サイモン・ラトル=バーミンガム市交響楽団
(文中の敬称は省略しています)

●98/05/26 私が最も注目する指揮者のひとり、サイモン・ラトルと手兵バーミンガム市交響楽団(CBSO)が「音楽監督」としては最後の来日公演を行う。イギリスの一地方のオケに過ぎなかったCBSOの音楽監督に就任したのはラトルが25歳の時、このオケを世界レベルのアンサンブルに育て上げた実績は、いくら高く評価してもしすぎることはない。個々の奏者のレベルでは決して高いとは言えないけれど、前回の来日公演で聴いたショスタコの15番は、まさにアンサンブルの極致を見る思いがした。音楽監督に就任して18年の精華は如何に、ラトル=CBSOは今年最高の注目すべき演奏会だろうと思う。

 今日の1曲目は、イダ・ヘンデルの独奏によるブラームスのヴァイオリン協奏曲。しかし、これは全くの期待はずれの演奏だった。彼女はすでに70歳を超えているのだろうと思う。その年齢を加味すれば、立派な演奏だったと評価出来ないこともないが、残念ながら一流の演奏会の場でソリストを務めるには無理がある。音は痩せていてふくらみにかけるし、音量不足。さらにテクニック的にもかなり無理があり、かなり弛緩した演奏になってしまった。オケはイダ・ヘンデルをかばいながら素晴らしいサポートを見せたけど、ブラームスのコンチェルトとしては極めて不満の多い演奏だったと言わざるを得ない。このソリストの人選が、EMIのCD発売戦略に乗ったものだとしたら残念である。

 休憩後はベートーヴェンのエロイカ。この演奏の素晴らしさに関しては、まったく言葉を失ってしまう。このオーケストラの音色は、貴金属や宝石のようなキラキラした美しさではないし、絹のような光沢とも違うような気がする。最も近い喩えが、最上質の木綿のような滑らかさ・・・だろうか。ただ単に音色的な美しさを求めるなら、フィラデルフィアやスカラ座管などのメジャー・オケの方が上だろう。しかしCBSOの美点は、精緻な、この上なく精緻なアンサンブルである。ラトルのタクトのもとに、いとも自然に「縦の線」と「横の線」がピタリと合わされるのを見るのは、マスゲームのような快感を覚える。12型の弦楽器をコンパクトに配置したオーケストラから紡ぎ出されるアンサンブルは、スピーディに、強靱かつ筋肉質なエロイカ像を映し出す。濃密な表情をつけていたけど、それが不自然にならないのがラトルの美点だろう。朝比奈のような老練なエロイカ像とは対照的で、ラトルのエロイカは青年のような若い英雄像なのだ。まだ40代半ばの指揮者から、このような素晴らしい音楽が聴けるとは・・・! こんな素晴らしいエロイカは聴いたことがない。ラトルは、オーケストラ という筆を使って自身の自画像を描いて見せた、と言っても、決して過言ではないだろう。

 6月のオペラシティで行われるラトル=CBSOのコンサートは必聴である。オーケストラとは如何にあるべきなのか、・・・このラトル=CBSOこそが、その答えを教えてくれるだろう。