大野和士=東フィルのマーラー3番
(文中の敬称は省略しています)

●1998/05/15 マーラーの第3交響曲というと、忘れがたい思い出の演奏がある。ベルティーニ=ケルン放送響がマーラー・チクルスを演奏したときの3番は、素晴らしい名演奏だった。マーラーというと分裂的な傾向が強い作曲家で、下手に演奏するとさまざまな楽想がバラバラになってしまうコワイ曲だろうと思う。コレを一つの曲として統一感を持たせるのは至難のワザで、それを巧く表現するのはマーラー指揮者としての腕の見せ所だけど、その点でベルティーニは最高だった。第一楽章の「相克」から第6楽章の「浄化」に至るまでの過程を、これほどまで自然に、説得力を持って描いた演奏は無かっただろうと思う。今日は大野和士指揮の東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会、どうしてもベルティーニとの比較になってしまうのは致し方ない。

 久々の東フィル定期だけど、開演10分前まで3階席はガラガラ。なんでこんなに客が入らないんだ?・・・と思ったけど、5分前になったら急にたくさん入ってきて、ほぼ満員の聴衆で客席はうまった。さて、演奏は聴き手の期待に応えて東フィルは力演を見せたけど、その一方で不満も多い演奏となってしまった。まず全曲の統一感が弱い。オケはffではテンションの高い良い音を聴かせるんだけど、ppになると音の密度が薄くなってしまうし、冒頭のホルンのユニゾンは迫力があったけど、ppでは急に不安定になってしまった。最終楽章になると金管もバテてきたのか、ffの時の音色がヒステリックで汚くなってしまった。ところどころでパート毎の音がずれてしまったのも気になったし、ちょっと練習不足なのかもしれない。考えてみれば大野和士は6日から昨日まで新国立劇場の「魔笛」を連日のように振っていたわけだから、練習時間も充分にとれたのか疑問である。文句ばかりになってしまったけど、オケの熱意は充分に伝わってきたし、決して悪い演奏だったわけではない。合唱は女声(東京オペラシンガーズ)も少年合唱(東京少年少女合唱隊)もレベルは高かったし、アルトの寺谷千枝子 はもう少し声量と声の深さが欲しいものの手堅い内容だった。

  そしてこの曲の第6楽章は、マーラーの中でも最も感動的で美しい曲だろうと思う。たとえ、どんなにメゲていても、聴くものを力を与えてくれそうな感じがするし、そうじゃなくても心洗われる音楽だ。ベルティーニと比較するとどうしても分が悪い演奏だったけど、やっぱり良い音楽は人を感動させる力を持っている。