ベルリン・コミーシェ・オーパー
オッフェンバック「ホフマン物語」

(文中の敬称は省略しています)

●98/06/28 昨年よりベルリンで3つある歌劇場が立て続けに来日し、その最後にベルリン・コミーシェ。オーパーの来日公演がオーチャードホールで行われた。昨年秋にはベルリン国立歌劇場がバレンボエムのタクトのもとで目覚ましい復活を遂げ、その一方で今年2月のベルリン・ドイツ・オペラは良くも悪くもゲッツ・フリードリッヒの演出の個性を見せたものの、アンサンブルや歌手のレベルは明らかに低下している。今回のベルリン・コミーシェ・オーパーは、名演出家フェルゼンシュタインのもとでムジークテアターの路線のもとで50年の歴史をもつ歌劇場で、現在はハリー・クプファーが芸術監督を務めている。スター歌手は登場しないけど、演劇と音楽が一体化した演出には高い評価が与えられているけど、この歌劇場の出し物を見るのは今回が初めてである。

 まずオッフェンバックの「ホフマン物語」を見るのは全く初めてなので、頭の中には全く刷り込みがなかったのが幸いしたのかもしれないけど、鬼才クップファーの素晴らしい演出を堪能できた。スター歌手が存在しなくとも、聴く者の心を捕らえる舞台を作り上げることが可能であることを見事に証明したといえるだろう。たぶんこの手の舞台は、2回目、3回目と見る回数を重ねるに連れて新しい発見がある演出だろうと思う。クップファーの演出の最大の特徴は、ふつうはメゾ・ソプラノが演じるミューズ/ニクラウスをバリトンが演じることによってメフィストフェレス的な要素を強調しているという点と、第3幕と第4幕を入れ替えて、悲劇的な死に至るアントニアのエピソードを第4幕に持っていたことだろう。さらに時代も現代に移し、ジュークボックスから奏でられる「ホフマンの舟歌」や、自動車に乗って走り去るジュリエッタ、より問題意識を刺激する演出を試みている。この「ホフマン物語」に馴染んでいるとは言えない私が、クップファーの演出をどこまで理解できているのは、ハッキリ言って心許ない。しかし、そうであったとしても、この舞台は充分に楽しめる内容だし、「もっ と、もっと見てみたい」と感じさせる奥行きを感じる。

 さらにオーケストラが巧い。音量的にはベルリン・ドイツ・オペラに及ばないのは当たり前だけど、アンサンブルでは圧倒的にコミーシェ・オーパーの方が上だ。リューの指揮は、かなりセーブした感じで、色彩的にはモノトーンの中にさまざまなさまざまなコントラストを盛り込んでいく。写真的に言うとラチチュードの広い「上質の白黒写真」という感じなのだ。オケに関してはあまり期待していなかっただけに、これは大収穫だ。

 歌手に関しても大きな期待はしていなかったのが幸いしたのか、意外と大きな不満は感じなかった。もっともスター歌手不在、演劇と音楽の融合を目指したムジーク・テアター路線の歌劇場だけに、みんな演技達者で、クップファーの意志が徹底しているように見受けられた。このオペラの中心人物というと、何はともあれホフマンを歌ったニール・ウィルソンだろう。声が薄っぺらな感じが不満だったけど、さすがに第1幕から5幕まで出ずっぱりなだけに、声をセーブしていたのだろうと思う。決めるところでは良く通る声を出していたので、実力はあるのだろう。ステラ/オランピア/ジュリエッタ/アントニアという4役を演じたクラウディア・クンツもなかなかの演技達者で、配役表を見なければみんな別人だと思ったかもしれない。グルヴェローヴァのような例はあるにしろ、さすがに3人の女性を全て歌い分けるのは難しいのだろう・・・無理な部分も感じたけど、レベルは決して低くない。

 この劇場のオペラを見たのは初めてだったけど、ドイツ語上演という問題点を感じさせずに、演劇的要素を強調したオペラに引き込まれてしまった。クップファーという名演出家と、この劇場は、まずます目が離せない存在になりそうだ。「こうもり」も聞き逃せないと思うけど、問題はチケットの値段の高さだ。「ホフマン物語」も日曜日だというのにS・A席と思われる座席は空席が目立つ。全体でも7割入っているかどうかだ。これだけの上演なのに残念と言うしかない。安い席をもう少し増やしても、収益は落ちないと思うのだが、是非とも主催者の再考を願いたい。