ゲルギエフ=キーロフ歌劇場管弦楽団

(文中の敬称は省略しています)

●98/12/06 「ゲルちゃん」の愛称で親しまれている(?)ワレリー・ゲルギエフが、手兵キーロフ歌劇場管弦楽団を率いて来日、3プログラムの東京公演初日である(都民劇場のマーラー交響曲第6番を加えると4プログラム)。いまや飛ぶ鳥を落とす勢いのゲルギエフだけに、日曜日の公演ということも加わってチケットはソールドアウト、サントリーホールは満員となった。

 キーロフ歌劇場管弦楽団は、やっぱりウィーンやスカラ座などと比較すると機能的に聴き劣りする。キラキラ感は乏しいし、音色もややくすんでいる。速いパッセージの分離感もイマイチだし、ところどころでコケルこともある。しかし、そーゆー基準でキーロフを聴きにくる人は少ないと思うし、キーロフにはそれを補ってあまりある魅力がある。キーロフ歌劇場管は、モスクワのオケよりもはるかにロシア的雰囲気を携えているし、その重心の低い管弦楽、迫力満点の金管楽器の魅力は効しがたいものがある。そしてなによりも指揮者ゲルギエフの魅力だ。指揮者の背中から発するオーラは強烈で、求心力や推進力のたくましさは抜群である。

 「ロメオ〜」は、チャイコの管弦楽曲の中では駄作だと思うんだけど、このオケが演奏すると今迄感じられなかった魅力が見えていくる感じがする。曲に対する評価は覆らないけど、やっぱり餅は餅屋、チャイコはロシアのオケに限る。つづくヴァイオリン協奏曲も管弦楽の魅力爆発で、低く垂れ込めた雲のようなくすんだ音色は、ロシアの大地の匂い。この響きは世界のどのメジャー・オケも出すことは出来ない個性的な響きだろうと思う。トレチャコフの独奏は、管弦楽との親和性が高い音色で、陰りをたずさえた光沢が美しい。しかし歌いまわしに癖があって、やや作為的。第1楽章後半で弦を切ってしまうトラブルもあって、集中力も途切れがち。

 後半の「エロイカ」は、一転してにわかドイツ風な音色に豹変。メッキ張りのドイツ風音色だけど、かなりそれらしい。けれどどこかが違う・・・・。ゲルギエフのリズムの刻み方が私の波長にどーも合わない。迫力満点のダイナミックな演奏は認めるけど、タテの線に神経を配りすぎなのか、音楽の横の線がぶつぶつと途切れてしまうような感じがして、一定の「エロイカ」感を持っている人からするとどうにも共鳴できないのである。

 メインのプログラムが終了したのが開演後2時間半も経過した午後4時半。ここからアンコール4曲の大サービスで、「ローエングリン」第3幕への前奏曲とくるみ割り人形のラスト、そして「ルスランとリュドミュラ」など。会場はスタンディング・オベーションと拍手に包まれて、オケが引き上げた後もゲルギエフがステージに呼び戻される一幕も。そんなこんなで、ぜーんぶ終わったのが午後5時ジャスト。あー、超重量級の長い演奏会だった(^_^;)。