小澤征爾=NJP
(文中の敬称は省略しています)

●98/06/17 5月の「ペレアスとメリザンド」は健康上の理由でキャンセルした小澤征爾の登場するトリフォニーホールA定期で、会場はほぼ満員となった。

 まずベートーヴェンは「思いもよらず(^_^;)」良い演奏だった。小澤の演奏というとテンションは高いけど、音楽の呼吸を殺してしまうようなところがある。しかしこの日の小澤は、肩の力が抜けた演奏で、しなやかな流れを作り出す。ハイドンやモーツァルトの影響を受けて、独自の様式を作り出す前の作品だけに「感動的」にはならないけど、この曲の魅力を伝えるには充分な内容だったと思う。安芸晶子がゲスト・コンミスをつとめたオケも、反応良く小澤のタクトに応えた。

 チェムリンスキーの「叙情交響曲」は、全く初めて聴く曲である。東京ではまだ4回目の演奏だということだが、マーラーの「大地の歌」にクリソツな曲である。すなわちインドの詩人タゴールの詩をテキストに、ソプラノとバリトンが7つの曲を交互に歌い、一つの交響曲を構成しているのが「叙情交響曲」だ。曲としては・・・ううむ(^_^;)、正直言って一回聴いただけでは面白さがわからない。愛の歌らしく官能的な音楽ではあるのだけど、とりあえず心奪われるような感じではない。これは演奏の問題なのか、原曲の問題なのかはよくわからないけど、ただベートーヴェンの演奏と共通して、小澤のタクトは意外と肩の力が抜けた演奏でその限りでは良かったけど、反面、失われたものも多かったかもしれない。歌手の釜洞祐子は、以前に聴いたときよりも声量は落ちる感じがしたけど、相変わらず良く通る美声だ。小松英典の声はオーケストレーションの問題なのだろうか、オケに埋もれてしまうことが多かった。


●98/06/19 小澤=NJP定期のBチクルス。

 まず樫本大進をソリストに迎えたシベリウスのコンチェルト。なかなかの美音なんだけど、ちょっと金属的な感じもする。突出したものはないけどテクニック的にも安定していて、歌い廻しにも癖がなく、安心して聴けるヴァイオリニストと言う感じ。ただし音色が上滑りしているようで、音の響きに低音が乗ってこないような印象が残る。オーケストラも小澤のタクトのもとで息のあったサポートを見せたけど、今一つ決め手に欠ける演奏。終演後、後ろの方の席で「大進クン、カッコイイ!」という声がきこえてきたけど、大進クンは若い女性には人気があるみたいだ(^_^;)。

 続いてサン=サーンスの「オルガン交響曲」。この日の小澤も「憑き物が落ちたように」力が抜けた演奏で、音楽の呼吸も自然なのは好ましい。しかし失ったものも大きいような気がする。小澤の指揮の時は、よくも悪くもテンションが高く、縦の線がピタッとあった演奏で、オケもミスが極めて少ないのが特徴だったけど、その美点の多くが失われてしまったんじゃないだろうか。もしかしたら小澤が変わったわけではなくて、オケの機能性が低下してしまったという可能性も大きい。かつては名手揃いと言われた木管も音色的な魅力もかつてほど感じないし、ホルンなどの金管も転けることが多い。弦楽器に関しては、東京のオケの中ではもともと評価が高い方ではないけど、トリフォニーホールに移って以降、弦楽器の薄さが指摘され続けている。トリフォニーという専用の楽器を持ったことで期待が大きいのだけど、残念ながらそれえに応えきれていないのがNJPの現状だと思う。とは言っても、第1楽章後半の祈るような響きはじっくりと腰を落とした演奏が印象的。

 とりあえず今シーズンはこの定期演奏会で締めくくりとなったけど、来シーズンに向けて本格的にアンサンブルを鍛え直して欲しいと思う。小澤征爾を看板にしているだけで聴衆はそれなりに集まるだろうけど、それに安住しているようでは向上しないと思うのだが。