二期会=新国立劇場
R・シュトラウス「アラベッラ」

(文中の敬称は省略しています)

●98/09/19 二期会と新国立劇場が共催したR・シュトラウス「アラベッラ」公演の初日。

 まず「アラベッラ」という演目自体が、バイエルン国立歌劇場の来日公演で初演されてから、国内で上演されたことがない珍しい演目である。またR・シュトラウス自体、そのオペラが日本のオペラカンパニーに取り上げられることが少なく、私の記憶では、きちんとした舞台上演は「サロメ」が何回かと「アリアドネ」、あと演奏会形式の「エレクトラ」が都響定期で演奏されたのを聴いただけである。あの有名な「薔薇の騎士」だって、外来公演以外でみたことがない。R・シュトラウスのオペラが上演されない理由は、「難しい」の一言に集約される。私にはホントのところはよく分からないけど、聴いているだけでもやっぱり難しそうだ。歌手の音程の取り方は難しそうだし、主役級は出番が長いのでかなり喉を酷使することになるだろう。管弦楽は大規模で、しかもニュアンスに富んだ官能的かつ透徹した響きが求められる。今日の「アラベッラ」も、その例外ではない。その意味では、二期会=新国立劇場が「アラベッラ」に取り組むこと自体、非常に意欲的なことなのだろうと思う。たとえどんなスカな演出であっても、歌手が不調、オケがタコだったとしても、「意欲」という一面においては 評価すべきだ。で、その舞台に実際に接してみて思ったのだけど、とても頑張っているのはわかるのだけど、最も評価すべきなのはやっぱり「意欲」ということになってしまうのである。

 まず評価すべき点は、佐藤しのぶに代わってタイトルロールを歌ったパメラ・コバーン。声量はそれほど大きくは無いけれど、音程は間違いないし、歌いまわしの巧みさ、表現力の豊かさで、この日の舞台を牽引した。続いてズデンカを歌った釜洞祐子もよかった。彼女は私の好きなソプラノの一人だけど、ドイツ在住だけあってドイツ語の歌いまわしが巧い。他の歌手とはぜんぜんレベルが違う感じがする。またフィアッカミッリを歌った天羽明恵が素質を感じさせる歌を聴かせた。しかし他の歌手に総じて言えるのは、レチタティーボの歌いまわしの不味さ、音程や管弦楽とのズレだ。コバーンと釜洞以外の歌手は、力みが入ってしまって歌い口が不味く、説得力が無くなってしまう。特に大島幾雄と福井敬は、声が十二分に出ていたにもかかわらず、不満を感じるた原因は力の入りすぎ。これではシュトラウスの世界、ウィーンの世紀末的な雰囲気は表現できないと思う。

 また管弦楽も大問題。弦楽器は優秀なのだけど、ホルンやトロンボーンなどの管楽器がマズすぎる。R・シュトラウスの管弦楽は、絹の糸を紡ぎ合わせたようなしなやかな透明感が必要だと思うのだけど、都響の管楽器にはほとんど透明感が感じられない。ところどころで官能的な響きが現れるのだけど、管楽器が加わるとニュアンスが消し飛んでしまうのだ。これには若杉の指揮にも問題があったのだろうと思う。

 演出は、・・・はっきり言ってコメントのしようがない。「アラベッラ」の舞台を見るのははじめてだから偉そうなことを言うつもりは無いけど、やっぱり凡庸以下で、才気が感じられない。第2幕から第3幕への舞台転換は、何のためにカーテンを開けたまま行ったのか理解に苦しむ。舞台装置は、二期会という基準を考えれば非常に豪華だけど、ピカピカ過ぎて重量感に乏しいし、衣装は借り物みたいで板についていない。いや、実際にウィーンからの借り物なのかもしれないけど。

 会場の反応は、かなりの盛り上がりを見せて、恒例(?)の「ブーイング」は聴き取れなかったけど、これは演奏の力というよりはR・シュトラウスの音楽の力なんだろうと思う。ただ、退廃した貴族と世紀末のウィーン、その雰囲気が感じられないと、この演目は成功とは言えないんじゃないだろうか?