ボローニャ歌劇場日本公演
ジョルダーノ「フェドーラ」

(文中の敬称は省略しています)

●98/10/07 先日の悪夢のようなホセ・クーラのコンサートから立ち直るべく出かけたボローニャ歌劇場の来日公演で、ジュルダーノの「フェドーラ」という極めて珍しい演目が上演された。上演時間は正味2時間程度(休憩を含めて3時間弱)の演目で、ソプラノに大きな比重がかかった典型的なプリマドンナ・オペラである。そのタイトルロールにミレッラ・フレーニ、相手役のロリスにホセ・カレーラスという超豪華な配役を得たせいか、ほとんどの人が初めて接するであろう演目であるにもかかわらず、NHKホールは概ね満員に近い盛況だった。

 私自身も、この演目は見るのも聴くのも初めてである。ジョルダーノの作品は藤原歌劇団の公演で「アンドレア・シェニエ」を聴いたことがあるけど、この「フェドーラ」はそれに続く作品。作曲されてから今年でちょうど100年という新しめのオペラだけど、基本的な傾向は伝統的なイタリア・オペラの流れをくんだもの。音楽そのものは傑作と呼ぶのは難しいけど、台本は比較的分かりやすいので、未知の演目であるという壁は乗り越えてやすいオペラだろうと思う。残念ながら「フェドーラ」に関しては他との比較は出来ないけど、今年のオペラ公演の中でも、上質の公演のひとつに数えて間違いないだろうと思う。スターを取り揃えての歌手、上質な管弦楽が高い次元で調和が取れていて、おおいに聴き応えがある上演となった。

 まずはタイトルロールの皇女フェドーラを歌ったミレッラ・フレーニ。容姿という点で無理があることは否めないし、たぶんこの役を歌うにはすでに声が重くなりすぎているんだろうとは思う。しかし、フレーニが発する声の響きを聴いてしまうと、フェドーラという役柄が説得力を持って聞き手に伝わってくるから不思議だ。NHKホールという巨大な空間すらものともしない声量の豊かさ、ドラマチックかつ繊細な感情表現の巧みさは、若手の歌手の及ぶところではない。ついでロリスを歌ったカレーラス、彼をナマで聴くのは初めてだが、さすがにステージ上での存在感が大きい。決してからだが大きいほうではないと思うけど、声量は十二分でフレーニとのバランスも良い。声が特定の音域に偏っている感じはあるけど、さすがに三大テノールの一角を占めるだけのことはある。また注目されにくい役柄だけど、デ・シリエを歌ったブルーノ・ポーラは、実にシブイ役回りを決めて見せたのが印象的である。

 管弦楽も巧い。スカラ座管弦楽団と比較すると、音の立ち上がりの鋭さではスカラ座のほうが上だと思うけど、柔らかくしなやかな音楽表現ではボローニャのほうが上だろう。いずれにしても甲乙つけがたい優秀なオーケストラだ。初めて聴く音楽だけに指揮者の力量はつかみかねるけど、来年3月には藤原歌劇団の「ラ・ボエーム」の指揮もランザーニがつとめるので楽しみである。演出は、今年2月に藤原の「椿姫」の演出で物議を醸し出したペッペ・デ・トマージ。舞台装置も美しいし、端役に至るまで表情が豊かで情感溢れる演出で、観客の涙を誘う。トマージも来年の藤原の「椿姫」だけでなく「ラ・ボエーム」の演出を担当する。

 上質なオペラ公演ではあったけど残念な点がひとつ。それは、観客の無神経な写真撮影で、最後の幕が閉まる直前にたかれたストロボは実に不愉快だった。肖像権の問題もそうだけど、瞬間的なストロボの光はその場にいる人たちの神経を逆なでするのが分からないのだろうか。正直言って、このような人たちは軽蔑の対象以外のナニモノでもないけれど、主催者はもっと毅然と対応するべきだ。