっと「ううむ・・・」である。つづいて「オーヴェルニュの歌」は初めて聴く曲だけど、英国のメゾ・ソプラノ、パメラ・ヘレン・スティーヴンが表情豊かな歌を聴かせてくれた。声量は豊かとは言えないんだけど、このように民謡的な歌だったら、結構、好適な歌手なんじゃないだろうか。

 後半のヴォーン・ウィリアムスも初めて聴く曲だけど、これはとても美しい曲だ。プログラムの解説によると、「イギリス風の霧が立ちこめる田園風景を思わせる」「木々や風が揺れる霧のその向こうに人間の苦悩や悲惨そして生と死が隠れている」(吉松隆)と書かれているが、まさにそーゆー音楽。特に第3楽章のレントは、たぶん「生と死」を表現した部分だろうと思うけど、感動的で心打つ音楽である。はじめて聴く曲だけに、良い演奏だったのかそうでなかったのか解らないけれど、決して悪い演奏ではなかったし、このように隠れた名曲を紹介するのも定期演奏会の使命だろうと思う。この曲を聴けたと言うだけでも、この定期に来た価値があったと思う。

 来年度の定期演奏会は、低下気味の聴衆動員を意識したのだろうか・・・名曲路線への転換がこれまで以上に現れている。定期演奏会の回数も8回に減っているし、登場するソリストの名前を見ても超メジャーな人は皆無、財政的な問題が背景にあることを伺わせる内容だ。しかしNJPはトリフォニーホールを得て、演奏内容にはっきりとした成果を示すことが求められている。これは決してNJPだけの問題ではない。「NJP=トリフォニー」が失敗したら、今後、このようにオケとホールが連携した理想的な関係を結ぶことが難しくなってくるだろう。小澤という金看板だけに頼る体制は、もう見直す時期に来ている。