サイトウ・キネン・フェスティバル
プーランク「カルメル会修道女の対話」

(文中の敬称は省略しています)

●98/09/07 松本は朝から雨、今年は全国的におかしな天気で、この前も出かけた先は雨だった。天気が良ければ群発地震も収まった上高地にでも行って見ようかと思ったんだけど、この天気じゃ行ってもなぁ・・・って感じ。でも松本は、雨が降っていても、ふらふら歩くところがあって決して飽きることがない。東京と違って、の〜んびりと流れていく時間が、私の波長に合っているんじゃないかと思う。蔵のたくさんある中町や民芸品の店などに入れば、いつのまにか時間が流れていく。とは言っても、この町にずーっと住んでいたら、このように思えるだろうか? もしかしたら年に一回だけ来るから、この時間の流れが心地良いのかもしれない。

 さて、今年のサイトウ・キネンで上演するオペラは、プーランクの「カルメル会修道女の対話」である。プーランクと言えば一昨年に「ティレジアスの乳房」を上演したけど、作品の傾向はまったく正反対で、「カルメル会〜」はシリアスなオペラである。原作はフォン・ル・フォールの小説「死刑台への最後の女」(1931)で、1794年に実際に起きた16人のカルメル会修道女が処刑された実話がもとになっている。公爵の娘ブランシュは俗世から離れてカルメル会修道院に入るが、やがて宗教活動が禁止されて修道女たちは殉教する覚悟を決める。しかしブランシュだけは恐怖から修道院から逃れる。牢獄につながれて次々に処刑されていく修道女たち・・・それを群集の中から見ていたブランシュは仲間たちの後を追って自ら断頭台に上ると言うストーリーである。作曲は1953〜56年で、初演は1957年にミラノ・スカラ座でイタリア語による初演が行われた。今回はもちろん、フランス語による原語上演である。

 プーランク生誕100年(1999年)を記念して国立パリ・オペラ座との共同制作となったこの上演、 期待通りの、いや、期待以上の素晴らしい上演となった。ラストシーンが終わってからホールを包み込む沈黙は、拍手することすら忘れさせる衝撃を観客に与えたことを端的に物語る。終わったのは午後10時近く、3時間半近い上演なのに、誰も帰ろうとしないで満場のスタンディング・オベーションが歌手やオケに贈られる。決してお義理の拍手ではない。会場にいた誰もが共有する感動ゆえの拍手である。

 ストーリーの通り、このオペラのテーマは「殉教」である。カルメル会修道院とフランス革命の間にどのような政治的対立があったのか、私は全く不案内なのだが、プログラムノートには「修道院内に亡命者の武器を隠匿した」ことによって告発されたとされている。しかし、このオペラの中で修道女たちが政治的な主張をするわけではない。修道女たちはフランス革命の嵐の中に巻き込まれていく受動的な存在として描かれ、(歴史的な評価は別として)このオペラの中での立場は「犠牲者」と言って間違いないだろう。革命派からはカルメル会修道院は反革命の烙印を押され、修道院の明渡しを要求される。殉教を決める投票ではブランシュのみが反対し、修道院から逃亡する(第2幕)。ブランシュだけは、彼女を院長が死を恐れながら苦悶の中で逝ったこと目の当たりにしたからだ(第1幕)。死を恐れるのは人間として当たり前の感情だけど、その当たり前の気持ちを持っていたがゆえに、彼女は修道院の中で孤立し、逃亡することになる。

 修道女たちは捕らえられ、裁判で断頭台に送られることが決まる。十数人の修道女たちが「めでたし、天の元后」を歌いながら断頭台に進んでいく。断頭台への13階段は金色の神への国への入り口のようにも描かれているが、ギロチンの音がするたびに修道女たちの合唱の声が減っていく劇的効果は、いかに言葉にすればいいのか。死を恐れるのも自然な感情であるならば、仲間の死を見過ごせないのも社会的存在である人として自然な感情であろう。「個の存在」としての感情と「類」の存在としての感情の相克、その二律背反の中で、ブランシュは自らの死を決意する。群衆の中で処刑を見ていたブランシュは友人の修道女コンスタンスに続いて断頭台に上り、「来れ、精霊」の最後の一節も途切れ、沈黙がホールを包み込む。このラストシーンを見て、誰が拍手することが出来ようか? すべてがレチタティーヴォでつながれていて、耳に馴染みやすいアリアなどは一切無し。決して難解な音楽ではないけれど、緊張感ある音楽が続いて、前半はいささか説明的過ぎるのでは・・・と思ったけど、ラストのシーンを見ると、そのすべてが必然性で溢れ、一切の無駄がないようにすら思えてくる。

 舞台装置は、大きな2枚の壁が回転して、ブランシュの実家の貴族邸になったり、閉塞した修道院になったりする。簡素でモノトーンに近い舞台装置だが、その分、舞台展開もスピーディでテンポもよく、聴き手の緊張感をそがない。さらに照明を巧く駆使して、立体感と奥行きのある舞台を作り出す。そしてなによりも素晴らしいのが登場人物の動きで、あらゆるシーンが説得力に溢れている。演出家フランチェスカ・ベンサロの意思は、登場人物のすべてに徹底されていて、院長の威厳、上級修道女の包み込むような説得力、ブランシュが死に対する気持ちの揺らぎ・・・などなど、登場人物のカラーが自然、かつ鮮明に打ち出され、舞台に生命感を吹き込んでいる。この演出家は、たぶんはじめてその舞台に接するのだけど、その力量を十二分に感じさせてくれる内容である。

 はじめて聴く音楽だけに、歌手や管弦楽の評価はしにくいのだけど、どのパートでも不満は感じさせず、高い次元でバランスが取れていた舞台だったことは評価して良いのではないだろうか。歌手に関しては傑出した存在は感じなかったけれど、どの歌手もその役割に徹して過剰な演技や表情が抑えられ、それが舞台のリアリティを高めていた。これだけのメンバーでこの演目に接する機会は、もう当分訪れないだろう。小澤征爾指揮SKOも堅実なサポートで、この音楽に必要な緊張感溢れる鋭角的な音楽は、高く評価して良い。

 20世紀オペラというと、「ヴォツェック」や「ムツェンスク郡のマクベス夫人」などを思い起こす。いずれも前世代のオペラと比較すると人間性を深く掘り下げた作品だ。前者は昨年のベルリン国立歌劇場、後者は一昨年のキーロフ歌劇場で観たけど、いずれもその年のオペラの中では最高の内容だった。ガーシュウィンの「ポーギーとベス」は軽く見られがちだけど、ベルグやショスタコに劣らぬ感動を与える作品だ。今回の「カルメル会修道女の対話」も、それらの作品に勝るとも劣らない水準の作品であることを証明した上演となった。今回のプロダクションは、その一点においてだけでも高く評価されてしかるべきだろう。