新国立劇場のこれから
(文中の敬称は省略しています)

●98/06/13 新国立劇場のオペラ部門次期芸術監督に、藤原歌劇団の五十嵐喜芳氏に決まった。実はこの人事、新国立劇場のオープン前から「内定」していたもので、事情通のオペラ・ファンの間では公然の秘密になっていた。二期会色の強い畑中良輔氏から、藤原歌劇団への順送り人事である。任期は1999年7月から3年間、任期中は藤原との兼任はしない、という事だが、イタリアもの専門で超保守的と言われている五十嵐氏がオペラ部門の「顔」となって、新国立劇場の舵取りを行うことになる。そして、今日は新国立劇場の将来構想について書きたいと思う。

 この前は新国立劇場の定期会員システムについて書いた。この制度については新国立劇場の将来構想との整合性も考慮しなくてはいけないだろうと思う。たぶん、公式には明らかにはされていないと思うけど、新国立劇場首脳は、将来はウィーン国立歌劇場やメトロポリタン・オペラのような「レパートリー・システム」を採用して、新国立劇場に行けばオペラかバレエの必ず何らかの演目が上演されているようにしたいらしい。でも、私は日本でレパートリー・システムを採用したら、国内の歌手の層の薄さや、新国立劇場が欧米の歌劇場から極めて遠い距離にあることを考え合わせると、現在の平均的上演水準を上回るのはかなり難しいんじゃないかと思う。ハッキリ言って公演回数が増えればオペラファンが増えるという単純な図式ではない。上演水準を維持を絶対条件とした上で、どのように上演回数を増やすかを考えなければ、耳の肥えたオペラ・ファンは新国立劇場から遠ざかることになるだろう。二期会に委託していたオペラ研修所を新国立劇場の直轄にして、新たな人材育成を行うのは結構なことだけど、レパートリー・システムの成否はその如何にかかっている。私ならレパートリー・シス テムではなく、現状の新国立劇場のシステムを踏襲し、ミラノ・スカラ座のような「スタジオーネ・システム」を採用する方が良い結果を残せると思うのだが。

 あと演出やキャストの問題。これは何回も言っているけど、過去の名声やネームバリューにだけこだわった起用は止めて欲しい。べつに前衛的な演出にこだわるつもりは毛頭ないけど、新国のラインナップに登場する演出家は才能が枯渇してしまった・・・というか、ホントに才能あるの?って思うような演出家がほとんどだし、歌手だって「蝶々夫人」が顕著な例だったけど、完全にピークを越えてしまった歌手がタイトルロールを歌っている。このようなシステムでは絶対に若い歌手(演出家)は育たないような気がする。

 あとオーケストラの問題。私にはオケは委託の方が安いのか、常設の自前のオケをもった方が安いのかは、それに関する資料が全くないので断言できないけど、オペラとバレエの公演、リハーサルの回数を考えれば、すでに常設のオケをもっても良いのではないかと思う。ピットには東京交響楽団と新星日響が入ったけど、後者は力量不足が著しく、特に「アイーダ」の時なんかは酷かった。歌劇場にとって管弦楽団は最も大きな看板である。新国立劇場の看板に恥じない常設のオーケストラを早急に計画すべきだろう。ただし新規の団員の募集を行えば、既設の民間のオーケストラから人材が流出し、経営を圧迫するおそれもある。都響が発足するときもそのような反対運動が起こったと聞いている。しかしオーケストラを持たないオペラ・ハウスなど、「オペラ・ハウス」として認められるだろうか。既設のオケとの調整を行って、是非とも常設のオケを望みたい、可能ならば東フィルのような実績と実力を兼ね備えたオケがピットに入ってくれると良いと思うし、常任指揮者は大野和士が日本人指揮者としてはベストな選択だろうと・・・(個人的には)思う(^_^;)。

 これまで3回にわたって新国立劇場の問題点を、思いつくままに書いてきた。オペラ・ハウスについての知識は決してあるほうではないので見当違いに事を書いているかもしれないけど、私以外の多くのオペラ・ファンも同じような事を考えているに違いない、と思っている。新国立劇場は日本初の待望のオペラハウスである。それがオペラ・ファンの声とは離れて、既存のカンパニーやオーケストラ、演出家の温床となってしまうようでは絶対に日本のオペラの将来は明るくない。劇場のトップが変わらないとどうにもならないのかもしれないけど、まだ始まったばかりだ。新国立劇場はリスナーの意見を聞いて欲しいし、そのために「モニター制度」を設けるのも一つの方法だろうと思う。