藤原歌劇団「椿姫」

(文中の敬称は省略しています)

●1999/01/15 正月から風邪を引いて、どうにも症状が改善しない。そういえば昨年も「椿姫」を見に行った時はひどく咳き込んでいたのを思い出す。今年も、・・・というのは何かの因縁か!? 昨年はペッペ・デ・トマージの挑発的な演出が、壮絶なブーイングを呼び起こした藤原歌劇団「椿姫」が、舞台をオーチャードホールに移して新春公演を行った。

 まず注目はなによりも演出だろうと思うけど、基本線は昨年どおりヴィオレッタの日記をアルフレードが読みながら回想していくというスタイル。しかし細部においてかなりの練り直しが行われていて、昨年の前衛的雰囲気ははなり希薄になっている。昨年との一番の違いは、アルフレードが日記を読みながら回想しているシーンが大幅に少なくなって、第1幕後半と第2幕第1場の一部だけ。それも昨年のように舞台袖ではなく、アルフレードは舞台右手奥に引っ込んでしまった。したがって「回想」というスタイルは、かなり希薄になっている。その他の点でも細々と違いはあるけど、昨年以上の挑発的な演出を期待していた私としてはちょっと肩透かしを食らった感じ。

 音楽的には、水準が高い舞台だった。まずヴィオレッタを歌ったルキアネッツは、テンションのある高い音が魅力的な歌手で、音程も確かで、コントロールが効いている。残念なのは、中音部で声が抜けきらないこと。ややくぐもった声質で、喉が開ききっていないようなもどかしさを感じる。第1幕で要求されるヴィオレッタらしい華やかさも今一つで、「光」の部分の表現よりも「影」の部分の表現に長けた歌手なのだろう。表現の幅がもっと広がれば、ヴィオレッタとしてもっと説得力がある舞台に仕上がると思うのだが。アルフレードを歌ったアルバレスは、たぶんナマで聴いたアルフレードとしては最も優れた声の持ち主。アルフレードはテノールの役としては決して難役ではないけれど、柔らかくしなやかな声は十二分に魅力的で、表現力もありそう。ジェルモンを歌ったチェブリアンは、標準的な出来。管弦楽は、パルンボのスピーディでクレッシェンドを多用した音楽がドラマチックで、東フィルも良かった。

 舞台装置や衣装も豪華で、視覚的にも楽しめる上演だったけれど、今年はオーチャードホールと言うことが原因なのだろうか・・・舞台展開に手間取ったような印象が残った。幕を下ろしてステージ前面だけを使った舞台がしばしば見られたけれど、その間、後方からはゴトゴトと移動する音が聞えて興ざめ。まぁ、音楽的な水準は高かったので、4,000円のチケット代のモトは充分にとれたんじゃないかと思う。