Bunkamuraオペラ 「トゥーランドット」

(文中の敬称は省略しています)

●1999/04/14 今春からスタートするBunkamuraオペラの新シリーズは、プッチーニの「トゥーランドット」。これまで日中のキャストを配して、「魔笛」(舞台は中国)、「蝶々夫人」を上演してきたBunkamuraオペラだが、その延長線としては相応しい演目だろうと思う。日本での上演は極めて少なく、私の記憶が確かなら十数年前にマゼール=ミラノ・スカラ座の来日公演時に、ゼフェレッリ演出のものがNHKホールで上演されたのが最後ではないだろうか。私自身も同演目を見るのは全く初めてである。

 まず終演後の反応だけど、歌手や指揮者、オケ、合唱には好意的な反応だったが、演出家の勅使河原がステージに登場すると会場はブーイング一色に埋まった。新国立劇場のオープン以降、ブーイングは決して珍しいモノではなくなったけれど、オーチャードホールでこれだけのブーイングを聞いたのは初めてかもしれない。たしかにこの演出は「挑発的」である。私の感想が的を得ているかどうかは定かではないが、基本的なコンセプトは「トゥーランドット」をモーツァルトの「魔笛」になぞらえて再構成しようとしているように思えた。月を背景に「空中ブランコ」に乗って皇帝アルトゥームが降りてくるシーンは、「魔笛」の夜の女王を髣髴させるし、ピン、パン、ポンの位置付けも「魔笛」の三人の侍女そっくり。第4幕でカラフとトゥーランドットが結ばれる大団円は、「魔笛」のラストシーンをそのまま踏襲して、皇帝=ザラストロ、カラフ=タミーノ、トゥーランドット=パミーナ(ただし第三幕までは夜の女王)の図式をつくりあげている。この演出意図がきちんと機能しているかどうかは別として、個人的には好奇心をくすぐる演出である。

 もちろん舞踊家としての勅使河原らしさは随所に現れていて、オペラの中の舞踊としてはいささか過剰とも思える振付が施されている。特に第4幕の大団円で登場した群衆が盆踊りみたいに登場したのには閉口したし、第2幕第1場のピン、パン、ポンの歌の背景に、ビデオでイギリス(?)の風景が映し出されていたのが意味不明だったが、オペラ全体を壊すほどのものではなかったと思う。豪華なゼフェレッリ的な演出=舞台装置を期待した向きには期待はずれだったろうと思うし、ちょっと意味不明な内容も合ったのでブーイングも理解できるけれど、個人的には面白さが先行した。ぜひもう一度見てみたい。

 その一方、音楽的には充実したものを聴かせてくれた。特筆すべきは東京オペラシンガーズを中心とする合唱団。彼らは常に高水準の合唱を聞かせてくれることで定評があるけれど、この「トゥーランドット」は合唱の比重が大きいだけにこれまで以上に印象的である。声の立ち上がりの鋭さ、音程の確かさ、パート間の均質性、どれをとっても申し分ない。「団体行動」が多い勅使河原の演出だったけど、舞台上の動きもよく訓練されていて、さすがプロの合唱団のレベルである。この「トゥーランドット」の音楽的水準の高さの大部分は、この東京オペラシンガーズが担っていたと言っても決して過言ではないと思う。この合唱を聴くためだけにチケットを買ったとしても、決して後悔しないんじゃないだろうか。

 歌手も水準が揃えられていて、レベルは高かったと思う。特にリューを歌った陳素娥の秘めたる中に感情豊かに織り込んだ歌唱にはこの日一番の拍手が贈られていたし、山口俊彦、鈴木寛一も、役柄にあわせた豊かな表現力を見せてくれた。さらにカラフを歌った趙登峰は、前半で声をセーブした感があるのと、必ずしも声量が大きい歌手ではないので「誰も寝てはならぬ」でちょっと力不足を感じたけど、全体的には張りがあって良く通る声を最後まで聴かせてくれた。、トゥーランドットの下原千恵子は衣装と舞台姿で損をしているし、声にムラがあるのが残念だけど、まずまずのレベルは維持していると思う。管弦楽の井上道義=東京フィルも期待通りの演奏で、起伏を大きくとってドラマチックに盛り上げていた。

 波瀾の幕開けとなったBunkamura「トゥーランドット」だが、私はこの上演はとても楽しめた。良い演出に成長するかどうかは、今後3年間の上演の中で見定めたいと思う。