ムーティ=ウィーン・フィル

(文中の敬称は省略しています)

●1999/03/18 世界最高のオーケストラと言われているウィーン・フィルは、日本でも凄い人気を誇っている。個人的にはオケのコンサートに三万円近く払うなんてほとんど信じられない世界だけど、ウィーン・フィル(ベルリン・フィルも)であれば、このような超高額チケットでも発売即売りきれは当たり前なのである。芸術の世界にコスト・パフォーマンスという概念は必ずしも当てはまらないのかもしれないけれど、さすがにウィーン・フィルくらいのチケット価格になると安易にお勧めできるコンサートではない。ウィーン・フィルであっても、もちろんハズレの演奏会はある。もしハズレだった場合の痛手は、チケットの値段に比例して大きい。

 それでも今回のムーティ=ウィーン・フィルのチケットを1万5千円もだして買ったのは、プログラムがウィンナ・ワルツだったからである。巷では一番人気のないプログラムだったみたいだけど、ウィーン・フィルが世界一という評価が与えられるのは、たぶん、R・シュトラウスと「ウィンナ・ワルツ」を演奏したときだろうと思う。モーツァルトももちろん素晴らしいと思うけど、今回の来日プログラムにあったショスタコをあえてウィーン・フィルで聴きたいとは思わない。きっと水準の高いショスタコに仕上がるだろうとは思うけど、これだけ高額なチケットを買うならこのオケの能力を最大限に発揮できるであろうプログラムを聴いてみたいと思った。会場のサントリーホールはもちろん満員、会場の雰囲気もいつもより華やいだ空気に満ちていた。

 シューベルトが18歳の時の交響曲第3番は、第1楽章にはまだハイドンやモーツァルトのような古典的な色彩が残る作品だが、第2楽章以降は、シューベルトらしい歌謡的な雰囲気が現れる。個人的にはあまり魅力的な作品だとは思わないし、花粉症の薬のために眠気が襲ってきて、集中力の欠如が著しい中で聴いたので、どうにもピンと来なかったというのが正直なところ。しかし、さすがにウィーン・フィルと思ったのは、雑味のない音色と、しなやかな弦楽器の歌いまわし。そしてオケ全体を貫く有機的な統一感は、他のオケではなかなか味わえないものだと思う。今回座ったのは残念ながらPブロックだったので、決して本来の音色ではないのだろうけれど、それでもこれだけの音楽を醸し出すのだからたいしたものである。

 休憩後は、ウィンナ・ワルツ。たぶん、曲のタイトルだけを聞いてどのような曲か思い浮かぶ人は、かなりのウィンナ・ワルツ通だろうと思うけど、少なくとも私自身はぜんぜん楽想が思い浮かばなかった。しかし、そこはウィンナ・ワルツである。知らない曲だから楽しめないと言うことは、決してない。ましてやウィーン・フィルの演奏なのだ。これ以上のウィンナ・ワルツは、「理論上は」(?)存在し得ないのである。Pブロックから見ていた限りでは、時折、指揮者の顔から笑顔がこぼれ、両手を下ろして演奏をオケに任せてしまうシーンもあって、ムーティもオケも適度に力が抜けた演奏だったみたいである。

 ウィーン・フィルのウィンナ・ワルツを文章で表すなんて無粋の極みだろうと思うけど、「シトロンの花咲くところ」のあの「ふわっ」とした空気感は他のオケでは味わえないんじゃないだろうか。適度にアルコールが入って、地に足がつかずに、まるで空中散歩をしているような錯覚を覚える。ウィーン・フィルにとっては、決して万全の演奏ではなかったと思うけれど、これこそウィーン・フィルの真髄なのである。ウィーン・フィル合唱団?まで登場した「エジプト行進曲」や、アンコールで演奏された「狩」の鉄砲のパフォーマンスなど、聴きどころ、見どころは充分。「美しき青きドナウ」や「こうもり」序曲が聴けなかったのは残念だけど、最後はお決まりの「ラデツキー・マーチ」。

 座席がPブロックだったので、ウィーン・フィルの音色を満喫できたかと言うと疑問だけど、やっぱりウィーン・フィルならではの音楽が溢れていたのは事実だろうと思う。交通手段の発達に伴って世界中のオーケストラの個性が失われつつある今、ウィーン・フィルに求められているのは、この個性を守ることだろうと思う。機能性を個性を両立させるのは容易いことではないけれど、ウィーン・フィルの人気の所以は、この二つの要素を両立し得ている数少ない・・・いや唯一のオーケストラだからだろうと思う。