アシュケナージ=チェコ・フィル

(文中の敬称は省略しています)

●98/10/08 メイン・プログラムのマーラーの5番、最終楽章のコーダが終わると盛大なブラボーと拍手が巻き起こる。アシュケナージには、客席から花束も贈られて人気の高さをうかがわせるけど・・・、ちょっと待て! これはそんなに良い演奏だったのか? チェコ・フィルは、やや力を落としていると伝えられているけど、いまだに東欧の中ではトップクラスのオケであることはこの日の演奏を聴くだけでも確認できる。問題は指揮者だ。アシュケナージを指揮者としてナマで聴くのは2回目だけど、改めて思うのは「アシュケナージは指揮者としてはまったくダメである」ということ。とにかくヒドイ。

 最初のモーツァルトの交響曲第38番は、Pブロックでアシュケナージの指揮を見たんだけど、すごく神経質で無機的なタクトである。もちろん私は指揮法に通じているわけではないので見当ハズレな見方かもしれないけど、音楽的な表情がタクトにはまったく表れていなくて、打点だけが神経質に強調されている。その打点も、「おいおい、そんなんで打点がわかんのかいな」という感じで、見ていてイライラしてくる。それでもモーツァルトは綺麗な演奏にまとまったけど、マーラーに関しては指揮者のダメさ加減がもろに現れてしまった。

 まず、アシュケナージのタクトには、ピアニッシモがないに等しい。結果的にデュナーミクの幅が狭く、音楽的な表情が極めて乏しいものになっていて、緊張感の高さも表れてこない。打点を強調した割には、合わせにくそうなタクトなので、常にタテの線が微妙にずれている。最もひどかったのは第3楽章のクラリネットのフライング。小節を数え間違えたというよりは、タクトの方に原因がありそう。さらに奇妙なフレージング。不自然でおかしな表情がつけられていたり、本来とは別のパートが強調されていたりで、安心して音楽に浸るこちが出来ない。音楽が流れないで、フレーズがぶつぶつ途切れてしまうようではお話にならない。

 結論的に言って、アシュケナージはナマで聴くべき指揮者ではない。ハッキリ言って、指揮者としては、駆け出しの新人指揮者のレヴェルにも及ばないと思う。録音でも「ううむ」だけど、まぁ、DECCAの優秀な録音技術(修正技術?)を確認するためにアシュケナージを聴くんだったら悪くないかもしれない。だが、変な音楽を聴くと耳が変になる可能性もあるから、止めておいたほうが健全だと思う。