シュワルツ=NJP「ペレアスとメリザンド」
(文中の敬称は省略しています)

●1998/05/10 私はサイトウキネンも毎年のように行っているし、NJPの定期会員でもある。このヘネシー(今年度はローム)オペラシリーズも、ほとんど見に行っているけど、小澤征爾のファンか?と言われると決してそうではない。もちろん小澤の演奏で感動したこともあるけど、どちらかというとハズレの方が多かった。とくにオペラシリーズは顕著で、登場する歌手やスタッフ、舞台装置は豪華だけど、歌手の呼吸をあまり考えないタクトには幻滅した記憶の方が多い。今回はメイン・スポンサーがヘネシーから半導体のローム株式会社に代わったけど、指揮者の小澤も「過労」からダウン、急遽、ジェラード・シュワルツに代わった。小澤に関してはサイトウキネンを巡るスキャンダルが週刊紙に掲載され(この件については金田真一さんの「音楽実験工房」が詳しい)、今回のキャンセルと結びつけて考える向きも多かった。事の真相は分からないけど、今回の「ペレアスとメリザンド」の公演、この指揮者交代が吉でるか、凶とでる か。

 あと今回のキャストについて。メリザンドを歌うストラータスは、ナマでは初めて聴く歌手だけど、思い出深い歌手である。私がオペラに親しむきっかけとなったものの一つに、ゼフェレッリが監督した「椿姫」の映画がある。衛星放送で見たんだけど、豪華な舞台とドミンゴとストラータスに、当時はとても感動した。残念ながらその録画テープがなくなってしまってしばらく観る機会がなかったんだけど、「椿姫」という演目が好きになったのはこの映画があったからこそだと思う。最近、友人がLDで持っているという話を聞いて、久しぶりに「椿姫」の映画を見ることが出来たんだけど・・・感受性が衰えたのか、耳が小賢しくなったのか・・・歌手はへんだしオケは下手だし、最悪なのは録音で聴くに耐えない。ううむ、思い出にしまっておいた方が良かったかもしれない(^_^;)。

 あとゴローを歌うホセ・ファン・ダムもナマで聴くのは初めてなんだけど、「仮面の中のアリア」という映画で見たことがある。引退する歌手が彼の役どころなんだけど、若いテノールとソプラノを育て上げ、最後には敵役の歌手と歌合戦を行うという映画だ。とても映像が綺麗で、ソプラノ役の女優さんがめちゃんこ好みって感じで気に入ってるんだけど、こーゆー映画を見てしまうと、ホセ・ファン・ダムって過去の歌手みたいなイメージを持ってしまう。これはストラータスも同様で、最近は録音とかの話も聞かないので、どーゆー活動をしているのか知らないと、すでに過去の歌手というイメージが出来上がってしまう。

 スター指揮者・小澤のキャンセルということもあって、払い戻しをしたチケットが売り出されていたけど、会場はほとんど満員に近い状態。ホールに入るところで、いつもは有料の公演プログラムがタダで配られていたのは、指揮者のギャラの差額分を還付する代わりだろうか。とにかく1500円儲かったみたいで、得した気分である。

 全5幕の舞台は、第3幕の後に1回の休憩を挟んだだけで、連続性を重視した舞台構成。そして美しい舞台装置に心奪われた。紗幕の向こうに展開される舞台は、背景の幕に絵を描いただけの簡素なものだけど、巧みな照明も相まって、絵画的な世界を映し出す。「ペレアスとメリザンド」は10年くらい前に二期会の舞台をみただけだけど、今回の舞台は段違いに素晴らしい。装置や衣装はサンフランシスコ・オペラからの借用だと言うことだが、繊細で淡く、上品な質感に溢れる色彩感は、日常とは全く違う世界に誘われる。簡素なだけに舞台展開はとてもスピーディで、聴き手の集中力を途切れさせないのも良い。デイビット・ニースの演出も非常にオーソドックスなもので、登場した歌手がみんなあ芸達者なこともあって、演出と装置の面では全く不満は感じなかった。

 歌手についても文句のつけようがない。これほどまで歌手の粒がそろっていた公演というのも、最近では記憶にない。ストラータスやホセ・ファン・ダムが「過去の歌手」なんていうイメージは完全に吹き飛んでしまった。ストラータスも「椿姫」のビデオと比べると見た目の年齢を感じるけど、その声と演技はメリザンドそのものを感じさせる。神秘的な美しさと魅力を湛える彼女の存在がなかったら、このオペラの評価も違ったものになったろう。ホセ・ファン・ダムも第1幕冒頭はちょっと物足りなさを感じたけど、それ以降は声量も表現力も申し分なく、ゴローという難役を演じきった。ロバート・ロイドの演じる老国王の心理表現巧みな歌唱は、ベテランならではの味だろう。これまで知らなかった歌手のクロフトも柔らかく美しい声に魅せられたし、ジュヌヴィエーヴを歌ったヘンツェルは役柄にしては声が若すぎるかもしれないけど、光沢と張りがある歌声と歌唱力という点では見事なものだ。

 さて、問題のオーケストラだが、シュワルツは手堅くまとめきったと言っていいだろうと思う。流れとしてはとても自然で、歌手の歌を遮るようなところは感じなかったし、音色感も豊か。少なくとも小澤がそのままタクトを取っていたとしてもこれ以上の内容は望めなかったと思うし、むしろ「小澤だったら、ここは強引にドライブしてドビュッシーの音楽を壊しちゃうだろうなぁ・・・」と思ってしまった。あえて難点を挙げると、もう少し筆致の細い、デリケートな表現を望みたいし、神秘的な雰囲気という点では、ちょっと物足りなさを感じてしまった。そして、「タクトがジャン・フルネだったら、どれほど良かっただろう・・・」という想像が頭をよぎってしまうのだ。もしフルネだったら、近来希にみる名舞台になっていたことは疑いない。

 小澤が看板のNJPオペラ・シリーズの最終回において、彼のキャンセルというアクシデントが発生したけど、それがこのシリーズ最高の舞台を作り上げてしまったのだから運命とは皮肉なものだ。今後はすみだトリフォニーホールでの演奏会形式の上演が行われる・・・という話を聴いたけど、滅多に日本では上演されない隠れた名曲を紹介して欲しい・・・・けど無理だろうな(^_^;)。