ボローニャ歌劇場特別演奏会
ホセ・クーラ テノールリサイタル

(文中の敬称は省略しています)

●98/10/02 公演の約2週間前という超強気のスケジュールで発売したにもかかわらず、わずか1時間足らずで完売してしまったホセ・クーラのリサイタル。今をときめく人気テノールのコンサートだけに、会場には着飾った女性も多く、華やいだ雰囲気が漂う。私は、ミーハー趣味やテノール趣味もないが、かなり評判が良いテノールなのでここで大枚を叩いてでも聴いておこうと思ったのだが、ただし受付には招待客の行列が並び、とても複雑な気分・・・。

 前半はアルゼンチンの歌曲、後半はプッチーニなどのオペラ・アリアというプログラムだったけど、結論から言うととても不愉快なコンサートだったと言わざるを得ない。テノールのリサイタルというよりも、「隠し芸大会」か、杉良太郎の「歌謡ショー」と言った方が近い。音楽をマジメに表現しようという姿勢は微塵もなく、自己顕示欲むき出しのショーにはウンザリとしてしまった。

 自己顕示欲その1。管弦楽はボローニャ歌劇場管弦楽団が担当したんだけど、なんと指揮者はクーラ自身、ヴァイオリンやピアノの弾き振りは見たことも聞いたこともあるけど、「歌い振り」は今回が始めてだ。しかし歌手と指揮者を同時に両立するのは不可能で、どちらも集中しきれていない。そもそも観ていても歌っているんだか踊っているんだか分からんような指揮では、聴く側も音楽に集中できない。この「兼任」には、全くメリットを感じることは出来なかった。また「マノン・レスコー」や「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲はテンポゆるゆるで、まったく音楽していない。こりゃダメだ。

 自己顕示欲その2。ステージ上ではしゃぎ過ぎ。過剰な日本語サービス、アンコールで拍手を「もっと!」と要求する・・・もう、いちいち書くのが嫌になるくらいはしゃいでいる。これをサービス精神という人もいるかもしれないけど、私は自己顕示欲以外のナニモノでもないと思う。声楽家にとって最大のサービスは、素晴らしい歌を聴かせることに尽きる。素晴らしい歌があった上でのサービスならいくらでも結構だが、指揮をしたりギターを弾いたりしているのは明らかに音楽を犠牲にした上でのサービスだ。

 私が座った席は、2階正面の右端のほう。残念ながら3階席と比べて、明らかに音が悪い。声の密度が伝わってこないし、音圧が低い。ホセ・クーラの声の魅力は十分には伝わってこなかったけど、たぶん声量は十分な歌手なんだろう・・・という想像はつくし、最近のテノールの中では、間違いなくトップクラスの実力を持つだろうとは思う。しかし・・・ただ・・・・ひたすら願うのは、歌に専念して欲しい、ということだけ。この手のショーに才能(?)を浪費して、ホントに恥ずかしくないのだろうか? こんなものは聴く側から見れば、「悪夢」以外のナニモノでもない。こんなコンサートのチケットを買った私の見る目がなかったのか、それともクーラがどーしよーもないのか・・・? 歌手としての才能はともかく、この「ショー」はサイテーである。