大植英次=ミネソタ管弦楽団

(文中の敬称は省略しています)

●98/09/25 大植英次というとなによりも、バーンスタインがLSOを率いて最後の来日公演を行った1990年の事を思い出す。思えばバーンスタインと善意だったのだろうけど、当時、まったく無名の指揮者だった大植英次がバーンスタインの代役としてLSOを振るのははっきり言って無理があった。チケット料金はバーンスタインを前提にした高額な金額を取っておきながら、コンサート会場に行ってみたらプログラムの半分を無名な指揮者が振るのでは、聴衆が怒るのは無理からぬ事である。大植にとっては不幸な日本デビュー(?)となった訳だが、反面、それが大植の知名度をあげるのに役だったのは事実だろう。それから8年、大植はミネソタ管弦楽団の音楽監督として日本に帰ってきた。決してメジャーなオケではないけれど、オーマンディやミトロプーロス、ドラティ、マリナーなどが歴代音楽監督をつとめた由緒正しき(?)オケである。

 まずモーツァルトは、古典的なヴァイオリン両翼配置。モーツァルトは、その時代のオケの配置(左から1stVn・Vc+Db・Vla・2ndVn)を前提に曲を書いているので、この配置だとパノラマ感が表れる。大植はタクトを持たずに、かなり個性的な指揮をする。うまく文章表現は出来ないけど、Pブロックから見ていると、表情のつけ方がとても面白い。今回はPブロックで聴いたので、オケの機能性や、指揮者の表現したいことをきちんと聴き取れているか自信がない。でも、アメリカのオケにありがちなパワーでおしまくるようなオケではなく、きちんとしたアンサンブルを基本に音楽を組み立てていくオーケストラである、と言うことは伝わってくる。弦楽器もシルキーで美しいし、木管・金管も安定度がある。どのパートも穴がなく、とてもバランスが良い。なによりも四年目の音楽監督をつとめる大植の意思がオケに浸透し、そのタクトに敏感に反応しているのが好ましい。

マーラーにおけるオケの配置は、16型でモダンな1stVn・2ndVn・Vla・Vc+Dbというもの。そこから出てくる音はヨーロッパのそれとはちょっと違う。一言でいうと、明るいマーラーなのである。死の淵にいるようなグロテスクな表情は後景化して、浄化された明るい世界が表出したような感じ。アンサンブルは緻密だし、どのパートも突出することなく一つの音楽を造り上げていくさまは、なかなか感動的。どこかの指揮者みたいにバーンスタインの物真似ではなく、大植英次は自分自信の言葉でマーラーを語っているのが素晴らしい。

 アンコールはワーグナー「ローエングリン」第3幕への前奏曲、バーンスタイン「キャンディード」序曲、エルガー「エニグマ変奏曲」から「ニムロッド」。先日のNYPもそうだったけど、アメリカのオケは、聴衆を楽しませるエンターテイメント性では抜群。このミネソタ管も例外ではなく、聴衆の拍手を誘う術を心得ている。とくに鳴り止まぬ拍手に答えて演奏したエルガーなどは、感動的かつ心憎い演出である。オケが引き上げても、大植はコンミスとともにステージに呼び戻される。終演は9時35分、時間の長さを感じさせないコンサートだった。