藤原歌劇団 プッチーニ「ラ・ボエーム」

(文中の敬称は省略しています)

●1999/03/03・05・06 この春、一番期待を集めているオペラが、この藤原歌劇団の「ラ・ボエーム」ではないだろうか。特別席26,000円という国内歌劇団としては破格の料金にもかかわらず、発売即売りきれとなった理由は、もちろんミミを歌うミレッラ・フレーニへの期待であろう。ミミを最も得意としてきたフレーニだが、年令を重ねている彼女のミミを国内で直接聞けるのは、今回が最後になるかもしれない。私はF席(2,000円)をゲット出来たので、下記の3回を聴きに行った。  

キャスト 3/3 3/5 3/6
ミミ ミレッラ・フレーニ 出口 正子
ロドルフォ ロベルト・アローニカ 佐野 成宏
マルチェッロ 堀内 康雄 牧野 正人
コッリーネ ニコライ・ギャウロフ 彭 康亮
ムゼッタ 陳 素娥 五十嵐 麻里江 陳 素娥
ショナール 豊島 雄一 谷 友博
ベノア 山田 祥雄 三浦 克次
アルチンドロ 三浦 克次 山田 祥雄
パルビニョール 村上 敏明 石川 誠二
指揮 ステファノ・ランザーニ
管弦楽 新星日本交響楽団
演出 ベッペ・デ・トマージ

 さて、3月3日の耳(ミミ)の日に東京公演初日を迎えた「ラ・ボエーム」、その3回の公演を観た印象だが、第一キャストの3日と5日はミレッラ・フレーニを中心に歌手陣のレベルが全体的に高く、満足の行く出来映え。フレーニはさすがに声が重くなっていて、ミミに適役かというと疑問符をつけざるを得ないけど、声量の豊かさと表現力は抜群で、特に第4幕の息絶えるシーンでは会場の視線を一点に集める求心力はさすがである。もはや「フレーニ=ミミ」という一体感すら感じさせる至芸は、声質の変化を補って余りあるものだろうと思う。ただし、新国立劇場程度の大きさのホールでは、必要以上に声を出しすぎる嫌いはあって、ミミに求められがちな「はかなげ」な雰囲気が希薄になってしまったのは残念。

 ロドルフォを歌ったアローニカも、3日には第一幕では高音部にリミッターがかかって、声が出きっていないもどかしさを感じたものの、5日の公演では大幅に良くなっていた。声量そのものは決して大きくはないけれど、柔らかく輝かしい歌声はとても魅力的で、滑らかな歌い口は耳に心地よい。感情表現にも過不足なく、フレーニとのバランスを考えても、決して悪くはない水準だろうと思う。3日には開演前に「インフルエンザだが、本人の強い希望で出演」とアナウンスがあったギャウロフも、第4幕「古ぼけた外套よ」で枯れた味わいの声を聴かせてくれたけど、さすがに年令は隠せない。コッリーネだからさほど違和感は感じないものの、若者の雰囲気はちょっと無理がある。マルチェッロの堀内康雄は、超有名外国人キャストの中でも全く引けを取らない存在感を感じさせた。ムゼッタの陳素娥は、第二幕ではやたらとキャンキャンした声ばかりが目立ったけれど、第4幕では対照的にしっとりとしたミミへの慈しみに満ちた歌声を聴かせてくれた。ただし5日のムゼッタ役で登場した五十嵐麻里江は明らかに役不足。第二幕では音程が不安定な上に、声量も不足して声が聞えてこない。この程度のソプラノなら、人材はいくらでもいるはずである。この日の公演で唯一足を引っ張った歌手だけに、終演後にはブーイングが飛んだのも理解できる。


 歌手のほとんどが国産キャストで固められた6日の公演は、唯一チケットが売れ残ったみたいだけれど、この日も充実した公演となったのは嬉しい誤算。一番の収穫は、ロドルフォを歌った佐野成宏。豊かな声量と柔らかく輝かしい声質はとても魅力的で、カーテンコールではアローニカ(初日&二日目)を上回る拍手とブラボーを集めていた。まだまだ音程の正確さ、歌い口の滑らかさや表現力でアローニカに譲る部分があるものの、舞台上の存在感ではアローニカ以上のものを感じさせる。藤原歌劇団にとっては市原多朗以来の有望なテノールの登場となるような予感。

 ミミを歌った出口正子も、大健闘だと思う。発音などに違和感が感じられることがあったけれど、声質は線が細くてミミらしい儚さが感じられるし、フレーニには及ばないにしても、表現力や演技力のレベルは決して低くはない。マルチェッロの牧野正人、コッリーネの彭康亮(ポン・カンリャン)も、第一キャストの堀内康雄やギャウロフに一歩も引けを取らない出来映えだったのが印象的で、むしろ「4人の若いボヘミアン」と言う設定を考えれば第二キャストのほうに分があるように思える。


 心配された管弦楽だが、期待していなかったせいか、3日間通じて普段の新星日響とは思えない水準を聴かせてくれた。もちろん完璧とか素晴らしいとかいった誉め言葉は使えないけれど、ミスらしいミスもほとんどなかったし、オペラ全体の足を引っ張るようなことは決してなかった。アンサンブルの密度も高く、音色も決して悪くない。これはランザーニの手腕を誉めるべきなのか、それともオーケストラの奮起を誉めるべきなのか解らないが、新星日響も「やれば出来る」のである。是非この水準の維持とさらなる向上を望みたい。

 演出は、このところ藤原歌劇団の演出を任されることがベッペ・デ・トマージ。基本線のオーソドックスなものだけど、トマージ流の味付けをひとひねり、ふたひねり加えた内容である。屋根裏部屋とは思えないようなロドルフォたちのアパートや、超高級レストランを思わせるような第2幕の「カフェ・モミュス」と庶民的なカルチェ・ラタン大通りの対比、第4幕のでは家主のベノアが差押執行官みたいにロドルフォたちの部屋にある家具を差し押さえていこうとするが、ミミが倒れこんでくるとベノアに向かって台本にはないと思われる「ベットだけは残してください」というセリフまで登場する。かなり???な内容も含まれているが、さすがに3回も見るとこの演出に慣れてくる。

 どの幕でも舞台を左右に分けて、整理した展開を目指していたが、フレーニが登場した初日&二日目と、出口がミミを歌った3日目では若干演出が異なっていた。フレーニが登場した日は、第一幕、灯りの火が消えてロドルフォの部屋に入ってきたミミは気分が悪くなって、ロドルフォが差し出した椅子に腰掛けて、落とした鍵も椅子の周りの床を手探りで探す。しかし出口正子の日では、ミミが気分が悪くなって倒れこむのは部屋の一番奥にあるベットで、しかも仰向け。鍵も、探すのはベットの上で、そこでロドルフォに手を握られてしまうと言う設定。

 さらに第4幕では、ロドルフォたちの部屋に戻ってきたミミは、すぐにベットに倒れこんでしまう。しかし出口正子のミミは、ムゼッタが「子爵の息子の部屋を逃げ出した・・・」と経緯を部屋の中で歌っている間、ミミは苦しそうにしつつもロドルフォとともに部屋の外にある椅子に腰掛けている。部屋に入るときも自ら歩いてマルチェッロらに挨拶してからベットに倒れこむ。基本的なコンセプトの関わるような演出の相違ではないと思うけれど、どちらかというと出口正子の日の方がトマージらしい演出だと思う。(7日の舞台を観ていないので、フレーニと出口で演出を変えたのか、それとも初日&二日目と、3&4日目で演出を変えたのかは解らない)

 プッチーニによる甘い旋律が敷き詰められた「ラ・ボエーム」の舞台を、これだけの名歌手たちの共演で観る機会は決して多くないと思う。お涙頂戴の浪花節とは解っていると反対に涙は出ないものだけれど、フレーニをはじめとした歌手たちの名唱は解っていても落涙を誘う。この「ラ・ボエーム」は、私がこれまで新国立劇場で観たオペラの中では最上の公演であった事は疑いない。