ベルティーニのマーラー第3交響曲

(文中の敬称は省略しています)

●98/11/21 マーラーの交響曲第3番は、マーラーの中で最も好きな曲のひとつである。とくにベルティーニ=ケルン放送響の日本公演でマーラー・チクルスをやったときの3番は、かけがえのない音楽体験のひとつだった。そのベルティーニによる第3交響曲が、都響定期演奏会で聴けると言うのだから注目しないわけにはいかない。この秋、東京のオケの中でも、最も注目すべき演奏会のひとつだろうと思う。

 さて、演奏のほうは、さすが現代最高のマーラー指揮者の一人=ベルティーニだけに大筋で満足できる演奏だった。いつもは不安を感じさせるホルンも、冒頭のファンファーレから良い音を聴かせてくれたし、オケのテンションも高い。もちろん大規模な管弦楽で100分にも及ぼうとする大作だけに、無傷の完璧な演奏では無かったけれど、現在の都響のレベルから考えれば概ね納得できる水準だったろうと思う。ただし、この日の都響はいつもより弦楽器が薄く感じられたほか、コンマスの矢部達哉のソロは、先日のコンチェルト同様、ツッコミが速くてオケやアルトとのズレが目立ったし、同じ第4楽章で登場するオーボエ・ソロのしゃくりあげるような表情のつけ方には閉口。アルトの井原直子は、実に深い声でこの曲にはぴったり。少年合唱の東京放送児童合唱団(合唱指揮:古橋富士雄)と女性合唱の東京音楽大学も実に高い水準だった。

 ベルティーニの解釈は、以前に聴いたときよりも心持ち早い印象が有るけれど、デフォルメや特定のフレーズを強調するようなこともなく、相変わらず自然で説得力に溢れる内容。インバルみたいに必要以上に神経質に陥らないのが好ましい。前にも書いたけど、この曲の第6楽章はホントに感動的な曲である。その浄化された世界に誘うコラールは、何度聴いても良い。しかもベルティーニは、アダージョ楽章が得意中の得意である。演奏中に声が聞こえて来たと思ったら、それは遠く離れた指揮者のの声だった。きっと入魂の演奏だったのだろう。