フルネの「ペレアスとメリザンド」

(文中の敬称は省略しています)

●98/12/16 ジャン・フルネが東京で「ペレアスとメリザンド」を振る、・・・このことを知って胸がときめかないフランス音楽ファン、オペラ・ファンがいるだろうか。フルネは長年、都響と強い信頼関係で結ばれてきて、フランス音楽を中心に端正で薫り高い音楽を紡ぎ出してきた。そのフルネが、「ペレアスとメリザンド」の日本初演40周年を記念して、フランス・オペラを代表するこの作品を再演するというのだ。この冬、都響のプログラムの中で最も魅力的な演奏会だと言って間違いないだろうと思う。

 フルネのタクトから溢れるは、あくまでも端正で透明感を失わない。細い筆致で描かれる「ペレアスとメリザンド」の世界は、余計な味付けをせず、ロマンチックな表現もしていない。淡く薄暗い朝もやのような色彩感、淡々と流れる時間の中で繰り広げられるペレアス、メリザンド、ゴローの悲劇は、フルネのタクトによって見事に描かれた。もちろん2時間半の長丁場だけに、ノーミスであったとは言えないし、都響のレベルゆえの不満(特に木管や金管の色気のなさ)も決して少なくなかったけど、フルネが描こうとした世界は見事に再現されたと言って良い。特に第4幕第4場、ペレアスとメリザンドの愛の場面の美しさは筆舌に尽くしがたい。あのような淡々として流れていく音楽の中から、自然と溢れ出してくる愛の場面の濃密さ、演奏会形式ということも忘れて思い描く舞台の中に心奪われる瞬間だった。

 歌手も思った以上に水準が高かった。特に奈良ゆみは美しいイントネーションと良く通る声、やわらかな歌い口は見事。個人的な好みをいうと、メリザンドとしては実在の人間の匂いが強すぎる気がしたけど、これも一つのアプローチだろうと思う。大島幾雄も、悲哀感の強いゴローの心理表現を巧みに織り込んだ歌唱も忘れがたい。ペレアスを歌った鎌田直純は、声がオケに埋もれてしまうことが多かったのと、高い音で苦しさを感じさせたが、イントネーションややわらかな声が美しく、フルネのアプローチに沿った歌唱を見せてくれた。

 演奏会形式という限界はあって前半はやや乗り切れない場面もあったし、Pブロック背後に設置された電光式の字幕スーパーは見にくくて全然役に立たなかった(みんな翻訳のパンフレットを見ていた)ものの、全体的に見ると時間の長さを忘れさせる上演だった。フルネのタクトで「ペレアスとメリザンド」が聴けるという幸せは、フランス音楽ファンにとって代え難い思い出になるだろうと思う。この12月のショーソン・プログラム、第九の演奏会もとても楽しみ。さらに来年4月の来日も予定されている。本当だったら世界的な巨匠、メジャーな指揮者となっておかしくない実力の持ち主であるにもかかわらず、フルネは日本のオーケストラ、特に都響とは深い関係を持ちつづけてくれている。これだけをもってしても東京の音楽ファンは幸せと言うべきなのかもしれない。