インバル=都響の「ロマンティック」

(文中の敬称は省略しています)

●1999/03/20 新国立劇場の「ドン・キホーテ」を見終わって、急いで池袋の芸術劇場へ。新国立劇場を出たのが5時40分くらいだったから時間的には余裕だったけど、池袋に行くときにはメトロポリタン・プラザ(東武デパート)の地下街に行って日本酒売り場をのぞくのが習慣化している。試飲コーナーには兵庫のお酒があったけど、あまり好みの傾向ではなかったのでパス。何も買わずに芸術劇場に向かった。

 今日のプログラムは、インバルが振るブルックナー、しかもテルデックへの録音で一躍注目を集めた「第一稿」での演奏である。当日券売り場は列をなしていたけれど、案の定、売り切れの様子で、キャンセル待ちでもチケットが手に入らなかった人も多かったみたいだ。

 まず最初は、児玉桃の弾くモーツァルトで、12番のコンチェルトはたぶん初めて聴く曲。スリムで長身の容姿はステージ映えがしてとても美しいけれど、鍵盤から奏でられる音色も粒立ちが良くて、なかなか魅力的である。ただし初めて聴いた曲なので音楽的には印象に残っていないというのが正直なところで、音色のパレットがもう少しあれば表現に幅が出てきて聴き手に印象を残せるのでは・・・と思ってしまった。

 休憩後は、「ロマンティック」第一稿。ふつうに演奏されている第4交響曲は、私としてはあまり好きな曲ではないのだけれども、この第一稿は面白い。曲の完成度や洗練度で考えればノヴァーク版やハース版の基となった第2稿の方が数段上だと思うけど、それに飽き足らないリスナーにとって、第1稿は実に新鮮かつ大胆な音楽である。使われている主題は第2稿と共通点もあるけれど、展開の仕方は大きく違うし、初めて聴くような主題も数多く現れる。ブルックナーと言うと、晩年に作曲された7番以降の宗教的な宇宙観を感じさせる音楽を思い起こすけれど、この第四番第一稿に限っては若きブルックナーの無骨で荒々しい叫びが聞こえてくるかのよう。その意味では、第一稿は宗教的というよりは「人間的」、この音楽からイメージするものは晩年の音楽のような「死」ではなく「生」である。

 インバルと都響は、12月に聴いたフルネのときに匹敵する素晴らしい演奏で、この難曲を再現=蘇生してみせた。躍動感と生命力に溢れた演奏は実に感動的。終演後は盛大な拍手とブラボーに包まれた。近年の都響はテンションが低下傾向だったけど、ようやく復活の兆しを見せはじめたか・・・という期待を抱かせる。28日のワルキューレ第一幕も素晴らしい演奏になるに違いない。